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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
終章

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終章 1

 あれから十年の時を経た。


 目の前には田舎町の風景が流れていく。

自動車を走らせていると先程の出来事を思い出す。

ミンミさん、平良さん、清原さん、久保さん、結衣さん。

茜音さんの命日である八月三十一日は毎年欠かさず集まり楽曲を演奏していた。


 和泉茜音の最後の楽曲を。


 演奏した後は必ず茜音さんの墓参りへ行く。

昼食をみんなで食べ彼女の話で盛り上がることが恒例となっていた。


 ミンミさんは僕に抱きつくことはあっても茜音さんの香りがするとは言わない。

彼女がいなくなった翌年から一切口にすることはなかった。


 当時、茜音さんがいなくなったことを結衣さんに告げると、

寂しそうな目をした後で薄桃色のシーグラスを握りしめた。

現在も彼女の首の下で光っている。


「ねえ、朝陽くん、大丈夫?」


 結衣さんは解散した後で僕に告げた。


「少し元気……ないみたい。私の勘違いだったら……ごめんね」


 結衣さんは当時、社会へ戻ることに強い不安を感じていた。

それは当然のことだ。悪意によって深い深い傷をつけられたのだから。

性被害にあった人の心の傷は癒えることがない。世の中の人は簡単に考えている節がある。

その時だけのことではない。被害者は苦しみの中で生きることを強制される。

どうしようもない痛みの中で葛藤を抱えていた彼女。


 僕に何かできないか、と考え、母に相談し、彼女も料理教室へ顔を出すようになった。

少しずつ彼女の笑顔は定着していき葉月とも仲良くなっていく。

葉月はメタルやハードコアの話を聞いてくれる唯一の友達だと喜んでいた。

母は結衣さんにとても親身になってくれて、二人でパン屋を開業することになった。

結衣さんは綺麗な女性であるから男性客から声をかけられることも多く、

過去の傷を思い出し厨房の奥で震えていることがあった。


 僕は二人の人物に頭を下げ頼んだ。

二人がいれば何かあっても対処してくれると考えた。

まともではない客に対し戦える人たちだ。

そういう客には毅然とした対応をしてくれと一人に頼んだ。

もう一人にはあまり事を荒立てないように告げた。

当時、高校生になった葉月もアルバイトとして店で働き、

パン屋は地元民、観光客の双方から今も人気となっている。


「なにかあるなら……話聞くよ。あの時助けてくれたこと忘れてないよ。

朝陽くんとおねえちゃんには、今も……ずっと感謝してるの」


 集合前に夕焼けの宴の前で平良さんと会った時にも似たようなことを言われた。


「社会生活には慣れたかな? その顔を見る限り、どうやら……厳しいようだね。

それも……当然か。きみは目を背けずに戦う選択をしたのだからね。

難しく厳しい道程だ。私でよければ話を聞こう」


 そこにある本心を結衣さんにも平良さんにも話さなかった。いや、話せなかった。

言葉にすれば堰き止めている何かが決壊することを理解していたからだ。


 自動車はアスファルトの上を転がり進んでいく。


 大学進学と共に都会へ行き現在も暮らしているが、

幼い頃から慣れ親しんだ風景を恋しく思うことが多い。

都会の重たい空気より緑に満たされる香りが好きだ。

正月に帰ることができなくても、お盆と八月三十一日には必ず訪れる。


 道路脇の雑草は刈られることなく夏の恵みを受けてぐんぐんと成長している。

時が経てば事情も変わっていく。

昔は地域住民が協力していた草刈りも現在は人口減少が加速し、

それらを実施する者もずいぶんと少なくなったようだ。


 チェーン店が並ぶ国道を走っていると歩道に数人の小学生の姿があった。

一人の男の子の背後を三人の男の子が歩いていて、

その内の一人が黒いランドセルを蹴り飛ばす瞬間がガラスウィンドウ越しに見えた。

