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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
第五章 夏の宴

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夏の宴 19

 どうしようもない喪失感に襲われ殴られる。

喉元から生まれる慟哭を砂浜へ何度もぶつけた。


 何万、何億の砂粒を掴んでも何も変わらない。

何をしても……どれほど嘆いたところで茜音さんは帰ってこない。


 頭部を砂浜へ押し当てていると背後から声がした。


「お兄ちゃん」


 葉月の声だった。


「お兄ちゃん、どうしたの……?」


 泣き声を隠し反応せずに状態を維持していると背中に触れるものがあった。


 葉月の手だ。


「大丈夫……? なにかあったの?」


 背中を動く手は痛む心情を労ってくれる。


 しばらく無言のまま時が過ぎ涙は緩やかになってきた。

頭部を砂浜から離し何度も何度も目の周辺に腕を擦り付ける。

波が色を与える境目を見つめ葉月に問いかけた。


「なんで……ここに」


「お母さんに聞いたら、よく遊んでた海に……いるって聞いたから」


「そう……」


 彼女の手の動きは変わらず、胸にある痛みを和らげようとしてくれた。


「どうして……」


「え?」


「どうして……僕に優しくするんだよ……」


 視線を落とすと茜音さんが拾っては捨てていた貝殻が並んでいる。


「あんなに……酷いことを言ったのに……。どうして優しく……するんだよ」


 緩徐な手の動きは肩甲骨付近で止まった。


「お兄ちゃん、だから」


 波の音が一瞬大きくなる。


「お兄ちゃんは、私のお兄ちゃんだから」


 茜音さんと同様に真っ直ぐな言葉だった。


「この前……言われた時は悲しかった……けど。

お兄ちゃんが昔から優しいの知ってるもん」


 再び目に向かって水分が集まる。


――葉月ちゃんに、ちゃんと思ってること話すんだよ。


 茜音さんの言葉は背中を押してくれる。


「葉月、ごめん」


 身体を反転させ彼女に頭を下げる。


「ごめん……。葉月のこと妹じゃない、って言って。

そんなこと……そんなこと……本当は思って……ないんだ」


――ちゃんと本心で話さないとダメだよ。


 鼻を啜り上げ弱い声で続けた。


「去年……僕だけが本当の家族じゃない……って知って。

葉月に『お兄ちゃん』って言われるのが嫌だった。今まで……葉月は妹で……葉月の兄で。

それが、急に……あの日から否定された感じがして」


「そうなんだ……」

と、葉月は白い指先で紺色のハーフパンツに皺を寄せた。


「じゃあ、私も謝る。ごめんね」


 顔を上げると夕日に照らされた葉月の黒髪がこちらを向いていた。

さらりと髪の毛が揺れ向き合った顔には微笑みと涙が浮かんでいる。


「でもさ、お母さんとお父さんから生まれたとか、血が繋がってないとか関係ないもん。

お兄ちゃんは、私のお兄ちゃんだから。それに、血は繋がってるんじゃないの?

お兄ちゃんのお父さん……うんと、最初のお父さんは今のお父さんと兄弟なんでしょ」


 葉月は唇を口内に一度隠してから笑う。


「その話をされてから、お兄ちゃん……元気ないなって思ってたの。だから、心配だった。

でもね、最近……は、ひとり言言うけど、元気だったからよくわかんなかったの」


 茜音さんの言葉は耳に残る。


「葉月が僕を心配してくれるように……本当は僕も葉月のことを心配してたんだ」


「え、心配?」


「葉月が学校とかで板挟みにならないかなって。

前に友達や学校の話を聞いてて思った。

葉月は他の人のことを気にするあまり自分のことを後回しにする。

葉月は……なにかあっても笑ってるから……」


「大丈夫だよ……私は。私には、お兄ちゃんがいてくれるもん。

――あのね……ありがとう」


 唐突な礼に疑問符をつけて返すと彼女は変わらず微笑んでいる。


「なぎちゃんのこと……ありがとう」


「…………。聞いたのか?」


「うん。昨日ね、なぎちゃんから電話あって。

直接会って話したいことがあるって言われたの。新学期が始まる前に話したいからって。

葉月会が終わって、さっき話してきたよ」


 葉月と凪咲は親友だ。


「全部話してくれたよ。学校のこと。

お兄ちゃんが私にだけは本当のこと話してあげて、って言ってくれたんだよね」


 呼吸は落ち着き隣で歌う波の声も穏やかだった。


「やっぱり、お兄ちゃんは昔から変わってない。優しい私のお兄ちゃんだよ」


「それで……凪咲は?」


「私が助けるよ、って言ったら、自分の物語は自分で解決したい、って言われちゃった。

お兄ちゃんも私もいてくれるから怖くないって」


「そう……か」


「大丈夫だよね……なぎちゃん」


「それは……僕たちが一番知っていることだろ」


「え?」


「凪咲が負けるわけない。それに万が一、負けたら今度は助けてあげればいいよ」


「うん……!」


 二人で足などに付着した砂を払い立ち上がると葉月は眼前の海を眺めた。


「わー、すごくきれいな夕陽だね……!」


 僕には茜音さんが微笑んでいる気がした。


「弁当……ありがとう。おいしかったよ」


「あっ! 食べてくれたの?」


「母さんから聞いたけど遠回しなことするなよ」


「だって、お兄ちゃんに今までのこと思い出してほしかったんだもん……!

