夏の宴 13
「ご……ごめんな、さい……。ごめん、なさい……」
「えー、どして謝るのお?」
と、僕と茜音さんの間を軽やかに抜けていく。子どもがスキップするかのように。
結衣さんに追いついたミンミさんは彼女の両肩に優しく触れる。
「懐かしいねえ。元気にしてたー?」
「ごめん……なさい。ごめんなさい……」
「だからあ、なんで謝るのお?」
結衣さんの肩は小刻みに震えている。
「あの時……私を助けないで……おねえちゃんを助けていたら……。
ど、うして……どうして……ですか」
その言葉の後でミンミさんは結衣さんの片方の肩を引っ張り方向転換させた。
間髪入れずに抱きしめる。こちら側に向いた結衣さんの顔は涙に濡れていた。
「そっかあ……。ワッパ、そのこと気にしてたのかあ。
ごめんねえ……ワッパに重荷を背負わせちゃってたねえ……」
ミンミさんの肩口から見える結衣さんの顔は長年の苦しみを持っていた。
「ワッパ。ワッパは……誤解しているよお」
「え……」
「あたしも、あかちんも、ワッパを助けたことに後悔なんて一つもないよお」
結衣さんから溢れる雫は速度を変えた。
「で、でも……私を……私を助けなかった、ら、今も……おねえちゃんは……。
ミ、ミンミさんも……おねえちゃんも……一緒に……」
「あかちんとあたしはシンユーなんだよお」
『ミーちゃん……』
と、目に水分を溜める茜音さんは二人に近付く。
「あたしはワッパを助けたかったあ。
それに、あかちんの考えていることはわかるんだよお。
――あたしは、あかちんと自分が望む行動をしただけだよお」
「で、でも……でも……」
「あかちんがよく言ってたんだあ。
次の子たちの未来を守っていきたい。子どもたちが一番大切なんだよ、ってえ。
――大きくなったねえ……! ワッパ……! 嬉しいよお!」
強く強く抱きしめている。今までの嘆き、憂いを自身の温かさで包むように。
「で、も……でも……私……」
『ミーちゃん、結衣ちゃんのこと助けてくれて……ありがとう』
「ワッパが気にすることはないよお。あたしたちはワッパの未来を守れたあ。
それはあ、あかちんとあたしの誇りなんだよお……!
謝ることなんてえ、一つもないからねえ……!」
結衣さんの泣き声は隠そうとしても口から漏れ出していた。
「た、助けてくれて……ありがとう、ございました……。
今まで……こ、怖くて……言えなくて……ごめんなさい……」
ミンミさんの鼻を啜る音が聞こえ茜音さんも二人の側で泣き始めた。
三人の涙は山から吹く緩やかな風が乾かしていく。
ミンミさんは結衣さんから身体を離し、雲が点在する青空を仰ぎ大声を上げた。
「あーかちん……! 見てるうー? あの時、あたしたちが助けた女の子!
こーんなにい、大きくなってくれたよお! こーんなにい、かわいくなってるよお!
あーかちん……! 聞こえてるうー!
あかちんの想い、きっとワッパも繋げてくれるよお……!」
青空へ飛んでいく声は隣に佇む茜音さんへ涙と笑みを与えた。
『ミーちゃん、聞こえてる……! ちゃんと聞こえてるよ!
それと……! ワッパ呼びやめてって、あの時言ったでしょ!』
茜音さんは二人に抱きつき蓄えていた雫を流す。
「あれえ……また、あかちんの匂いが強くなったあ……」
三人の様子を眺めていると背後から平良さんの声がした。
「そうか。あの時の女の子は……彼女だったのか。ずいぶんと不思議な巡り合わせだ」
「知っているんですか?」
振り返ると平良さんの他にも清原さん、久保さんがいた。
「ああ。茜音くんとミンミが助けた女の子。
そうか……もう、あんなに大きくなったか」
「茜音ちゃんが助けた子なのか。これは……感慨深いねえ」
僕たちは再び夕焼けの宴へと戻り、清原さんが用意してくれた椅子で輪を作る。
「で、朝陽。お前の言う通り、あいつと関係の深かった人たちを集めたぞ」
清原さんは一人一人にアイスコーヒーを渡しながら言った。
「はい……そのこと――」
僕の言葉へ被せるようにミンミさんが口を開いた。
「その前にい、話したいことがあるう」
「あんだよ? 話の腰を折るんじゃねえよ」
「黙れえ、キヨスケ。そのギター、あかちんのでしょお?」
と、僕の傍らにあるギターケースを指差す。
茜音さんのギターケースは特別だ。
「そうだ。俺が朝陽に譲ったんだ。茜音から言われてたことだ。
次の奴に託してくれ、ってな」
眉間に皺を寄せた鋭い眼光に一切怯まずミンミさんは睨み返す。
その後で対象的な笑顔を僕に向けた。
「そういえば、名前聞いてなかったあ。きみい、名前は?」
「砂山朝陽です」
「朝陽……どうしよお。アーサー……アーサー、でいいかあ」
「で、なんだよ? お前も俺の判断にケチつけんのか?」
「うるさーい、キヨスケ。
あたしもアーサーのことは只者じゃないって、初めて会った時から思ってるう。
――マッタイラー、キヨスケ、ボッキー。あかちんが助けたワッパ。
あかちんのギターを譲り受けたアーサー」
どうやら久保さんはボッキーと呼ばれているようだ。
「ここで言っておきたいことがあるう」
ミンミさんは青色の髪の毛を地面へ向けた。
「みんな、ごめんねえ」
「な、なんで、謝ってんだよ……」
と、椅子を鳴らし立ち上がる清原さんは身を引いた。
