表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
第五章 夏の宴

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

93/101

夏の宴 17

 僕は胡桃の正面へ身体の向きを変える。


「ごめん。遅くなって」


「ううん。あーくんは……なにも悪くないよ」


「胡桃のこと見て見ぬ振り……したのと同じだよ」


 彼女はいつもツインテールだけれど今日はポニーテールにしている。

切り揃えられた前髪が下方向を向く。


 僕の胸に顔を埋めた。


「ごめん……嫌なの……わかってるけど……少しだけ……こうさせて」


 小さな身体が胸の中で震えている。


「ごめん……私、汚いよね……わかってるけど……わかってるのに」


「そんなこと思ってないよ」


 彼女の嗚咽は激しくなる。

それは今まで耐えていたもの、背負っていた痛みからの開放によるものだ。

多少かもしれないけれど。


 茜音さんに目を向けると視線が合致する。

彼女は目を逸らしベッドに横向きに倒れ壁側を向いた。


 抱きしめれば胡桃の涙は緩和するのだろうか。

しかし、僕はそうしなかった。そうすることはできなかった。

右の手のひらで彼女の黒髪にポンポンと優しく触れる。


「胡桃は……すごいよ」


「え……」


「事情も知らずに胡桃のしていたことを非難する人はいると思う。

結果だけを見て、そこに至る理由を考えずに、好き勝手なことを言う。

短絡的な思考で人を叩くことによって優位性を持とうとする。

でも、僕は……胡桃の想いを知っている」


 鼻を啜り上げる音は大きくなった。


「胡桃は弟たちのこと、母親のこと、家のこと、一人で抱えていた。 

そのことを恨んだり、周りを妬んだりしなかった。

弟たちに接する胡桃を見ていれば……わかる。胡桃は……すごいよ」


 右手を乗せる頭部の震えは大きくなり、僕の背中には彼女の細い腕が回された。


「ごめん……ごめんね……もう少しだけ……」


 しばらくそうしていると胡桃の涙も落ち着いてくる。


 扉がノックされ返事をする前に開放された。


「あさ――」


 母は入ってくるなり目を丸くさせ「ご、ごめん」と、扉を閉めようとする。


「違うから。変な勘繰りをしなくていいよ」


 扉を途中まで閉める母は出入り口の床へ両の手で持つ盆を置こうとした。


「いいよ、受け取るよ。誤解だよ」


「ご、ごめんね、邪魔しちゃって。そんな雰囲気だと思わなかったから」


「違うって」


 母は目を合わせず二つの麦茶とケーキが乗る盆を僕に向けた。


「胡桃ちゃんが持ってきてくれたの」

と、言った母は背伸びをし僕の肩口から胡桃のことを見る。


「胡桃ちゃん、ゆっくりしていってね。私はみんなと下でゲームしてるから」


「すみません、ありがとうございます」 


 母は胡桃から僕に視線を戻すと目だけで何かを訴えている。


「違うから」


「はい、はい、私は退散します」


「…………。父さんに言わなくていいからね」


 踵を返す母に告げると肩がビクッと動いた。


「話題は必要なの。色々なことを話すのは夫婦にとって大事なの」


「都合よく言いすぎだよ。ワンシーンだけを伝えたら、また騒がれるんだから」


「ふふ、透くんは朝陽が成長してるのが嬉しいの」


「嘘の情報で喜ばすのは正しいの?」


「嘘の情報……ね。私は……わかってるつもりだよ。

朝陽の優しいところ、わかってるよ」


 そう言った後で母は階下へ降りていった。


「ケーキありがとう。わざわざ買ってきてくれて」


「うん、食べて」


 甘い物は得意ではない。

別に甘い物自体が嫌いなわけではなく市販の物が苦手なのだ。

甘すぎる。いつも思う。世の人は普通に食べているけれど舌が慣れているのだろうか。

そのことを理解してくれる葉月は手作りの菓子を作ってくれることが多い。


