はじまりはじまり
今期の一言:国境の長いトンネルを抜けると雪国であった 川端康成
昔々のこと。私たち竜を崇拝する民は、数少ない竜たちの生き残りとともに、世界の各地にささやかな国を作って生活していました。
しかし、人間の勢力と魔族の勢力に押された私たちは、かつて竜族が繁栄していた地にアルムテンという国を作り、十分な力を蓄えたのち、約5000年前に封印された竜族の長『竜王』様を覚醒させるべく、ある国からお姫様を攫い、復活の儀式を行いました。復活を阻止するために人間たちはあらゆる手段を講じましたが、ことごとく失敗に終わり、ついに竜王様は5000年の時を経て復活したのでした。
しかし、竜王様はなんと、別の世界から憑依した魂によって復活なされたそうなのです。
驚き戸惑う竜王様でしたが、山積みの問題と敵に囲まれた状況に一念発起し、私たちアルムテンの民が再び平和に暮らせるよう尽力することを決意なされたのでした。
アルムテン書記官 氷竜リノアン ここに記す
それは今から200年前の話。
ボソボソ…… ボソボソボソ……
ボソボソ…… ボソボソボソ……
…………て
(う、ん…?何か聞こえる…?耳鳴り?いや、お経だろうか…何言ってるんだか、さっぱりだ。…しかし、ひどく耳障りだ。まるで…耳元で蠅や蚊が何匹もやかましく飛び交っているような)
ボソボソ…… ボソボソボソ……
ボソボソ…… ボソボソボソ……
…………がい
(うぅ…うるさいったらありゃしない。まったくなんなんだこの音は。…っと、あれ?おかしいな?体が動かないぞ?しかも何も見えないじゃないか。お経みたいな音はどんどん大きくなってるし…)
ボソボソ…… ボソボソボソ……
ボソボソ…… ボソボソボソ……
…………きてください
(あれ?女の子の声まで聞こえる? て? …がい?)
おねがい……はやくでてきて…ください
(あーーーーーっ!もう限界! 動け! このポンコツの身体!動けってば! せいやああぁぁぁぁぁっ!!)
ガシャーーーーーン!!
強烈な光。何かが割れるような音。そして宙に放り出されるような感触。とっさのことに戸惑いながらも、なんとか地面に着地する。
「………ふ、ぅ…っ!」
「竜王様の封印が解かれたぞ!」
「おおっ!ついに…ついに私たちの時代が!」
「竜王様万歳!!」
『万歳!』『万歳!』『万歳!』
地面に降り立った途端、周囲から大きな歓声が上がる。重度の貧血のような視界のゆがみと極度の近視になったようなぼやけで周囲の様子が全く分からない。だが、少しずつ時間が経つごとに目の前がはっきりしていくようだ。
ま るでドーム球場のような広さの石造りの大広間には、ファンタジー映画に出てきそうな衣装で着飾った人々であふれ、なにかとても嬉しいことが起ったのだろうか、満面の笑顔で万歳三唱を続けていた。
(ええっと、ここどこ?そもそも何でこんなことをしてるんだろう?あれ?あれれ?)
