第21期:秘密の襷リレー
今期の一言:戦争が欲せられたものではなく、つねに余儀なくされたものだと思うがゆえに、戦争の聖なる旗印を自分の回りにさがす。
――アラン 「人間語録」
グランフォード大陸は夏を迎えた。
少し前までのポカポカ陽気は、いつの間にか焼け付く熱気へと変わり、小鳥たちの囀りは、夏虫たちのさざめきへと取って代わられた。
春から夏に移り変わる間に各国の情勢も刻々と変化している。
シエナは約一か月前にルティックの首都ザッヘルベルを落としたものの、予想に反して反シエナ同盟軍は瓦解することなくいまだに抵抗を続けている。シズナの故郷ミラーフェンを征服したセスカティエは、勢いに乗じてミラーフェンの北方の隣国ベリサルダを攻撃し、その首都ウルゼムトを包囲。セスカティエの侵略行為に、セスカティエの西の同盟国であるユックルがベリサルダを救うべく援軍を向かわせ、
両軍は現在ベリサルダ国内で一触即発の状態にあるという。西の大国コルプラントは、国内での反乱と支配地域での勢力独立が相次ぎ、国難が続いていた。しかしながらアルヴィオン半島と呼ばれるグランフォード極西地域でも、大国コルプラントの圧力が緩むと同時に小国間の軋轢が増大し、これまた各地で紛争が絶えない状態となっている。
竜王の復活以来、混乱が絶えないグランフォード地方であったが、
ここでもう一つ、この混乱に一石投じようとしている国があった。
教皇領である。
「聞いての通り、我々聖騎士隊は10日後に、竜王討伐に向けて出撃する!彼らの侵略はグランフォード大陸の一部に及んでおり、果ては国一つが丸ごと滅亡するという事態になった!以前向かった討伐体は勇敢に戦ったが、目的を達することなく果てることとなった!しかし彼らの努力も無駄ではなく、竜王はいまだ本来の力を取り戻せていない!諸君、いまこそ聖戦の時だ!古より蘇りし邪悪なる竜王を討つのだ!諸君には神の加護がある!諸君には鍛えられた勇気がある!恐れることはない!諸君は後まで語り継がれる英雄となるであろう!!!
Maritus Vis Nobiscum《神は我らと共にあり》!」
『Maritus Vis Nobiscum《神は我らと共にあり》!!』
…
「今帰った」
「お帰りなさいましご主人様」
教皇領の居住区の一角、十二司教と呼ばれる偉い人の一人であるニコラオスの屋敷。重要な集会を終えて帰ってきた彼を、玄関で侍女の一人が迎え出た。
「ようやく始まるのですね、第二次竜王討伐作戦が」
「うむ。前回の失敗は我々にとって痛手であった。神に選ばれし勇者とベテランの聖軍を数多く失い、カルディア聖王国も大損害を被ってしまった……神竜族たちからは竜王が復活することは有り得ないと言われていたにもかかわらずこのざまとは…」
「では、討伐のめどは立ったのでしょうか?」
「正直不安ではある……」
ニコラオスは、羽織っていた外套を別の侍女に渡すと、そのまま居間に入り、疲れた体をふかふかのソファーにゆっくりと沈めた。そして先ほど迎え出た侍女が、用意してあった香草入りのお茶を差し出すと「ありがとう」と一言言って受け取った。
「人員こそ前回の倍近く用意したのだが、その半分はここ三か月で急造した新兵だ。作戦も相変わらずひたすら竜都を目指して進軍するというだけ……。前回は山地で奇襲されたということを教訓に、地術使いも大量に配備したのだが、もう少し何とかならなかったのかという気持ちはある。だが竜王は復活してから着々と力をつけてきている。このままではシエナまで奴らの手に落ちかねない。出来るだけ早く討伐しなければならないのだ」
「おっしゃる通りです。神と人に仇なす竜王は一刻も早く打ち滅ぼさなければなりません」
「うむ。その通りだ。今度こそ失敗は許されん。我々聖軍2000人は神の意向の下に邪悪な竜どもを打ち砕く!」
普段の仕事でストレスが溜まり気味のニコラオスは、侍女に対して長々と雄弁に演説を続ける。そんな彼を侍女は嫌な顔一つせず、すべて肯定しながら最後まで話に付き合った。
(これですべて確定ですね…)
