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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
第四章 告白の夏

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告白の夏 15

 立ち去ればいい。一言だけを残し、この場を後にすればいい。


 横に顔を向けると茜音さんがじっと僕を見ていた。


 一つ酸素を吸い込む。


 普段の生活で怒ることなどない。感情を抑え過ごしている。

それは多くの人がそうであるし、円滑な人間関係を送るためにはおかしくない。

ただ……茜音さんが現れてから本音を出すことが多い。


 彼女は言葉を受け止めてくれる。

他人からすれば酷い言葉も。他人が綺麗事に包み隠す言葉も。

強い言葉を言って怒らせてしまっても、縁を切ることも関係が終わることもない。


 僕は茜音さんに対し、そのようなことを日々感じていた。


 止めなければ……いけないのに。


 言葉が吐瀉物のように溢れそうだ。


「二人に言いにくいなら私が聞くから。話してよ、お兄ちゃん。ね、お兄ちゃ――」


 葉月の声に被せる。


 言っては……いけないことだ。


 しかし……止まらない。止まらなかった。


「――妹じゃないだろ」


「え……」


「だから……妹じゃ――」


 もう一度言いかけたところで、父に胸ぐらを掴まれ身体の一部が制限された。


「なに……離して」


 目を合わせず太い腕を見る。


「朝陽……今の言葉は……ない、だろ」


 顔を上げると少しばかり微笑むようにも見えるが瞳は柔らかくない。

真っ直ぐに見てくる父の目から逃げた。茜音さんは不安そうな表情で言葉を出さない。


「俺たちは家族だ。なんでも話せたほうがいい、そう思ってる。

それでも言えないことはある、それは当然だ。

――人生で言いたいことを言える相手は少ない。

でもな、言っていいことと悪いことがあるだろ?」


「本当のことだよ。妹じゃない。家族じゃない……本当の家族じゃない」


 その瞬間、父の方へ強く引き寄せられたと同時に身体が後方へ飛んだ。


 痛みより先に衝撃が身体を襲い、後から頬に鈍痛が走る。


 父に殴られたことは……初めてだった。


 光が反射するフローリングを見ていると、

視界の隅に白いティーシャツと紺色のハーフパンツの後ろ姿が現れた。


「やめてよ……! なんで殴ったの!?」


「…………。言っちゃいけないことを言ったからだ」


「そんなの理由になってないよ!

お兄ちゃん、今、思っていること言ってくれたんじゃないの!?

どうして……殴ったの!?」


「言っちゃいけないことが……ある」


「言っちゃいけない……こと? まだ詳しく話してもないのに、どうして殴ったの!?