 葉月会。もう終了したのだろうか。

最終日は朝からバーベキューをして昼過ぎに解散予定だったと記憶している。


 胡桃とケーキを食べ、麦茶を飲み、高校生活の話などをしていた。

茜音さんは壁側から、こちらへ身体を転換させていて、

僕が一口大に切ったケーキを口に運ぶたびに、恨めしそうにジッと見ている。


「じゃあ……そろそろ帰るね」


「うん。気を付けて」


「ご飯、ご馳走様。すごくおいしかったよ」


「また食べに来れば」


「え……でも……迷惑だよ」


「そんなことないよ。母さんは手料理を振る舞うの好きだし。

胡桃のことも弟たちのことも好きみたい。

葉月も父さんも賑やかなのが好きだしね。食材は凪咲の両親のおかげで豊富にあるし」


 胡桃はゆっくり俯いた。


「いいのかな……」


「え?」


「人に頼って……ばっかりで……」


『頼っていいんだよ。心通わせている相手には頼っていいんだよ。

――相手が困っている時、今度は自分が助けてあげればいいの』

と、茜音さんは微笑む。


「僕も……そう思うよ」


「うん、そうだよね……」


 会話の流れから嫌な嵌り方をしてしまった。

胡桃には茜音さんの言葉は届いていないのだから。


「言い間違いだよ。胡桃は頼っていいと思う」


「え?」


「なんでも頼る人はよくないと思う。僕のバイト先にもいるよ。

人に押し付けたり、人に頼ることを都合良く解釈して、楽しようとする浅ましい人が。

でも、胡桃は違う」


 彼女の言動を聞いてきたらわかる。


「胡桃は一人でがんばってきたんだから。頼っていいんだよ。

相手も……今の場合は僕の家族だけど、相手がいいって言っているんだから」


 胡桃はしばらく沈黙していた。


「うん。ありがとう」


 胡桃は三つ子を連れ見送りの母と僕に深く頭を下げた。


「ご馳走様でした。すごくおいしかったです。

ほら、みんなもお礼言って」


「ごち、そう、さまでしたー!」


 栗のような頭が三つ並ぶ。


 母は三つ子と別れることを名残惜しそうにしていた。


 仲良く手を繋いでいる四人の背中は遠ざかっていく。


「母さん……ありがとう、胡桃のこと」


「ううん」


「昨日、市の職員を連れて胡桃の家に行ってくれたんでしょ?」


「うん。けっこう……揉めたけどね」


「どういうこと?」


 母の話によると父は僕の話を聞いた後で市役所へ行ったそうだ。

すでに閉庁している時間であったが残っていた職員に事情を説明した。

次の日に父母は当該担当者と会ったが、

「簡単に審査を通すわけにはいかない」と、門前払いに近い態度を取られたそうだ。


「詳しい話も聞いてくれなくてね。透くんが怒っちゃって。

初めて見た、透くんが怒ってるの」


「うん。僕も見たことないよ」


 二日前、僕が家族に対し酷い言葉を吐いた時以外は。


「他の人の目があったから透くんが会議室に無理矢理引っ張っていってね。

私が止めても止まらなかった」


「そう……だったんだ」


「透くん、何度も頭を下げてた。

四人も子どもがいて、お母さんも入院していて……頼れる親族はいないって。

市役所に行く前に胡桃ちゃんの家に行って話を聞いたの」


 それほどの事情を持っていても生活保護における審査に慎重なのか。

職務として矜持と正義を持っているのであれば立派であると思う。

話を聞く限り違うことは明白だけれど。

世の中には不正受給している者も数多くいるし、

一定の住処を与え受給者から金を捲き上げるビジネスも存在していた。

胡桃の家庭のように制度を受けるべき人たちが泣き寝入りする現状があった。


「最終的にはあっちが折れて話は解決したけどね」


「そう……やっぱりおかしいんだよ、行政は。傲慢で怠慢で偉そうにする」


「ふふ、そうね。でもさ……戦い続ければ、勝つこともあるのね」


 胡桃たちは角を曲がり、その姿は見えなくなった。


「透くん……必死だったんだと思う。朝陽のために」


「僕のため?」