その夜、ニコラオスの相手をし終えた侍女は自室に戻り、薄いパピルス紙にペンを走らせていた。闇を照らす術道具の明かりの下、彼女はかなり長めの文章を一心不乱に記してゆく。一枚では収まりきらず、四枚五枚と増え続け、最終的には十枚もの膨大なレポートが完成した。彼女がすべてをかきあげたころには、東の空がわずかに明るくなっていたという。
そして次の日。
「ちわーっす!ミカエラ屋でーすっ!お野菜をお持ちしましたーっ!」
「あらごきげんようミカエラ屋さん。ご苦労様です」
屋敷の主人が今日も仕事で教皇庁に向かった後、定期的に顔を出す御用聞きの八百屋が訪問してきた。それを出迎えたのは、件の侍女。この屋敷にはほかにも侍女は何人かいるが、彼女はこうして来客関係も一手に引き受けているようだ。二人は、慣れた感じで値段交渉を済ませると、さっそく本題に入った。
「いつもありがとうございます、どれも新鮮そうで素晴らしいですわ。またよろしくお願いいたしますね」
「こちらこそ、いつも御贔屓にしていただき頭が上がりませんや!」
「そうそう、ついでにこちらを店主様にお渡しください。『ご主人様からのリクエスト』ですの」
「承知いたしやした、お預かりいたします」
そう言って侍女が何気なくミカエラ屋に渡したのは、夜の間に完成させたあの書類の束。ミカエラ屋もそれをごく自然に受け取って、肩掛け鞄にしまった。
「ではまた三日後に」
「また来てくださいね」
こうしたやり取りの後、侍女は裏口からミカエラ屋を見送った。裏口には衛兵が左右に二人ほど立っていたが、見慣れたやり取りなので特に気にすることなく、むしろミカエラ屋からサービスとしてもらったリンゴを齧りながら微笑ましく見ているだけであった。
(……これで私の役目も一段落、ですかね)
彼女は一瞬黒い笑みを浮かべたが、誰にも見せることなく消して、アクビ一つした後いつもの仕事に戻っていった。
…
ミカエラ屋は教皇領がある『神の島』の東海岸に店を構えている。
教皇領における生鮮食品を輸入する権利を得ている巨大な商店であり、店に接続している桟橋には毎日のようにカルディア聖王国から生鮮食品を満載した船が入港している。その莫大な利益でどんどん商売の手を広げているのだが、それと同時に
商売で得た利益の多くを慈善事業に投資しているといううわさもある。現に商会長は屋敷を持っておらず、商店に居を構えており、贅沢もほとんどしないのだとか。
しかし、それはあくまで表の顔。
「商会長、オルガからつなぎを持ってきました」
「ありがとう、見せてもらってもいいかしら」
ミカエラ屋の商会長ミカエラは、クリーム色の緩いウェーブがかった髪に、上品な物腰のやや年配の女性である。彼女は先ほどの屋敷に出入りしていた商人からレポートの束を受け取ると、すぐに目を通し始めた。内容は主に教皇庁が編成している聖軍についての内部機密情報で、兵士の総数や装備の内容、指揮官の人物に至るまで事細かに記されていた。件の侍女……オルガがすべて主人から聞き出したものなのだから、凄まじい情報収集能力と言えるだろう。
「ふむ……どうやら神族たちもすっかり慌ててるみたいですね。教皇領の意地をかけた総攻撃と言ったところでしょうか」
「なぁに、今度もまたアルムテンの険しい山岳地帯でコテンパンでさぁ。失敗したら二度と立ち直れねぇでしょうよ」
「油断は禁物です。彼らは腐っても神族ですから……同じ失敗を繰り返すことはしないでしょう。後は竜王様の手腕に期待しましょうか。そのために私たちもせっせとお金を稼いでるのですから……ねえ!あなた!」
「おうよ、呼んだかミカエラ!」
レポートに目を通し終えた彼女は、隣の部屋にいた自身の旦那を呼んだ。部屋に来たミカエラの夫は、一言で云うと「超イケメン」。もさっと広がる青い天然パーマの髪に、細い体と長い手足という抜群のプロモーションの持ち主だ。
「これ、オルガからの最終レポートよ。至急届けて頂戴」
「おっけーぃ!お安い御用だ!夕飯までにはかえってくるぜーっ!」
「ふふふ、お願いよ♪今日はアナタの大好物を用意して待ってるからね♪」
若干の惚気の後、レポートをバトンのように受け取った彼は、術を使ってレポートに厳重な防水処置を施すと、店舗の中庭にある噴水に勢いよく飛び込んでいった。
