告白の夏 10
『警戒することは大事だもんね。
なんだろうね、当時の私も含めてだけど、先生ってすごい人、尊敬しなきゃいけない人、
みたいな風潮あるよね』
「刷り込みだと思います。そのほうが生徒を扱いやすい、長年続く洗脳です」
『子どもたちは先生は悪いことをしない、って考えちゃうもんね』
「そこに付け込むのが教師という職業です。
子ども側も知っていないといけません。
自分の担任は大丈夫、なんて、そんな甘いことはありません。
仮面の下には悪魔がいますから。
多くの教師が教師となる目的は子どものためではなく、己のためだ、ということを。
性欲、地位、金銭、安定。
――僕が老人が嫌い、外国人が嫌い、教師が嫌い、
と言うと主語が大きいと返す人がいると思います」
『うん、いるだろうね』
「特定の職業、特定の人間などは括られても仕方ないと考えます。
――数万、数十万いる中の一、二の話ではないんですから。
特定の中で多く生まれる事案なら非難されて然るべきです。
それらを個人のせいにしているから、いつまでも変わらないんです」
被害者が増え続けることを世の人は黙認、関係ないと言うのだろうか。
涙を流している人を自身には関係ない、と、切り捨て嘲笑うのだろうか。
ワンピースの裾が止まり、木に貼り付く蝉を見た彼女は返答する。
『先生による年間二〇〇件の生徒への性加害。
例えばさ、大きなグループ会社があって、
従業員が性犯罪で毎年何人も逮捕されていたら世論は間違いなく叩くよね』
「はい。取引中止、不買運動などが起きそうですね」
『叩くはずなのに学校というグループに所属する先生はそこまで問題視されない。
本来なら子どもが被害者なんだから一番問題視しないといけないのに』
「――芸能人の不輪騒動では鬼の首を取ったように騒ぐのに、
学校における性被害については大きく動くこともありません。
おかしいんですよ、世の中」
『変えないといけないことから逃げる。
見て見ぬふりをする。性犯罪を軽く考えているの。だから、変わらない。
深く抉られた心は二度と治らないのに。
――朝陽くんは、どうしたらいいと思う?』
教師たちへの苛立ちを緩和させるために側頭部を指で掻く。
「採用条件を厳しくして、面接でも直接聞くべきだと思います。
これは相手の気分を害するなど抜きにして。
『あなたは小児性愛者ですか?』
『あなたは子どもを性的に見ますか?』
弾けなくても一種の牽制にはなります。
職員会議の度に教師による性犯罪を議題にすることも有効であると考えます。
一人一人に『あなたはどうですか? 性加害しますか?』と」
『彼らは閉鎖的で内向な組織だから身内のことは庇うよ。
一種の家族のような形態をとる、追求するのも難しいと思う。
生徒が、子どもが、傷つくことより自分の身を守ることを優先するから』
「そう……ですね。あとは警察官の話の時と同様に特定の職業を厳罰化することです。
法の観点から戦うしかないです。
職業差別だ、と口にする人もいると思いますが、これは差別ではないんです。
むしろ、その職業を大切と認識しているからこそです。
――茜音さんは、なにかありますか?」
『うん、あるよ。動画とかで酷い事件を見たから。
今の世の中でできること、私なりに考えているよ。
今の世の中だからこそ、できること』
知りたい。彼女の意見を。
僕と同様に世の中の事件を調べている人の言葉を。
『まずは、先生を減らすことだね。
先生の数自体を減らせば性被害を受ける子どもを減らすことに繋がるから』
「今でも教師不足と言われているのにですか?」
彼女は人差し指を左右に振った。
『動画を使えばいいんだよ』
「動画……ですか」
『うん。タブレット端末で動画を見て学習する。
先生って今の時代そんなにいらないよ。
時代は変わるのに古いままで業務するなんて変だよ。
専門の教科担当なんていらない。家庭科、体育、理科の実験は対人で必要だけど。
他の授業は文科省が動画を作ればいいの』
「生身の人じゃないと質問が――いえ、そういうことですか」
人差し指を立てたままである彼女の真意を推し量り言葉を体内へ戻す。
『うん。授業中に質問できる子は多くないよ、個別指導の塾とは違うからね。
質問は朝陽くんの大好きなAIにチャットでも音声でも聞けばいいんだよ』
音楽の話をした時、茜音さんを怒らせたAIのことを根に持っているのか。
隣りにある微笑みは少しばかり僕に対する怒りが含まれていた。
女性の恨みは深い。
『動画にすることは他にもメリットがあるよ。
動画は停止することができるし、見返すこともできる。納得するまで考えられる。
普通の対人の授業だと一人のために止めることなんてできないからね。
わからないまま進んじゃうから、次もわからなくなる。
歴史なんて流れが掴めないと点々が羅列されるだけだしね』
「そうですね。応用の話になってくると基礎が必要ですからね」
『ずっと同じ所にいることはダメだから、進捗状況は担任の先生がデータで管理する。
遅い子には先生が適宜アドバイス。進んでいる子には特にアドバイスの必要はないし。
どんどん進んで新たなことを学んでいけばいいよ』
「そうですね、僕もそれがいいと思います。
世論や知能の低い親が差別だ、とか言いそうですけど……ね」
