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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
第五章 夏の宴

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夏の宴 5

「父さんは……いつでも明るくしてくれる。前から……わかってた。

中学の時も嫌なことがあると……父さんは、わざと冗談を言って勇気づけてくれた。

わかってたけど……冷たい返事をしてた。

苦しい時こそ沈んでばかりいないで行動することが大事って……教えてくれた」


「無理に言わなくていいんだよ、朝陽」


「さ、さっちゃん!」


 母は父に反応せず話を続ける。


「今日の……お弁当。いつもと違ってたでしょ?」


 そうだ、違っていた。有名なアニメーション映画に出てくる弁当を模倣していた。


「葉月が作ったんだよ」


 母の話では日が昇る前に葉月に起こされ、

隣の市にある二十四時間営業のスーパーへ連れて行ったようだ。

弁当に入っていた品は現代の家庭で常備されていることは少ないだろう。


「お兄ちゃんに昔を思い出してほしい、って、お弁当作ってたよ」


「どういうこと?」


「詳しくはわからないけど、子どもの頃みたいに仲良くしたいって言ってたよ。

あの映画、子どもの頃に二人で何回も観てたから。

山とか森に探しに行ったりね。覚えてる?」


 葉月は映画に出てくる神様、精霊、獣、なんと表現すればよいのかわからないが、

一緒に探しに行こうと言われたことは何度もある。


「朝陽は葉月の夢を壊したくないから、いつも一緒に行ってくれてた。

ふふ、なぎちゃんが葉月を喜ばそうと野ウサギを捕まえてたりね。

葉月は……そのお弁当で、朝陽に今までのこと思い出してほしかったんじゃないかな。

今まで一緒に過ごした時間は嘘じゃない、って。

自分のお兄ちゃんは朝陽なんだ、って」


「遠回しすぎて……意味がわからないよ」


「ふふ、そうね。でも、一つは確かなものでしょ。

葉月にとって朝陽はお兄ちゃん。朝陽にとって葉月は妹でしょ」


 ゆっくり……静かに頷く。


 茜音さんの問いかけに「妹じゃない」と言ったことは何度かある。

そのようなこと本心で思ったことは一度もないのに。

虚勢を張っていただけで、今は素直に認めることができた。


 身体に母の腕が回され胸の中に引き込まれる。


「や、やめてよ」


「いいから、いいから」


 優しい香り、柔らかい温もり。


「もう……子どもじゃないから、やめてよ」


「まだ子どもだよ。たまにはいいじゃない。昔はよく泣いてたんだから」


 温かさに触れていると涙の量が増えていく。


「昔は、なぎちゃんと喧嘩して、負けて……よく泣いていたもんね」


 忘れていない。凪沙の異端な行動によって泣かされたことは数え切れない。

そして……母は誤解している。喧嘩ではない。一方的に攻撃されていただけだ。


「私たちは家族だよ。家族……なんだよ」


「そう、家族だ。なんの心配も悩むこともない。朝陽は俺の大切な息子だ」


 家族の温かさは悲しみに打ち勝っていたことを思い出す。


 母は抱きしめてくれ、葉月は頭を撫でてくれ、父は大きく笑っていた。


 いつでも温かった。いつでも優しかった。


 みんなは……家族なんだ。


「ごめんなさい……家族じゃないって言って。

葉月のこと妹じゃないって言って……ごめん……なさい」


「大丈夫。誰も怒ってないよ。私もごめんね」


「殴って……ごめんな。痛かったよな、朝陽。ごめんな。

あの後……俺も初めて、さっちゃんにビンタされたよ」


 父の拳の痛みより自身の弱さのほうが痛かった。


「私の子どもになってくれて、家族になってくれて、ありがとう」


 母の身体から離れて二人を見渡せるテーブル前に正座した。隣には茜音さんがいる。


 涙は止まらない。どんどんと溢れてくる。


 自身の不甲斐なさ。


