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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
第四章 告白の夏

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告白の夏 6

『だって……。する……って言うから……』


「え?」


『だから……セックスするって言うから……!』


「し、しないですよ。あれは、凪咲がふざけて言っただけで……」


『するなら、見られたくないでしょ? だから隠れたの……! 

そんなこと、いちいち聞かないで! なんでそんなこと聞くの!?』


――な、なぜ……怒るんだ……。


 茜音さんが椅子に座ったところで台風が過ぎた後の食卓には付け合せの野菜しかない。

それらの残骸を小さな口に運んでいる。


 新たに茹でた素麺、奪取しておいた唐揚げ、エビチリ、エビマヨを食卓に並べた。


『あ……また茹でてくれたの?』


「はい。一口しか食べていないじゃないですか」


『うん……ありがと……』


「唐揚げ、エビチリ、エビマヨは死守しました」


 少ないですけど、と、彼女の前に皿を並べる。


『少なくなっちゃったね』


「茜音さんが全部食べていいですよ」


『んーん、一緒に食べよ!』


 その言葉は葉月も度々口にする。誰かに与えること。

そこに己の利を望んでいないことは明白だ。


 氷水で引き締まった糸は夏の味がする。喉越しの良さは一切の気怠さを持ち合わせない。


 食べ終わった後で凪咲の母親へ電話し今日は自宅に泊まる旨を伝えた。


 二人で二階へ戻ると部屋の中央に黒い塊が丸まっていた。


 黒猫だ。


 幼い頃、葉月と共に連れ帰ってきた猫。


 僕と茜音さんが入室すると「にゃあ」と鳴き、前足で顔を洗う。


『ネッ……ネッコ……!? ネッコ! ネッコだー!』


 茜音さんが近付いても逃げる素振りを見せず甘えた声を出している。

例にもれず触れることは叶わないけれど、彼女の横顔からは笑顔が溢れている。


『お名前は? お名前はなんていうの?』


「にゃん」


『か、かわいい……ああ……! かわいい……!

