人ノ記憶ヲ喰ラウ鬼 其ノ肆
放課後になると日和はそそくさと教室を後にして木乃葉の家へと急いだ。
いつもの帰宅ルートの途中から日和の家とは逆方向に進んでいく。
小学校からずっと一緒だったのでそんなには遠く離れてない場所に木乃葉の家がある。
(何か久し振りな感じがするな。小学校の時はよく遊びに行ってたし、中学校になってからもたまに行ってたけど、高校に入ってからは初めてだな。毎日のように学校で会ってるけど、久々の家はちょっと緊張してきたな)
少し不安そうな表情を浮かべながら道路沿いに数件並んでいる家の前を歩いていたが、一番端にある家の前で立ち止まった。
表札には『金芝』の文字があった。
木乃葉の家に着いた日和はディユンに呼び掛ける。
(ディユン、着いたぞ!)
(ああ、分かっておる)
(どうだ? 何か鬼の気配とか感じたりはするか?)
少し黙り込んだディユンだったが溜息を吐いて一言
(居らん)
(えっ……本当に居ないのか。だって一週間も休んでるし、しかも休み始めた日が丁度ディユンと出会った日やウォールムと対峙した日と同じなんだぞ!)
(別に同じ日じゃったからといって全てが鬼のせいとは限らんじゃろう。本当に体調を崩して休んでおるに違いないじゃろう。安心して帰ろうぞ)
その言葉を聞いて緊張の糸が切れたのか一気に元気を取り戻した。
(そっかそっか! 俺の勘違いだったなら良かった。いやぁ~本当に木乃葉に憑いていたら正直どうしようかと思っちゃったよ。何だぁ~風邪か)
(憑いておらんで良かったのう。ならば早く帰ろうぞ)
(ちょっと待てよ! 折角ここまで来たんだからお見舞いくらいして帰ろうぜ)
(止めぬか! 見舞いなどして風邪をうつされでもしたらいかんではないか! 早く帰るのじゃ)
(冷たい奴だなぁ~。少し様子を見るだけだから心配要らないよ)
異様に帰りたがるディユンの言葉など気にする様子も無く、日和はインターホンを押した。
しかし何も応答が無かったので、もう一度押してみた。
(やはり寝込んでおるに違いない。逆に迷惑になってしまってはいかんから帰るのじゃ)
(ん~……)
少し悩んでいた感じだったが家の前から帰ろうとした時、インターホンから声がした。
「……はい」
その声は木乃葉だったが、やっぱり体調を崩しているせいなのか元気が無いというより弱っている感じだった。
「あっ木乃葉。俺だけど学校ずっと休んでいるみたいだけど大丈夫なのか?」
「……日和? わざわざ心配して来てくれたんだ……有難うね。私は大丈夫だよ」
「そっか。それなら良いんだけどな。あのさ……先週、図書室から帰る時に酷い事言って悪かったな……」
「……先週? ……図書室? ……何の事? そんな事無かったじゃん」
「えっ……」
(もしかしてまだ怒ってるのかな? それとも全部水に流したから何も無かったかのように装ってるのか? でもいつもの木乃葉だったらビシッと叱って何も無かったかのように水に流してくれてたんだけどな……まぁ体調を崩しているし、そんな叱るような元気も無いから忘れたフリをしてくれてるのか?)
木乃葉の言葉に引っ掛かりはするものの体調を崩しているからと気に留めなかった。
「あっ……そういえば俺の勘違いだったかな。取り敢えず木乃葉が大丈夫そうで良かったよ。っていうかお見舞いに来たんだから顔くらい見せに出て来いよ」
「そうだよね。本当なら家に上がって貰った方が良いんだけど、ずっと寝ていたし部屋も散らかっているから今日はこのまま帰って貰って良いかな? ……ごめんね」
「いいよ。体調崩して休んでいるのに出て来いって言う方がおかしいもんな。それじゃゆっくり休んで来週からは学校に来いよ」
「うん、分かった。わざわざ心配して来てくれたのに追い返す様な形になって本当にごめんね」
「何言ってんだよ。そんな気を使うような関係でも無いだろ。幼馴染じゃないか!」
「幼馴染か……それじゃ今日はありがとうね。また学校でね」
「おう!」
話が出来た事で日和は安心した。
そして家の前から立ち去ろうとした瞬間、木乃葉に呼び止められた。
「日和!」
勢いよく踏み出した足に急ブレーキを掛けると身体が前のめりになった日和は再び家の方に振り向いた。
「いきなり呼び止めるなよ! あと少しで地面に顔面強打してしまうところだったじゃないか!」
「初めて日和と握手した時の私の言葉覚えてる……?」
「いきなり何だよ!」
「いや……ちょっと思い出しちゃってね。ごめんね引き止めて……それじゃまたね」
「あぁ、じゃあな」
日和は木乃葉の家を後にした。
ずっとそれまで静かにしていたディユンが話し掛けてきた。
(やっと終わったか。じゃから私があれほど言うたではないか。体調を崩しておるのだから変に気を使わせてはいかんかったのじゃ。日和のそういうところが異性に好意を持たれぬ原因の一つじゃ)
(五月蝿いなぁ。別に木乃葉に好意なんて持たれなくて良いよ。ただ少し話が出来ただけで良かったんだ。ちゃんと心配してくれる存在が居るんだって事を分かって貰えればそれで良いんだ。ディユンには分からないかも知れないけど、人間っていうのは自分が辛い状況に陥った時ほど他人に心配して欲しいものなんだ。それに昔から俺は木乃葉の事を知っているから余計にそんな事を考えちゃうのかも知れないんだけどな)
(よう分からんのう。私だったらただ迷惑にしか思えんがのう)
(……だからお前は『鬼』なんだよ)
(意味分からんぞ)
何はともあれ木乃葉の無事を確認出来た日和は家に帰ると一直線に自分の部屋に入り、ベットに倒れ込んだ。
(何か疲れたな。身体が治って久々に学校に行ったせいかな。まだ病み上がりだからいつもみたいにはいかないか……)
電気もついてない薄暗い部屋で日和は考えていた。
木乃葉から言われた言葉がどうしても気になっていたからだ。
(初めて木乃葉と握手した時なんてほぼ知り合ったばかりだったじゃないか。そんな前に言った言葉なんて覚えてる訳ねぇじゃん。でも何で急にそんな質問してきたんだろう? っていうか木乃葉自身が俺との思い出を覚えて無い癖に、なに人に質問してるんだよ!)
