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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
終章

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終章 2

 手を顔の中で何度も往復させた。


「ナンデ、ヤリカエサナインダ」


「ソムさん……外国人だから、って彼は言われていました」


「ソウナノカ……」


「その子の心の内はわかりませんが、おそらく……やり返すことで、

ソムさんの立場が悪くなることを心配したのかもしれません」


「ドウイウコトダ?」


「やり返せば被害者であっても悪く言われる可能性があります。

それは、どちらが悪いのかを考えずに一枚のフィルターを介して言われる。

相手の保護者、教師、周りの大人から、ソムさんが悪く言われる。

…………。外国人だから……って」


 ソムさんは男の子に目を向け「ソウナノカ?」と、優しい声色で問いかける。

男の子は涙を流し帽子を下方向に押さえつけた。

鼻水を啜る音と溢れる嗚咽と共に口を開く。


「お、お父さん……のこと……悪く言われたくない……。

優しい……お父さんのこと……わ、悪く言われたく……ない」


「アサキ……」

と、ソムさんは男の子を強く抱きしめた。


「ソウカ。アサキ、ワタシノ、タメニ、ヤリカエサナカッタノカ。

――タタカッテクレタ、ノカ。アリガトナ、アサキ。ヨク、タタカッタナ」

と、目尻に涙を保ち頭を撫でている。


 十年前、ソムさんに教えられた。

戦うことは痛い。戦えないことの方がずっと痛い。

守れないことは痛い。それなら戦いを選べ、と。


 彼の子どもは小さい身体で必死に戦っていた。

親の誇りを守るために歯を食いしばり戦っていた。


「ソムさん、なにか手伝えることがあれば……。凪咲に言ってみますか?」


「イヤ、イヤ、ダイジョウブダ。ワタシガ、ガッコウ、ハナシテミル。

ナギサハ、ダメダ。イウト、マズイ。アイツ、マズイ。

――アイツ、ヤバイ」


 パン屋で働いてほしいと頼んだ、もう一人が凪咲だ。

ソムさんの腕力と凪咲の執着心と行動力が結衣さんを守ってくれると思った。

二人とも快諾してくれた。

特に凪咲は無料で出来たてのパンが食べられることに魅力を感じたようだ。


 同僚になった二人の間には僕の知らぬ様々なことがあったのだろう。

凪咲は高校卒業と共にパン屋を辞めたけれど、手伝いに来てくれると母から聞いている。

ソムさんは今も彼女のことを恐れていた。


「アサーヒ、アサキノコト、タスケテクレタカ」


「僕じゃなくて胡桃です」


 ソムさんは胡桃を一瞥した。


「オオ、アリガトナ。タスケテクレテ、アリガトナ。

――アンタ、ドコカデ、ミタコトアルナ。アレカ、アサーヒノ、オンナカ」


「ち、違います! あーくんは……。あーくんは――」


「アサーヒノ、オンナカ」


「えっ……えっと……だから、あーくんは――」


「――ソムさん、学校に言って対処してくれなかったら僕に連絡をください。

少しでも力になります。ソムさんは……あの時、僕のことを助けてくれました」


「タスケタ? タスケタコト、アルカ? ワタシガ、タスケラレタンダロ。

アサーヒ、イマデモ、アレダ、オチンコナンダナ」


「懐かしい……です、その言い間違い。

――戦い方を教えてくれました。戦うための心構えも。

あの時、ソムさんがいてくれたから、傷ついた人を助けることができました」


 頭を下げ顔を上げると彼も同様に頭を下げていた。


 上体を起こしたソムさんの顔を見る。


 十年前から変わらない。


 太陽のように温かい笑顔だった。


 僕は変わってしまったのもかもしれない。


 自身が思い描いた道。悩み選んだ道。その先に潜んでいた痛みを一身に受けて。


「アサーヒ、イツマデ、イル?」


「明日の夜には帰ります」


「ソウカ。ソレナラ、キョウノヨル、メシ、タベニコイ。コレハ、アレダ……ナンダ」


「お礼ですか?」


「ソレダ」


 変わらない笑顔に逃げ出したくなる。向けられる想いに相応しくないと感じた。


「アンタモ、キテクレ。アサキ、タスケテクレタ」


「え、でも……」

と、胡桃は僕の様子を窺う。


「せっかくだから、時間に余裕があるなら胡桃も行こう」


「うん。じゃあ、私も行きます」


 ソムさんは男の子の手を引いて自動車へ向かう。その背中に疑問をぶつけた。


「ソムさん。なぜ僕はアサーヒで、息子さんはアサキなんですか?

