二章『姉と、不審な来夢。』その1
「はよー、姉ちゃん。それと兄貴も」
「ああ、おはよう」
「おはよー、ごはんあとちょっとでできるからー」
春秋と仲直りしてから数日後の土曜日。
午前中だけだが学校があるので平日通りに起きてきた冬夏は、慣れた調子でいやし、春秋とあいさつを交わした。
一度悪態をつかないように過ごしてみれば案外簡単なことで、数日ですっかり普通に接することが出来る様になっていた。
もっとも、それでむかつくことが少なくなったかと言えばそれは別で、やはり春秋に対して言いようのないむかつきを覚えることも多々あったのだが。
それでも、あの日、素直な響きで「ありがとな」と言った春秋の事を思いだすと溜飲は下がり、「別にわざわざ悪態つくほどのことでもないな」と飲みこめていた。
「侵入者とかは?」
「なし。この間の一日に二人も来たのは偶然だったみたいだ」
いやしが食事の準備をする後ろすがたを眺めながら、ソファに座った春秋とぼそぼそと報告。
「そうか。それならよかった。捕縛したやつらからなにも聞き出せてないのが残念だが」
「そりゃ仕方ないだろ、よくあることだし。一応犯行動機は、金に釣られたとか言ってたんだっけ?」
「ああ。使い捨てだろうな」
特に表情の変化なく頷く。
春秋も、捕まえた相手が何も言わないことがよくあるのは分かっている。
ただなんとなく、会話を続けるために話しただけ。
しかしそれが尽きると、春秋との間にはいかんともしがたい沈黙が下りる。
別に仲良しこよししようってわけじゃないから会話が止まってもいやしの背中とかお尻とか見ていればいいだけの話なのだが、居心地の悪さはどうしようもない。
だが、それを打ち破るように、いやしが振り返って明るい声を出した。
「ご飯できたよ、食べてー」
「はーい」
冬夏は返事をして、春秋と一緒に食卓につく。
いやしもシュシュで束ねていた髪を下ろすと、席に着いた。
「そういえば、最近来夢ちゃんと一緒に登校してないよね。冬夏、教室で来夢ちゃんの様子どう?」
「え? うーん……」
いやしに問われて、冬夏はとりあえず味噌汁に口をつけながら、少し思い出し考える。
最近朝方に用事があると言われて、一緒に登校していないのは確かだ。
どうやら冬夏たちよりも早く出ているようで、学校に到着すると既に席には鞄がおいてあるのだが、しかし教室には居ない。
用事というのは、学校関連のことなのかもしれない。
ただ、何をやっているのかはわからないが気になる点はあった。
「イマイチ元気ない、かな。……正直ちょっと、調子狂うっていうか。姉ちゃん、なにか心当たりとかないよね?」
「私はなにも聞いてないかなぁ……春秋くんは?」
「俺も何も聞いてない」
表情一つ変えずに言う春秋。
こいつには人を心配する心とかないのか――と一瞬反発心が湧いたが、しかし、続いた言葉にそれはすぐに引っ込んだ。
「第一、俺が励ますのはなにか違う。気になるなら冬夏、お前が元気出させてくればいい」
「兄貴が他人のことを気遣った……だと……!?」
驚愕に目を見開いていると、わずかに目を細めて春秋が睨んでくる。
「どういう意味だ。これでも結構普段から気くらい遣ってる」
「そうかなぁ……? 気を遣ってるならもうちょっとクラスのみんなと仲良くした方がいいと思うんだけど……」
いやしまで苦笑を浮かべるため、やや気まずそうに、誤魔化すように春秋は一つ咳払いをした。
「とにかく、元気がないようなら励ますのはお前の役目だと思うぞ、冬夏。
今日は午前で学校は終わりなんだから、どこか遊びにでも行ったらどうだ」
「……その間姉ちゃんと兄貴が二人きりになるのがなぁ……」
