人ノ手足ヲ喰ラウ鬼 其ノ捌
「久し振りじゃのう……っと言ってもお前の知能では私の事など覚えてはおらぬだろうな」
「ダレダ……オレ……オマエ……シラナイ……」
「ほぅ~言葉を覚えておるだけでも少しは賢うなったのかのう」
「オレ……バカニスル……ユルサナイ……」
「ほんの少し力を付けたからというて、この私に勝てるなどと思い上がるのもいい加減にせい!」
「チカラ……フヤシタ……オレ……オマエヨリ……ツヨイ……」
「ほう! それじゃ見せて貰おうかのう?」
怒りを顕にしたウォールムはディユンを左手で払い殴ったが、簡単に身を交わされてしまう。そして両手で何度もディユンを攻撃するがやはり全て交わされてしまう。
「そんな攻撃では私に勝つ事など出来んぞ」
ディユンの戦いっぷりを見ていた日和は
(おぉ! ディユン圧倒的に強いじゃん! これなら全然楽勝に勝てるな! っていうかディユンは衰弱しているのにこの力の差があるって事は俺でもイケるんじゃねぇ? よし! 水琴の恨みを俺が晴らしてやる!)
日和はウォールムに向かって飛び上がり思い切り殴る。
ゴーン!
「いっっってえぇぇ~! 何だコイツめっちゃ硬いじゃん! まるで鉄板でも殴った感じだよ!」
「何も考えずに飛び込むとは無茶にも程があろう。私でもウォールムの懐に飛び込むのは決死の覚悟が必要なのじゃぞ」
「何言ってるんだよ! 簡単にあいつの攻撃を交わして楽勝そうじゃん」
その言葉にディユンの表情が曇った。
「実はウォールムを挑発しておるだけで、ギリギリ交わすのがやっとなのじゃ。あまりこの戦いを長引かせてしもうたら確実にやられてしまう」
「そんな風には見えなかったけど……何か弱点とか無いのか? お前あいつの事知ってるみたいだけど……」
「知っとるも何も私が創った『鬼』だ!」
「お前が創った?」
「とりあえず詳しい事は後にして弱点の話じゃが、ある事にはある! しかも二つじゃ。だが、これは必ず成功するという確証が無いのじゃ」
「どういう事なんだ?」
「ウォールムの身体を覆っている硬い物質なんじゃが、あれは『水』じゃ」
「水って……めっちゃ硬かったぞ!」
「それがウォールムの持つ特性なのじゃよ。あいつは水を操る鬼でどんな風にでも自在に操る事が出来るのじゃ。さて、ウォールムは何故身体を硬い水で覆っておるのか分かるか?」
「そんなの身体を守る為に決まってるじゃん」
「どうして守る必要があると思うのじゃ?」
「そんなの……! もしかしてウォールムの硬い水の下ってめちゃくちゃ弱いのか?」
「その通りじゃ。水の下に一つ目の弱点がある。そしてどうやってあの硬い水を無くすかというと『熱』じゃ」
「だからさっきからウォールムを挑発する事ばかりやってたのか!」
「そしてもう一つの弱点がウォールム自身の身体は実に熱を帯びやすいという事じゃ。身体に熱を帯びる条件というのが『怒り』じゃ。元々あいつは怒りっぽい性格をしており、自分で制御する事が出来ぬのだ」
「つまりウォールムを挑発しまくって怒った熱で身体を覆っている水を蒸発させて一気に倒すって事だな」
「そして重要な事が一つあるのじゃが、これだけはよく肝に命じておれよ。それは絶対に『殺す』事だけはしてはならんのだ! 取り敢えず気になったところはあったとは思うが詳しい話はこの場が片付いてからだ」
「よく分からないが、今此処でやられてしまった方が大問題だからな。話は後でしっかり聞かせて貰うぞ!」
ディユンがウォールムの懐に飛び込んで注意を向けている間に日和は背後に回った。そして近くにあったパイプ椅子でウォールムの後頭部を殴ったが硬さのあまりパイプ椅子の方が砕けた。
日和はすぐに後ろに下がるとウォールムを挑発した。