抑揚……強弱は同じですよ」


「ヨ、クヨウ……? ヨク、ワカラナイ。

アサーヒハ、アサーヒ、ダロ。ワタシノ、トモダチ。

アサーヒ、ハ、アサーヒ、ダ」


 茜音さんが繋いでくれた僕たちの関係。


 男の子はチラチラと振り返り胡桃に感謝を示しているようだった。

自動車はウインカーを出し国道の上を走り始める。


「胡桃、誘ったのに変だけど……本当に大丈夫? 予定とかなかったの?」


「うん、今日は休みだから」


「そう。さっきさ……まさか、叩くとは思ってなかったよ」


 胡桃は眉を下げ微笑んだ。


「うん……でもね、必要な時もあると思う。痛みを知らないから、相手を傷つける。

教えてあげないといけないなって。間違ってるかもしれないけど。

――私も……助けてもらったから。守ってもらったから」


 隣りにいる胡桃の喉付近を見たまま話を聞く。


「あの時、あーくんが私のこと助けてくれた。

あーくんのお父さんとお母さんが助けてくれた。

だから、私も……少しでも恩返しがしたいの」


 彼女は視線を上に上げる。その瞳は少しばかり茜音さんに似ていた。


「あーくん、あのさ……」


「ん?」


「ううん……ごめん、なんでもない。ねえ、聞いてよー、この前ね――」


 胡桃は自身の勤務する病院の出来事を語り始めた。

やはり患者を装った横柄な人間は多くいるようで不満を次々と口にする。

しかし、他の患者の言葉などに助けられることもあるようで嬉しそうにしていた。


 今の道を選んでよかった、と笑う。


 自身が選んだ道。


 僕は何をしているのだろう。


 何も変えられず何もできずに倒れそうになっている。


 いや、すでに倒れているのかもしれない。



             *



 自宅へ向かう途中にあるコンビニに立ち寄った。


 ミネラルウォーターを購入し自動車のドアハンドルに手をかけた時だ。


「動くな、手を上げろ」


 熱風が身体を包む中で背後から随分と冷たい声がする。


 僕は両腕を身体に対し開く。


「よし、そのまま横に二歩進め」


 言う通りに動くと目の前には太陽光を吸収するボンネットが光る。

後ろにいる人物は僕の胴体から足先までパンパンと両の手で叩いていく。


「股を開け。それ以外の動きはするな」


「なにも隠してない」


「黙れ。勝手な発言は許可していない。股を開け」


 僕は付き合いながらも呆れていた。


「もういいよ。洋画の見すぎだ。一人なら銃を突きつけて身体検査しろよ」


「股開け! 歯を食いしばれ!」


「それは昔の軍隊だ」


 振り返ると幼い頃からの付き合い、馴染みの顔がある。


 不敵に笑い二十代半ばの美しさを持つ女性。


 大石凪咲だ。


「私に触られたら暴発するから拒否したんでしょ?」


「違うよ。付き合いきれなかっただけだ」


「へえー、強がりは相変わらずだ」


 彼女は手に持っていた炭酸飲料のスクリューキャップを捻り開栓する。

ゴクゴクとおいしそうに喉へ流し僕を一瞥した。


「コンビニにモモダー無かったでしょ?」


「ああ、探したけどなかった」


「ここも置かなくなったんだよ」


「そうか」


「私に感謝してよ、モモダーのこと」


 二年前、モモダーの味が変わった。

製造していた会社が代替わりし微炭酸が強炭酸に変わり酸味も強くなる。

地元民からも不評で売れ行きが相当落ちたと後に聞く。

少しずつ味を変え飽きさせないようにする工夫は、多くのメーカーが実施していることだ。

