消えてゆく記憶の中の鬼は
神社の入り口に聳え立つ鳥居
その横で日和が来るのを待っている浴衣姿の木乃葉は手に持った巾着から携帯を取り出すと時刻を確認した。
「もう~日和ったら、もうすぐ燈花ちゃんの出番だっていうのに何遅れてるのよ」
周りを見回しながら日和を捜すが、それらしき人物の姿は一向に現れない。業を煮やした木乃葉は日和の携帯へと電話を掛ける。
プルルルルルッ……プルルルルルッ……
しかしどれだけ鳴らしても日和は電話に出ない。
(一体どうしちゃったのかしら? もしかして何かあったのかな……。でも日和に限ってそんな事は有り得ないよね。例えトラブルが起こっていたとしても、日和の場合は『巻き込まれる』っていうよりも『巻き込んでいる』方だものね。他人に迷惑掛けてなきゃ良いんだけど……)
明らかに日和自身の事よりもその周りに居る人の心配をしていたのだった。
そうしていると鳥居の向こう側に出来た人混みの先にあるコンテスト会場からアナウンスが流れてきた。
「さてさて、コンテストも終盤に差し掛かって参りました。これまで登場してきた参加者達のいずれも実力派ばかりでかなり審査員の先生方も悩んでいる御様子です。しかしこの後、登場してくる方達は推薦されての参加者になります。なので、更に混戦状態になってしまうのは必至でしょう。それでは推薦枠一人目はこの方です!」
(燈花ちゃんて推薦されての参加だったんだ! 何だか凄いなぁ。それにしても日和の奴、もう時間も無いっていうのにまだ来ないなぁ。取り敢えずメールを打っておいて、私は会場に行っておかないとね)
木乃葉は慣れた感じでメールを素早く打つと携帯を閉じ、巾着に入れると鳥居の下を通ってコンテスト会場に向かって行った。
小さな街が主催しているお祭りのコンテストではあったが、このコンテストに優勝して有名な歌手になった人も居たくらいなのだ。だからなのか地方からもこの為だけに来る人も少なくない。
そしていよいよ燈花の出番になった。
結局、日和は会場に姿を現さなかった。でもせめて私だけでもちゃんと応援してあげなきゃと木乃葉は自分自身に気合いを込めるのだった。
ステージに立つ燈花は普段でも小柄な体格をしているというのに一段と小さく見えた。若干頬を赤らめて緊張しているような面持ちをして観客をちらちらと見ている。それはまるで誰かの姿を捜しているように思えた。いや、きっと捜していたに違いなかった。
日和の姿を――しかしその姿は見当たらない。
そして音楽が流れ始め、燈花は歌い出す。が、やはり緊張のせいなのか元気が無く、声も出ていなかった。
観客がざわめく……「本当にこの子が推薦枠なのか?」と口々に批判する。
その声は燈花にも聞こえてきていた。徐々に自信を失っていく燈花は更にちらちらと目を泳がせていた。するとある場所で目を止めると、急に嬉しそうに笑顔を浮かべ始めた。それまで元気の無かった歌声から本来の燈花自身の歌声に変わっていく。会場は一瞬にして驚きに変わった。それは勿論審査員も同じ事だった。綺麗な歌声はとても優しくもあり、心が温かくなっていくような感覚になっていった。
真っ直ぐに正面を見て歌う燈花にはもう緊張すらも感じない。歌を心から大好きで歌っている時間がとてもキラキラした掛け替えの無いものと思っている気持ちが伝わってくる。
自分が全力で楽しむ事によって周りの人も楽しい気持ちにさせてしまう。そんな歌本来が持つ力が会場を包み込んでいた。
自然と木乃葉も笑顔になるが、やはりこの会場に日和が来ていない事が気掛で仕方なかった。
(燈花ちゃんがこんなにも頑張って歌っているっていうのに、どうして日和は観に来てあげる事が出来なかったんだろう? きっと一番見て欲しかった筈なのに……一番聞いて欲しかった筈なんだよ……それなのにまるで何も不安を感じてない様に歌っているのはどうしてなんだろう?)