 父母の優しさ。葉月の優しさ。


 一つのことを言おうと決めた。


 自身が勝手に作り出した不信感で言えなかったこと。


 実の両親ではないと言い訳にしていたこと。


 両の手をカーペットに置き繊維を舐めるように頭を下げた。


「ちょ、ちょっと朝陽、なにしてるの」

と、母の驚く声が耳に入ると同時に茜音さんも『朝陽くん……』と、小さく漏らす。


 今の心理状態と普段することのない体勢で呼吸は荒い。


「やめて、朝陽。なんでそんなことするの。ね、やめて。顔を上げて」


「持ってくれ、さっちゃん。男が土下座をしているんだ。

しっかり話を聞いてやろう」


 もっと早くに言えればよかった。


 人の涙より優先した虚栄心、猜疑心。


 自身から逃げていた。


 僕は誰よりも……誰よりも愚かで卑怯者だった。


「――がいします……」


 涙に溺れる声は明確な発声へ向かうために何度も繰り返す。


「お、お願い……します……」


「どうしたの……お願いします、って……」


「お願い……します。助けて……助けて……ください」


「なにを……助けてほしいの?」


「胡桃のこと……助けてください……」


「胡桃ちゃん……?」


「助けて……ください。僕の力では……助けられない。

胡桃のこと……助けてください……お願いします」


「――わかった。助けよう」

と、父は内容を聞かずに了承した。


「胡桃ちゃんのなにを助けてほしいの?」


「さっちゃん、男が……朝陽が頭を下げているんだ。助けるのに理由はいらないよ」


「なにがあるのかを聞かないと助けられないでしょ」


 胡桃の置かれている状況を話す。

身体を売っていることは言わなかった。勝手に言うことは彼女に対し不義理になる。


「そう……か。よく話してくれたな」


「胡桃ちゃん……朝陽も……つらかったね」


 僕が頭を下げながら話している間、背中には茜音さんの手が添えられていた。


「やっぱり兄貴たちの子どもで、俺たちの子どもだな。

――安心しろ。必ず助ける。俺が動けば不可能はない。

俺は人生で負けたことが一度もないからな」


「あるでしょ。負けたことがない人なんていないよ。

どれだけ成績を上げても上司からの過剰な要求で泣いていたじゃない。

同僚からの嫉妬にも悩んでた。有る事無い事言われて。

信頼してくれる部下が多くいても一部の厄介な人たちに攻撃されて苦しんでた。

いつも隠れて悔し泣きしてたの知ってるからね」


 そのような父の姿は見たことがない。


「さ、さっちゃん……! それは……さ――」


「――ごめん、言い方がよくなかった。負けてはなかったね。

いつも家族のために歯を食いしばって、がんばってたもんね。

透くんが誰よりもカッコいいの知ってるから」


「さっちゃん……!」


 身体の力が抜けて父に身体を起こされる。

朗らかに笑う父は「出掛けてくる」と言い残し自宅を出て行った。


 母、茜音さん、僕はソファに腰を下ろした。


「朝陽、もう大丈夫だよ。胡桃ちゃんのこと話してくれて、ありがとう」


「今まで……言えなかったから卑怯者だよ」


「そんなことないよ。朝陽は人を気遣える優しい子なんだから」


『そうなんです、お母様。

その部分は私が指導しなくても最初から持ち合わせていたんですよ。

すごく優しいんです、朝陽くん。照れ屋だから隠そうとするんです。

問題なのは……女の子の気持ちを理解できないところです。これは非常に問題です』


「それは……個人の見解でしょう」


「どうして敬語になるの。やめてよ、そういうの」


 力が抜けたことで頭も軽くなってしまった。


「一緒に夕飯を作ろっか、久しぶりに」


『賛成でーす!』


 母と共にキッチンに立つのは中学生以来だ。


「なに食べたい?」


『唐揚げが食べたいです!』


「か、唐揚げかな」


「ちょうどモモ肉あるよ」

と、冷蔵庫を開ける背中に問う。


「やっぱり……唐揚げのレシピは教えてくれないの?」


 母は振り返り眉毛をハの字にして笑う。


「うーん……知りたい?