「ごくろうさま、重要任務大変だったでしょう。この前カルディア買ったお菓子があるんだけど食べる?」
「いえ商会長……お砂糖はもうお腹いっぱいでさぁ…」
「?」
…
噴水から飛び込んだミカエラの夫…海竜のロダンティ。
彼は足をマーメイドのような魚型の尾びれに変えると、凄まじいスピードで排水口から海へと出ていった。ミカエラ屋の噴水は海竜がコッソリ教皇領へ上陸するためのカモフラージュだったのだ。それだけではない、ミカエラ屋自体もアルムテンの息のかかった組織であり、商売で得た資金をこっそりとアルムテンまで運んでいる。それと同時に、なかなか手に入らない教皇領やカルディアの諜報にも携わる、高度な諜報組織でもあるのだ。
ロダンティが手にしたレポートは、3時間ほどかけてブランドルの首都ドラストール郊外にある小さな漁村まで運ばれる。その漁村の一角に関係者しか知らない竜族の拠点があり、隠居老人という名の連絡員が住み着いている。以前はこの拠点がシエナにあったのだが、ブランドルが竜族の属国となってからはこちらに移った。
「よう、久しぶりだなロダンティ!奥さんとは元気でやってるか!」
何の変哲もない民家のドアを開けると、高価そうな椅子に一人の老人が猫を膝の上に載せて座っていた。
「当たり前よ!俺にとってあいつは宝物だからな!それよりも、竜王様にこれを届けてほしい」
「よし受け取った。いよいよ奴らも動くか」
「何しろ竜王様の勢いは北方海域の海流の如く、止まるところを知らないと来た。
奴らが危機感を抱くのも当然のことだろうよ」
「まったくだ。よし、せっかく来たんだ、酒飲んでくか?エオメルの蜂蜜酒が手に入ったんだ」
「生憎さま。家で妻と妻の手料理が待ってんだ、ジジイと酒飲んでる暇はねぇってもんよ」
「…………お前、今度から酒のません。」
「はっはっはー!そういうなって、また今度時間が出来たら飲みに来てやるよ不良隠居!じゃーな!」
そんな乱暴なやり取りの間に、ロダンティはレポートを老人に手渡すと、出された酒も飲まずにさっさと帰って行ってしまった。
「けっ……色ボケ竜め、ワシだって800年前まではあいつのとは比べ物にならんくらい美人の嫁さんがいたのだがな…」
そんな彼は地竜であった。
暫くすると、またしても民家を訪れる者が来た。
「こんにちわーっ。おじいちゃん生きてるー?」
「生きとるわい。来るたびにいちいち生存確認しやがって……」
入ってきたのは風竜ミュニ。以前の話にも出てきた対外交渉役である。彼女をはじめ何人かの対外交渉担当の竜は、何日か置きに定時連絡のためにこの小屋に来なければならない。今日のように重要な報告がいつどこから来るかわからないからだ。
「おほん、今日はお前に重要な役割があるからよーく聞くように……」
「あ!蜂蜜ジュースがある!ちょうど喉が渇いてたんだ、イタダキマース!」
「お、おいこら!それは酒じゃ!」
「あー!おいし!ごちそーさまっ!」
「このバカ全部飲みやがって…」
ところが、来て早々ミュニはロダンティが飲まなかった蜂蜜酒をジュースと勘違いして、瓶一本丸々一気飲みしてしまったのだ!いくら人間よりアルコールに耐性がある竜と言えどもただではすまない。
「とにかく!これだ、このレポートを至急竜王様まで届けるんだ!途中で絶対になくしたりするなよ!」
「うん、これを持っていくだけでいいんだね?りょーかい!」
「………一応簡単な写しを作ったとはいえ不安だな。とにかく頼んだぞ」
ミュニを送り出したのはいいものの、若干不安がぬぐえなかった。
…
結論から言って、その予感は正しいものとなった。
「こーんにーちはー」
「おっと、なんだ風竜か!いきなり窓の外から声が聞こえるから驚いちまったぜ」
ブランドルの首都ドラストール中心部にある政治機関の三階の窓から、なぜか先ほど伝令として飛んで行ったはずのミュニが断りもなく入ってきた。しかもそこはブランドル元領主であり、今もこの地域の行政を監督しているクーゼの執務室だ。
