プロローグ:届かない祈り
アルムテンよりはるか南方、地中海のような内海を超えた向こうに、人類の中心と言われる超巨大国家が存在する。
『カルディア聖王国』
かつて魔王を倒した勇者が建国したという歴史を持つこの国は、すでに建国から500年以上と非常に長い間存在し続けている。多少の栄枯盛衰はあったものの、3代前の国王の時代にその版図は最大になった。
豊かな国土、豊富な人口、強力な軍勢、進んだ技術
どれをとっても超一流の文字どおり超大国
それがカルディア聖王国。
…
「で、その超大国の『自称精鋭』たちは無様にコテンパンにされたそうだな」
「あのですねアルレイン殿……あまり辛辣な言い方をしないでいただけないかと」
「事実を云って何が悪い。あのバカどもは時間がないから急げと教皇領から言われていたにもかかわらず、のんびりと時間を無駄にした挙句、結局準備不足で何の戦略も作戦もないまま無暗に突っ込んで………虎の子の勇者パーティーを5組も無駄死にさせやがって」
ここはカルディア聖王国首都アルテナにある、中央軍司令部の一室。
部屋中資料用の書籍と書類で埋め尽くされた部屋の中、まるで天使のような美しい白磁のような肌と柔らかな金の髪の人物――――アルレインが、部下から受けた報告を聞いて、姿に似つかわしくない乱暴な口調でまくしたてる。
「連中は何て言っている」
「……詳しくはこちらの書簡に詳しく記載されていますので、目をお通しください」
「どれ」
彼は書簡を受け取り、その中身を確認すると、また露骨に嫌な顔をした。
「増援要請に兵糧と物資の追加輸送、さらにもっと腕の立つ勇者をよこせとは。まったくもって呆れた連中だ。正直俺としてはグランフォードの国々の反感を買う前に、一旦体勢を立て直すのが一番だとは思うんだがな。でもどーせ、あの性根の腐ったカバ宰相が二次派兵を決定しちまうんだろうよ。やってられるかってんだ」
「あーあ、アルレイン殿がグレた」
今からおよそ2か月と少し前に、グランフォード地方のある国の王女が竜に攫われ竜王復活のための儀式が行われようとしていることが、この国にまで伝わった。
その結果、竜王の復活を阻止すべく聖王国からも軍を派遣することが決定されたのだ。しかし…………長年の平和でこの国の組織はかなりの腐敗が進行しており、貴族から軍部に至るまで自分の利益しか考えない集団になりつつあった……
そのため初動は遅れるわ軍備は整わないわ、おまけにそれらの準備や責任はアルレインをはじめとする下部組織に丸投げするありさま。それでもこの時代にはまだ有能な人材も多数いたため、短期間で何とか軍の編成を終え遠くアルムテンのちに軍を派遣することが出来たのだ。
が、そのあとは散々であった。
カルディアの遠征軍は最高司令官が無能だったためグランフォードへの到着が大幅に遅れ、余裕を持って積み込んだ兵糧や物資を無駄に浪費した上、共に戦ってくれるグランフォードの国々を無許可で略奪。
挙句、攻め込んだ先のアルムテンで急峻な地形に阻まれて二進も三進もいかなくなったところに、雷竜族長レーダー率いるアルムテン守備隊の襲撃を受け、何の収穫もないまま大敗北に終わった。
ただでさえ上層部の行うはずの仕事を押し付けられて死ぬほど忙しいアルレインをはじめとする若い軍務官たちが、必死になって用意した遠征軍はすべて無駄になってしまったのだ。文句をダース単位でぶつけてやりたいところである。
「だが…………そうなると却って急いで増援を編成しないとまずいな」
「へ? やる気なのですか? アルレイン殿のことですから、増援なんて送っても無駄だって言うと思いましたが」
「違うな。正確には攻撃を続行するためじゃなくて、これ以上遠征軍を暴走させないようにしながら、撤退させるようにするためだ」
「つまり……どういうことでしょうか?」
「分からないのか、まあ仕方がない教えておいてやろう。遠征軍の総大将……シシュポスは今回の戦いで何の成果もあげていない上に兵士を多数と勇者パーティを5つも壊滅させてしまった。もしそのままおめおめと王都に帰ってきたら、将軍の処遇はどうなると思う?」