ついぼそりと不満を口にしてしまう冬夏だったが、しかし来夢が元気ない様子なのが気になるのは確かだ。
それに、以前した「おごり」の約束も果たしていない。
ちょうどいいから約束も果たしてしまおうと、不満は心の底に仕舞いこんで冬夏は小さく頷く。
「わかった。兄貴の言うとおりにするのはなーんか気に入らないけど、そうする。
――姉ちゃん、おれ先に出るよ」
言ってから、がつがつと一気にご飯をたいらげていく。
味わって食べないことに少々の罪悪感はあるものの、今は来夢のことを速やかにどうにかするのが先だと思った。
いつまでも暗いままでは調子が狂う。
「――ごちそうさま!」
「お粗末様。お皿は片付けなくていいよ。来夢ちゃんのとこ、早く行ってあげて」
「ありがと、姉ちゃん! じゃ、先に行くからっ」
早足に居間を出て、二階の自室から鞄を取って急ぎ家を出る。
家を出た瞬間、左目を閉じて能力を使い、心の中で詫びてから来夢の家の中を覗いた。
「もう出てるか……」
となると既に学校か。それとも通学路を歩いている途中か、バスの中か。
わからなかったが、能力を解除した冬夏は駆け足気味に通学路を進んだ。
そしていつもよりも短い時間でバスの営業所の入口に着くと、ちょうどバスに乗った来夢の姿を見つけた。
バスのドアは既に閉まり、ちょうど営業所を出るところだった。
今から乗るにはタイミングが悪いと思い、もう一度能力を使って視点を飛ばし、バスの中に張り付かせる。
周囲に怪しまれないように赤くなっている左目を軽く閉じて俯きながら、バスを待った。
閉じた左目の中では、はっきりと来夢が映っている。やはり、どうにも浮かない表情をしていた。
こうして覗き込んでいることにも少し罪悪感を抱いてしまう。
来夢が落ち込み始めたタイミングからして、春秋との仲直りになにか原因があるのではないかとふと考えた冬夏だったが、しかしいくら考えても原因はわからない。
というか、わかるならとっくのとうにどうにかしている。
春秋と縁を切るなり闇討ちするなり、煮るなり焼くなり容赦なく対処している。
仲直りしたからと言って別段強い情が湧いているわけでもなし、幼馴染の来夢の方が万倍大事だ。
いやしのことは一億倍大事だが。
落ち着かないまま、来夢の表情を眺めつつ次に来たバスに乗る。
そして学校近くまで、早く着けと思いながら乗っていき……降りて歩きだしたころには、来夢は学校に到着していた。
校門をくぐる来夢の姿に、やや焦りを感じながら冬夏は急ぐ。
本当になにか用事があって、なにか作業でもしているなら朝のうちに話すのは無理だ。
教室だと、いらない邪魔が入らないとも限らない。
誘うならば、朝、二人きりの時に誘ってしまいたい。出来れば悩みも聞いてしまいたい。
いつまでもしょぼくれた顔をしてるんじゃないって――調子が狂うじゃないかって、励まして、さっさといつもの調子に戻って欲しい。
だから、冬夏は走った。学校まで、わりと全力で。
しかし、ふと、左の視界で異変があった。
鞄を置いた来夢が教室から出て行ったのだ。
そこまではよかったのだが、なぜか来夢は人気のない、閉鎖された屋上の扉の前の踊り場に向かっていた。
そこでなにをするかと思った冬夏だったが、来夢はなにもしなかった。
何もせず。
俯いて。
じっと、身をひそめるように、息を殺していて――
「……っ! なにやってるんだ、来夢は!」
その姿を見ていられなくて、能力を解除して左目に繋げていた視点を消した。
両目をしっかりと開いて、気づけば足がちぎれるんじゃないかと言うほど、運動部に見られたら絶対に勧誘されてしまいそうなほどの健脚で、学校までの道を疾走する。
……そこまでなにか困っていたなら、言えばいいのに!
