第23期:夏に舞う羽雪
今期の一言:平和の宗教を持つ人間にとって、その最高の価値は愛である。戦争の宗教を持つ人間にとって、その最高の価値は闘争である。
――ディッキンソン
シエナ王国最南端に位置する港町シルベットは、同国最大の港湾都市であると同時に、対岸に教皇領神の島を見据える、南大陸からの玄関口の一つでもある。
普段も、無数の交易船の出入りでにぎわうのだが、この日は特段、船でごった返していた。なぜなら竜王討伐に向かう教皇庁の聖軍と、カルディア聖王国軍がこの地に上陸しはじめたからだ。
その数なんと約15万人!実際に戦う兵士だけでも8万人近いが、これに加えて
物資輸送や身の回りの世話をする雑用もいる。さらに、これだけの人や物を運ぶのにはそれだけ大量の船が必要であり、100隻以上入港できると謳われるシルベットの巨大港湾施設もあっという間に許容量を超えてしまった。
今港では、カルディア軍が中心となって仮設の基地を建設中だ。シルベットの一帯はすでにカルディア聖王国がシエナ王国から租借権を得ていて、見返りに大金と物資をシエナ側に払うことになっている。前回の失態のせいで、若干レートは不利になっていたものの、アルレイン将軍の事前の外交根回しによって比較的スムーズに通行許可も下りている。懸念されていた、竜による海上襲撃もなく、物資および予備兵力も万全。
ここまでは、カルディア軍にとって問題なく事が進んでいると言えた。ただ一つの懸案事項を除いては…………
「見ろよこの剣、竜を倒すために作った新品の武器なんだ。この剣にかかりゃぁ、竜をぶった切るなんてバターを斬るより簡単だぜ」
建設中の基地の一角で、身なりが良さそうな聖軍の勇者たちが集まって、武器を弄びながら雑談に興じていた。
するとそこに、カルディア聖王国軍の将軍――メネラオスが通りかかる。
メネラオスは、一応警備中だというのに暢気に雑談をしている勇者たちの中に割って入り、新調した剣を自慢する若い男を人睨みすると、彼の手を取ってその手に持つ剣を鞘におさめさせた。
「いいから仕舞っとけ、ついでにその口もな」
「ちぇっ」
威圧的に注意するメネラオスに対し、若い勇者は悪態をつくが、反撃に転じようとはしなかった。若い勇者も腕前は決して未熟ではないのだが、幾多の死地を潜ってきた歴戦の軍人相手では分が悪いと感じたのだろう。雑談をしていた者たちは、渋々ながらも、自発的に任務に戻り始めた。
それを横目に見ながら、メネラオスは、共に歩いていたもう一人の男性と話しつつ、歩みを進めた。
「口だけはいっちょまえのひよっこどもには参りますな、お笑いだぜ。俺の友人が見たらさぞかし大笑いだろうな」
「……彼らは皆、信仰心篤い勇敢な戦士だ」
メネラオスと一緒に歩いているのは、白を基調とした法服を纏った、やや年配の司祭だった。彼は聖軍を代表する指揮官の一人であり、今からメネラオスの案内でカルディア軍の司令部に向かうところである。部下たちへの大まかな指示が一段落したところで、両軍揃って今回の遠征における戦略の確認をするためだ。
「だが使い物にならん。俺とアルレインなら、あっという間に皆殺しだ。覚えとくんですな」
「君はこの私を脅しているのかね」
「事実を言ってるんだよ」
司祭は、集まっている勇者たちを有望な若者たちだと信じて疑わないのだが、
メネラオスの、彼らへの評価は芳しいものではなかった。
「大体お前ら聖軍は前の失敗を忘れたのか? 聞いた話だと、勇者たちは竜との戦闘経験は全くなかったらしいじゃないか。そんなんでよく竜を簡単に倒せるなんて、軽口を叩けるぜ。アルレインは国内でも敵う奴がいないくらい強い癖に、もし今回の戦いに出るなら生きて帰ってはこれないだろうって、遺書まで用意していたくらいだ。竜はそれくらいの覚悟が必要な相手だ。それが分からない奴は……竜どもの餌になるだけさ」
メネラオス自身もかなりの戦闘能力の持ち主ではあるが、友人のアルレインはそれに輪をかけてさらに強い。その上、彼が武術を教わった師範や、偉大な勇者だった先輩など、本物の強者が身近に何人もいたのだ。それと比べると、聖軍の勇者たちが相対的に頼りなく見えてしまう。