『言いそうだけど……それは変だよ』
「まあ、そうなんですけど。中学受験、高校受験、大学受験。
学校内のテスト、全国学力テスト。どれも勉強で振るいにかけられていますから」
『勉強は横並びで学ばなくていいよ。個々の学習速度があるんだから。
個人に合わせた進捗、動画ならそれができるよ。学校で大事なのは他のこと。
友達、同級生、色々な価値観の人と関わって心を形成させることに意味があるんだよ』
ギターケースのせいで僕の右肩は下がっていて、左手に持ち替え話の続きを聞く。
『――これをすることで全体として学力の底上げにもなると思う。
一人一人が理解せずに、どんどん進んでいく授業にはならないから』
「今、頭に過ぎったんですが、躓いたまま進めない生徒もいる、
って言う人もいるかなって。
でも、対面授業でわからないまま時間だけが進むよりは遥かにいいです。
動画を一度作ってしまえば変更がない限り初期費用とメンテナンス費で済みますしね。
長期の人件費よりは圧倒的に安いと思います」
『勉強に関する質問の返答も先生よりAIのほうが的確な答えを返してくれると思う。
膨大なデータを持っているからね。
――朝陽くんがいない時、寂しいからAIと話してるもん。
たまに変なこと言うけど、ちゃんと答えてくれるよ』
「え……反応するんですか?」
これは新たな発見だ。
人には聞こえないけれど人工知能には伝わるのか。
『うん。試しに話しかけてみたら反応してくれたよ』
笑顔の彼女は僕を見つめた後で眉間に皺を寄せた。
人差し指が僕の頬をへこませる。
『弟子よ。音楽など人の感情が大切な部分でばかりAIを使うべきではありませんよ。
使ってもいいです。それが、いいと思うなら使っていいです。
ですが、それ以上に教育や生活のために使うべきです。
AIは教育、生産、業務効率、犯罪抑止、犯罪捜査などに活用しましょう。
娯楽の中でばかり力を発揮していては意味がありませんよ』
やはり、あの時のことを恨んでいる。
女性の恨みとは怖い……ものだ。
『よくがんばりました』
いつも何かが終われば頭を撫でられる。
彼女の手首を優しく掴んだ。
「なにも解決はしていないですよ。それに助けたのは胡桃です」
『ううん。凪咲ちゃんの話……気持ちを聞けた。話すことは大切なんだよ。
誰かに話せることが大切。誰にも話せなくて苦しんでいるより、ずっといいこと』
「そうですかね……」
『朝陽くん、これは覚えておいて。大人になっても忘れないで。
心と志を持たぬ大人は、子どもに対して、なに一つ教える資格はないよ』
風は彼女の薄黄色のワンピースを揺らしていた。
*
「よっ! 童貞のあっちゃん! せっかく呼んでくれたから来てあげたよ!」
アルバイトから帰宅すると凪咲が自宅のリビングにあるソファで寛いでいた。
隣には葉月と母の笑顔が並んでいる。
昨日のような弱々しい雰囲気が無く、その変わり身というか、
偽りの姿に少しばかり胸の辺りが痛む。
「ちょっと、なぎちゃん。そんなこと女の子が言わないで」
と、苦言を呈した母は麦茶を飲む。
「えー、いいじゃん、さっちゃーん。本当のことだよ」
凪咲は父と同様に母のことを「さっちゃん」と呼ぶ。
「本当のことでも相手が傷つくでしょ。相手のことを気遣う言葉を出さないとダメ。
それに……正論は人を傷つけることがあるからね。
周りにいる男の子にもそうだよ。特に今の年齢の男の子は傷つきやすいの」
「んー、まあ……。あっ、でもさー、もう童貞じゃないや。
あっちゃんは童貞じゃない」
「なぎちゃん……! なに、なに、どういうこと!? その話教えてよー!」
凪咲はテーブルに置かれた旅行土産のクッキーをザクザクと咀嚼しながら、
旅行中に自宅へ来たことを詳細に告げている。
二階から窓を割り侵入したことを隠して。
「うん、うん! それで!?
なぎちゃんが後ろから手を回したら、お兄ちゃんはどうしたの!?」
「それは……もう見てられなかったよ。
鼻息も荒いし目も血走ってさ。獣、獣だよ。
とんでもないくらい勃ちまくって我慢汁ダラダラだし」
「や、やめてよ! お兄ちゃん、そんな感じだったの!?
そんな風になっちゃうの……!?」
「そうだよ。もう触っただけで出そうな顔してたもん。
はっちゃん、さっちゃんにも見せてあげたかった」
と、冷えたグラスにある乳飲料をゴクゴクと飲む。
「もー、生々しすぎるから……その話はやめて。
母親として息子のそういう話は聞きたくないよ。
――それで? なぎちゃん、それで、どうなったの?」
――こ、こいつら……。
「うん……私は……冗談のつもりだったのに……。
あっちゃんが……あっちゃんが……無理矢理。嫌だ……怖い、って言ったのに……」
声のトーンを落とし顔を両の手で覆う。鼻水を啜り上げる音を出して。
顔を隠す前に凪咲は僕に対し不敵な笑みを向けていた。
「お兄ちゃん! 本当なの……!? なぎちゃんに酷いことしたの……!?」
葉月の圧力によって蜂蜜を舐めた時のように言葉が喉へ貼り付く。
「朝陽……ちょっと、そこに座って」
と、普段は穏やかな母の眼光が鋭い。
「い、いいよ、このままで」
「よくない、座って。早く座って。その話は本当なの?」
一人は泣き真似。
二人は激怒。
哀れなのは……僕だけだ。