「うん。朝陽が人のために泣いて土下座までして頼んでくれた……こと。

きっと、それを裏切りたくなかったの。その優しい気持ちを裏切りたくなかったの」


 母の横顔は穏やかだった。


 自室へ戻ると茜音さんはタブレットを見ている。


『ケーキおいしそうだったね』


「まあ……一般的な味だったと思いますよ」


『私も食べたかったなー。私が見てるのに朝陽くん一口もくれないんだもん』


「それをしていたら胡桃が倒れちゃいますよ」


『そうだけどさー』


「次の日曜日にでも買いにいけばいいでしょう。

それか……母か葉月に作ってもらうとか」


『うん……そう、だね』


 急に反応が悪くなりタブレットの操作を始める。


 椅子に座り茜音さんが以前書いてくれた音楽理論ノートを開く。

そこには噛み砕かれた様々な知識が綴られている。

五度圏表というものを確認しているとベッドの方から声がした。


『ねえ、出かけようよ』


「え、まあ……いいですよ。どこに行くんですか? ケーキ屋ですか?」


『海に行きたい』


 僕は彼女に言われるがまま、いつも通りに準備をした。

階下に降りて飲み物を手に取るとリビングにいた母が、

「どこに行くの? いつもギター持っていくよね」と、微笑みながらも訝しむ。


「気分転換に海に行ってくるよ」


「いつも遊んでた海?」


「うん」


「ふーん。海の前でギターを弾く……ね。

本当に一人で弾いてるのかな……。誰かに聴かせてるんじゃないの?」


「いいって、そういうのは」


「さっそく胡桃ちゃんに会いたくなった、とか」


「違うよ。胡桃には聴かせたことないよ」 


「私も聴いたことないんだけど」


「…………。まだ弾けないから」


『嘘つかないでよ。ミーちゃん、平良さん、清原さん、久保さん。

みんなから褒められてたじゃん。結衣ちゃんにも。まあ、師匠が優秀なんだけど』


「よっぽど大事なのね」


 母は水玉が滴るグラスを手にし麦茶を飲む。


「いつも持ち歩いているから大切なんだろうな、って思ってね」


 外へ行く時にギターを持たないのはアルバイトの時だけだ。

あとは……お盆の墓参りの時だったか。


 飲み物をトートバッグに入れリビングから出ようとした時だった。


 背後で茜音さんが『お母様』と声を出す。


『お母様、いつも夜食を作ってくれてありがとうございます。

とてもおいしくて幸せでした』


 深く頭を下げている。当然だけれど母はテレビを見ていて反応がない。

僕の視線に気付いて「いってらっしゃい」と声をかけてきた。


「いってきます」


 海に到着し土手に荷物を置く。

日が傾いてきている。茜音さんと夕方の海に来るのは初めてだ。

いつも昼間か早朝であった。

彼女は砂浜で貝殻を拾っては捨てている。


 僕はギターを取り出しポロポロと根音と単音を鳴らす。


『今のメロディいいねー』

と、いつの間にか隣に座る茜音さんは笑う。


『譜割りを変えると、もっとおもしろくなると思うよ』


「茜音さんには敵いません」


『そんなことないよ。朝陽くんのメロディセンスは和泉茜音が保証する』


 さざ波の音が日中の照りつけていた暑さを奪っていく。


『音楽が……ギターが……私と朝陽くんを繋げてくれたんだよね』


「どうしたんですか、急に」


 彼女がギターのサウンドホールから現れたのは六月の初旬だった。


『音楽の道には進まない、って平良さんに言ってたけど。

やりたいことは……決まったの?』



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
陽野さん、こんにちは。 胡桃のような家が保護を受けられなくて、普通に幸せで平和に暮らしている人たちが保護を受ける—— この現状に、とても腹が立ちました。 あと行政なんで胡桃のような家を見捨てんだよ意味…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