しかしながら、聖軍の司祭にとって勇者たちは神に選ばれた最強の戦士たちであり、彼らの実力を疑うことは、即ち神を疑うことである。信じることが何よりも大切な彼らにとっては、神への信仰心こそが人間の強さを測る物差しだと考えているのだ。
「…………怯えているのは、君の方ではないのかねメネラオス。君は必要以上に竜どものことを恐れている」
「はん……当然だとも、バカじゃないからな。だが、それでも俺たちがやらなきゃならねぇ、これ以上人間世界に損害を出さないためにな」
「なるほど、確かに君たちはいくら強くても人間の身体だ。我々聖軍の勇者たちとと違って無理はできないだろうな。
だが、安心した前メネラオス君。我々教皇庁も無策ではない……とっておきの切り札を用意している」
「とっておきの切り札だと? それは本当に竜に対して効果があるのか?」
「ふむ、君はどうやら信じる心が足りないようだな。神の加護によって栄えるカルディア聖王国の人間らしくないぞ」
「生憎俺は目に見えるものしか信じられねぇんだ。その切り札とやらも本当にあるのか疑わしいぜ」
険悪な雰囲気の両名。だがメネラオスも、聖軍の勇者たち無くして今回の討伐戦は勝てないということも分かっていたし、聖軍の司祭もまたカルディア軍の協力が無ければ、敵地を進むこともままならないことは理解している。いけ好かない相手だが、お互いを最低限尊重し合ってはいるようだった。
若い勇者たちに、聖軍の司令官の前で堂々と指導を入れて、内心優越感に浸っていたメネラオスであったが、残念ながらその優位は長く続かなかった。
「貴様らそれでも軍人か!! その性根の腐った根性を今すぐ叩きのめしてくれる!!」
「ひぃ~……お、お許しを…………」
「助けてくれえぇっ!!」
前方から、女性一名の力強い声と、男性二名の情けない声が聞こえてきた。
何事かとメネラオスが駆けつけてみると、白銀に輝くドレス型甲冑を身にまとった金髪の美女が、その場で尻餅をついた、及び腰のカルディア軍兵士二人に対して、剣を突き付けているところだった。
突きつけている剣はやや長めで、鍔が広めに作られており、まるで十字架を思わせるデザインとなっている。だが、それ以上に特徴的だったのは、刀身が青白いオーラの様な光で包まれている…………おそらくは、世界に二つとない名剣だろうと思われた。
「おい貴様、わが軍の兵士相手に何をしている!」
「…………カルディアの将軍か。丁度いい、さきほどこやつらが通りかかった救護班の聖術士に不埒なことをしていたのだ。私が止めたからよかったものの……明らかに軍紀違反であろう」
「なっ…………」
得意顔で勇者たちをやり込めた直後にこれである。メネラオスにとってはやりきれないものがあった。逆に、先ほどまで苦虫を噛んだような顔をしていた司祭は、この光景を見るや一転して勝ち誇ったような顔をする。
「おやおや、大層なことを言っていた割には、君の軍も兵士の意識が低いようだ。まったくお笑いだな」
「アンタは少し黙っていてくれ。――――あ~、いや……うちの兵士が申し訳ないことをした。こいつらは俺が後で処罰しておくから、その辺にしといてやれよ、な? 戦う前から勇者様の剣を味方の血で汚すなんてつまらんぜ」
「ふん、本当なのだな。だが将軍の言い分も一理ある、そちらの問題はそちらで片づけていただこう」
メネラオスの取り成しで、兵士たちがその場で天誅を食らわせられることは防がれた。女性は持っていた剣を手元でわざとらしく回転させ、カシャンと鞘の中に収める。
とりあえずメネラオスは、兵士二人の姓名と所属を確認し、追っ手沙汰を出すまでここを離れぬよう厳命した。
「貴公は……メネラオス将軍だな」
「俺を知っているのか?」
「話は聞いている。何でもかなり若くして南方や砂漠地方の異民族討伐で功績をあげ、将軍位を授かったそうだな」
「はっはー、俺も結構有名人なんだな。知らなかったぜ」
