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第二話:遭遇

 

 天球の直上に太陽が昇り、ドームを透過した光が木々の隙間から漏れている。石畳の隙間から伸びる草は風に揺られながら、必死に生きようと首を伸ばす。ユバルはそれに気づかず踏みつけて、ゆったりした調子で歩いていった。敷石に押し付けられた草は伏したまま、誰にも顧みられない。けれど彼も、そのうちまた立ち上がる。

 ユバルはそよ風に揺れる「見て美しい樹」を眺めながら、昼飯をどこで摂ろうか考えた。

 鞄の中には昼食がある。母から手渡された栄養スティックである。

 必要十分の栄養分とエネルギーを供給するという焦げ茶のスティック。教府キュリアから配給される国民食だった。健康と禁欲を同時に満たす神の御業の産物として教校では教えられている。

 安息日は金曜日の日没から土曜日の日没までと定められていた。ユバルは母から、日が沈むまで適当に遊んでらっしゃいと伝えられている。

 けれどユバルはクラスメイトと遊ぶ気にはならなかった。

 主の作った世界をなぜ見ない。草木がどうしてこうも伸びるのか、並木はどうしていつも同じ高さをしているのか、鳩はどうして白いのか。

 園人そのびとは、疑問を持つなと教えられる。それは神を疑うことになるから、と。しかしそれは神の作りたもうた世界を無下にしていい理由にはならないはずだ。ユバルはずっと悩み続けてきた。

 けれど園人はそんなこと考えたこともないらしい。級友たちはユバルをからかうことが多かった。ユバルの話を聞いた母も、そんなことがどうしたというのかと失笑した。異常だ、と思った。自分自身を除けば、出会う人々誰も彼もが目に見えるものをもっと知ろうと思ったことがないという。

 他者との迎合を気にせぬ性質は、必然孤高をもたらした。ユバルは自らの道を進むことが神との対話だと思ったから、気にせずそれを受け入れた。

 だから彼は、胸の軋みを不思議に思っていた。ユバルはそれを級友たちとの不和に起因すると考えたが、説明がつかなかった。そもそも軋みは、級友には一度も感じたことがなかった。

 景色のフラクタルを息苦しく感じはじめて、ユバルは我に返った。

 思念の坩堝に嵌まることはよろしくない、苦しいと思った時、主を思いなさい。母の教えを思い出す。

 ユバルは、どこで昼食を食べるか決めた。

 今日もマリア様の足元で。

 そう思うより早く、足は聖マリア公園を目指している。

 聖マリア公園はユバルの学校から近い、それなりの規模の公園だ。十六フィートのマリア像を中心点とし、同心円状に広がるようにモザイク模様の石畳が広がっている。安息日あんそくにちの翌日や、平日には多くの園人そのびとが訪れる憩いの場だと言える。その憩いの場も、安息日に差しかかるとそうではなくなる。人々は家にこもってしまい、子どもたちは遊び場へゆく。金曜の昼から、その公園は都市の空白地帯となる。その澄んだ静けさをユバルは好んでいた。誰も邪魔をしないから。

 

 その日も期待通りの静けさが待っていた。ユバルは広場の中央にあるマリアに近寄り、彼女の足元に続くおだやかな階段に腰掛けた。

 置いた鞄の中からビニル袋を取り出して、切り目から裂く。そのうちの一本を取り出して、少しだけ喰み、咀嚼する。

 主に祈りを捧げるマリアの前で、ユバルはただの少年であった。広場を取り囲む「見て美しい樹」がそよそよと揺れる様子を無邪気に楽しみ、時折やってくる鳩に食事を分けた。白い鳥は二口三口と食べるとどこかへ飛び去った。その羽ばたきの美しさ、空気を押し出す素朴な力強さにユバルは感動する。ここならば、自然に思いを馳せたとしても誰も文句を言うことはない。

 ユバルは禁忌と知りながら、自然への感動を抑えきれなかった。神の作りたもうた自然への畏敬を彼は常に感じた。毎日細かく眺めるうちに、一定周期で咲く花が変わることに気がついた。

 しかし彼は誰にも話さなかった。罪人として烙印を押されることを恐れたからだ。

 雲一つない青空を背にした聖人は、正面に大きな影を落としている。ユバルはその中に跪いた。


「マリア様、今日もまたエデンの安息日がやってきました。これもマリア様と主がこの半球を作ってくださったおかげです。今日、教校で習いました。氷河期の再来にあわせ、巨大なドームを建設した聖人の話です。主が天啓を授けて下さらなければ、私もきっとここにはおりませんでした。ありがとうございます。

  今日は、わたしの悩みを聞いてほしいのです。これは、懺悔でもあります。どうか、聞いてください。そしてどうか答えを授けてください」


 聖マリア像のうっすらと伏せた目は、ユバルを見ていない。気にせずユバルは続けた。


「かつて世界中から人が集まり、ドームに入ったおかげで多くが生きながらえたと聞きました。今の級友はその末裔、神の下で平等であるとされた人々です。肌の色が白いのも、黒いのも、黄色いのも、皆等しいとされています。

 では、クラスのみなが平等であるなら、どうしてバビロンの民を蔑むことがあるのでしょうか。

 彼らはカインの末裔だとされ、みなどこかに痕を持つといいます。そして罪を犯した人間は烙印を押され、彼らのもとに帰されると聞きます。

 しかし、神の作った自然に思いを馳せることが、どうして罪なのですか?

 それに……バビロンに何があったのか、なぜ誰も教えてくれないのです。この天球の向こうにあるものも、草花が美しいわけも、誰も教えてくれないのです。みな考えてはならぬという。バビロンの民はその禁忌に触れたから罰せられるのだと言います。しかし何故考えてはいけないのです。

 わたしは、苦しい。わたしのなにがおかしいのです?」


 何も答えるものはない。ユバルの独白を聞くものはこの広場にはいなかった。鳩は遠くへ飛び去ってしまい、木々も一転して沈黙している。ユバルはひとつため息を吐き、二本目を食べ始めた。


 こうして食事をしている自分も、景色を見ている自分も、終礼の祈りを捧げている自分も、自分は常に孤独なのだ。世界を見つめるまなこは他人と共有することはない。わたしはこの世界にただ一人なのだ――ユバルは泣きそうになりながら、スティックをかじった。

  己の思いが教えに背くことを悟ったゆえに、彼は自己嫌悪を始める。どうして、自分はこうも歪んでしまったのだろう? くだらないことを尊べたのならよかったのに。そう思っていた時だった。

「見て美しい樹」が、一斉に揺れた。枝にとまっていた鳩がみな飛び立ったのだ。静寂の彼方に喧騒の気配を察知したユバルは身構えた。安息日の前だというのに、いったい何が起きている?

 石畳を打つ硬い足音、きっと革靴を履いている。次第に近づく音の持ち主にユバルは目をやり、瞠目した。


 彼の眼前に案山子が立っていた。

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