ハザードを点けサイドミラーを確認すると蹴られた男の子が倒れている。


 三人組は無抵抗の相手を踏みつけた。


 一台、二台と僕の自動車を追い越していく。道路の安全を確認し夏の空気を浴びる。

彼らに駆け寄ると僕よりも先に一人の女性が歩道に立っていた。


 その人物は蹴られた男の子の身体を起こし小学生三人組に何かを言っている。


 二、三メートルの距離になると相手は僕の存在に気が付いた。


「あっ……あーくん」


 久しぶりに会う胡桃。現在は看護師として地元の病院に勤務している。


 彼女に何かを言われ不貞腐れている三人組は僕に視線を向けた。


「どうして、この子のことを蹴ったの?」

と、僕が問いかけると彼らは互いに目を見合わせた。


「こいつ外国人だから」


 一人の体格の良いリーダー格の男の子が言った。


「それは理由じゃないと思うよ。なにか嫌なことをされたとかある?」


 口を尖らせ反応は無い。


「相手を傷つけることは……いずれ自分も傷ついた時になにも言う資格はないよ。

そのことは覚えておいたほうがいい。

相手が悪くないのに攻撃すること。理由のない一方的な暴力は最低だ」


「じゃあさー、理由があればいいの? それなら殴っていいんだ?」


 リーダー格の男の子は不敵な笑みを浮かべる。


「僕の持論では……そうだね。例えば……誰かを守るため、道を守るため、ならね。

暴力のすべてが悪いわけじゃない。

それを否定するのは傷ついたことがない人の戯言だよ」


「なんだ、それ。意味わかんねえ……! いいんだよ、こいつのことは殴っても!」


 その瞬間だった。


 胡桃の手のひらがリーダー格の男の子の頬を叩く。

軽いビンタなどではなく身体を捻転させ力を溜めてから打ち抜いた。


 強気だった男の子の顔はみるみる内に崩れていく。

彼の両肩に胡桃は自身の手を乗せた。


「いい? わかる? 痛いでしょ? これをきみたちが、この子にやってることなの」


 男の子は顔を歪ませ涙を流し、残りの二人は狼狽えている。


「叩いて……ごめんね。でも、この子はもっと痛いんだよ。

きみは身体の痛みだけ。この子は身体も心も……すごく痛いんだよ」


 彼は反応せず唇を噛み締めている。


「先生に……言ってやる……!」


「い、言ってやる! 捕まるぞー!」


 二人の男の子が騒ぎ始めると胡桃は容赦なく次々と頬を打った。


「言えばいいよ。私は自分に恥ずかしいことはしてないよ。

この子を守れるなら、それでいいの。逮捕されてもいい。

私は……私を守ってくれた人たちに顔向けできないことはしない」


 辺りは蝉の声と自動車の風切り音だけが聞こえている。


「もうこの子のことを殴ったりしないほうがいい。

このお姉さんより怖い人がこの町にはいるから。

その人に知れたら、きみたち自身も、きみたちの家族も悲惨なことになるよ」


 僕が三人組へ目を向けると少しばかり涙を流しつつも反抗的な目は健在だ。


「その人は話が通じないから、ね。今の内にやめておこう。

きみたちが頼ろうとして思い浮かべることの多い、親、教師、警察。

その人にとっては、なんの意味も持たないから」


 彼らは目を見合わせアスファルトを貫く雑草を踏みつけ走り去っていく。


 彼らは自身の行動を省みることがあるだろうか。


 茜音さんは教えてくれた。イジメの根底には家庭内の問題が必ずある、と。

そこを解決しない限りイジメは減らない、と。


「あー、膝擦りむいてるね。ちょっと待っててね」

と、胡桃は隣にあるドラッグストアの店舗へ入っていった。


「大丈夫? いつもやられてるの?」


 男の子は小さく首を縦に動かす。


「そう……。親や先生には言ったことある?」


 今度は首を横に振る。


「助けてって……言いづらいのかな?」


 反応はない。


「自分で行動することも大事だけど、人に助けてって言うことも大事だよ。

言えない気持ちも……すごくわかるけどね」


 彼は丸い瞳で僕を見つめる。


「泣かないことも強さだし、一人で泣くことも強さだよ。