もっと話さないとわからないじゃん……!」


 父の返答は聞こえない。


「お兄ちゃん悪いことしてない! 謝ってよ……! お兄ちゃんに……謝ってよ!」


 自らを庇う人間に対し背後から狙撃するような言葉を持ち合わせていた。

それは虚勢によって生まれ、引き金を引くと螺旋を描き彼女の身体を撃ち抜く。


「お兄ちゃん……お兄ちゃんって、いつも……いつもうるさいんだよ。

僕たちは……兄妹じゃない。ただの……他人だろ」


 葉月は振り返り丸い目の中から涙を流していた。


「お、お兄ちゃん……だもん。私のお兄ちゃんだもん……」


 一度、言い始めたら戻れない、後に引けない気がしていた。

重い引き金を引いてしまったのだから。自身の弱さによる残酷な言葉は止まらない。


 止めなければいけないのに止まらない。


「違う。そう思っているなら勝手に言っていればいい。

兄妹? 家族?……滑稽だよ」


 葉月を優しく押し退けた父は、その力とは対照的に僕の頬を思いっきり殴りつけた。


「やめてよ……! やめて……!」


 葉月が父の腕を掴むが筋肉の塊は止まらず両肩を強く押さえつけられた。


「いいか、朝陽。よく……聞いてくれ。すべての暴力を悪と断ずること、俺はしない。

それは、なんの痛みも知らない奴が吐く易い言葉だ。

人は暴力を振るう時と振るわれる時がある。

人の道を外れた者を殴る、人の道を外れた者は殴られる」


「もうやめてよ……! お兄ちゃんは悪くないよ……!」


「もういい……」

と、父の腕を手で押し退け立ち上がる。


 自らが発端となったことから逃げ出す。


 逃げるしかない。


 殴られてもギターを離すことのなかった右の手首を軽く掴まれる。


「朝陽……さっき、葉月と私のことを心配して、霊能者さんに怒ってくれたんだよね。

朝陽のそういう優しい気持ち……ちゃんとわかってるから。

わかってるから、ね」


 ギターケースを僅かに揺らし母の手を解いたが今度はシャツの裾を掴まれた。


「朝陽、ご飯食べよ。お腹空いたでしょ。ね、ご飯食べよ」


 母のゆったりとした優しい言葉は背中から胸に響き痛みを持つ。


「いらない……」


 自室に戻り隠れたところで灰色の空模様は晴れない。


 椅子に身体を預けた。

机の古傷を見つめる。小学生の頃に凪咲がコンパスで突き刺したものだ。

楕円形に抉られた穴。僕の発言は葉月、母、父を同様にしてしまったはずだ。


 溜め息をゆっくりと吐き出す。

茜音さんはベッドに座っているが特に声をかけてくることもない。


 一時間ほど経ってから部屋の扉がノックされた。


 廊下の空気は入らない。


「お兄ち…………あの、ご飯、ここに置いて……おくね」


 振り返らず葉月の声に耳を傾けたが、それ以上の言葉が紡がれることはなかったし、

室内へ入ってくることもなかった。


 五分ほどしてから茜音さんが立ち上がり、扉を開けて食膳を取りガラステーブルに置く。


『朝陽くん……お母さんと葉月ちゃんが作ってくれた料理だよ』


「茜音さんが食べてください」


『でも……せっかく……』


「食べたくないので……茜音さんが食べてください」


『うん……』

と、小さい声を出し食前の挨拶をしてから箸が椀に当たる音がした。


 微かな衝突音の中に鼻水を啜る音が混ざっていく。


「なんで……泣くんですか」


『だって……』


「変なところを見せてしまって……すみませんでした」


 今までの僕であれば、あのようなことは言わなかった。


『私……今まで朝陽くんのこと傷つけたかも……しれない』


「どういうことですか」


『朝陽くんのこと……知らないのに……勝手な言葉で傷つけたかもしれない』


「傷ついてないですよ。泣かないでください」


 隠して……隠して。

言葉にしなければいいのに。言ってしまった。三人を傷つけたのは僕の方だ。


「泣きながら食べると……おいしくないですよ」


 昔、母に言われたことだ。

幼い頃、凪咲からの攻撃によって泣いていた僕に、

「泣き止んでから食べようね。泣いて食べると味がしないから」

と、微笑み背中を撫でてくれた。

葉月は母を真似て僕の頭を撫で、父は経緯を知ると大きく笑っていた。


 鼻水を啜りながら母と葉月が作った料理を完食して彼女は口を開く。


『ねえ……朝陽くん。私は……私は朝陽くんのこと知りたい。話して……ほしい』


 涙が溜まった目は真っ直ぐに僕を見ている。


『わからない……から。私の……わがままだけど、朝陽くんのこと教えてほしい』


 今まで誰にも話したことがない。


 茜音さんは……どう思うのだろうか。


 誰かの犠牲は誰かの幸福になって、誰かの幸福は誰かの悲哀になる。


「――去年のことです」


 あの日は……十五歳を迎えた中学三年生の時だ。



             *



 快晴が立ち去っていく。砂浜には女の子の姿がある。


 ミーちゃんは、こちらに向かっているのだろうか。


 私は一日だけ逃げ出した。


 海へ向かう道中でミーちゃんから電話が来て事のあらましを伝える。


「一人で行くなんて裏切り者だよお! ミンミも行くう! 海で遊びたい!

サマー! サマーキャンプ!」


 彼女とは共に訪れたことのある場所だ。


――ミーちゃん、ちゃんと……来れるかな。


 久しぶりにギターの旋律が軽やかに踊っていたけど別の音が耳に入る。

良い旋律が生まれそうなのにスマートフォンから音が続く。

仕方なく画面に目を向けると「ぽっちゃり熟女好き清原さん」と表示されている。

 

「はーい。ぽっちゃり熟女好きなお兄さん、どうしました?」


――ふざけた呼び方すんな、デブは好きじゃねえ。

それと俺の電話には二コールで出ろよ。


「もー、怖い。そのDV男みたいな発言」


――女に暴力は振るわねえよ。どうだ、曲のほうは。


 書ける……私の音は消えていない。


 目の前で遊んでいる女の子のおかげだ。


「今、海に来てて作曲は順調にいきそうです。

熟女好きの清原さんが邪魔し、な、け、れ、ば」


――人のせいにすんな、なんでも他人のせいにする奴はゴミだ。

そんな奴らは何回か重傷を負え。


「清原さん……あまり強い言葉――」


――どう見ても弱くねえだろ。


「言わせてくださいよー!」


――うるせえ、大声出すな、ビッチ。

さっきよ、平良が顔出したけど、うまく誤魔化しといたからな。


「そうですか……。平良さん……なにか言っていました?」


――今回は確実に作れ。二度目のミスは許されない、ってよ。


「そう……ですか」


――お前にじゃねえよ。俺に対してだ。


「私……平良さんに信用されてないですもんね」


――どの組織の上層部もみんなそう言うんだよ。

時間がない、納期がない、できない理由じゃなく、できる方法を見つけろ、ってな。

やれ、やれ、とにかくやれ、って現場を捲し立ててな。


「そうなんだ……でも、清原さん一般社会人の経験ないんですよね?」


――うるせえよ。世の中は大体似てんだよ。

上層部っていうのは、できたら自分の手柄、できなきゃ部下を恫喝する。

そいつが潰れたら、はい、さようなら。

現場のことなんて顧みず低コストでハイクオリティを求める。

コストを下げることが至上だと思ってんだよ。死ねよ、バカ共が」


「また……怒ってますね。女の子にふら――」


――ちげえよ。ダメな会社とダメな上司の典型を教えてんだよ。

あとダメな営業もそうか。

コストと時間を下げれば、クオリティが同時に下がる可能性を加味できねえんだよ。

そういうのを下げただけで仕事した気になりやがって。

クソが。皺寄せは、いつも現場にくんだよ。


「やっぱり女の子に――」


――ちげえよ。まあ、あれだな。ある意味、あいつらもプロなんだよ。


「プロ?」


――ああ、プロだ。泥棒のプロ。

現場が心身を削って必死にやったことを自分の手柄に変えるプロフェッショナルだよ。

本来なら責任は上司が取るもんだけどよ、それすらも現場に押し付けてきやがる。

一番苦しむのは、いつも現場の奴らだ。真面目に仕事するのも……な。

上層部の奴らなんて大概カスしかいねえ。


「女の子……うーん、事務所でなんかあったんですか?」


――別に、ねえよ。一般的な話だ。まあ……平良の野郎は違うけどな。

手柄はしっかりと本人のものになるし、下の奴が下手打てば必ず庇う。

てめえのケツと下のケツは拭くし、なにかあっても隠れることはしねえしな」


「ふふ、やっぱり……認め合っていますよね」


――ああ?


「喧嘩しても、お互いが認め合ってる。仲間ですよね」



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