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第六話:狭き門

 ペレグはユバルとともに西を目指した。アダムが追放された方角である。父と母の向かった教会の横を通り過ぎ、学校を通り過ぎた頃、ユバルは尋ねた。どうしても聞きたいことだった。


「ペレグさん」

「なんだね、少年」

「どうしてエデンに来たんですか? それと……その……バビロンって場所は、あるんですか?」


 バビロンの民の存在は周知されているが、目撃されたことはない。バビロンの民は見つかればすぐ教府キュリアに保護・処分されるから顔を出さないのだ――というのが、風説の一つだった。

 実際、教府は園人にバビロンの民を見つけたら宗教裁判官に連絡するよう通達している。バビロンの民が実在すれば、園人の住む地域に姿を現すなんてことは自殺行為に他ならない。そう考えていただけに、ユバルは不思議だった。


「どちらから答えればよいかな?」


 苦笑するペレグにユバルは顔を赤らめた。


「すみません」

「いや、いい。子どもはそのくらい元気でなくては」

「もう一五です」

「私からすればまだ十五だよ。それに、今の世代の園人はみな……」


 言葉を濁したペレグは、咳払いをして話題を切り替えた。


「まず、バビロンは存在する。『歴史』にも記されているように、バビロンは人々が離散した地だ。それは、この『エデン』においても変わらない」

「……エデンの中に、バビロンがあると?」

「さあ、そこまではまだ話せない。少なくとも君が『狭き門』をくぐるまではね」

「いじわるですね」


 やっぱり子供じゃないかと言われて、ユバルは拗ねた。どうしたものかと頭を掻いて、ペレグは話し続けることにした。


「私がどうしてエデンに来たのかと聞いたね」

「聞きました」

「知りたい?」

「……ぜひ」

「では、話そう。私はとある結社の一員だ。任務のためにやってきたのさ」


 にわかに話が冗談めいてきた。疑わしげな目を向けるユバルに、ペレグはおどけた調子で聞き返す。


「信じてないね?」

「……ええ、まあ」

「そうだろうなあ。今のきみには、『美食家』なんて言ってもわからないよなあ」

「……なんですかビショクカって。僧侶ビショップとはどう違うんです?」

「ビショクカは、美味しい食事をするものの家と書いて、『美食家』だ。食事に美学を追求する人々、と言い換えてもいい」


 とユバルは思わず吹き出した。


「食事に、美学? おいしい食事? なんですか、それは。

 食事っていうのは、人体を動かすための燃料でしょう。そこになんの美学があるんです」


「訊こう。それは、君の考えか」


 問われて、ユバルは困惑した。ユバルは自分の学んだ「常識」にしたがって答え、笑っただけだった。ペレグがどうしてユバルの考えを求めるのか、それがわからなかった。


「食事をするという行為の意味を、君は考えることになる。だが今の君は考えることを知らない。『常識センスス・コムニス』の考えこそが自らの考えだと思っているからだ。それは思想の外部化だ。

 君の内側にあるものはなんだ? 君が見ているものはいったい何か? それをよく考えるといい。でないと、『狭き門』を通ることは出来ないだろう」


 いつしか二人はエデンの果てに至っていた。


「見えたぞ」


 ペレグの人差し指の先を視線で追う。


 果たしてそこに「狭き門」はあった。


 子どもが一人通れればいいくらいで、これが園と外を隔てる境であった。

 幼少期から「常識」で教えこまれた警句をユバルは思い出す。


 ――汝「狭き門」をくぐるべからず。くぐるもの、ケルビムと自から旋轉る焔の劍に裁かれん。


 突然ユバルの体は石となり、動かなくなった。

 焔の劍が視界いっぱいに広がって、ユバルは裁きを覚悟した。


「目を開きなさい。体は石になっていない」


 ペレグがユバルの肩に手を置いた。声とともに劍は消え去り、体はもとに戻った。

 ユバルは突然の出来事のショックが抜け切れず、しばらく呆然と立ち尽くしていた。石になっていく冷たさがまだ肌に残っている。しかし、体は石になったわけではなかった。

 ユバルは背後に立つペレグを見上げる。少年の体は怯えのために震えていた。


「いまのは……?」

「まやかしだ。これが、教府の教育インプリンティングだ。幼少期に警句と視覚情報による刷り込みを行い、特定条件で体を動かなくする」

「どういうことだ。悪魔が僕をいざなったのか」

「そうではない。教府による洗脳だ」

「洗脳? ばかな……」

「今は信じなくともいい。君はバビロンに行くのだろう。では、ここを通りなさい」

 有無を言わさぬペレグの口調に、しぶしぶユバルは従った。頭のなかでは疑念がぐるぐる回っていたが、しかしいまはどうしようもない。これをどうくぐればいいのかユバルは考える。

 しかしじっと「狭き門」を見つめても、こめかみが痛くなるばかりだった。目が痛くなり、瞬く回数が増える。気づけば涙が流れていて、視界は回転しようとしていた。

 ユバルは顔を上げて、涙を拭った。滲んだ視界の奥に、枯れた大地が写る。

 そこで、はたと気がついた。どうして気づかなかったのか、わからなかった。



 ユバルは、狭き門を、またいだ。



「よろしい」



 背後でペレグが笑っていた。ユバルは振り返り、膝丈ほどしかない狭き門をじっと見つめた。その上には、何もなかった。壁も、柵も、なにも隔てるものはなかった。


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