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氷華の願い、狂華の祈り  作者: 矢野 終夜
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序章

私のはじまりの記憶は「灰色」でした。

灰色雲に覆われた空。

それが、私の一番古い記憶。

パラパラと上から、下へ。

流れるように落ちてくる白いこれは、雪。

雪を見送るように辺りを見渡すと、そこは石レンガで出来た家が立ち並ぶ美しい街並みでした。

積もっていた雪の上を歩くと、ザクザクとした音が耳に届いて、少しだけ良い気分にもなりました。

良い気分って、どんな感じなのか、よく分かりませんけど。

でもちょっとだけ、足も、身体が冷たいです。

右側には、広い、ひろい川。

左側には、大きくて高い家。

雲に覆われて、光なんてどこにもないのに、広い川は光を放って、雪を吸い込む様はとても綺麗で私の目を奪うのは当然のことでした。

ぐるり、ぐるりと見渡すと、川を挟んだ両側を繋ぐまた広い橋があり、誰かが立っていました。

存在、していた。


???「――この世界に、真実は存在しない」


世界に彼しか存在していないような、彼の声だけが聴こえるのです。

別段、外見が美しいという訳ではないのです。

別段綺麗な声だったという訳でもないのです。

レンガ造りの家が立ち並ぶ規則正しい街並みに溶け込んでいない不規則な人。

きっと、普段なら気にも留めないような人。

誰かを一瞬で魅了するだけの魅力を、一目では感じられない人。

どこにでもいそうな、平凡な人。

黒衣じゃない、真っ黒な長いコートを来た人。

それなのに、彼に見入ってしまう私がいました。

切なげに顔を歪ませながら、雪を掬う、その行動に。

切なげに顔を歪ませながら、灰色雲を見上げるその行動に。


???「   」


声にならない声で何かを紡ぐ、その行動に。

私は、いつの間にか駆け出していました。

足が痛い。冷たくて、痛いです。

理由なんてわからないまま、ただ彼を、黒いロングコートを着た誰かを、引き止めたかったのかもしれません。

寂しそうな顔で空を見上げる彼を、行かせたくなかった。

行かせてしまったら、きっと――彼は帰ってこないような気がしたから。

それが、私のふたつ目の記憶でした。


「待って……!」


足が冷たくて、痛いのも我慢して、走る。

彼に向かってだけ、走る。


「待って…っ……」

「っ!?」


あと、少し。

あと、9歩。

あと、5歩。

捕まえ――


「え、待って来ないで……!」

「え、あっ、ぐぁっ」


盛大に、転びました。

ええ、そりゃもう盛大に。

詳しく言えば、彼へと手を伸ばしたら、ロングコートを靡かせながらこの男ひらりと舞いやがったのです。

そのおかげで私は体制を崩し雪の上へとダイブですよこのやろう。


「………大丈夫?」

「……………………」


無理です、頭上でなんかこの男(?)喋ってますが顔なんて上げられません。

そりゃそうでしょう。勝手に走って、勝手にすっ転んだのですから。

恥ずかしい、私だって一応は女の子なんです。

顔が冷たいです、足の指が痛いです。腕が冷たいです。


「…………ごめん、触る」


雪で冷えた私の指先に、かすかな体温が感じられ、彼は私を起こしてくれました。


「………っ…」

「…ふっ」

「な、なんですか……」

「あ、や、ごめ……っ、くっ……ははっ」


私から目を逸らしながら彼、笑ってます。

初対面で笑われるってなんですか。こういう時は少し遠慮したりとかするものなんじゃないですか、普通!


「ごめんね…っ、そんなに顔真っ赤にして震えてるから面白くて……あはは……はー…ぷっ」

「な、貴方にはどうせ分かりませんよ!勝手に勘違いして盛大に転んで見ず知らずの方の目の前で……更に恥の上塗りになるようなことをさせないで下さい!」

「君が勝手に……はい、すいませんごめんね。謝るからそんな恨みがましそうな目で見ないでよ、面白いから」

「はい、一応雪は払えたよ」

「っ……ありがとうございます」

「まーたそんな不服そうな顔をする、女の子でしょ?女の子は笑顔でいるのが一番なんでしょ、ほら、笑う」

「………………」


今しがた人生最大の恥になるようなことをしたのにそんなヘラヘラ笑えますかっ!

……人生?

そういえば、私は誰なのでしょう。

帰る場所はどこで、なんて名前で、どんな人生を歩んできたのでしょう。


「………………」

「ん…?今度はどうしたの、まるで感情をどこかに置いてきてしまった、みたいな顔して」


記憶は、私を証明する大切な記憶は、どこに?