燈花の声はマイクを通してスピーカーから街全体へと広がっていった。そして歌声が終わりを迎え、一斉に拍手が会場全体に鳴り響いていく。
歌い終わった燈花は我に返ったのか再び緊張した面持ちで深々と頭を下げるとステージ袖へと帰って行った。
誰もが今年のグランプリはこの子だろうと確信していたが、その後に出て来た芸能事務所の養成所に所属する高校生の女の子にグランプリは持っていかれてしまうのだった。
燈花は準グランプリにも選ばれなかった――三位だった。
総合的に考えても今日参加している中で最も優れていたと言っても良いであろう。しかし、やはり最初の歌声が減点対象となってしまったようだ。
ステージ裏から会場に出て来た燈花は色々な人から話し掛けられていた。あまり人と話すのが得意ではないのか「あっはい」「どうも」「いえいえ」と顔を真っ赤にしながら答えていた。
やっと木乃葉のところまで来た燈花は緊張が和らいだのか大きく息を吐いた。
「木乃葉さん。応援に来て貰って有難う御座いました。残念ながらグランプリは逃してしまいましたが……えへへっ」
「そんな事は無いよ。本当に燈花ちゃんの歌声凄かったんだから。会場のみんなが見蕩れてしまってたんだから。私は燈花ちゃんが絶対グランプリだと思ってたし、会場に居た殆どの人が同じ様に思っていた筈だよ。それなのにグランプリじゃないなんて審査員の人達の感性の無さが伺えるわよ。だから燈花ちゃんは大丈夫だよ。その声は本当に素敵だし、みんなの心を温かくする事が出来るんだもん。誰もが出来る事じゃないんだからね。だから燈花ちゃんは大丈夫なんだからね」
優しく微笑みながら言う木乃葉。笑って誤魔化してはいたが、きっと本心ではとても悔しいと感じている筈だと思ったからだった。
その言葉が嬉しかったのか、燈花は恥ずかしそうに俯くと
「有難う御座います。木乃葉さんにそう言って貰えると凄く嬉しいです。でも正直、今日はグランプリとかそういうのはどうでも良かったんですよ」
「えっ! そうなの?」
「はい! 私ちょっと事情があって歌う事が出来なくなっていたんですよ。声帯の具合が悪かったっていうか……。でもまた歌えるようになれて、歌ってみたくなったんです。その時に丁度、このコンテストの話を貰う事が出来て、街のみんなに聞いて貰いたいなっていう気持ちで出たんですよ」
「……そっか。街の人に聴いて貰いたかったんだね。けど、その中でも日和には絶対に観に来て欲しかったなのに……何かごめんね。日和には電話とかメールもしたんだけど、なかなか繋がらなくてね。本当は一番聴いて貰いたかった筈なのにね……」
すると不思議そうな表情を浮かべて首を傾げる燈花は言った。
「日和兄ちゃんならちゃんと会場に来て、燈花の歌を聴いてくれてましたよ!」
「えっ本当に!? それなら良かった。ちゃんと間に合ったんだね。それなら私と一緒に観れば良かったのに何処に行っちゃったんだろう日和?」
ステージ上で急に安心した感じで燈花が歌う事が出来たのは日和の姿を確認する事が出来たからだった。一番聴いて欲しかった人に聴かせられた嬉しさからであった。
周りをキョロキョロと見回す木乃葉。何かを捜している様子だった。
それを見て燈花が言った。
「日和兄ちゃんならこの会場にはもう居ないですよ」
「えっそうなの? こんなにも燈花ちゃんが頑張ったっていうのに何も言わずに帰るだなんて酷い奴ね!」
「ステージが終わって日和兄ちゃんが居た場所に急いで行ったんですけど、姿が見当たらなくなってて……。でも観に来てくれただけでも嬉しかったですし、ずっと楽しそうに笑ってくれてました。きっと用事の途中で抜けて来てくれたから、すぐに戻らないといけなかったんだと思いますよ」