クーゼはちょうど部下二人と打ち合わせしているところであり、突然の侵入者に驚いたが、相手が風竜だとわかると、やや諦めの表情を見せた。
「今度竜王様には風竜が窓から入ってこないようにしてほしいと進言しておこうっと。それで、俺に何か用か?」
「ううん……なんかね、さっきから凄く眠くなっちゃったの。だから寝れる場所を借りたいの」
「なんだそんなことか」
そしてこの要求である。宿屋借りて寝ろよと言いたいところではあったが、それはそれで面倒くさそうなので、殆ど使用されていなかった仮眠室を貸してやることにした。部下に案内させると、ミュニはすぐにベットの上にうつぶせになって眠ってしまう。
「ったく、あんなのでも俺の数倍は長く生きてるんだろうな。俺も竜に生まれたかったぜ」
「クーゼさま何かにつけてそう言いますよね」
「羨ましいものは羨ましいんだ」
この短期間で様々な竜と交流してきたクーゼであったが、いくら優秀と言えども人間の身である彼にとって、竜の圧倒的な力にはただただ驚嘆するばかりだった。最近は自分も海竜たちの協力で、竜の力を部分的に操ることに成功しているが、それでもまだ人間としてのコンプレックスは非常に強い。「俺も竜に生まれたかった」という言葉も、すっかり口癖と化した。
「閣下、少しよろしいですか」
ここで、先ほどミュニを仮眠室に案内した部下が戻ってくる。
「彼女は寝たか?」
「ええぐっすり。それよりも閣下にお見せしたいものがありまして。こちらです」
「なんだこれ、伝令文章か?勝手に見ちゃまずくないか?」
彼が手にしていたのは、先ほど地竜から受け取った例のレポートだった。一応クーゼもアルムテンの一員ではあるのだが、竜同士の伝令内容を勝手に覗いて罰が当たらないかどうか若干不安だった。だが、部下はすでに内容に目を通してしまったらしい。
「私も見た時は驚きました……。いえ、その記載されているという事実よりも、
竜たちがここまで高度な情報網を持っていたとは。」
「確かに………。いや、教皇庁が竜王討伐に乗り出したってのも十分大事だろうが」
「で、クーゼさま。どうします?」
「どうしますも何も、早く戦の準備はしといたほうがいいだろうな。幸いこっちには海竜がついてるんだから、傭兵は雇う必要はないだろうし」
「それもですが閣下、これは少し考えものかもしれません」
「…………何がだ?」
ここで部下の一方が何やら意味深なことを言い始めた。その意味を理解できないほどクーゼもバカではないが、あえてわからないといった態度で部下に詳しい説明をさせることにする。
「偶然とはいえ、今我々はアルムテンの急所の一部をつかんでいます。ひょっとすれば……竜の支配から抜け出すチャンスかもしれませぬ」
「ちょっとまった!竜の支配から抜け出す?本気で言っているのか!?」
もう一方の部下もようやく分かったようだが、彼はその意見に否定的だ。
「よくよくお考えください閣下、我らはこのままでは一生竜の下僕です。恐らく本格的な他国への侵攻が始まれば我らが真っ先に正面に立たされ、国民の生命をすりつぶさなければならなくなります。いえ、この書面が本当であればすぐにでも我らは教皇庁の聖軍から竜を守る肉壁とされることでしょう。ところが今、我らの手には重要情報が握られているのです。上手くすれば、人間文化に返り咲き、独立できるのではないかと」
どうやら彼は、現状の竜の支配に不満を持っているらしい。一応カズミの方針で、大半の権限はいまだにクーゼが持っているし、竜たちにも属国に横柄な態度で接しないようにときつく言ってあるが、未だに属国の中には竜の下に付くのが嫌だという人間は多数いる。それでも人口流出がほとんどないのは、単純に隣国がほとんど内戦状態であり皮肉なことに竜の支配下にある国が最も安全性が高いからである。
彼としては、これを機にうまい具合に教皇庁やカルディア聖王国に寝返り、情報を提供することで彼らの支援を行うことを想定している。聖軍が竜王を倒すところまでいかないまでも、竜の勢力圏を再び山奥まで押し戻すことが出来れば、竜の支配からは解放され、もっと上手くいけばグレーシェンやイスカなど、今現在竜の支配下にある他の国の領土を奪い取って、この国をもっと強大にできるかもしれない。