きみは今、泣かないで耐えている。それはすごく強いことで、大切なことだよ。

僕はカッコいいと思う」


「…………」


「ランドセルって強いよね」


「え……?」


「どんなにハードな使い方をしても、小学校六年間の毎日に耐える強さがあるんだよ。

他の商品にはない。すごく耐久性があるんだ。

しっかりとしている……強いんだよ」


「うん……」


 戻ってきた胡桃は男の子を縁石に座らせ、

水、消毒液、ガーゼなどを使用し手際良く処置する。


「はい。これで大丈夫。お風呂に入る時は外していいからね」


 男の子は俯き帽子を被っているから表情は窺えない。


「ありが……とう」


「うん。どういたしまして」


 胡桃はタオルを水で濡らし男の子の顔に付いた砂を拭いていく。


 男の子は急に嗚咽を漏らした。頬を伝う涙の速度は早い。

胡桃は正面から彼の隣に腰を下ろし目元にタオルを押し当て肩を擦った。


「よくがんばったね。大丈夫だよ、もう大丈夫だからね。

あの子たちの前で泣かなかったの、カッコよかったよ」


 男の子はしばらく泣き続けた後で静かに立ち上がる。

「帰る……」と、言い残し緩徐に歩き始めた。


 ランドセルを見ていると国道の路肩に軽自動車が停車し降りてくる人物がいた。


 ソムさんだ。


 小学生の男の子に駆け寄り帽子の上から頭を撫でている。


 僕と胡桃の視線に気付いたソムさんはニコッと笑い、男の子の手を引いて近寄ってきた。


「アサーヒ! ヒサシブリ、ダナ!」


「ソムさん、お久しぶりです」


 彼は母と結衣さんが経営するパン屋に社員として勤めていた。

僕が働いてほしいと頼んだ一人だ。


「コノアイダ、キタノニ、スグニ、カエッタッテ、サツキサン、ガ、イッテタゾ」


「すみません。顔を出したかったんですけど、すぐに帰らないといけなくて。

墓参りだけして帰ったんです」


「ソウナノカ。アサーヒ、ワタシノ、カレーパン、タベタイダロ」


「母が送ってきますよ。いつもありがとうございます」


 ソムさんの笑顔は当時と変わっていない。


「あの……もしかして、その子って」


「オオ、ワタシノ、コドモダ。アサーヒ、アッタコトナイ、ダロ」


 彼は数年間、ある事情によって妻である女性と母国に帰っていた。

日本へ戻ってきたのは去年のことだ。


「ホラ、アレダ、ナンダ、アレヲシロ」

と、男の子のランドセルを軽く叩く。


「挨拶ですか?」


「ソウダ、ソレダ。アイサツシロ、アサキ」


「あーくんと同じ『あさ』が付くんですね」


 胡桃が問いかけるとソムさんは笑顔のまま答えた。


「ソウダ。アサーヒト、オナジ、アサ、ニシタ」


「えー、よかったね、あーくん」


「いや……」

と、僕は照れ隠しで言い淀む。


 男の子はランドセルの肩ひもを握りしめ俯いている。


「アサキ、アイサツ、ダロ」


「いいですよ、ソムさん。さっき挨拶してくれました」


「ソウナノカ。アサキ、ヒトト、ハナスコト、ニガテナンダ」


 迷っていた。先程のことを告げるべきか。


 男の子は言ってほしくないかもしれない。


 しかし、結衣さんがゴリラに襲われた時に助けることができたのは彼のおかげだ。 


「ソムさん。お子さん……同級生から蹴られていました」


 彼は目を丸くし男の子の目線に合わせ問いかける。


「アサキ、ソウナノカ? ヤリカエシタカ?」


「ううん……」


「ナンデダ? タタカイカタ、オシエタ、ダロ」


 男の子の首はどんどんと曲がり、鼻水を啜る音が僕たちの耳に入る。



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― 新着の感想 ―
陽野さん、こんにちは。 ついに終章ですね……寂しい……。 朝陽が社会人に……! 朝陽が茜音さんのことを乗り越えて、前に向けているのがよく伝わりました。 これからも、茜音さんと過ごした日々、茜音さん…
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