(ま、そのほとんどはアルレインがやったことで、俺はおこぼれに預かっただけなんだがな)
改めて司令部へ向かうことになった二人と、先ほどの女性。どうやら女性も聖軍の中ではかなり地位があるらしく、メネラオスのことについても知っているようだった。
確かに彼は、カルディア聖王国内でも異例の速さで出世した軍人だが、
本人が言っている通り、自分の力というよりも親友アルレインの凄まじい功績を分けてもらったというのが正しい。もちろん、メネラオス自身もアルレインから一軍の指揮を任される位の能力を持ってはいるのだが。
「そーゆーあんたは、『輝光の閃』の二つ名を持つ勇者……リシュテイルだろう」
「なんだ、貴公も私のことを知っていたのか」
「知っているも何も、あんたは勇者の中ではかなりの有名人だろう。それに、レヴァン先輩からいろいろと話は聞いているぜ。そして何よりも、その剣だ。『閃神剣 ケラウノス』一目で分かったぜ。正直あんなものを突き付けられちゃたまったものじゃねぇよ」
「レヴァン……先輩、だと?」
「おうよ、俺の剣の師匠だった当時一流の勇者だ。あんたも知っているだろう?」
「当然だ。レヴァンは私が尊敬する、当代最高の勇者……まさか貴公も知り合いだったとはな」
「当代最高の勇者! いいこと言うじゃねーか! 先輩は剣の腕、頭の良さ、人望……どれをとっても一流だった」
「それだけに……前回の討伐戦で命を落としたのが、とても悔やまれる」
「ああ、俺たちの手で先輩の仇を取ってやらないとな」
「その通りだ。そのためにも力を合わせなければな」
「おう、俺もリシュテイルのことを頼りにしているぜ」
先ほどまで険悪な雰囲気のメネラオスとリシュテイルだったが、共通の話題が見つかったことで、いつの間にか意気投合していた。やはり、武人どうし心で通じ合うものがあるのか、二人は司令部につくまでずっとしゃべり通した。
後ろを歩く司祭は会話についていけず、かといって雑談を止められるような度胸もなく、再び苦い顔をして黙っているほかなかった。
…
「諸君、知ってのとおり竜族は、先の戦の勝利の勢いに乗り、各地で人類の勢力圏を侵略している。竜族を止めることが出来るか否かは、我々全員の戦いぶりに懸っているのだ。各人、そのことを片時も忘れず奮励努力するように」
『応!』
司令部のテントでは、今まさに、カルディア聖王国軍総司令官の一言で軍略会議が始まったところだった。
大きな机の周りに、カルディアと聖軍の将、総勢約50名が所狭しと立ち並ぶ。
その中で中心となっているのが、先ほど開会宣言の喝を入れた、カルディア軍総司令官……クレオパス将軍だ。
がっしりとした体に、彫刻を思わせるような威厳のある顔立ちで、重装将軍の鎧を着こんでいることによって、より彼を強そうに見せている。
「では、大まかな作戦を説明する」
クレオパスの指示で、彼の副官がシエナを中心とするグランフォードの地図を、机の上に広げた。
「先の戦いでは、何の準備もなく竜族のテリトリーに踏み込んだ挙句、山地で足を取られてなすすべもなく敗れた。その反省を生かし、今回は占領地奪還を主軸として、用意周到な戦いを心掛けるのだ。そのためにまず、最初の目標としてブランドルの奪還を目指す。ブランドルを占領できれば、港湾施設を用いて海から兵站輸送を行えるうえに、海にいる竜族の影響を抑えられる」
読者の方々は覚えているだろうか、討伐軍がブランドル占領を狙うのを、カズミが予測していたことを……。カズミの予想通り、カルディア軍は常に万全の状態を保ちながら戦うことを重視した。
前回の反省という面もあるが、作戦を立案したクレオパス将軍は、慎重堅実な戦いをする傾向があり、今回の作戦においても「負けない戦い」で立ち回ることにしている。
ただ、今回の作戦の難点は、時間がかかることである。
前回は作戦が杜撰ではあったが、理想的に行けばわずか二か月ほどで竜族討伐が出来るとされていた。