だが…
「無理だな」
「閣下!?」
クーゼは部下の皮算用をバッサリ切り捨てた。
「考えてみろ。仮に俺たちがこのレポートを隠したら、あの風竜の嬢ちゃんにすぐに問い詰められる。当然だ、寝てる間になくなったんだから俺たちが一番怪しいに決まってる」
「…そこを何とかごまかして」
「ごまかして帰ってもらうと。だがまず第一にあの嬢ちゃんだって伝令の内容はある程度承知しているはずだ。少なくとも、教皇庁が攻めてくるってことだけでも
竜王様にとっちゃ十分な情報だろう。敵が多くても少なくても全力で迎え撃つのには変わらないんだからな。逆に俺たちがこれをシエナやカルディア、または直接教皇庁に送ったとしてもぶっちゃけ奴らに有利になる情報は殆ど書いちゃいない。せいぜい、お前らの中に密偵が入り込んでるぜっていう警告くらいにしかならないだろう。下手すればそのせいで、今回の竜王討伐は中止なんてこともあり得るからな。ま、要するに俺たちがこの書類をいじるのは、百害あって一利なしだ。こんなしょうもないことで竜王様を怒らせるのはバカみたいだろ?」
「ぐっ…た、確かに……」
「それに…だ。お前は教皇庁が味方になってくれると思っているようだが、とんでもない。奴らはすでに俺たちのことを竜とその一味くらいにしか見てないぜ。今更ごめんなさいしたところで、今度は教皇庁かあるいはカルディアの下僕だ。またせっせと宗主国様に貢物を送る日々が始まるんだろうな。それに比べれば………カズミ様の下で働く方が何百倍もマシだろ。少なくとも今のところはな……」
クーゼ自身、竜の支配下に置かれた今のブランドルを快くは思っていない。しかし、だからといって勝ち目の薄い賭けに出る気はない。
「そんなわけでこの話は聞かなかったことにする。だが……お前もこの国を思って
その意見を出してくれたのだから、今後気に病むことはないぞ」
「はっ…」
「分かったらこの書類は早く元に戻しておけ。そうしないと―――」
「クーゼさーん♪お仕事終わりましたか~?」
「ヤベッ!?」
と、まさに絶妙なタイミングで現れたのは海竜族長リューシエだ。
「あらクーゼさん、ヤベッっとはなんですか?何か私に隠し事をしているのではないですか?」
「あーいやいやいや…ちょっと今部下の手紙を勝手に見てしまって、こいつらに叱られていたところで…」
((閣下…そりゃないですよ……))
慌てて取り繕うクーゼであったが、部下にしてみればもう少しましな言い訳はなかったのかよと猛烈に突っ込みたいところであった。しかし彼は、呆れている部下に対してアイコンタクトで「早く証拠隠滅しろ」と指図すると、これ以上疑われないために自らリューシエに絡みに行くことにした。
「し、仕事の方は今終わったところだ!待たせてしまって悪かったな!」
「そうですよ~、本当は一日中クーゼさんと過ごしていたいけどもクーゼさんだって領主のお仕事があるでしょう。ずっと我慢してたんですから、きちんと付き合ってくれないとメッですよ」
まるで甘えるようにクーゼにすり寄っていくリューシエ。大きくて柔らかい胸が腕に押し付けられ、物欲しげな瞳が心を貫こうとしてくる。この状態が少しでも続いてしまえば、脆い人間の理性などあっという間に消し飛んでしまいかねない。
「わかった…!わかったから!お詫びにこの後命一杯つきあってやるから!そろそろ仕事場まで乗り込んでくるのはやめよう、な。竜王様に怒られても知らないぞ。」
「よろしい♪ふふふ、しっかり付き合ってもらいますからね♪」
ちなみに付き合うというのは、海竜術の術練習のことを指す。まあもっとも、リューシエにはそれ以外の邪な目的も大いにあるのかもしれないが。
…
そんなこんなで次の日には、件のレポートはリノアンを経由してカズミのもとにたどり着いた。
「よっしゃ!久々の戦争だ!俺のドラゴンハートが唸りを上げるゼ!」
「戦争は本当はいいものじゃないんだけどねぇ」
カズミがレポートを受け取ったとき、たまたま雷竜族長レーダーがいた。戦闘狂レーダーは、教皇庁が喧嘩を売ってきたと知ると、まるで子供の様にはしゃぎ始めてしまった。