毎日、毎週、毎月のように飲食していれば変化に気付きづらい物もあるが、

数年ぶりに食べた人物が「あれ、まずくなった?」と言うことも珍しくない。


 その当時、帰省した僕が飲むモモダーは、すでに別の飲料のようだった。

新たな商品なのかと思ったほどだ。

茜音さんの好きな味が変わったこと。夏の爽やかな味が変わったこと。

それらを嘆いて葉月に愚痴をこぼし僕は日々の生活へと戻った。

彼女は凪咲に僕の言葉を伝える。

凪咲はモモダーの工場へ乗り込み、以前の味に戻せ、と社長に直談判したそうだ。


 みんなで集めた署名を手にして。


 傍若無人な振る舞い。僕のトラウマになった女性。

今は茜音さんの愛する味を守ってくれた人物でもある。


 汗をかくモモダーの口元が僕に向けられた。


「いいよ、いらない」


「間接キスを気にするなんて……まだ、まだ、かわいいね、あっちゃんは」


「違う。凪咲が口にした物に触れたくない」


「はあ……? はあー!?」


 鬼の形相となった彼女に続きを話す。


「凪咲は……なんでも口にする。生で食べられるか実験的なこともするだろ。

淡水魚を刺身で食べたりもする。そんな人が口をつけた飲み物は飲みたくない」


「あっちゃん……一回、死んでみる? いや、半殺し……でいいか。

どう? 私に痛めつけられて昇天してみる?」


「執行猶予中なんだから、やめておけよ」


 凪咲は去年事件を起こして執行猶予中の身だ。


「そんなことにビビってたら生きてる意味がないよ」


「ここは法治国家だ」


「だから? 本当の悪人を裁かない国のどこが法治国家なの?

法で治めたからなんなの? 傷つく人がいなくなんの?」


 彼女は人を守るために犯罪行為をした。それは今に始まったことではないけれど。

裁判で自身の持論を展開し裁判長に発言を止められた。

しかし、彼女は真っ直ぐに言葉を続けたと弁護士から話を聞いている。


「法なんて事が起こった後の話でしょ? 法は人を守ってくれない。

人を守れるのは人だ。それなら私がやってやる。私は私の決めた道を歩く。

偉そうに座ってる奴らと比べたら、そっちのほうがずっといい。

――お前たちは人の痛みを知らないんだ」


 裁判長は退席を促し弁護士も止めたが「凪咲が死するとも、自由は死せん……!」

と、傍聴席へ向かい、いつかの中学生の頃の発言をしたそうだ。

僕の大学の先輩である弁護士が「必ず執行猶予にするよ。あの人はすごい……。

裁判官と検察官に向かって、私に臭い飯を食わせるなら、

お前らの一族には腐った物を食べさせてやる、って啖呵を切るんだから」

と、苦笑していた。


 それほど心証を悪くした上で執行猶予となったのは弁護士の腕であるか、

凪咲の数ある言動が裁判官を動かしたのかは不明だ。


「ねえ、私がしたことって犯罪なの?」


「犯罪だよ。凪咲が昔からしてるのは大体が犯罪だ」


「昔の話はしてない。あれは犯罪なの?」


「…………。犯罪だよ」


「そ。わかった。じゃあ、指を咥えて見てればよかった?」


「…………」


「――あっちゃん、変わったね」


「なにが」


「多分、昔のあっちゃんも私のしたことを批判する。

するけどさ……それは私のこと心配してくれて言うんだよ。

本音では、よくやったって褒めてくれたと思うよ。

――ううん、あっちゃんは必ず褒めてくれた」


 凪咲の言葉は夏の陽射しのように鋭く刺さる。



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