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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
第五章 夏の宴

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夏の宴 4

 移民で成功した国はない。

多くのデータがあるのに見て見ぬ振りか、日本なら大丈夫という愚かな思考なのか。


 移民を入れた国の犯罪は増加する。人口が増えたからというわけではない。

犯罪率は外国人であっても変わらない、という話もあるけれど、本当にそうなのだろうか。

特に性犯罪は顕著に表れている。

ある国での性犯罪は当該国民より外国人の方が三、四倍多いという実態がある。

女性と子どもが襲われることを世の人は受け入れるというのだろうか。

腕力の弱い者が暴力によって虐げられ苦しむことを容認するのだろうか。


 隣の国のことだと思った。隣の県のことだと思った。隣の町のことだと思った。


 そうしている間に侵食されることを理解していない。


 すでに手遅れであることにも気付いていない。


 外来種の生物や植物を安易に入れると在来種の数が減少することも多い。

かつての日本が食用のために入れた生き物。

飼育目的の動物が逃げたり、責任の無さから自然界へ放たれた生き物。

観賞用や人や物に付着し入ってきた植物。


 島国の生態系は崩れた。


 人間で同様のことが起こらないと、なぜ思うのだろうか。


 言語、文化、思想も違う。なぜ話し合いで解決すると勘違いするのだろうか。


「悪いのは、その外国人です。

茜音さんのせいじゃないです。平良さんも……そう思っています」


『え……』


「平良さん、言っていました。名誉の負傷だ、って。唯一、恥じのない誇り、だって」


 タブレットの画面には水玉が落ちる。


『ミーちゃん、平良さん、清原さん、今でも私のことを忘れないでいてくれる。

人の思いやりって嬉しい……ね』


 目元を拭う彼女は僕を見つめた。


『ね、朝陽くん。人には強がる時も必要。

でもね、素直に話したほうがいいこともあるよ』


 茜音さんにとっての師匠は平良さんなのかもしれない。

同じようなことを言われた。


『想いを受け止めてくれる人にはちゃんと言ったほうがいい。

朝陽くんが想っていること話してみようよ』


「いや……いいですよ」


『家族じゃない、って言った言葉の裏にある気持ちを伝えてみようよ』


「いや……」


『怖い?』


「よく……わからないです」


『大丈夫だよ。私も一緒に行くから。ね、大丈夫』


 軽く肩に置かれた手は安心感がある。


 外は明るさを持つけれど、薄暗い気持ちは動かないし、足は一向に進まない。


 ギターケースを持ちリビングの前で立ち尽くす。


 扉を開ける勇気がない。


 浅い呼吸を繰り返していると目の前が一変した。


 リビングのソファに座る父と母がこちらを見ていた。


 茜音さんが急に扉を横に動かしたからだ。


『さっ! 勇気を出して一歩踏み出せ、青年!』


 背中を両の手で叩かれた。


 平良さんの言葉を思い出す。


 己の弱さを認めること。


 リビングへ足を踏み入れると母が立ち上がりキッチンへ消えた。

浅い呼吸で視線を落としていると、目の前に母が現れ、

右手には氷が入った麦茶を手にしている。


「はい、座って、座って」

と、背中を押されソファへ座るように促された。


 二人を見ることができない。


 呼吸は変わらず時計の秒針だけは前に進んでいく。


「昨日のこと気にしなくていいんだよ」


 隣に座る母は穏やかな口調で言う。


 茜音さんは正面にいる父と僕の斜め前に位置していた。


「朝陽が苦しんでいること……考えてあげられなくて、ごめんね」


 否定の言葉をリビングの床に落とせない。


「去年……詳しいことは話せなかったね。私も怖かったから……ごめん、ね」


 母の手が太腿に触れる。


「震災が起こって詳しい状況がわからない中で、しばらく経ってから連絡が来たの。

それで……朝陽を迎えに行ったんだよ」


 去年、話をされた際に聞いている。実の母が僕を預けた人たちから連絡が来たそうだ。


「透くんは一人で迎えに行く、って。その時は葉月が私のお腹にいたから。

でもね……私も一緒に行くって言ったの」


 普段、軽口を言う父は相槌を打つことも合いの手を入れることもない。


「迎えに行ったらね……小さい、小さい朝陽がいて笑ってくれたの。

つらく悲しい現実を理解できる年齢じゃない。朝陽は……笑ってくれたの」


 喉に引っかかる声を押し上げることができない。


「私は……この子が無事で……助かってよかったって思った。

心の底から……助かって……よかった。朝陽は笑顔で私に話しかけてくれたの。

まだ上手に話せない言葉でいっぱい話しかけてくれた。

小さい手で私の手を握ってくれた。 

私は……朝陽の母親に……なりたい……私が母親になるって決めたの」


 父は嗚咽している母へティッシュを差し出した。


「朝陽は……話しても変わらないままでいてくれる、って勝手に思って……ごめんね。

つらい思いをさせちゃって……苦しませちゃって……ごめん……ね」


「そんなこと……ないよ」


 やっと出した声は掠れていた。


「どうして……実の両親は……」


 その答えを知りたい。いや……答えはない。わかっている。答えはない。

養親は何と答えてくれるのだろう。


 声を震わせる母とは対象的な音が聞こえた。


「震災後に朝陽のことを守ってくれたのは兄貴たちの友達だ。

その人たちを信頼していたんだろう。

だから、朝陽を産んでくれたお母さんは託せたんだろうな。

決して朝陽のことを軽んじていたわけじゃない」