しかしながら、クレオパスは人類の勢力圏から竜族を排除し、完全な準備が整ってから竜族の本拠地に進軍するとしたため、予想では早く見積もっても一年…………下手をすれば五年以上かかる可能性もあった。基本的に遠征においては攻撃側にとって長期戦は不利であるが、それをカルディア聖王国の強大な国力で支えるというのである。
「そんな悠長なことをしていては、竜族がさらに力をつけてしまわないだろうか……」
「長期間の行軍は、兵士たちの士気を低下させるのではないか」
そのため、あまりにも慎重すぎるという意見がちらほらと見受けられ、特に聖軍の指揮官たちが難色を示す。
ブランドル奪還は戦略的に重要であることが分かるので、反対意見はなかったが、その後にグレーシェン、オーヴァン、エオメルと順番に攻略していくという回りくどいことをする必要があるのかどうか……。
反対するならばそれなりに有効な対案を出さなければならない。残念ながら、誰もが対案を出すことが出来ないため、クレオパスに意見することが出来ないでいた。
ところが、一人だけ別の案を出した者がいた。
「司令官、自分に腹案があります」
「腹案だと? いいだろう、申してみよ」
その者こそ、先ほどから何度か登場していたメネラオス将軍であった。
「わが軍は大軍です。その戦闘力は圧倒的ですが、動きが鈍く、物資の消耗もバカになりません。
ゆえに、一塊で動くよりも、数隊に分けて効率よく進軍すべきかと存じます」
要するに、メネラオスは数の優位を一つの力とせず、柔軟に使おうというのだ。
これは現在でいうところの『分進合撃』……つまり、カズミが恐れている散兵戦術による浸透強襲である。動員兵力が圧倒的に少なく、竜以外の兵士の質もそれほど高くないアルムテンとその属国の軍隊からすれば、あちらこちらに自分と同等かそれ以上の軍隊が出現することになり、対処が非常に難しくなる厄介な作戦だ。
これを行うには周到に計画された作戦行動と、緊密な情報共有、および部隊を率いる将兵の質が問われることになり、この時代で行うのは相当難易度が高い。
なぜ彼がこんな作戦を立案できたのか?実は、本来討伐軍の総大将を務めるはずだったアルレインが考えたのを、彼が酒の席で聞いていたからであった。
アルレインは用兵によほどの自信があるらしく、世界でも類を見ない先進的な戦略をメネラオス相手に得意げに語って見せた。それを聞いたメネラオスも、理解があるのか、アルレインの戦略を素晴らしいと褒め称えたのだった。
「――――以上により、自分は効率面からこの作戦を推奨いたします」
(おーし、どうだ。アルレインの受け売りだが、誰も文句は言えないはずだぜ)
説明を終え、やり終えたというドヤ顔をするメネラオス。予想通り、誰もが彼の斬新な案に驚き、顔を見合わせている。ただ、それは案が素晴らしいからというよりも「なんでこいつがこんな作戦を考え付くんだ」という困惑がほとんどであったが。
彼は、間違いなくクレオパスが自分の案を受け入れてくれると確信していた。ところが……
「メネラオス将軍。そなたは私の話を聞いていなかったのかね?」
「は?」
司令官クレオパスの反応は冷淡であった。
「効率を重視するとはいえ、軍を分割して相手するなど、相手に各個撃破の機会を与えるだけだ。将軍の作戦は非現実的すぎる」
「な、なんだと……!」
それもそのはず。先ほども述べたように、クレオパス将軍は堅実に戦略を立てる人物だ。そんな彼にとって、軍を分けて機動戦術をとるような博打的な作戦は、到底受け入れられるものではない。
それに、仮にこの作戦が一番有効だとしても、クレオパスに上手く出来る自信がないのも事実である。
「ふん……おそらくアルレインからの受け売りだろうが、今軍を指揮をしているのは私だ。私には私のやり方がある……従ってもらわねばな」
「ちっ、ばれてーら。わかりましたよ、この案は撤回させていただきます」
「分かればよい。だが、意見を述べてくれたことは悪くはない。貴公のような有能な将がいれば、私も安心できる」
「……ええ、まぁ」
結局、メネラオスの案は却下された。しかし、クレオパス将軍はなかなか懐の大きい人物らしく、自分の意見に一度はそむいたメネラオスを邪険にするどころか、むしろ信頼できると言ってきた。後でネチネチ嫌味を言われるのを覚悟していたメネラオスにとって、いい意味で予想外であった。