心の中で漏れた言葉は、愚痴か、それとも。
自分でも言い表し難いもやもやを抱えたまま、しかし、自分の目で今の来夢の姿を見て、励ましてやらなければと、使命感のようなものに駆られながら冬夏は学校に到着した。
教室に鞄をおくこともせず、階段を駆け上る。そして、一般教室棟側の階段の、一番上まで上って。
「来夢!」
「……とう、か」
声をかけた瞬間、来夢がゆっくりと顔を上げた。
その表情は嬉しそうな――では、ない。
その表情は、驚きに固まっていた。
なにか未知の生命体でも見つけたような、しかし冬夏を見ているわけではなく、なにかもっと、『大きなコト』に驚いているかのようだった。
「なんで……ここに……」
「なんでって……あー、えーっと……なんで? なんかこう、ちょっと話をしようと思ったっていうか、いい加減励ましの一つでもしようっていうかさ、だから――」
「違うの、そうじゃなくって……なんで……『自分の意思で』来たの?
『自分の判断』であたしのことを『励ましに』きたの? ……ここに」
「はぁ?」
言葉の意味が上手く理解できず首をひねる。だが、真面目な、それでいてどこか脅えるような表情の来夢を見て、頬をかいてから冬夏は答える。
「……自分の意思だよ。催眠術でもかけられたっていうなら別だけど。多分それはないんじゃないか? そういうの、おれ、強いし」
実際には春秋の言葉が『どうしようかな』と思っていた心を後押ししたようなものだが、春秋に一押しされてきましたなどとは口がさけても言いたくないのでちょっと嘘をつく。
すると、来夢は小さくため息を吐いた。
諦めたように、ため息を吐いた。
「そっか」
「いや、そっかってお前……なに? なにを聞きたかったの?」
「一応催眠解くようなこと、してみてよ」
「だからなにを疑って――ああ、はいはいわかったよやるよ」
ちょっと泣きそうな顔をするので、仕方なく冬夏は師匠から教わった催眠を解く方法というものを実践する。
まずは左目を閉じ能力を使って、視点を一つ産む。さらに右目を閉じ――能力で作った 視点から見える『視界』に、もう一つ視点を生んだ。二つ生んだ視点は、それぞれ右目、左目に映るようにする。そしてその二つをきっちりと並べて、自分の姿を見た。
舐めるように、自分の全身を、筋肉の動きを、表情の揺らぎを、観察していく。
冬夏にしか出来ない、目を閉じて自分自身を観察することで異常を発見するという行為。能力によって使われる脳の機能は催眠の類とは一切無関係な部分であるため、それを利用したものだ。普段昨日していない脳の部分を機能させることで脳を活性化させ、催眠を解く効果もあるとは師匠の弁。
いつか役立つと言われて『師匠』こと、いやしの母親・楠城乱から催眠導入剤を何発も打たれたのも今となってはいい思い出だ。
数秒で精査を終え、能力を切って目を開ける。朝から何回も能力を使っているせいか若干左目が重い。後で目薬を使おうと思いながら、目の前でやや不安そうにしている来夢に報告した。
「特にそういうのはなさそうだけどな」
「そっか……じゃあなんで……あれには……?」
「……来夢、お前、何隠してんの?
悩み事なら聞くし、なにか仕事回されてきたっていうなら手伝うぞ? 少なくとも、大変だろ、今」
ぶつぶつとなにか呟きながら思案している来夢に言葉を投げかけるものの、来夢は余計に気まずそうに口を閉ざしただけだった。
それに、はぁ、と一つ冬夏はため息を吐いた。
「わかった、わかったよ。何も言わなくていいから。
――代わりに今日、前に言ってた『おごり』、済まさせてくれよ。
なに食べてもいいから、それでちょっとでも元気出せ」
「え、う、……それは……」
「なにか用事でもあるのか?」
「ない……けどさ……」
「なら行こう。授業終わったと逃げたりするなよ?
……それと、こんなところでうずくまってるなよ。心配になるだろ。
暗い顔してていいから、教室居てくれ」
「あ……」
来夢の手を取って、引っ張っていく。
しばらく何も言わず、なにも反応を示さず引っ張られていた来夢だったが――教室に到着する少し前に、やや強めに、冬夏の手のひらを握り返してきた。
それから、教室に入る少し前まで、来夢は冬夏の手を握っていた。