朝陽くん、見て! この前足! 前足かわいいよ……!』


 指で前足を押そうとしている。弾かれているけれど。


「――名前は……確か……。

ホモサピエンス・フィッシュアンドチップス・ネアンデルタール・オンリー・ミュー」


『な、なに、その長い名前。というより、それは名前なの?』 


「葉月が付けたんですよ。略称でミューです」


『ミューちゃん! こんばんは!』


――なぜ、ミューがいるんだ。


 この時、気が付いた。


 ミューが侵入できた理由。


 野生育ちの猫は軽々と木々に登る。


 それでも窓を開けることはできない。


 しかし、自室の窓は開いている。


 ………………。窓が割られていた。


 鍵の付近をバーナーか何かで焼いた痕跡がある。


――あ、あいつ……。


 隣の部屋で寝息を立てているであろう人物に腹が立った。


 すぐ隣には猫を愛でている茜音さんの姿がある。


 怒りは開閉された窓から少しずつ逃げていく。


 ミューは茜音さんが見えているのか、身体を押し付けるような仕草を繰り返していた。

一時間ほど居座り、別れ際に鳴き声を出したミューは闇夜に消えていく。


『よくがんばりました』


 ミューではなく僕の頭部が撫でられる。


「え? なにもしていないですよ」


『凪咲ちゃんに手を出さなかったでしょ』


「普通に……出さないですよ」


『世の中の人は、性欲に溺れて……簡単にしちゃうんだよ。

相手のことを考えずに欲望だけをぶつける人もいる。

そこにある痛みを考えずに、生まれる涙も考えずに……ね。

凪咲ちゃんに関して言えば、なにかがあることに気付いた朝陽くんはカッコいいよ』


「普通にしないです。凪咲……ですよ」


『きれいな子だよ。モデルさんみたいじゃん』


「見た目は……そうかもしれないですけど」


『あの子に言い寄られて断る、普通の男の人は無理だよ』


「誰とでもしたい、なんて、僕には理解できないですけどね」


 ボールペンを回し告げた。


『好きな人とだけ、ってこと?』


「まあ……平たく言えばそういうことですね。欲望に忠実になるのは獣と同類ですよ。

そういうことを得意気に何百人、何千人とした、って言う人がいますけど。

人間が人間たるためには、己を律することが大切だと思います。

行為人数で優位に立つとか、その時点で浅い人間であると主張しているようなものです。

哀れな人たちです」


『朝陽くん……あまり強い言葉をつか――』


「弱く見えますか?」


『言わせてよー』


 教科書を手に取ると再び頭に手が乗った。


『うん。それがいいよ。それが男の人としてカッコいい。

その気持ち、大人になっても忘れないでね』


 隣の部屋で夢の中にいる不審者は、なにを内側に秘めているのだろう。

葉月も心配していたけれど彼女にも話さないことが信じられなかった。

二人は僕から見ても唯一無二の親友だと思う。


 その度合いはわからないけれど、墓参りで会ったミンミさんと茜音さんのように。

お互いが相手のために涙を流していた。それほどの関係なら知っているのだろうか。


 僕は知らない。聞けていない。


 ミンミさんは知っているのだろうか。


 茜音さんが自ら命を絶った理由を。


             *


『シュークリームおいしい』


 以前、ドーナツを食べた公園で茜音さんは口元に白いクリームを付けている。

彼女がパソコンで調べた洋菓子店で購入したものだ。

僕の住む町……今は市になっているけれど、そちらの中心街に赴くより、

こちらの隣接した市の方が何かと都合がよい。買い物をするにしても距離としても。


 夏休みは残り少なくなり、楽曲制作は順調で、ギターの腕前も上達してきた。

日々の中で揉め事があれば人助けをすることは変わらない。

というよりも、茜音さんは何かが起こりそうな場所を選んでいるような気さえした。

人の多い繁華街、他県からも来る海水浴場。

都内へ向かうための電車に揺られたり、不法移民が多く住む地域に赴いたこともある。


 出かけよう、と笑顔で言われると断りづらい。


『シュークリームは最強だねー』


 丸い塊を平らげた表情は相変わらずの笑顔で、

遠くの炎天下で水遊びをする子どもと同じ顔をしている。


「あーくん」


 声をかけられ振り返ると胡桃が立っていた。

白いミニスカートの横には大きめの塊が並んでいる。

左手に白い袋、右手に紺色のクーラーボックス。


『あっ、胡桃ちゃん』

と、茜音さんはベンチから立ち上がり、胡桃が座るための空間を開けた。


 白いファンデーションが塗られた胡桃の顔からは汗がポツポツと浮かんでいる。


「それ、なに? 重そうだけど」


「あ、食べ物……買いに来てて。いつもこっちで買ってるの」


「え……わざわざこっちまで? 地元のスーパーでいい――」


 言葉を止めた。

そうか。彼女の置かれている状況からすれば特に不審な行動には思えない。


「悪い……ごめん」


「ううん。謝らないで」


 母親が入院し、弟たち三つ子のこと。

それらを知る人物たちにスーパーなどで会うことを避けているのだろう。

「大丈夫?」「ご飯どうしてるの?」「お金は足りてる?」という可能性がある。

そこには悪気などなく、善意であるのだけれど、彼女にとっては話せない内容だ。

もちろん意地悪で聞く人間もいる。


 隣で小さなハンドタオルを使いポンポンと汗を叩く。


「飲み物いる?」


「え、いいよ。大丈夫」


「買ったの?」


 胡桃は視線を落とし芝生を見つめ言い淀む。


「うん……飲み物は買うと重いから……家で麦茶沸かしてるの」


 カバンの中に入れてある保冷バッグからスポーツドリンクを取り出した。


「ごめん……ね。ありがとう」


「なんで謝るんだよ。メロンソーダじゃなくて悪いけど。

でも……まあ、汗をかいたのにメロンソーダだと水分補給にはならないし」


「え、そうなの? メロンソーダおいしいよ」

と、青色のラベルが貼られたペットボトルのキャップを捻る彼女は眉毛を下げた。


「味は関係ないよ。ジュースは糖分が多いし水分として吸収されにくい。

汗をかいたら身体の成分に近い物が好ましいよ、それとかね。

健康のために一日に二リットルとか常飲するなら水や麦茶がいい」


『モモダーはなるよ……! 私の血液はモモダーでできてるからね!』


「モモダーも同じですよ。水分補給としては適切ではないです。嗜好品です」


「え、どうしたの。なんで敬語なの?」


――しまった……。


「モ、モモダーも同じだよ」


「あはは。あーくん、なんか変だよ」


 顎を上げて一口飲んだ胡桃はクーラーボックスを開け内部にある袋を漁った。


「これ……こんなのしかないんだけど、よかったら食べて」


 手には四本入りの穴の空いた加工食品がある。


「なんで……竹輪」


「そのまま食べられるの、これしかなくて……」


「いや、いら――」

と、言いかけた時に脛を茜音さんに蹴飛ばされた。


 その衝撃に目を開き上半身を倒す。


「あーくん、どうしたの?」


「な、なんでもない……。これは……呪いなんだ」


「呪い? あはは、あーくん、前も変なこと言ってたよね。神のお告げ、とか」


「ち、竹輪……頂くよ。ありがとう」


「うん」


 二人で軽い口当たりの練り物を口に運ぶ。


 真夏の光を遮る木々のざわめきの中で食べると普段とは違う味がした。

外で食べると大体の食べ物は三割増しになる。


「胡桃は料理するんだな」


「うん。お母さんが夜も仕事行ってたりしたから。

今は入院してるし」


「大変……だな。簡単に言って悪いけど」


「ううん。料理するの好きだし。弟たちが喜んでくれて嬉しいから」


 彼女が背負っているものを誰か持ってはくれないだろうか。

僕は他力本願も他責思考も嫌っているのに都合よく願っている。


「この竹輪ね、中にチーズ入れて大葉と海苔で巻いて天ぷらにするの。

弟たちも喜んで食べてくれるよ」


 彼女は弟たちの話をする時、とても優しい顔になる。

そのような子が社会の中で虐げられるのは正しくない。

正しくないはずであるのに現実はいつだって非常に残酷だ。


 誰かの犠牲は誰かの幸福になって、誰かの幸福は誰かの悲哀になる。


「あとね、外れを何本か作るの」


「外れ? ゲーム感覚みたいな?」


「うん。チーズの代わりにチョコを入れるの。

わさびとか辛子とか食べられないのは良くないから」


「チョコか……意外に合いそうな気もするけど」


「海苔と大葉で巻かなければ、まずくはないよ。

でもね、ご飯のおかずとして食べたらがっかりするよ」


「まあ、確かに。よかったの、竹輪食べちゃって」


「うん、いっぱい買ったから、大丈夫だよ」


 胡桃は他にも様々なレシピを教えてくれた。



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