朝陽には彼女やお嫁さんに作ってもらった味を大切にしてほしい。

私の唐揚げのレシピは葉月だけに教えて、今度は葉月が自分の子どもに教える。

代々、お嫁さんになる人に伝えていく。そういうのって素敵でしょ?」


『お母様! 私もそう思います……! 素敵です!

それに、朝陽くんには私が唐揚げを作ったので大丈夫です……!』


「その論法だと葉月に女の子が生まれないと意味ないと思うけど」


『ちょっと……! 夢を壊さないでよ!』


「それも……そうだけどね。レシピ知りたい?」


 母は穏やかで鋭く睨むのは茜音さんだ。視線は怖くないけれど痛みはある。


「いや……やっぱりいいや」


「いいの?」


「うん」


「意地悪で言ってるわけじゃないからね」


「わかってるよ」


 母と料理を作り父が帰宅して三人で夕食を摂る。


 自身が素直に笑えていることに気が付いた。


 家族……なんだ。 


 自室へ戻ると茜音さんはベッドに寝転ぶ。


『お母さんの揚げたての唐揚げ……すごくおいしかった』


 キッチンに隠れ揚げたての唐揚げを食べていた茜音さんは喜んでいる。


『おいしすぎて……もう未練ないなー』


「チキン南蛮もおいしいですよ」


『えっ! 食べたい! チキン南蛮好きなの!』


「手作りのタルタルソースは絶品です。

凪沙もご飯のおかずなら一番良いって言っていますし」


 風呂に入り自室へ戻ると茜音さんがノートとペンを手にし微笑んでいた。


『歌詞、書こうよ。今の朝陽くんは素敵で温かい言葉が生まれると思う』


 コード進行もメロディも構成もできている。あとは歌詞を残すのみだ。

ベッドに座り、お互いに言葉を出し合い、僕が弾くギターに歌声が乗る。


 耳が幸せだ。


『露が混じって通せんぼ』


「雨が残って霞むまま」


『ここは譲れないよ』


「提案だけです」


『ふふ、譲ってくれる男の子はいいね』


 どんどんと歌詞を煮詰め日付が変わる頃に完成した。


「できました……ね」


『うん。今までの中で最高の一曲だと思う』


 不安を感じた。


 彼女の未練とは「人を助けること」「最後の曲を完成させること」

このまま消えてしまうかもしれない。そう思っていると彼女の手が頭部に乗る。


『よくがんばりました。

怖くても……ちゃんと自分の言葉でお父さん、お母さんに話したもんね。

よかったね、話し合えて。よくがんばりました』


「茜音さんの……おかげですよ」


 頭部で動く手が止まった。


『師匠なのだから当たり前です。弟子の嘆きは師匠が助けます。

いつでも頼っていいのですからね』


 いつまで……一緒にいられるのだろう。


 その後で彼女の様子を窺ったが、相変わらずベッドに寝転びタブレットを見つめていた。


 部屋の明かりを暗くし床に敷いた毛布へ寝転ぶ。


 今日の出来事を振り返る。

一人では言えなかった。勇気がなかった。言葉にすることが怖かった。

彼女がいなかったら家族との関係はどうなっていたのだろう。

葉月には謝罪できていないけれど。


「茜音さん」


『なーに。抱きしめたいなら許可取らなくていいよ』


「違いますよ」


『いつまでも強がらなくていいから。損するよ、色々』


「――ありがとうございました」


『え、私はなにもしてないよ。朝陽くんが勇気を出したんじゃん』


「背中を押してくれたのは茜音さんです」


『へー、そっか。じゃあ、お礼のキスして』


「じゃあ、の意味がわからないです」


『抱きしめることも許可します』


「…………。性は簡単な――」


『もー、なんでそれを言うの? 記憶力がいいからって言わなくていいの……!』


 彼女は幽霊。


 僕は彼女をそのようには見ていない。


 見れなくなっていた。


 最初からそうだったのかもしれない。



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