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人ノ精神ヲ喰ラウ鬼 其ノ壱

雨が降りしきる中、帰宅していた日和。

 傘を差していても意味が無い程に地面に叩き付けられた雨が跳ね返り、足元は既にずぶ濡れの状態であった。

 だが、それ程までに強い雨なのに辺りは静寂に包まれていた。

 そんな不気味な雰囲気を感じながら歩いていた日和は少し心細さを感じていた。

(何で何の音も聞こえないんだ? ……耳がおかしくなったのか?)

 途轍もなく不安になった日和は自然と足早になっていく。

(そういえば何で俺はここを歩いているんだっけ? 普段、帰ってる道から外れているじゃん。この道を――この先に進みたい訳じゃないのに足が勝手に……)

 日和の身体は何かに引っ張られるようにして歩くしかなかった。

 そこにはもう身体を支配している者の意志などは関係無い。

 暫く進んで行くと道はT字路になっている。

 嫌な予感しかしない状況の中で日和は妙に焦り始めるのだった。

(あの道は通りたくない! 嫌だぁ! 引き返したい!)

 だが、勝手に進んでいく日和の足は道に沿う様にして右に曲がっていく。

 思わず目を閉じてしまった日和の身体は急に立ち止まる。

 やっと何かから開放されたと、少しホッとする。

 そして恐る恐る目を開けると道の中腹辺りに白銀で長い髪をした男の姿があり、男の足元には女性が血を流して倒れていた。

(やっぱり……あの時の場面だ……)

 ゆっくりと日和は白銀頭に近付いて行く。

 すると気配を感じたのか白銀頭が振り返った。

「ディユン!」

 日和は思わず叫ぶ様に呼び掛けるが、ディユンは無表情のまま立ち尽くしていた。

 そしてその場を後にしようとまた背を向けて歩き始めた。

「ちょ、ちょっと待てよ! ディユン!」

 後を追う様にして走り出す日和だったが、何かに躓いて転んでしまう。

「いってぇ~。一体どうしたんだ?」

 ふと自分の足に視線を向けると自分が躓いたのでは無かった事に気付く。

 そこにあったのは……血を流して倒れていた女性の手。

 つまり垣翼めぐるが日和の足を掴んでいたのだった。

 血だらけの顔を起こしてじっと見詰める目は感情の欠片も無い様に感じられた。ただ冷たい目だとしか言い表せない程に――

 日和は突如、背筋が凍り付いて思わず叫ぶ。

「うわぁぁぁああ!」


 飛び起きた日和の目に入ってきたのは、いつもと変わらない自分の部屋。

(何じゃ? 突然大きな声を出しおって……びっくりさせるでない)

 眠たそうな声で思考内のディユンが言った。

 興奮状態にあった日和にその声が聞こえたのかは定かではないが、自分に何が起こったのか黙り込んで考えていた。

 そして一言――

「……夢か」

 額に薄っすらと滲んでいた汗を右腕で拭い時計を見ると針は九時二十六分を指していた。ベットから起き上がると窓に向かって行き、カーテンを開けると眩しいくらいの日差しが差し込んできた――つまり朝だ。、まだ完全に太陽が昇り切っていないというのに差し込んでくる日の光は攻撃的とさえ感じてしまう程だ。もし吸血鬼であったなら一瞬にして跡形も無く消滅してしまっていたであっただろう。

日和の通う天都築川高校も本日から夏休みに入っていた事もあり、結果的には後味の悪い夢に無理矢理起こされてしまった感じであった。咄嗟に目の中に光が入ってきた事で日和は目を閉じてしまった形になったが、そのうち目が慣れてくると片目だけを開けた

(ディユンと出会ってから、この数ヶ月の間に色んな事があったな。何か生きてる感じが全くしなかった。でもこれはこれで悪くないのかもな。って、別に鬼が人を喰らう事を望んでる訳じゃ無いんだけどな……)

 そう物思いに耽ていたが、気合を入れるように手を握り締めると

「ディユン。もう起きろよ。今日も色んな用事をしなきゃいけないんだから忙しくなるぞ」

(確か幼馴染の家も今日で直るんじゃったな。よくもまぁ、約二ヶ月もの間通い詰めたのう。じゃがそれも今日で終われると思うと清々するわい)

 日和は目を細めるようにして意地悪そうに笑うと

「とか言いながら木乃葉が毎回作ってくれる昼御飯を楽しみにしてた癖に」

(うっ……)

 言い返してこないディユンをよそ目に日和は部屋を出ようとドアに手を掛けると一階の方から話し声が聞こえてきた。

 ボソッと日和が呟く。

「あぁ、帰って来てたのか……」

 それに反応するようにディユンが疑問を投げ掛けた。

(何じゃ? この家にはまだ誰か住んでおったのか?)