「そんなにノロノロしてるんじゃ後ろからの攻撃は避けられっこないみたいだな! どうした? 俺の事を捕まえてみろよ! まぁ、頭が悪いみたいだから目の前に居て貰わないと捕まえる事も出来ないか?」
「これ日和! そんなに馬鹿にしてやるでないぞ! これでも本人は精一杯なんじゃから! そうじゃろ? ウォールムよ?」
二人の挑発に相当怒りに満ちていたウォールムの身体から湯気が出始めた。
(よし! 良いぞ! ディユンの言った通りだ。この調子でいけば何とかなりそうだな)
更に日和は挑発するようにウォールムを煽っていたが、その事に一生懸命で周りが見えていなかったのだった。
「どうせお前なんか鬼の中で一番弱いんだろ? そんなデカイ図体も見掛け倒しなんだな!」
「……サッキカラ……オマエ……ウルサイ……モウ……オマエ……コロス!」
ウォールムに帯びる熱がどんどんと高くなり、湯気の量も増え始めた。だが、急に動きを止めると手を握り締め、胸のあたりでクロスさせた。
その行動の意味が分からない日和は不思議に思い立ち尽くした。だが、ディユンが何かを察して叫んだ。
「日和! 伏せろぉ!」
その声と同時にウォールムの身体から無数の針が飛び出した。
病室内の壁に次々に突き刺さっていく音が響く。
暫くすると音は止み、伏せていたディユンがゆっくりと目を開けるとそこには無残にも避けられずに無数の針を受けた日和が立っていた。
「うぅぅ……」
「……日和」
全身は針でズタズタになり大量の血を流していた。
ディユンは日和の元に駆け寄ると
「すまぬ……私がウォールムの動向に早く気付いておればこんな事には……」
その時、動ける筈の無い日和がディユンの肩に手を置いた。
「すっげぇ……いてぇ…………苦しくて……死んでしまいそうなくらい……でもよ…………今まで……水琴はこんな苦痛を背負いながら笑ってたなんて……あんな小さな身体でずっと耐えてたなんて……それなのに……俺が…………こんな痛みくらいで倒れたら……水琴にどんな顔をして会えばいいんだ…………だから絶対にウォールムを倒すぞディユン!」
(日和の奴、こんな状態になっておるというのにまだ戦おうとしておるのか? 一体そんな力がどこにあるのじゃ? これが人間の真の強さというものなのか……何故じゃか分からぬが此奴を……日和を殺させてはいかん!)
「日和、お前はよう頑張った。ウォールムの身体の水もあと少しじゃ。あとは私に任せてお前は休んでおれ。安静にしておれば『浄鬼』で傷も塞がるじゃろう」
ディユンが日和の身体を支えようとした時だった。
「オマエ……イイザマダ……ニンゲン……オレノハリデ……クルシム……トテモタノシイコト……ナノニ……オマエモ……アノコドモモ……ガマンスル……ソレタノシクナイ」
ウォールムの言葉に日和は怒りを感じ、ディユンが差し出した手を払うと前に歩き出した。
「お前、何が楽しいって? あんな小さな子供に苦痛を与えて楽しんでたのか? 自分の手足が自由に動かないってどれほど辛いと思ってるんだ? そのせいで周りの人がボロボロになっていく姿を見るのがどれほど悲しいと思ってるんだ? しかもそんな感情をあんな小さな身体一杯に感じてたんだぞ! 少しでも心配させない様に我慢して笑って、本当なら笑ってなんかいられないくらいの苦痛なのに、それでも笑って……全部お前のせいじゃねぇかよ! 許さねぇぞ!」
日和は胸に突き刺さっている針を強く握り締めた。
「ドウシヨウト……オレノカッテ……ニンゲン……オレノ……オモチャ」
「てめぇ! ふざけんじゃねぇ!」
握り締めていた針を勢いよく抜くとそのまま握り潰して粉々にしてしまった。
(なっ! 鬼の『澪』で出来ておる針を片手で砕くとは……今の私でも簡単に出来る事ではないぞ! それよりも日和の様子がおかしい……何が起こったというのじゃ?)