(へぇ、もしかして結構まともなんじゃねぇかこの人)
総司令官クラスの将軍は、自分の出世しか考えていないような連中が多い中、クレオパスは比較的有能な部類に入りそうだ。
「さて、他に異論がなければ、各部隊の大まかな動きを調整するが――――」
戦略会議はこのあと4時間以上続いた。途中、夕食をとるための休憩をはさみ、夜になってもまだ詰めの協議は続く。それだけ、クレオパスが今回の戦いにかける意気込みは大きく、寸分の妥協も許されない。
他の将たちも大したもので、今回の戦いの重要性を理解しているが故、何時間でも会議に時間を費やそうとも、不満の顔一つ見せなかった。
メネラオスをはじめ、アルレインが各地から引き抜いた選りすぐりの将たちに加えて、クレオパス将軍に長年従ってきたベテラン軍人もいる。
そして、それを見ている聖軍の将たちもまた、彼らに負けるものかと疲れを堪えているのであった。
「――――とする。……何か質問のある者はおらぬか? なければ、今日はもう遅いので続きは明日にしようと思うが」
そして、夜遅くになってようやく会議は一段落した。さすがにここまでくると、クレオパス司令官にすら疲れの色が見える。この時点で質問があったとしても、おそらくは明日に改めたほうがいいだろう。
「ようやく終わった……」将軍たちが心の中で安どのため息をついていた時…………ソレは『降臨』した。
『嗚呼――。私は、ここに。そして、あなたも、ここに。――それは、白銀の御子が照らす……エタールナ・グラディオ』
「おい、誰か妙なこと言わなかったか?」
「女の声だったが……この中の誰とも似つかない、透き通った声だった」
「しかも脳内に直接響くような」
突然聞こえた正体不明の声に彼らが戸惑ったとき……突然、天幕の中が昼間のような猛烈な明るさに包まれる。
いや、昼間どころではない。あまりにも明るすぎて、隣同士の顔もよく見えない有様であった。
混乱するカルディアの将軍たちだったが、聖軍の指揮官たちだけは即座に何事かを理解しているようだ。彼らは、たちまちその場に跪いて、まるで祈りをささげるように手を組んだ。
それはまるで、舞い散る白い羽のように…………ふわりと彼らの前に姿を現す。
流れるような金色の長髪、絹のように繊細な白い肌、ワンピースのように簡素な純白の衣装……そして腰のあたりに生える、穢れ無き純白の羽。
「おお、天使様……」
「天使様が……降臨なされた!」
天使。伝説に語られる下位の神族。下位と言えども、人類とは比較にならない力を持つという。
「儚く美しい……永久の旋律。奏でるは虹聖の愛……。私は、スノードロップ……闇に立ち向かう、白陽……羊飼いたちの守護者……」
この日の夜は、その場にいた者たちにとって、いい意味でも悪い意味でも決して忘れることのできないものとなった。
そして、舞い降りた一人の天使によって、討伐軍の作戦が大きく変ってしまった。
まるで、夏に降り注ぐ……銀色の氷雪のように……
…
アルムテンが臨戦態勢に入ってから20日が過ぎた。討伐軍の攻撃に備えて、カズミ達は着々と迎撃の準備を進めている。
ブランドルとシエナの国境では、氷竜や海竜たちが道を遮断する機会をうかがうべく、地盤の調査を行い、緒戦を頓挫させる作戦は順調そのもの。本国でも、今まで距離の関係で滅多に外の世界に出られなかった地竜たちが、高いところを飛ぶのを怖がりつつも前線に移動。全ての竜族の力をフルに生かすべく、戦闘訓練に余念がない。
そして現在は、オーヴァン領に無断で、前線基地となる砦を築いているところだった。人間だけでは建設に数か月はかかる建物も、地竜たちの力を借りればあっという間だ。
「1000人収容可能な砦を作るのにわずか15日……。そのうち半分は測量にかかった時間……う~ん、分かってはいたけど、凄まじいなぁ」
完成間近の砦を見上げて、カズミは何度目になるかわからないカルチャーショックに浸っている。