「ごめんねえ……あかちんのこと……助けてあげられなくてえ、ごめんねえ。
やっとお、言えるう。ごめんねえ……」
光る床に水の粒が加わった。
「な……怖えよ。お前が頭を下げるとか……」
清原さんは非常に警戒しているが何かあったのだろうか。
平良さんが眼鏡を触り言葉を出した。
「ミンミ、きみのせいではない。誰のせいでもない。
あれは事故で、誰のせいでもない。きみと茜音くんが人を助けたという事実だけだ」
「あたしはあ……あかちんが死んだ後、マッタイラーのこと殺そうと思ってたあ」
「知ってるさ」
平良さんは鼻腔から空気を抜き微笑んだ。
「あの時は、どこに移動するにも常に警戒していた。
ミンミが狙っている、という情報は寄せられていたからね。
きみは知っているか? 私はあの時、警備を十人以上にしていた」
「知ってるう」
「警備がいようと関係ない、か」
「手榴弾買っていたからねえ。警備を巻き込む分には問題ないからあ。
だってえ、命を賭ける職務なんだから、死ぬことも当然のことだよねえ。
対象者の盾になることが仕事だからねえ」
『ミ、ミーちゃん、手榴弾って……』
と、茜音さんは双方の顔を見て困惑した。
「それで……なぜ、やらなかったんだ?」
「マッタイラーの本当の気持ちがわからなかったからだよお」
「本当の気持ち、か」
「あかちんの死を勝手に自殺と報じた週刊誌。創作活動を苦に自殺。
誤報はどんどん広まってえ、世の中の人は勝手なことばっかり言ってたあ。
マッタイラーは、その記事を訂正することも止めることもしなかったあ。
いくらでも戦える術を持っているはずなのにい……。
――なにもしなかった。マッタイラーは……なにもしなかった」
目を強く閉じるミンミさんは続けた。
「あかちんはマッタイラーのこと信頼してたのにい。
マッタイラーとキヨスケのこと……お兄ちゃんみたいに思ってるってえ。
そう言ってたのにい……。だから、殺してやる、って思ったんだよお」
平良さんは床に視線を落とし言葉を紡がなかった。
「考えてたんだあ。あかちんが死んでから外国を転々としてえ。
あかちんの音楽を世界の人へ聴かせに行ってた時もお」
『ミーちゃん、やっぱり音楽やめてなかったんだね』
茜音さんには泣きそうな表情と嬉しそうな表情が混在している。
「わかったんだよお」
「なにが……わかったのかな」
「マッタイラーは……あかちんの想いを汲んでくれたあ。
だから、事実を言わずにフェイクをそのままにしたんだよねえ」
「想い……か」
「ワッパを守るためにい、本当のこと言わなかったんだよねえ」
ミンミさんは結衣さんを静かに見つめた。それに呼応するように彼女も視線を合わせる。
「まだ小さい女の子だったワッパ。
本当のことが明るみに出ればあ、あかちんのことで根掘り葉掘り聞かれて、
好奇の目にさらされることになるう。
さらに傷ついちゃうことを考えてくれたんだよねえ。
だからあ、本当のことは伏せていたんだよねえ?」
平良さんは左手に付けた高級腕時計に右手で触れる。
「さあ……どうかな。覚えていないな」
「あかちんの守りたかったものを……守ってくれてえ、ありがとお……。
あかちんの代わりに……お礼を言うねえ。マッタイラー、ありがとお」
深く頭を下げている。
「それは……こちらが言うべきことかもしれない。
きみには今回のフェスを止めてもらった恩がある。
また……自身の意に反して過ちを繰り返すところだったよ」
と、微かに微笑む。
身を引いていた清原さんは椅子に座り、前傾姿勢でミンミさんに問いかけた。
「お前が盗んだギターの中の一本、どこにあるか知ってるか?」
「えーー、さあ? 別に興味ないよー」
「あの一本、今年デビューした新人が使ってやがる。
知り合いにシリアルナンバーの確認してもらったら合致してやがった。
その前は、そいつの兄貴が使っていた。
茜音が言っていたように結果的には、それでよかったって今は思ってる。
気にすんなよ、そのことは」
「えーー、そのことは最初から気にしてないよお。
だって、あれはキヨスケがあたしのことバカにしてくる恨みもあったからねえ」
「て、てめえ! ふざけんなよ……!」
「キヨスケ、知ってるう?
あの後もキヨスケの家に忍び込んではヴィンテージの機材類を盗んでたんだよお。
外国での活動資金には感謝してるよー」
「てめえの仕業だったのか……!」
店内は涙と笑いに包まれた。
「で、朝陽。みんなを集めた理由は?」
視線が集まる。これからどうなるのだろう。
喉元が重くなり指先で額に触れてから答えた。
「みなさんに……聴いてもらいたい曲があります」
清原さんは不敵な笑みを浮かべ足を組んだ。
「オリジナルか?
ギターのテクは始めたばかりとは思えねえが、楽曲ってのはセンスが問われるぞ。
俺たちプロに聴かせるってことの意味をわかってんのか?」
「清原くん……なぜ、喧嘩腰になるんだよ。
若い子が作った曲を聴かせたい、と言っている。そこにプロもアマもないだろう。
そんなことは音楽にとって重要じゃない。
みんなに聴いてもらいたいと勇気を出してくれたんだ。な、朝陽くん」
目尻に皺を寄せる久保さんは穏やかで温かい。
茜音さんが尊敬している理由がよくわかった。
「はい、ありがとうございます。ですが……僕のオリジナルではありません」