「お任せください竜王様!俺の手にかかれば聖軍どもなど木っ端微塵!爆発四散!サヨナラ!ってもんです!」
「その前にまず作戦会議だ。今日から当分サッカーは中止にして、対教皇庁戦略の策定をしなきゃね」
「えーっ、サッカーくらい、いいじゃないですか!」
「文句言わない。リノアン…リヴァルを連れてきて。それと外に出てるセルディアとサーヤを至急呼び戻すように。」
「かしこまりました」
(思っていたよりも遅かったね。けれども…こっちもまだ万全ってわけじゃないけど。)
一応カズミもいつかは来るだろうとは思っていた。しかし、カズミにできることはあまり多くない。限られたリソースをうまく使うことが最も重要になってくるだろう。
「それとレーダー」
「はっ!なんですか!」
「明日から君らには特別訓練を受けてもらうつもりでいる。覚悟するように」
「特殊訓練!強くなれるんですよね!のぞむところだぜーっ!!」
「大したやる気だね。期待しているよ」
この時カズミは普段見せないような不敵な笑みを見せた。どうやらカズミはこれから本格的に、軍人的な指導を始めるつもりらしい。カズミの仕事の負担も工夫に工夫を重ねてようやく減ってきたところだ、ここらで竜たちの戦い方を効率化しようというのだろう。
レーダーがカズミの執務室から退室するのと入れ替わるようにして
今度は風竜族長リヴァルが入室してきた。
「お呼びですか竜王様」
「ああリヴァル。さっきミュニからこれが届いたんだ。目を通してくれるかな」
「拝見いたします。ふむ……教皇庁が聖軍を派遣してくると…。しかも現在進行形で起こっている四国の乱をまるきり無視する形で、ですか」
「細かいところは追々会議で詰めることにしよう。それよりも僕としては驚きなのは、知らないうちに風竜がこんなすごい諜報網を持っていたことだよ。いやー、君たちも情報の大切さを分かっているんだね。感心しちゃったよ」
「…え?」
「え?」
「竜王様…僕たち風竜には残念ながらこんな細かいことまで調べてくる奴はいないんですが」
「あれ、君たち風竜が独断で調べてきてくれたんじゃなかったの?」
ここで恐ろしい事態が発覚した。
竜王カズミも風竜族長リヴァルも、この高度な情報網の存在に今まで気づいていなかったのだ。少なくともカズミは、諜報部員の育成はかなり時間がかかると見込んでいたし、リヴァルにしても大雑把な風竜がここまで綿密な情報網を持っているとは思っていない。
「じゃあ……一体どうしてこんな情報が…?」
「リノアン、すまないが後でミュニをもう一度呼んできてほしい。まさか彼女が独自に調べたとは思えないんだけど」
「かしこまりました」
その後、カズミとリヴァルはひそかに謎の諜報ルートの解明を試みたものの、結局その正体は今後長きにわたって判明することはなかった。
どうやら、この国にはカズミの知らない暗部が数多く残っているようだ。
登場人物評
ミュニ 風竜族Lv10
約72歳 女性 竜族
【地位】外交官
【武器】手投槍
【特技】歌唱(風竜トップクラスの歌声の持ち主)
【ステータス】力:10 魔力:18技:13敏捷:27防御:8
退魔力:11幸運:17
【適正】統率:E 武勇:C 政治:D 知識:D 魅力:B
【特殊能力】鼓舞 耐雷性(小) 絶対音感
いつも笑顔な風竜の女の子。表裏のない性格ゆえに、年齢よりも幼く見えるが、それが相手の警戒心を解き、結果誰からも好かれるアイドル的存在である。彼女の仕事は主に対外交渉役であるが、大雑把な風竜の性格に輪をかけて単純なので、運搬や伝言くらいしか任せてもらえていない。彼女はそのことについて特に不満とは思っておらず、まるで郵便屋のように今日も明るい笑顔で手紙と品物と癒しを届けに東奔西走している。
ちなみに、例の機密文章を届ける最中にブランドルで昼寝したことがカズミにばれてしまい、こっぴどく叱られたそうな。
歌が抜群にうまく、一度おぼえた歌は絶対に忘れないという才能を持つ。
時折カズミが不意に口遊む歌を記憶し、それを友人たちに披露することが
最近の彼女の楽しみになっているらしい。




