人ノ心臓ヲ喰ラウ鬼 其ノ参
(……い、一体何がどうなってるんだ! なぜ白銀頭がこんな場所に居て……その足元に垣翼めぐるが血を流して倒れているんだ?)
恐怖心やショックで体中は震えていた。それに頭の中は混乱状態で冷静に考えられる訳もなく、ただ見ているだけがやっとだった。
視線を足元にある垣翼めぐるから白銀頭に上げると、向こうもこちらの存在に気付き、目が合ってしまった。その瞬間、更なる恐怖心が日和の体中を駆け巡った。
(ヤバイ! 殺られてしまう! 逃げなきゃ……警察を呼ばなきゃ……)
だが、こんな非日常の光景を目の当りにして恐怖心や混乱状態の人間の体が思うように動く訳も無く、日和はただただ震えて見ているだけだった。
そんな状態を察してなのか白銀頭はゆっくりと日和に向かって歩いてくる。
相変わらず雨音も何も聞こえない中、白銀頭の足音だけはハッキリと聞こえてくる。
(もうダメだ……体も動かないこの状況で逃げられる訳が無い…………)
そう諦めかけて目を伏せた時、白銀頭が言葉を発した。
「何か勘違いしているようだが、私はこの女を殺しておらん。助けてやろうと思うたのだが間に合わんかった。酷く苦しんだようだったが結局、苦しみに堪え兼ね自分自身の手で命を絶ったのだ! 私は何もしておらん!」
白銀頭は高貴な喋り方でそう言いながら横まで来るとすれ違う時に肩を軽く叩き、そのまま歩き去ろうとしたが、日和は怒りが込み上げてくるのを感じた。
「な……何、訳の分からない事を言ってやがるんだ!」
振り返ると白銀頭の背後目掛けて殴りかかった。が、日和の攻撃は空を切るように何も手応えが無かった。
えっ……っと思っていた日和の後頭部に強烈な一撃が入った。意識が飛びそうになりながら前に倒れ込む。その横に立った白銀頭が言う。
「だから勘違いをするなと言ったであろう。お前は人の話を聞いておらんかったのか?」
「何が……勘違いだ! ……そんなの見れば一目瞭然じゃないか……何で垣翼めぐるを殺した? ……何が目的だ? さてはお前ストーカーだな!」
「はぁ? お前はさっきから何訳の分からん事を言っておるのじゃ?」
白銀頭は日和の顔をよく見ると
「おぉ~思い出したぞ。お前の顔見た事あると思うたら、この女の周りでチョロチョロしておった奴ではないか! 人の事をストーカー呼ばわりする前にお前がストーカーではないのか?」
「やっぱりお前……あの駅に居た男だったんだな……ずっとつけ狙ってたって訳か……お前も垣翼めぐるの事が好きだったんだな……だから自分の思い通りにいかなくてとうとう凶行に及んだって訳か……それとあと……俺はストーカーじゃねぇ!」
「……一応そこは否定しておくんじゃのう……何かこの場で起きた事以上に勘違いしておるみたいだが、言って信じるほどお前の脳みそが優秀には見えんのだが……」
「別に……俺の脳みそはお前が言うように優秀ではない……だが、目の前で起きている状況くらい理解は出来てるつもりだ……別にお前が垣翼めぐるが好きだろうと俺が勘違いしていようと……現実は変えられないんだ…………もう……垣翼めぐるは死んでしまったんだ……」
まだ降り続く雨に日和の涙は消されるように流れていた。
一度だってまともに話す事も出来ないまま大切な存在を失った悲しみは深く深く日和の胸に刻まれてしまったのだった。
そんな悲しみに暮れた日和の姿を黙って見ていた白銀頭はその場にしゃがみ込むと
「お前、この女が大切か? この女の為なら命を捨てられるか?」