あの時、三人でいっぱい探しに行ってたことも!」


 森や山に入ってアニメーション映画に出てくる生き物を探していた。

僕はそんな物は存在しない、という現実を見ていた。

葉月は抱きしめたい、という夢を持って探していた。

凪咲は捕まえたら食べてみたい、と食欲から探していた。


「なぎちゃん、あの時、ウサちゃん捕まえてたよね」


「耳を掴んで得意にしてたら葉月に怒られていた」


「だって……ウサちゃん痛そうにしてたから」


「葉月に見せたかったんだろ」


 野ウサギは学校で飼うことになった。

一匹では寂しいからと凪咲は数匹捕まえてきたが僕はその行為に反対した。

狭い飼育小屋に入れられるウサギたちのことを考えていない、と苦言を呈すると、

彼女は激怒し飼育小屋を破壊して、グランドの一部に柵を設置し牧場と称していた。

その他の動物を捕まえ種類は増えていく。

今でも凪咲の牧場は生徒から愛されていると聞いた。

飼育用の食べ物を小学校へ提供しているのも彼女だ。


「あれ……お兄ちゃん、誰かといたの?」

と、言う葉月の視線を追う。


 その瞳が捉えていた物。


 砂浜に並ぶ二本の微温くなった飲料。


 茜音さんが愛飲するモモダー。


「彼女?」


「違うよ」


「お母さんから胡桃先輩と弟ちゃんたちが来たって聞いたよ」


 隣に目を向けると不敵な笑みを浮かべている。


「二人で部屋にいて……だ、抱き、キャー! これ以上、言えないよ……!」


「なにもないよ。母さんの虚言だよ」


「虚言? さあ、それはどうかな……!

秘密にしてても私のところに情報は来るんだからね……!

葉月会の情報網を甘く見ちゃダメだよっ……!」


「どういうこと?」


 彼女は目を瞑り、うんうんと頷いてから、人差し指を空に向けた。


「葉月会でも議題に上がったのです……!

お兄ちゃんが胡桃先輩といるところを度々、葉月会メンバーが見かけているのです!」


「…………。何者なんだよ、葉月会のメンバーは」


 同級生で構成されている以外は知らない。


「メンバーは主に同学年の子たち!

会長は私で、終身名誉顧問は、なぎちゃんだよ!

メンバーの中にいる、お兄ちゃんガチ恋勢は悲しんでたよ……!」


 組織の構成員の特徴や活動内容を聞いて思わず笑みを零す。

葉月は熱弁し終わった頃に再び視線を砂浜に向けた。


「お兄ちゃん、モモダー好きだよね。最近、特に。いつも部屋にあったもん」


「葉月も好きだろ」


「みんな好きだよ。なぎちゃんはモモダーの友達が好きだけど」


「ナシダー、か」


「うん」


 九月になると梨を主原料にしたナシダーという飲料が店や自動販売機に並ぶ。

茜音さんはナシダーを飲みたかっただろうか。


 四年に一回だけ販売される幻の飲料もあった。

「ダメダー」という恐ろしい味のする飲み物だ。


 モモダーを回収し右手にギターを持つ。葉月と共に自宅へ向かうため海に背を向けた。


 背後の夕陽はもうすぐ消えていく。


 明日には違う顔をしている。


 葉月に気付かれないよう涙を蓄えていたが、茜音さんとの日々を思い返すと、

感情の雨が次々と降り出してしまう。


「でねー、みんなカルビ派で、私だけハラミ派だったの。

もう少しで横隔膜の葉月、臓物の葉月になりそうだったの……!

――えっ……どうしたの、お兄ちゃん……」


 瞼をきつく閉じても僅かな隙間から溢れてしまう。


「お兄ちゃん……大丈夫? さっきも泣いて……」


 僕は茜音さんと出会って変わった。


「葉月だったら……どうする?

伝えたいことがあったのに……言えなかった……ら。

もう……二度と言えないんだとしたら」


「え……うーん。二度と言えないの? 二度と言えない……。

――じゃあ……違う人に言う」


「違う人に……」


「うん。酷い言葉じゃないんでしょ?

――その相手に二度と言えないなら違う人に言うよ」


 予想できない言葉だった。


「あっ、相手のことをちゃんと想ってね! 適当には言わないよ……!」


 彼女は幼い頃のように頭部を撫でてくれた。


「やめろよ……子どもじゃない……」


「なぎちゃんに泣かされた時に、よくこうしてたな、と思って」


 母も同じことを言っていた。


「お兄ちゃんだって私が泣いた時は、いつも隣にいてくれたから」


 共に歩き始めると背後から声がした。


 それは僕の脳内から出たものかもしれない。


 自宅へ帰ると『おかえりー』と言ってくれた声。


『もういい、もう知らない』と、突き放す時の強い声。


 部屋の中に溢れていた、とても優しく穏やかな声。


 いつも安らぎのある声。


――朝陽くん。ありがとう。バイバイ。


 茜音さんは和泉茜音の命日に僕の前から消えた。


 八月の終わりは六月の始まりと違っている。


 鈍い痛みを持ちながら胸の中を優しく撫でる。


 とても温かく爽やかで、とても切なくて痛い。


 そのような夏の出来事だった。



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