一応脳は目の前の光景を理解しているのだが、意識が事実の受け入れを徹底拒否するためただただ唖然としているほかなかった。
「竜王様、よくぞお目覚め下さいました。我らはこの時を長らく待ちわびておりました」
と、自分の目の前にいた神官らしい服装に豪華な装飾が施された大きな杖をもった老人がその場で跪き、恭しく一礼した。
「…竜王?」
一体何のことかと首を傾げる。
「はい。封印が施されてかれこれ5000年…ようやっと我ら竜族は力を取り戻しました。復活の儀式には様々な妨害が予想されましたが、思いのほか早く―――」
おかしいな。日本語を話しているはずなのに意味が全然理解できない。封印?竜族?儀式?なんのこっちゃ?相変わらず上の空だったが、ふと視線を横に向けたところ…………
ドレスを着た女の子がすぐ近くの床の上にぐったりと横たわっているのが見えた。
「―!!そこの君!大丈夫かい!」
「であるからにしまして竜王様のお力は…、竜王様!?」
おじいさんの話をまるきり無視して倒れている女の子の下に駆け寄る。見た目歳はまだ二十歳になっていないくらいの若さで、人形のような白く儚い肌に、やや細身の体系。それに生まれて初めて見る紫色の髪の毛。抱え起こした体には汗がびっしり張り付き、顔色も悪く非常に苦しそうだ。こうしてはいられない。早く手当てしないと取り返しのつかないことになってしまう。
「君!」
「え…わたくしですか竜王様…?」
そばに駆け寄ってきたブルーの長髪の女性にとっさに声をかける。
「この建物のどこかにベッドある?」
「それでしたら竜王様のためのお部屋が。」
「この子の命が危ない!大急ぎで案内してくれ!」
「は、はいっ!」
「それと誰か、タオルと水の用意を!それに飲料水も!」
「畏まりました!」
「薬もあれば調達してきてほしい!」
「仰せのままに!」
返事が妙に仰々しいことに今更ながら気になったが、今はそれどころじゃない。
蒼髪の女性に先導されながら駆け足で、どよめく群衆の合間を駆け抜ける。
大広間を抜けて長い廊下を猛スピードで突っ走り、階段を数階分下って大きな大理石製の扉を抜けた部屋に転がり込む。ベットは入ってすぐ目の前にあった。かなりの大きさで、その気になれば大人十人くらいは眠れそうな広さがあった。
「体をふく布を」
「こちらに…」
「それと念のため大勢入ってこないように扉を閉めておいてほしい」
「畏まりました」
用意がいいことに、蒼髪の女性はタオルを用意してくれていた。ついでに戸締りを命じている間に、外から水も受け取ってくれたようだ。
「衰弱が激しい。それに脱水症状、極度の疲労…いったい何をしたんだろう」
タオルで全身の汗を拭きとり、わずかに開いている口から気管に入らないようにゆっくりと水を飲ませる。幸い意識はわずかに残っているようで、微弱な反応はある。
「失礼いたします竜王様、診察に参りました」
「入っていいよ」
続いて、今度は若葉のような黄緑色の髪の毛をした年配の女性が、さまざまな大きさの瓶が収まっている木の籠を抱えて入室する。
「どう、なおりそう?」
「ご心配なく。我ら木竜族の秘薬で治らぬのは頭の悪さだけで御座いますゆえ」
おばあさんが籠から取り出したのは完全に透明な液体が入った瓶。一見すると真水のように思えるが、この薬を数滴、女の子の口にたらすだけで、熱は収まり汗は引き、体の震えも収まるなど驚くことに見る見るうちに顔色がよくなっていくではないか。
「おぉぅ…」
あまりの効き目に思わず感心していたが、いつしか女の子は安らかな寝息を立てて眠ってしまったようだ。
「ありがとうございます。おかげでこの子は助かったようです」
「と、とんでもございません!竜王様のご命令ですから当然のこと!」
さてと、少し落ち着いたのでもう一度周囲を確認してみよう。
部屋には自分以外に3人の女性がいるが、ベッドで寝ているお姫様風の女の子以外はなぜか髪の毛の上から二本の白い棒のようなものが生えているのが見える。それによく見ると腰のあたりから蛇の尻尾の様なものが…。いやいや、それだけじゃない。服を着ていてわかりにくかったが四肢にわずかながら鱗が……
…………うん、少し深呼吸だ。
「あの~、どうかなされたのですか竜王様?」
「お加減が悪いのでしょうか?封印から目覚めたばかりですし無理なさらない方がよろしいかと」
さっきから竜王、竜王って言ってるけど、もしかして僕のことだろうか。いやいやいや。僕はれっきとした人間だし、将棋も得意ではあるけど名人ほどの腕前はないし―――?
ふと、部屋に飾ってある大きな鏡を覗き込む。鏡に映るのは相変わらず年齢二三つ下に見られそうな童顔に……白い棒みたいなのが二本。
「………」
手で触る。骨のような硬さだ。いや、骨そのものなのだろう。頭に大きな歯が生えたらちょうどこんな感触になるだろうと思われる。
そういえば、さっきから尾骶てい骨のあたりに違和感を感じていたので、ちょっと振り返ってみると…黒い鱗に覆われた尻尾が生えていることが分かった。それに皮膚のあちらこちらに黒い鱗が……
「な…なんじゃこりゃあああぁぁぁぁぁぁ!!!!!?????」
『竜王様!?』
竜王の体に憑依した青年・三日月和壬は魂の叫び声をあげた。