「まぁいいや。それでお嬢さん、俺に何の用だったりしたのかな」


大切な記憶、記憶。


「え、すいません……」

「謝られても困るんだけどな…理由、話せない?」

「り、理由ですか?」


記憶を無くした理由なんて、皆目検討もつきません。

それよりも――。


「どうして、私の記憶が無いことを貴方が知っているんですか?私はつい先程、貴方との会話で記憶を持っていないことを知りました。私が貴方に話さない限り、貴方は私に記憶が無いことを知らないでしょう?どうして、貴方が……」

「え……?」

「もしかして、私を知っているんですか!?だから私が飛びかかった時避けたのですか!?教えて下さい!私を知っているなら、会ったことがあるのなら、私は何者で、なんという名前なのですか!」

「ま、待って!話が見えない、俺らは何の話をしていたっけ……」

「私の記憶を失くした理由をそちらが聞いてきたのでは?」


すると、彼は文字通りきょとんとした後、呆れるような優しい表情と声で。


「……話、聞いてなかったんだね」

「え」

「残念ながら、僕と君は初対面だ」

「……そう、ですか」


彼の言葉は何にも阻まれること無く、ストンと胸に落ちてきました。

きっと彼の言葉は本物だったのでしょう。

でもそれなら、彼を見掛けた時のあの衝動は何だったんでしょう。


『行かせたら、戻ってこない』


脳裏に浮かんだあの言葉、あれは――。


「っしゅん!」

「……そういえば薄着だね、君。今日は特に冷えるし寒いでしょ、近くに僕の経営してるBARがあるんだ。そこで詳しいことを聞きたいかな。僕も寒いしね。……足、冷たいね、痛かったでしょ。ごめんね、気付かなくて。少し抱き抱えるけど許して」


黒のロングコートを被せ、横抱きに私を抱え歩く彼をそっと盗み見る。

彼の指先は冷え、彼の瞳は、あの川よりもずっと深い蒼色をしていた。

それが私のみっつ目の、記憶でした。



「はい、コーヒー。飲める?」

「……多分」


連れてこられたのは、彼が経営してるお店のようです。

外観は普通の2階建ての一軒家のようにしか見えず、ただ扉のガラス部分に「BAR-Gift」と彫られているだけでした。


「お客さんって来るんですか?」

「ん?あぁ、知る人ぞ知る名店、みたいになってるね。来る方は殆ど常連さんが多いけどたまに新規のお客様も来たりするね」


知る人ぞ知る名店って自分から言うものなんでしょうか。


「お客様に言われたんだよ。始めた当初からのお客様でね、『ここは美味いカクテルが出てくるし雰囲気も音楽も最高だ。新規の客もあまり来ない、知る人ぞ知るってやつだ』ってね」


そう言われてみればあの目立たない外観からは想像付かないくらいにはお店の雰囲気は良かったりします。

如何にも“落ち着いて飲める大人のBAR”って感じがします。

入ってすぐにはテーブル席が並び、右側にはカウンター席、奥には一室小部屋があるのに結構ゆとりがある雰囲気になっています。


「新規のお客様にはよく驚かれるよ、意外と広いんですねってね」


照明もオレンジ系統の間接照明を中心としていて落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

一見入り辛い感じはしますが、堅苦しい雰囲気もなく、どこか――。


「……安心する」

「本当?良かったぁ、お客さんに安心してもらえるお店になってたんだ……って、ごめんね。君はお客さんじゃないか」

「こ、言葉に出てましたか!?」

「うん。嬉しかったよ。はい、コーヒー」


出されたコーヒーはホットのようで少しだけ湯気が上っていてなんとも美味しそうです。

いただきます、と口をつけるとコーヒーの風味も出ていて、ふつうに美味しいです。


「なんか、コーヒーじゃないみたいな味」

「はは、キュラソー入れてみたんだ。オレンジ風味のコーヒーで中々美味しいんだ。君がどれくらいお好みか分からなかったから数滴しか垂らしてないけどフワッと薫る程度の風味が出てリラックスとかも出来ると思ったんだけど、苦手だったかな?」

「いいえ、美味しいです。」

「でも君、記憶喪失、なんだよね?コーヒーの味は覚えてるの?」


そういえば、私は何で「コーヒーらしくない」と感じたのでしょう、そもそも記憶喪失なのにコーヒーやBARといったことを覚えているのは何故なんでしょう。

おかしなことだらけです。


「ま、コーヒーのことはまた追々ということで。まずは話をしようか」

「はい」

「じゃあ手始めに、お嬢さん、君の名前は?俺はシルフェ。シルフェ・アベール。お客さんからはファーストネームにさん付けでシルフェさんって呼ばれることが多いかな」

「シルフェ、さん…?」

「うん、なぁに。お嬢さん」

「わた、わたし、の……名前は……」


名前、私の名前は――。


「よく、分からない」


厳密に言えば、何も覚えていない。

自分の名前も、今までに歩んできたであろう記憶も、親も、友人も、この街も、自分に関する記憶が全て抜け落ちていて――。


「分からない?……何も?」


こくりと、小さく頷く。

親身になってくれているシルフェさんに悪くて、目を合わせられません。

前髪の隙間から、シルフェさんを仰ぎ見る。

考えてくれている、私のことを知らない、関係のないはずなのに、こんなに親身になってくれている。

ちくりと、胸が痛い。

もしかしたら、この世界に、場所に私の居場所はないのだと、そう思いました。

誰に言われたわけでもない。ただ私がそう思っただけなのに、それは“ほんとう”の事なんだと思いました。

淹れてくれたコーヒーを飲み終えると、少しだけ寂しく感じました。

コーヒーがあまりにも美味しかったから、シルフェさんがあまりにも優しいから、ここを出て行くのが少しだけ、本当に少しだけ、寂しい。

ここに居続けてはいけない。私は本来招かれざる客だったのですから。


「ごめんなさい、私もう行きます。コーヒーありがとうございました、すごく美味しかったです!お話も聞いてくれて……この御礼は必ず」

「え、待っ――!」

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