 その行為を正しいと言うことはできない。

助けに行かず共に居てくれたら実の母は生きていたのだから。


「二人は……朝陽のこと愛していたんだ」


 その言葉の重みに返すことも頷くこともできなかった。


「お母さんは幼い朝陽を残して……それでも人を助けにいった。

兄貴も警察官の職務を全う……いや、それ以上のことをした。

そのおかげで救われた命がたくさんある。

朝陽を産んでくれた両親のおかげで助かった命がたくさんあるんだ。

朝陽は苦しいと思うが……その事実は受け止めるしかない」


 はっきりと響くような低音だ。


「昔からな……兄貴はヒーローだったんだよ」


「ヒーロー……」


「ああ。弱きを助ける。困っている人がいたら見て見ぬ振りはしない。

警察官になっても変わらずに真っ直ぐな兄貴だったんだ。

兄貴は変わらなかったよ。

年に一回ぐらいしか会えなかったけど変わってないのは弟の俺だからわかる。

――学生の頃に、いつも言われてたよ。

『義を見てせざるは勇なきなり』

当時の俺はカッコつけんな、って反発してたけどな。

その強さが今の俺には痛いほどわかる。兄貴は……いつだってカッコよかった」


 グラスの中の氷が溶けカラリと音を鳴らす。


「実はな……さっちゃんとは、朝陽を引き取るとか、どうするとか話したことがない」


 視線を上げ父の顔を見ると普段と変わらない笑顔があった。

厚みがあって包み込むような温かさ。


「今まで一度も話したことがない。当たり前に暮らしている。

――俺たちは、あの日から朝陽と家族なんだ」


 隣に座る母は涙を流し何度も頷いている。


「俺はさ……安心したよ」


 その曖昧な言葉に疑問を投げかけると鼻を少し鳴らし父は答えた。


「公園で絡まれている女の子を助けたって聞いた時。

他にもある。朝陽が……あれは墓参りの前の日か。柏木の婆さんを手助けしてただろ?」


 あの時のお婆さんのことか。


「車で通りかかったんだが声はかけなかった。

男は……そういうの隠したいからな。言わないところがカッコいいんだ」


「透くん……お金のこと朝陽にバレてるよ」


「えっ、そうなの?」


「普通に……バレるでしょ」


 母は涙を垂らし声を漏らし笑う。


「俺は……朝陽の行動を見て嬉しかったし安心したよ。

兄貴たちの子ども、俺たちの子どもは立派だって。

兄貴の言う『義を見てせざるは勇なきなり』をちゃんとできてるって。

さっちゃんにもすぐに教えたし、兄貴たちにも報告した。

大丈夫だ、って。朝陽は立派に育ってる、って」


 父は静かに目元を指で押さえつけた。


「な、朝陽。朝陽の名前の由来教えてやろうか」


 名前の由来。小学生の頃に授業の一環で調べてくるように言われたことがある。

父に聞いたが愛飲しているビールのメーカーを言われ、

怒り半分、呆れ半分で自ら創作し提出したことを覚えている。


「兄貴に聞いたことがあるんだ。

もうすぐ俺たちにも子どもが生まれるから、人生の先輩として教えてくれってな」


「なんて……言ってたの」


「人は人のために生きていくから人なんだ。

一人なら生きていけないし、生きていく意味もない。

夜に隠れて泣く人がいるなら誰かの朝陽になってほしい。

手を差し伸べてあげられる人になってほしい、そう言っていた」


 今なら当時の父が名前の由来を言わなかった理由がわかる。

実の両親がいる……そのことを伝えていないのに言えない、と判断したのだろう。


「兄貴たちの行動に疑問があるなら……兄貴の言葉が一つの答えになるんじゃないか。

正しいとか間違っているとかじゃない。

別に答えは一つじゃなくていい。俺は数学が得意じゃないからな」


「それは透くんの話でしょ」


「まあー、そうだな。兄貴は勉強もできたからなー。

――なっ、朝陽。前に言っただろう。俺は人生の選択で間違ったことは一度もない。

ただの一度もないんだ」


 父が僕に彼女がいる、という浅い推理の中で言っていたことだ。


「朝陽が俺の息子になってくれたこと。

さっちゃんが俺と結婚してくれたこと。葉月が生まれてきてくれたこと。

みんなで家族になれたこと。な、一度も間違っていないだろう」


 父の真っ直ぐな言葉で目元に熱いものが込み上げてくるが、

僕よりも先に茜音さんが座り込んで泣き始めた。


「私は……朝陽と葉月のお母さんでいたい。透くんの妻でいたい。

いつでも……家族でご飯を食べたい。

ごめんね、今まで朝陽の気持ちを聞いてあげられなくて。朝陽は……どう思ってる?」


 不意に膝を二回叩かれる。母ではなく茜音さんの手だった。


『朝陽くん……大丈夫。思ってることを言って……大丈夫だよ』


 彼女の声は僕の声を引っ張ってくれる。


「去年……そのこと……実の両親じゃないって言われて。

僕だけは……違うんだって。僕だけは家族じゃないんだって……」


「そんなことない、朝陽は家族だよ。私たちの子どもで、葉月のお兄ちゃんだよ」


 頬に熱いものがボロボロと流れていく。


 止めようとしても止まらない。


「二人に感謝しているんだ……葉月と変わらずに育ててくれたこと。

子どもの頃を振り返っても二人とも……すごく優しくしてくれた。

母さんは、いつでも……おいしい料理を作ってくれて……。

泣いている時は……いつも抱きしめてくれた。それが嬉し……かった」


「うん……うん……」


「あ、朝陽……お、俺のことは?」


 父は眉を下げているようだが涙のせいで明確にはわからない。


「父さんは……」


「お、おう。いいぞ」


「父さんは……」


「おう。いいぞ」


「父さんは……」


「ないってさ、透くん」


「ないの!?」


 父も母も涙を混ぜ笑う。茜音さんも僕も。



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