設計自体は、属国から技術者を呼んで大体の目途をつけさせたのだが、そこからが凄かった。測量が行われている間、資材を風竜たちがオーヴァンから空輸し、足りない分は地竜や木竜、火竜などが自前で用意し、測量が終わった後は、地竜たちが術で資材の重量を調節することで、信じられない速度で建設が進んだ。工事を行う労働者の中には、日当目当てで駆り出された農家の子供などもいたが、彼らが城壁用の石材を何十個もいっぺんに運ぶ姿は、なかなか見ものであった。
さらに、その測量に関しても従来の方法とは異なり、カズミの世界で用いられている測量法や測量器具をこの世界なりの形にダウングレードしたことで、効率が大幅に上昇した。
ただし、計算に関しては数学技術がそれほど発達していないこともあって、スピードアップは望めなかったが……カズミにとって別の面で大きな発見もあった。
それは、雷竜たちが計算を得意としていたことである。事の発端は、計算機がないせいで、カズミが必死に手書きの計算をしているときに、傍にいた雷竜リーゼロッテが、計算式を見ただけで一瞬で答えを割り出してしまったことだった。リーゼロッテだけの特殊な能力かと思ったカズミだったが、どうやら雷竜達にとって、あらゆる計算はすべて頭の中で可能なのだという。ためしに、適当に作業していた雷竜に四桁の掛け算問題を5問出したところ、すべて一瞬で正解を出して見せたそうな。
「もしかして……一番役立たずな竜種は竜王なんじゃないか? ぶっちゃけ日常生活で役に立つ術が全然ないんだけど」
もちろん、他の竜族からしてみれば「そんなことはない」と即座に否定できる。なにしろ、竜王の術には『空間跳躍術』があるのだ……こればかりは竜族はおろか、既存の魔法ではほぼ再現不可能に近い。それなのに自分のことを役立たずというのは、謙遜のし過ぎであろう。
カズミがそんなことを考えていると、砦の方からリノアンがやってきた
「竜王様。ルノルト様とジュルバ様(※建設責任者の地竜の名前)から最後の工程が終わったと報告がありました。これにて建設完了です」
「わかった、すぐに見に行こう。向こうで訓練してるセルディアとクーゼも呼んできてくれるかな」
「かしこまりました」
完成の報告を受けたカズミは、近くで兵士の訓練にあたっていたセルディア、クーゼらと共に、できたばかりの砦内部を一通り見て回った。
グレーシェンとオーヴァンの国境になっている川――『ヴィヴィス川』のオーヴァン領側の岸に建てられた砦は、敷地面積が大体現代の小学校くらいで、周囲は川の水を引いて濠を作っており、攻めにくいように人口の丘の上に作られている。城壁は外側が石組で、それ以外の施設はすべて木製である。
また、この世界には高品質かつ安価なコンクリートがすでに発明されていて、城壁の強度はなかなかのものになっている。
ただし、急造の砦なので、施設は砦を管理するための司令部と、武器や食料の保管庫、それにトイレくらいしかなく、実際に兵士が立てこもる際には野営と同じようにテントを設置しなければならないが、完全に城砦を作るわけではないので、拠点としての機能は十分備わっていると見てよい。
「いかがでしたかカズミ様」
「いいね、急造にしてはしっかりとしたつくりだ。中世の……もとより、この世界の砦ってこうやって作るんだって、凄い勉強になったよ」
見学を終えたカズミは、建設責任者である地竜ジュルバによくできたと褒め称えた。彼だけでなく、建設にかかわった各竜族、合計13人もその場にいたが、雷竜以外はなぜかとてもくたびれたような表情をしていた。
「…………相当辛かったみたいだね、顔を見ればわかるよ」
「い、いえ……そんなことは!」
「そーだそーだ! 俺はちっとも疲れちゃいないぜ、お前らよわっちいな!」
「アナタは黙っててくれるかしら……(怒」
恐らくは建設中ずっと術を使いっぱなしだったのだろう。補助する術士がいるとはいえ、たったこれだけの人数で400人以上の労働者たちをサポートしていたのだから、相当堪えるはずだ。唯一、若い雷竜だけは、体力がある上にそこまで術を使う必要がなかったせいで、全くつかれておらず、空気読まずにその場を茶化す。その態度にイラついた女性の火竜が、彼を殴ろうとしたのだが、カズミが慌てて止めて事なきを得た。