「じゃあ、せめて私に一言くらい言って帰ればいいのに……本当にいつもいい加減なんだから。今度会った時にビシッと怒っておかないとね!」
「えへへっ日和兄ちゃん可哀想ですね」
お互いに顔を見合わせて笑う二人。
そして木乃葉が言う。
「それじゃ私達ももう帰ろうか?」
「はい!」
本来ならその中に日和も一緒に居る筈なのだが、そこには居なかった。と言うより存在自体、この世に存在して居なくなっていた。その事は誰も知らないまま、気付かないまま時間はゆっくりと流れていくのだった。
そしてその夜、それぞれが眠っている間に『亜咲良日和』と過ごした記憶は鬼界の王、サーベスト・ディユン・コサリアによって『無かった』事にされたのだった。
――あの時、最後の頼みとして日和は言った。
「あのさ、燈花の事なんだけど……ずっとシンフォニアに言葉を奪われていてあんなに大好きだった歌を歌う事が出来なかった訳だけど、今日はそんな燈花がもう一度歌を歌っていこうと決めた記念すべき日なんだ。そんな日に俺が観に行ってやれないのは本当に心残りで仕方が無いんだ。だからさ……こんな事をするのはちょっと燈花には申し訳ない気持ちになるんだけど、シンフォニアって自分自身の姿を変化させる能力があったよな? あれって自分の中に戻したディユンも使えるのか?」
「そうじゃのう。知っておる姿なら何にでも変われるぞ……まさか私に少女の姿にならせ、最後だからというて変な事をしようと考えておるのではなかろうな……」
「それも考えたんだけど……」
「考えておったのか!!」
「いや冗談だって。そんな訳ねぇだろ。中身がおっさんで喜ぶ程、俺は変態じゃねぇし」
「……おっさんって言うでない」
日和の身体が徐々に消えていく限られた時間でも相変わらずの遣り取りをする二人。何処となく名残惜しんでいるようにも感じられたが、日和は少し笑うと
「それでディユンに頼みたい事というのは俺の姿になって燈花の歌を聴きに行って貰いたいんだ。何か変な話なんだけど、歌えなくさせられて酷い目に遭わされたシンフォニアの力で今度は助けて欲しいんだ。俺、やっと分かったんだ。ずっと理由が分からずに何で燈花が俺に歌を聴かせてくれてたんだろうと考えていたんだけどさ。まだお互いに小さい時に燈花が何気無く歌ってくれたのを俺が凄い褒めたんだよ。小さい時だからお世辞なんて言える訳もなく、本当に感じたままに凄い綺麗だと思ったんだ。その事をずっと覚えてたみたいで、俺に会う度に聴かせてくれるようになった。これから先はそんな事を言ってたら駄目だとは思うんだけど、今日はもう一度歌っていこうと決めた日だから、その場に居てやりたいと思うんだよ。なぁ、ディユン頼みを聞いて貰えるか?」
「ああ勿論じゃとも。しっかりと日和の代わりをしてやるぞ。じゃが、幼馴染はどうする?」
「木乃葉は大丈夫だ。それにもう俺の存在はみんなの中から消えてしまうんだから、もう姿を見せなくていいよ。燈花の歌を聴いてやったらそれだけで――」
こうして日和の姿をしたディユンが燈花の歌を聴きに来たのだった。
(頼まれた事とはいえ、正直私自身が心から楽しんでしもうたわい。あの従兄妹の歌声は必ず日和本人のところにも届いておる事じゃろうのう)
ディユンは一切、人目に触れる事無く、街に潜んで日和との約束を今でも果たしている。誰もが忘れてしまった存在を忘れずにいてやるのが最大の日和への恩返しなのだからと……