言葉からは謎が感じられ、そんな言葉を言ってきた木乃葉に苛立ちも感じられた。
複雑な気持ちの中で日和はいつの間にか眠ってしまっていた。
「弱虫日和~! いつもすぐ泣く癖に強がってるんじゃないよ!」
「ヒック……僕は弱虫じゃ……ないよ! 泣いて……ヒック……なんか……ないんだ……ヒック……もん!」
「こいつ~やっぱりすぐ泣くから面白い!」
「泣いてなんか……ヒック……ないってばぁ~! 僕が本気になれば…ヒック……お前なんて……ヒック……お前なんて……ヒック……一撃だもん!」
(あれ? 幼稚園の時の俺だ。めっちゃ泣いてるじゃん。……恥ずかしい)
「強がって嘘付いてんじゃないぞ! 本当はそんな事出来ない癖に!」
「出来るもん!」
「じゃあやってみろよ!」
(あぁ、この頃の俺って弱虫と思われるのが嫌で強がってはいるんだけど、やっぱりそんなものは『ただの強がり』に過ぎなくて内心は怖くて怖くて仕方無かったんだよな……結局は『やってみろ』と言われても足が震えて何も出来なかった。こんな毎日を送っていたんだっけな。今ならこんな奴一捻りなのに!)
「やっぱり何も出来やしないじゃん! 弱虫日和はやっぱり弱虫なんだな」
(俯いたまま必死に涙が出るのを耐えているんだけど、幼稚園児がそんなに耐えられる訳も無いんだよな)
馬鹿にされて今にも泣き出しそうな幼い日の日和だったが、その時一人の女の子が虐めている男の子に向かって近付いてきた。
「な、何だよ! お前も一緒に弱虫を虐めたいのか?」
男の子の前に来た女の子は立ち止まり、いきなり頬を叩いた。
「いってぇ~! な、何するんだよ!」
「あんた、弱虫じゃないなら泣くなよ!」
そしてもう一回頬を叩いた。
「もう……ヒック……やめれぐれ……うぁ~ん」
「日和君よりあんたの方が全然弱虫じゃん! 日和君は沢山馬鹿にされても耐えてたのにあんたはすぐ泣いてしまう弱虫よ!」
「ヒック……殴るのは……ヒック……反則じゃんよ……うぁ~ん」
「あんたまだ殴られたいの?」
「もう嫌だぁ~」
虐めていた男の子は走って逃げて行った。
すると女の子は振り返り日和の所まで歩いて来てハンカチを差し出した。
「はい、これで涙を拭いて」
半泣きの日和はハンカチを受け取りながら
「あ、ありがどう……」
「もう泣かないでいいよ。よく我慢したね! 偉い偉い」
そう言いながら日和の頭を撫でる女の子。
「子供扱いしないでよ……」
「だって日和君、子供じゃん」
「君だって子供じゃん……」
不思議そうに日和を見ていた女の子だったが突然クスっと笑った。
「そうだね。同じ子供だね」
不意に女の子が手を差し出してきた。
「えっ? 何?」
「握手!」
言われるがまま日和も手を差し出して女の子と握手をした。
「今度から私が日和君を助けてあげる! 虐められたらすぐ言ってね。相手をボコボコにしてあげるから。
「……ボコボコって」
「今日から私と日和君はお友達よ。お友達は困った事があったら助けるんだからね」
「それじゃ……僕も君が困った事があったら助けるよ!」
「本当に! 日和君!」
「うん! 今日は僕が助けて貰ったから今度は僕が君を助けてあげるよ!」
「じゃあ本当に助けて欲しい時の『合図』を決めない?」
「『合図』?」
「うん! その方が何だか二人しか分からない『秘密の暗号』みたいで格好良くない?」
「そうだね! じゃあどんな感じのが良いかな?」
「う~ん……あっ! こんなのはどうかな?」
何かを閃いた様に女の子は日和の耳元で話した。
それを聞いた日和は
「え~そんなの分かるかなぁ? 気付いてあげられなかった時が不安だなぁ」
「日和君なら分かってくれるよ。私は絶対に気付かないって事は無いからね」
「それじゃ僕と君の『合図』はそれで決まりだね!」
「私、金芝木乃葉! 『木乃葉』って呼んでね」
「じゃあ僕も日和君じゃなくて『日和』って呼んで!」
「それじゃ」
「今日から」
「私と」
「僕は」
「困った時は助け合える」
「お友達だ!」
「お友達よ!」
もう一度日和と木乃葉は握手を交わした。




