6.朝のおはなし
朝、真っ先に気づいたのが肉の焼ける匂いだった。
あまりの香ばしさに食欲をそそがれ、寝心地のいい毛皮の中から頭を出した。
どうやら匂いの発生源は屋外からであったようだ。
よく考えなくても、あの台所の惨状では料理する気も起きる訳が無い。
千世子が外へ駆け出して見ると、鹿ほどの大きさのイノシシが丸々焼かれていた。毛皮も剥ぎ取ったようで、すぐ側の木の枝に掛けてある。
「美味しそうな匂いするー!」
「おー起きたか。とりあえず顔洗ってこい」
「どこで?」
「この家から右に行くと川辺がある。斜面になってるから転ぶと危険だぞ。走るなよ」
「はーい!」
リュートの言うとおり右手に進むと、小さな川辺が目に入った。かなりの急斜面だが、人工的に作られた坂道のお蔭でどうにか降りられた。
「つめたい!」
朝水のキンとした冷たさに体を震わせながら、顔を洗う。ふと視界に動く影があり、目で追うと魚の生き生きと泳いでいた。
浅く透明度の高い川辺なので、魚の動きがありありと分かる。
つい長く見つめていたら、上手の方からリュートの急かす声が聞こえたので、慌てて坂道を登る。
「もう肉も焼けたぞ。食え」
「ありがとうリュート様!」
「おぅ」
切り分けられた骨つき肉を渡され、勢いよくがぶりついた。
肉汁がジュワッと滴り、歯ごたえのある美味しい肉だった。味付けは岩塩のみだが、昨日から果物しか食べていない千世子には十分な味だった。
大量にくべた火を魔法で消火し、肩を回しストレッチのような動きをするリュート。
「久々に人間が食べる物を作ったぜ。はぁー疲れた」
「じゃあ普段は何を食べてるの?」
「体に必要な分の栄養素を凝縮したクスリとかだな」
「クスリ?リュート様は体が悪いの?」
「俺が健康不良に見えるか?ちゃんと機能保持する程度に摂ってるさ」
「おくすりは体の悪い人だけが飲むものだよ。それ以外の人が飲んだら毒にしかならないんだからねっ!」
「へえ。詳しいな」
千世子は食べ終わった肉の骨を地面に置いた。満腹感からくる笑顔を浮かべているのに、なぜかしょげて見える。
「お母さんが病気でよく入院してたから、お父さんやナースさんに教わったの」
「病気?」
「うん。詳しいことはちよこにもわかんないんだ。シュヨウっていうのが脳にあるとか言ってたーーーー昨日はお父さんとお兄ちゃんも一緒に、病院へお見舞いに行こうって車に乗ってたの。途中でね、お母さんの大好きなガーベラの花束を買ったんだ」
「……」
「お家のことは、ちよことお兄ちゃんに任せてって言おうと思ったの。お母さんは植物が好きで、お庭にいっぱいお花を埋めてたから、ちよこが面倒みるから任せてって。お兄ちゃんは面倒臭いって文句言ってたけど、いつも手伝ってくれるから、だから、安心してねって」
「……」
「そしたら、大きい音がして、光がいっぱいになって、お兄ちゃんがーーちよこに手を伸ばしててーーーーそれが最後。だから、リュート様を最初に見たとき、お兄ちゃんと勘違いしちゃったのかも。えへへ、ちよこ恥ずかしいね」
「……別に恥ずかしくなんかねぇだろ」
重苦しくなった空気を払拭するために、懸命に明るく話した千世子の頭を、リュートは優しく撫でた。
そうだ。この小さな女の子はたった一瞬で天涯孤独の身になり、悲壮な運命を辿った子供ーーそう、まだ子供なのだ。
人並み以下の自覚はあるが、リュート自身にも人情はある。
慰めになりはしないだろうが、せめてこのくらいはしてやろうと、手を伸ばしたのだ。
すると、ただ撫でられているままだった千世子は、急激に顔をグシャリと歪ませ、しゃっくりを上げるように泣き出した。
この世界に来てから、初めて流す涙だった。
ようやくプロローグが終わる感じです。
最初からシリアス続きでしたが、次回か
ようやく本編に入れます。
ひゃっほう!