「そっか。ディユンは知らなかったんだよな。実は俺には三つ上の姉ちゃんが居るんだ。でも、大学に通う為に家を出て一人暮らしをしてるから年に数回しか帰って来ないんだよ。まぁ所謂、帰省ってやつだな」

(そうじゃったのか。じゃが、日和の姉とはまた個性が強そうな感じじゃな)

 何気無く言った言葉に日和が噛み付いてきた。

「どういう事だよ! それじゃまるで俺の個性が強いみたいじゃないか! 言っておくが、姉ちゃんの個性は強過ぎて普通じゃ無いかも知れないが、俺は至ってまともだからな!」

(……よく姉弟なのにそんなにまで悪う言う事が出来るのう……)

 少し引き気味のディユンに対して日和は更に言葉を付け足すのだった。

「でも本当に姉ちゃんとは気が合わないんだよな。それにいつだって俺の言う事に対して反対意見ばかりしてきて全然話が合った事が無い。ぶっちゃけ本当の姉弟なのかなって疑問を感じる時があるんだよな」

(……日和と気が合う人間を捜す方が難しいと思うのじゃがな……)

「えっ何か言った?」

(いや、流石に姉弟と言えども全く別の人間同士なのじゃから気が合わぬ事もあるのじゃな)

「そうだな。世間一般の姉弟は仲良く出来たり気が合ったりするみたいだけど、俺達は違うみたいだな」

 姉弟についてディユンと話していたところに日和の母親が声を掛けてきた。

「日和。あんた起きてるの? ブツブツ独り言を言ってないで下りて来なさい。お姉ちゃんが帰って来てるんだから」

「あぁ、分かったよ!」

(別に姉ちゃんが帰って来てるからって何だよ……嫌でも家に居れば会うんだからわざわざ呼ばなくったっていいじゃん)

 ブツブツと愚痴を溢しながら面倒臭そうに階段を下りていくと母親が玄関で待っていた。

 日和は思わず

「えっ出掛けるの?」

「今日は本当なら休みだけど、パート先で休みが出ちゃったから代わりに出る事になったって昨日言ったじゃないの」

(やべぇ~全然聞いた記憶が無い……)

「それじゃ何で呼んだんだよ?」

「お母さん、もう行かなきゃいけないからお姉ちゃんと仲良するのよ」

「ちょっ、今日俺は木乃葉の家に行くって言ったじゃないか!」

「あれ? そうだったけ? 全然聞いた記憶が無い! あははっ」

 そう言って母親は笑いながらドアを閉め、出掛けて行った。

 ただただ立ち尽くして閉まったドアを見詰めながら日和は思うのだった。

(出掛けるなら呼ぶなよ……っていうか姉ちゃんと二人きりだなんてめっちゃ気まずいじゃん! どうすっかなぁ~。このまま俺も出掛けてしまおうかなぁ~。でもそうやったらやったで帰って来た時に何をされるか分かったもんじゃないしな……)

 またブツブツと玄関で言っていると

「日和! いつまで玄関に居るの? さっさと来なさい!」

 その瞬間、日和の背筋が凍り付いた。

「あぁ……分かったよ」

 返事をするのがやっとだった。

(やっぱ……逃げられないか……)

 日和は振り返り、姉が居るリビングに向かう。

(一体何を話せば良いって言うんだ? こんなのただの生き地獄じゃないか……どうして夏休み初日の朝に気まずい雰囲気の中で過ごさないといけないんだ……)

 リビングに一歩足を踏み入れた日和の目に映ったのはソファに上半身を起こし、横になりながらテレビを見ている姉の姿だった。

 やはり何とも言えない空気の中で日和はキッチンが見えるカウンターにある椅子に腰を掛けた。

 すると姉が無感情な声で言った。

「おはよう」

「あぁ、おはよう」

 日和は反射的に応えると更に姉が言ってきた。

「夏休みだからって初日からダラダラし過ぎなんじゃないの?」

「別にダラダラなんてしてねぇよ」

「ふ~ん。そうかな」

(やっぱり姉ちゃんとは合わねぇなぁ~……何で久し振りに会った弟に対して喧嘩腰なんだよ! 昔からそうなんだよな。文句しか言ってこない)

「そう言う姉ちゃんの方こそ大学が休みだからってダラダラしてるんじゃねぇの?」

「私は久し振りの我が家だからのんびりしてるだけ」

「……」

「……」

 重たい空気だけが流れる中で二人は口を閉ざして何も話そうとしない。

(……いつまでこんな状況に居なきゃいけないんだ。少し早いけど木乃葉の家に行っちゃおうかな。っていうか何でこんな思いまでしてこの場を耐えているんだ俺? 別に母さんに言われたからって無理して居る事は無いんだよな。そうだよ! 折角の夏休みなんだから無理して辛い状況に居続けなくていいじゃないか! そうと決まれば早速出掛けよっと)

 椅子から腰を上げて立ち上がる日和だったが、良くと言うべきか悪くと言うべきか姉もソファから同じタイミングで立ち上がった。

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