白銀頭が突然聞いたこの質問は全くの意味不明だった。何故ならその女――垣翼めぐるは数メートル先で血を流して死んでいるのだから。死んでいる女が大切かと聞かれて大切だと答えたとして何だというのだ。死んでいる女の為に命を捨てられるかなんて意味不明にも程がある。普通は『傷付けないように』とか『その存在を守りたい』と思うからこそ命を捨てられるという答えが出せるというのに死んでいる人間の為に命を捨てられるかなんて……。
「あぁ……俺は垣翼めぐるがめちゃくちゃ大切でこの命なんていつでも差し出せる!」
「……その言葉に偽りは無いな」
その時の白銀頭の目は駅で出会った時に見た睨み付けるような感じだった。だが、日和も一切の迷いなど無いように白銀頭を睨み付けて言った。
「本心だ! こんな状態で嘘など言う訳が無い! でも、それならどうだというんだ? 俺にはお前の質問の意味が全く理解出来ない。こんな状況で俺が垣翼めぐるに対しての想いを言ったからといって、何になるというんだ……?」
そう言いながら視線を落したが、白銀頭は無言のまま暫く日和を見ていた。
少し沈黙の時間が流れると白銀頭は溜息を吐いて立ち上がり言った。
「私ならその女の『死』を『無かった』事に出来るがどうする?」
「『無かった』事って……」
「お前の想いにも言葉にも偽りは無かった。人間の癖に大した奴だと褒めてやるぞ。つまりその女の『死』が『無かった』事になればこの状況は無くなるという事だ」
「何言ってるんだ? 人の死が『無かった』事になどなる訳が無いじゃないか! お前いい加減な事を言ってんじゃねぇぞ! そんな言葉で俺が……あっそうですか。何て言って納得すると思ってんのかよ! 大体お前が殺しておいてそんな適当な言葉でこの場を逃れられると思うなよ……もう……適当な事言ってんじゃねぇ!」
「殺しておらんとさっきも言うたではないか。頭の悪い人間だのう……だが、私はこの女が自身の手で命を絶ったと言うたがそれは結果であって実際には命を『絶たされた』と言った方が正しい。この女は『喰われて』おったのだ……『鬼』に」
「『鬼』だと……」
「そう『鬼』じゃ。お前達人間には実際には居らんとされておるが、昔から馴染みのある言葉であろう? だが、ちゃんと居るのだよ。ちなみにお前の目の前に居る私もその『鬼』なのじゃ」
非日常の状況の中で白銀頭が言っている言葉全てが次元を超えたような感じだった。突然『鬼』の仕業で垣翼めぐるが死に、自分の目の前に居る男も『鬼』と言われたところで素直に受け入れられる筈も無い。だが、日和は何を思ったのか質問を投げ掛けた。
「……じゃあ、『鬼』のせいで死んでしまった垣翼めぐるを『鬼』のお前なら救えると言うのが本当なら俺に何か条件を突き付けようとしてるんだろ?」
「何故そう思う?」
「何も条件が無く助けられるなら、わざわざこんな状況を放っておく必要は無いだろ? すぐにその『無かった』事にして垣翼めぐるを助けておけば俺に目撃される事も無かったし、こんな遣り取りをする必要も無かった。まさにこの状況を『無かった』事に出来た筈だ。それにさっきお前は俺に『俺ならその女の『死』を『無かった』事に出来るがどうする?』っと質問をしてきた。という事はお前は俺に何か条件を突き付けようとしている事になる」
日和の推測に少し驚いた表情を浮かべた白銀頭だったが、突然若気始めた。
「まさかそこまで考えられるとは単純に頭が悪いだけでは無かったようじゃのう! あぁ、お前の考えてる通りだ。私はこの女の『死』を『無かった』事に出来るがそれにはお前に少しの協力をして貰う事になる」
「協力って何をすればいい……?」
「そんな難しく考える事は無い。ただ、お前の心臓を私に『喰らわせて』くれればいいだけじゃ!」
「……それは俺に死ねって事なのか?」