「………まずまちがいなく重罪か下手をすれば死刑です」
「その通り。将軍だってそれは分かっているだろう。責任問題だ。だが、奴が素直に敗戦の責任を負うことはまずないはず……」
するとどうなるか。
まず、遠征軍は今、軍需物資が底を尽きている。それを補うために今頃再び略奪に走っているだろう。
さらに、下手をすれば無理にでも成果を上げるために、今回の遠征に非協力的だった国を難癖をつけて攻撃する可能性が高い。そのあとの展開はもう考えたくもなかった。
「まあいい。どうせ増援は決定事項になるはずだ、正式な事例が下るのを待ることはない。すぐに軍需物資の手続きを始めておくよう各担当に通達しておく」
「かしこまりました!」
報告を終えた士官は、書簡をアルレインに渡し終えると次の仕事を受けて駆け足で次の部署へ向かった。
「ったく、今日からまた何日か徹夜だな。ただでさえ最近はよくない報告がいくつも上がってきて忙しいというのに。最後に家に帰ったのはもう何か月も前の話か…………ヒドイなこの職場」
文句を言いつつも、やれることはきちんとやるのがアルレイン。
机の上に山と積まれている書類を慎重に床の空いているスペースに移動すると、棚から新しい資料を抜いて机の上に積み上げていく。
「竜王か…………まさか俺が生きているうちに復活するとは、運がいいんだか悪いんだか。出来ることなら一度この目で見てみたいものだ。確か伝承によると、古代の竜王は破壊の力を司り、その大きさは山に匹敵するのだとか。どこまでが本当かは知らんがおそらく想像を絶する強さに違いない。…………勝てるか? いや、現に5000年前には勝てたから不可能ではないはず」
今でこそ書類の山と格闘する毎日だが、彼自身は前線に出て暴れまわる方を好む。剣の腕も王国で彼に勝てるものはそうそういないだろう。それほどまでの才能を持ち尚且つすぐれた戦略眼があっても、残念ながらこの国では直接出世にはつながらない。彼自身、まだ若いというのもあるかもしれないが。
そんな感じで、アルレインが悶々と作業に没頭し始めたところに、バターンと大きな音を立てて執務室の扉を開き、何者かが部屋の中に入ってきた。
「おにーちゃーん、ただいまー♪」
「テミス、ノックしろといつも言っているのが分からないのかお前は。それとここは家じゃないんだからおにいちゃんて呼ぶな」
「はい、ごめんなひゃぃ…………」
部屋を出て行った士官の代わりに入ってきたのが、見た目まだ子供の女の子。
しかしながら、立派な装備に身を包み、立派な剣を携える彼女は、王国で最も若い勇者であり、そしてアルレインの妹である。
名前はテミス。
やや褐色に近い飴色の肌にツインテールにまとめた桜色の髪の毛など、パッと見で二人が兄妹とはとても思えないが……
「それよりもお兄ちゃ…じゃなくてアルレインさん、聞いた? 竜王が復活したんだって!」
「とっくに聞いてる。それだけのために来たのかお前は……」
「だって……アルレインさん全然家に帰ってこないんだもん。こうでもしなきゃ会えないじゃない!」
「ふん、お前も勇者になって立派になったと思ったが、まだまだ子供だな」
「いいもん……私はまだ子供だもん」
実際彼女はまだ14歳。中学二年生くらいの年齢だ。
こんな歳の子も戦うことになるのは、なかなか不憫でもある。
「だがな、もしかしたらもう俺は家に帰らないかもしれないな」
「え~なんで~!? たまにはおうちでゆっくり過ごそうよ~。そのうちアルレインさん仕事のし過ぎで死んじゃうよ~」
「いや……もうそれどころじゃないかもしれないんだ」
「……それって」
「俺にはなんとなくわかるんだ。今回の竜王復活は始まりに過ぎない……。恐らくこの世界は再び終わりの見えない大戦乱に巻き込まれる可能性がある。とりあえず、次の遠征軍は兵にはまず間違いなく俺の名前が上がるだろうし」
「やだ! そんなのやだ! お兄ちゃんが行くなら私も行く!」
「やれやれ……」
聞き分けのない妹をなだめつつ、アルレインは自分の予感が当たらないことを祈った。
今まで自分の願いを、何一つ聞き入れてくれなかった神々に対して……