「人類たちは子供ですらあまり疲れていなかったというのに……なぜ我ら竜族が」
「はっはっは、それが支配する側の苦労なんだよね。人を使う側って、見た目ほど楽じゃないってことさ」
人間を支配し、働かせる立場にある竜族が、最終的に人間よりはるかに働かなければならなかったというのは、何とも皮肉な話である。カズミは竜王になってから、痛いほどそれがわかるようになった。
「クーゼさんも、働き手を確保してくれてありがとう。お陰様で作業が順調に進んだよ」
「いえいえ……こっちもまさかこんな短期間で終わるとは思いませんでした。
竜王様が破格の日当を出すと約束していただいたおかげで、大勢すんなりと集まりました。ま、あまりにも工期が短すぎて最終的な費用はそれほど掛かりませんでしたがね」
「しかし、徴用という手もありましたのに、わざわざ日当を……それも相場の5倍近く出すというのですから、私も驚きました」
「セルディア。いくら人権がない世界だといっても、労働の対価はきちんと払われてしかるべきだよ」
「ええと、『ジンケン』とは?」
「ええっとね…………人権ていうのは、人間が生まれつき持っている権利というか……まぁ、この話は後々ね」
この時代においても労働者の権利を考えるカズミは、優しいのか……甘いのか……
ただ、少なくともこの世界で人権の考えが広まるのには相当な時間がかかるだろう。なにしろ、まだ奴隷制度が当たり前のように存在しているのだから。
「じゃ、せっかく完成したんだから最後に労働者のみんなに美味しい物でも食べさせてあげなよ。ああもちろん、君たちも疲れただろうからしばらくゆっくり休むといい」
『はいっ!』
作戦の一部が一段落したところで、次に何をしようか考えるカズミ。とりあえず、拠点にしているグレーシェンに戻ろうかと思ったとき、何者かが転がり込む様にカズミの前に現れた。
「竜王様、至急お知らせしたいことが!」
「どうしたのリヴァル、そんなにあわてて!?と、とりあえずリノアン、部屋の周りから人払いを」
「かしこまりました!」
駆けつけてきたのは風竜族長のリヴァルだ。族長直々にやってきたというのは、それだけ重大事態なのだろう。何事か尋ねたカズミだったが、彼の口からとんでもない知らせがもたらされた。
「カルディア軍が…………シエナ領を『北上』しています! 東進の気配がありません! 奴らは我々の予想進路を大きく外れています!」
「…………………わかった、至急各竜族長と領主たちをグレーシェンに招集だ」
何もかもが順調に行くはずだったが、どうやら暗雲が立ち込めてきたようだ。
ケセルダ トルバドール11Lv
25歳 男性 人間(グレーシェン人)
【地位】エスメラルダ隊隊長
【武器】スワティカの杖
【好き】卵焼き
【嫌い】鎧
【ステータス】力:15 魔力:15 技:15 敏捷:14 防御:8
退魔力:10 幸運:5
【適正】統率:C 武勇:C 政治:D 知識:C 魅力:D
【資質】火 氷 風 土 木 海 雷 神 暗
☆ ― ○ ― ― ― ― ― ―
【特殊能力】耐火性(弱)
グレーシェン領主クーゼの配下。領主とは幼いころからの知り合いで、今でも彼の右腕として活躍する。
戦闘力も、国内ではクーゼに次ぐ実力を持っており、精鋭部隊『エスメラルダ』の隊長を務めている。
性格は魔術士にしては珍しく実直で、細かいことを気にしないタイプ。おまけに、術士の癖に毎日筋トレをしていて、殴り合いになっても比較的強い。
もっとも、術杖くらいしか使える武器がないためステータス的に持ち腐れ気味。体格はいいのにクーゼと同じく鎧を嫌うなど、なかなかあまのじゃくな人物である。
資質:隠れた天才。火の資質が非常に強く、そのせいかちゃっかり耐火性まで獲得している。本人には今のところ、竜術士になる気はないが、その気になれば火竜神官長を目指せる逸材である。