「いや、『今』は『死』にはしない。ってとこかのう。」
少し考える表情を見せた日和だったが、うつ伏せの体を回転させ仰向けになった。正面に広がった空を見るといつしか雨は上がり星空になっていた。
(さっきまでめっちゃ雨が降ってたのにいつの間に……周りの音が聞こえない状況で白銀頭と夢中で遣り取りとしていたから気付かなかったんだな。本当……今日一日は普通に始まり普通に終わると思っていたのに木乃葉には無理矢理に手伝わされる羽目になってしまうし、そのせいで今日は会いに行けないと思っていた垣翼めぐるとは死んだ姿で会う事になるし、二ヶ月前に見た怪しい男とこんな風に出くわして話を聞けばなんと『鬼』だってよ……最終的には俺の心臓を『喰わせろ』って非日常過ぎるぜ……本当……)
「俺の心臓をお前に『喰わせて』やる! その代わり絶対、垣翼めぐるを助けろよ! もし嘘だったなら承知しねぇからなぁ! お前の末代まで呪ってやるから覚悟しとけよ。何てったって俺はかぐや姫の末裔なんだからな。何処にでも現れてやる!」
「それは竹がある所には行かないようにせねばな」
白銀頭はもう一度若気ると右手を顔の辺りまで上げた。すると手がみるみるうちに鬼の手へと変化していったのだった。
「安心しろ。私は嘘など言わん。確実にあの女の『死』を『無かった』事にしてやろう。そしてお前は私に……」
そう言いながら心臓目掛けて日和の胸に手を突き入れた。手が入っている部分だけが眩しく輝き始める。
「うぁあああああ!」
全身に駆け巡る痛みに堪え兼ねて声を上げる日和。そして胸から手を引き抜くと白銀頭の手が光を帯びていた。
その状態のまま垣翼めぐるの所までゆっくりと歩いて行き、日和が最初見た時に白銀頭が居た街灯下で立ち止まった。
光を帯びている右手を垣翼めぐるの体の真上に持っていくと、白銀頭の右手に帯びた光がゆっくりと降り注ぎ始めた。
段々その光によって垣翼めぐるの体も光を帯び始める。するとさっきまでボロボロになっていた体が綺麗になり、無残な傷口や流れ出た血液が消えていくではないか。
日和は目の前で起きてる現象に驚いたが、どこか安心したように穏やかな表情を浮かべていた。
そしてすっかり元通りの姿になった垣翼めぐるを抱えるようにして白銀頭が日和の所まで戻ってきた。
「どうだ? 私が言った事は誠であったろう。」
「あぁ、有難う……垣翼めぐるはもう大丈夫なのか?」
「『無かった』事にしたとはいえ、さっきまでボロボロだったのだから少し気を失っているようじゃ」
「そっか。良かった……本当に良かった」
「お前、いつまでそうやって寝ているつもりなのじゃ?」
「寝ているって俺はお前に心臓を『喰われて』しまったんだぜ。生きていられる訳が……」
そう言いながら自分の胸に手を当て傷口を確認する。
「あれ? 傷口が無い! 確かに胸に激痛を感じた筈なのに俺生きてる!」
「生きてるに決まっておろうが。この女の『死』を『無かった』事にしていた一部始終を見ておったろうに……やっぱり単純に頭が悪いのだろうか……?」
「だって確かにお前の手が俺の胸の中にこうグサッと入っていたじゃん!」
「それは私の手を一時だけ『澪』に、つまり生身の肉体から霊体へと変化した状態にして突き入れたからそう見えただけだ。だがまぁ、『澪』とはいえ手を突き入れたのは何事にも代え難い事実。その証拠にお前の胸には傷は無くとも『澪』に帯びる熱で焼かれた痣が残っておる筈じゃ」
仰向けに倒れていた体を起こし、制服の上着を脱ぎ、シャツのボタンを開けて見てみた。