怒りで我を失った日和の目は青く光っていた。そしてゆっくりとウォールムに近付いていく日和。そんな日和の異様さを悟ったのかウォールムが怯え始めた。
「オ、オマエ……クルナ……オレ……オマエ……キライ……チカヅク……ダメ」
それでも近付いてくる日和にウォールムは針を飛ばしたが、日和に当たる前に砕けてしまうのだった。
「ナゼ……アタラナイ……ニンゲン……ソンナコトデキナイ……ハズ」
ウォールムの目の前まで来た日和は覆われた水に手を翳した。
「コノミズハ……ヤブレナイ……オマエ……オレニ……サワレナイ」
日和が手を翳した部分の水が徐々に蒸発していく。
あんなに硬かった筈の水なのにまるで高熱に晒された蝋の様に無くなっていく。次第にウォールムを覆っていた水は無くなり、身体が露になってしまう。
「これでお前は身体を守る事が出来なくなったな。どうだ? 怖いか? でもな……水琴はずっとお前からそんな恐怖を与えられ続けてたんだぞ!」
「オレ……ワルクナイ……コドモガ……オレニフレタ」
「それじゃお前は俺の怒りに『フレタ』から消えて貰うぞ!」
「オレ……キエル……イヤ……ユルシテ……」
「ダメだ」
日和は手を握り締めると一度手を引き、勢いよくウォールムの身体を貫こうとした。
「日和! 待て!」
ディユンが寸前のところで日和の手を掴んだ。
「殺してはならぬと言ったであろう!」
「止めるんじゃねぇ! こいつは人間を遊び道具としか思ってねぇんだ! ぶっ殺さねぇと気が済まねぇよ!」
「その気持ちは分かる! だが、ここは私に任せてくれぬか?」
無言のまま日和はディユンを睨んでいたが手を払って言った。
「もう二度とこいつが人を苦しめる事の無い様にしてくれ……お願いだ」
「あぁ分かった」
戦意を失っているウォールムを見てディユンが小さな声で言った。
「少し調子に乗り過ぎてしもうた様じゃのう。このまま消してしもうてもよいのじゃが、出来れば私の中に戻り、再び力として働いてくれんかのう?」
「オレ……モドル……マタ……チカラニ……ナル……サーベスト……サマ」
ウォールムの身体が光を帯び始め、ゆっくりと解けていくかの様にディユンの身体に吸収されていった。
(まずは一体じゃのう……)
日和は水琴の元に行き、肩を揺らして声を掛けた。
「水琴! 水琴! もう目を覚まして大丈夫だぞ!」
「……う~ん」
目を覚ました事に安心すると水琴を強く抱き締めた。
「な、何です! いきなり抱き付いてくるなんて変質者です! 日和さん最低です!」
「そんな事言わずに大人しく抱き締めさせてくれ!」
「誰か~このロリコンを捕まえて下さいです!」
その時はまだ本人も気付いてなかった。
鬼に喰われていた手足が自由に動く事に――
ディユンが笑みを浮かべながら日和と水琴を見ている。
(やれやれ、さっきまであんなに様子を変えておったのにまたいつもの変人に戻っておるのう。じゃがまだまだこれからじゃぞ日和。さっきみたいな偶然がまた起こるとは限らんのじゃからな)
水琴が日和のボロボロになった身体に気付いた。
「日和さんどうしたのです? こんなに沢山の怪我をしてしまっているです! 病院に行かないといけないです!」
「……ここが病院じゃがのう」
日和は心配してくれている水琴の頭を撫でながら
「心配してくれて有難う。でも、俺は大丈夫だから。それより立ってみろよ。立てるだろ?」
水琴はずっと力の入らなかった足でゆっくりと立ち上がると掌を見詰めて、開いたり閉じたりしたのだった。
「立てるです……手も力が入るです……これでもうお母さんに心配をさせなくて済むのです! 日和さん! でもどうしてなのです……」
「良かったな。きっと神様が水琴の想いに応えて手足の針を取ってくれたんだろうな。これ以上、お母さんに心配を掛けたくないという気持ちが奇跡を起こしてくれたんだ」
そう話していた日和の思考内でディユンが言った。
(日和がウォールムを倒したお陰で元に戻れたというのに良いのか?)
(あぁ、鬼の存在なんて言う必要は無いさ。全て終わったんだから安心させてやりたい)
(てっきり日和の事じゃから助けた恩で婚姻まで迫るのかと思うたぞ)
(もう少し水琴が成長してからの方が恩を感じやすいかなぁ~っと思って)
ディユンは日和に聞こえないくらいに思うのだった。
(……やっぱり此奴最低じゃ)
だが、日和は話を続けた。
(あと、助けたっていうか俺自身が勝手にやった事なんだからそれをわざわざ言う必要も無いかなって。今回は水琴と水琴のお母さんが必死に治そうと頑張り、信じ続けていた想いが俺達を動かしたんだから結局は水琴自身が鬼に打ち勝ったって事になるんじゃないかな……って言ってる今の俺めっちゃ格好良くない!)
自画自賛に浸り始めた日和を背に
(……私は何故、此奴に憑いてしもうたのかのう)
そのままディユンは部屋を出て行ってしまった。
日和は水琴のお母さんに連絡を取り迎えに来て貰うようにした。
暫くすると水琴のお母さんが到着する。何が起きたのか状況が把握出来なかったみたいだったが、娘の立っている姿に涙を流して喜んだ。
そして病院から車椅子ではなく、手を繋いで歩いて帰っていく後ろ姿を日和は見送ったのであった。