「あっ……本当だ。うっすらと痣みたいなのが出来てる。親から貰った大事な体に傷付けやがって! どうすんだよ! もうお嫁に行けなくなってしまったじゃんかよ!」
「……お前のその急にボケるのは一体何なのじゃ……? 私はそれに付き合わねばならんのかのう……?」
ちょっと引き気味の白銀頭だったが、日和はそのまま立ち上がると
「とにかく助けてくれて有難う。まだ、正直状況を完全に理解出来た訳じゃないけど、お前が言った言葉はちょっとは信じてやるよ」
「……これだけの光景を目の当たりにして、それでもまだちょっとだけしか信じられんとはお前の脳みそは本当に大丈夫なんじゃろうか……」
「だってよぉ。人間ってそんなに一度に沢山の事を言われたって処理し切れねぇよぉ。未だに生きているのが不思議で堪らないくらいなんだからな」
「まぁ確かに人間の脳みそでは一度に処理出来ぬというのも頷けるがのう。ましてやお前のような頭の悪さでは尚の事であろう。少しでも理解出来ただけでも大したものとしておいてやる」
「っていうかお前さ。会話の合間合間で俺の事を頭が悪いだの優秀じゃない脳みそだの言ってたけど、自分の事を『鬼』だなんて言っているお前の方が絶対頭悪いじゃねぇか!」
日和は自信満々そうな態度だったが、白銀頭は呆れたような表情をしていた。
(……こいつ大丈夫かのう? 今の今まで何を見ていたのであろうか? 胸に手を入れられて苦しんでおったではないか! ボロボロだったこの女が治っていく一部始終も見ておった筈……もしかして先程の後頭部への一撃に少々力を入れ過ぎてしもうたのかのう? ひょっとすると私は……どうしようもない人間に『憑』いてしもうたんではなかろうか……まぁ一気に『喰ろう』てしまえば良い事か……)
そんな事を思っている白銀頭に対して日和は更に言葉を続ける。
「おい! 無視するなよ……ところで垣翼めぐるをこれからどうするんだ?」
「今この場で叩き起してやっても良いが……」
「てめぇ~それだけは絶対に止めろよ!」
「お前は最後まで話を聞かんのか? 叩き起してやっても良いのだが、それでは頭の悪いかぐや姫の末裔に呪われてしまってもいかんので家まで送り届けてやろうと思っておる」
「お前……それをネタにするのはやめろ。送って行くなら俺も一緒に行くぞ!」
「いや、お前は別に帰っても構わんのだぞ」
「お前……俺を帰らせて垣翼めぐるに変な事をしようとしているんじゃないだろうな? 心配だから絶対俺も付いて行く!」
「変な事って……お前の頭の中はストーカー的な発想しか出来んのか……まぁいい。なら一緒に送り届けようではないか。お前のお姫様をな」
その言葉に日和は白銀頭の目の前に飛び出していく。
「お前!」
「な、何じゃ? 何か怒らせる事を言ったかのう」
日和は白銀頭の肩を両手で鷲掴みにして言った。
「俺のお姫様だなんて照れるじゃないか~。何かお前良い奴だなぁ~。やっぱりそう思う? いや~それってお似合いって事だよなぁ~見えちゃうものは仕方ないもんなぁ~」
明らかに今まで以上に引いている姿を見せた白銀頭だった。
「……お前どう言って良いのか分からんが……私が知っている人間の言葉で表現するならば『変人』という単語が一番似合うのであろうな……」
「えっなに~なんか言った~?」
「いや、何もお前は気にする事はない。そう言えばお前はこの女のどこをそれほど気に入っておるのだ?」
白銀頭はこの僅かな時間で本能的に話題を逸らすという技を習得したのであった。
「え~そこ聞いちゃうの~! えっとねぇ~第一に可愛いでしょ~って言っても、ただ単に可愛いだけじゃなく何て言うか~……」
この後、垣翼めぐるを送り届けるまで日和の話は続いたのだった。




