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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
第四章 告白の夏

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告白の夏 5

 キッチンで食器類を用意していると「ねー、これだと足りないから、もっと茹でて」

と、凪咲の少しばかりハスキーな声がした。


 すでにコンロには水を張った鍋を用意している。


 食器類を手に持ち、一旦、食卓へ向かうと、

唐揚げを手づかみで食べ進め、ほとんど無くなっている。

箸を渡すと素麺にエビチリを絡め、炒め物も次々と胃袋へ流していく。


「あっちゃん、料理のレベル上がってない?」


「さあ……ね」


「唐揚げもエビチリもおいしいし、この白いの……おいしい。

今度、家でも作ってもらう。作り方、うちのママに送っといて」


「なあ……素麺は茹でるからいいけど、唐揚げとかエビチリは少し残しといてくれよ」


「なんで?」


「一人前でいいから。残してくれ」


「だから、なんで?」


「人の家に来ているんだから、最低限の礼儀は弁えろよ」


「礼儀? お腹減ってるから、無理」


「もういい」


 小皿の二つを使って唐揚げとエビチリ、エビマヨを死守しキッチンへ戻る。


 鍋の水は熱湯に変わり棚から素麺を取り出す。

これで自宅にある素麺は少し減るか、と、考え二十束ほど鍋に投入する。

これは凪咲に対する嫌がらせでもあてつけでもない。

これくらいは一人で平らげてしまう。


 氷を浮かべた大きい丼ぶり三つに溢れんばかりの白い糸が浸かっている。 


「おっ、大盛りじゃーん」


 茜音さんとは違い豪快に音を立てズルズルと麺を啜る。

一口が異常に大きいし箸で掴む量も反物のようだ。 


「ねえ、ピンクとかの色が入ってないけど」


「普通のしかない」


「はあ……萎える。あれがないと気持ちよくないよね。

日本の良さを消してんじゃねえよ。てかさ、なんか細くない?

食べごたえないんだけど。普通、これの二倍以上じゃない?

安いの客に出すとか引くわー」


「素麺は基本的に細ければ細いほど高級なんだよ。

特に一流の職人が手で伸ばしている物は。

それに二倍以上……か。凪咲が言っているのは、素麺じゃなくて冷麦だ」


「はあ? うちで出てくる素麺、もっと太いんだけど。色も付いてるし」


「それは素麺じゃなくて冷麦なんだよ。凪咲が素麺だと思っているのは冷麦。

麺の太い順から、うどん、冷や麦、素麺なんだよ」


「うちの方が高いやつ食べてるってこと?」


「話聞いてたのか? 冷や麦と素麺は別物だよ」


「マウントとんな童貞のくせに。黙って食べろ」

と、啜る音は止まらない。


「相変わらず……よく食べるな。それだけ食べられるのすごいよ」


「別に太ってないから。それに素麺はヘルシーだし、太る要素もない」

 

「素麺が低カロリーなわけないだろ。むしろ、太る要素しかない」


「はあ? ヘルシーだから」


「原料は小麦粉だし、製造工程は油で伸ばして細くしている。

糖質の塊が低カロリーなわけがない。

白い炭水化物はグリセミック・インデックスが高いし」


「はー、また、あっちゃんのマウントが始まったよ」


「事実だよ。別にマウント取るつもりもない」


 あっという間に大量の素麺を平らげた彼女は僕を睨みつけた。


「デザートは?」


「ないよ」


「果物がいい。フルーツが食べたい、スイカとかないの?」


「ないよ。それにスイカはウリ科だから野菜だ」


「はあ? フルーツでしょ?」


「果物じゃなくて野菜なんだよ」


「おもしろくないから、そういう嘘」


「売り場では果物の位置付けで果実的野菜って言ってたりするけど」


「じゃあ、果物じゃん。ごちゃごちゃ難癖つけんの引くわ」

と、キッチンへ入り、冷凍庫から取り出したアイスを三個食べ始めた。


「はあ……少しだけ満足」


――少しだけ……なのか。


 茜音さんは静かな様子で椅子に座っている。


 凪咲は急に立ち上がると、僕の背後に回り、両腕を首に絡ませてきた。


「なんだよ、やめろよ」


「えー、本当は嫌じゃないんでしょ。

――ご飯のお礼にヤラせてあげる」


 そう凪咲が言った瞬間、茜音さんは椅子から立ち上がりキッチンの方へ行ってしまった。

彼女はギターから二、三メートルほどしか動けない。

ギターケースはキッチンと食卓の間のカウンターに立て掛けてある。


 腕を振りほどこうとしている間に、

キッチンへ入った茜音さんの姿がすとんと下へ消えていくのが見えた。


「ここでする? それとも部屋でする? お風呂場とか。

逆に開放感と背徳感を求めて庭でするのもありじゃない?」


「するわけないだろ、離してくれ」


「食欲を満たした後は性欲を満たさないと。

――大丈夫、大丈夫。はっちゃんには言わないから」


 僕は抵抗する力を弱めた。


「よく……そんなこと言えるよな」


「はあ?」


「葉月は……凪咲のことを考えているよ。

転校した後だって、元気にしてるかな、って言ってたよ。

ずっと親友だ、って言ってた」


「………………。そ、それとこれは関係ないでしょ。

あっちゃんと私のことは、はっちゃんには関係ないじゃん」


「関係ある。問題なのはさっきの発言だ。

葉月には『言わないから』って、それは後ろめたいことがあるからだろ。

信じてくれる人を騙す……嘘をつく。

簡単に裏切るなんて最低な人間のすることだ」


「う、うるさい……うるさい……うるさい……! うるさい……!」


 頸椎に痛みが走った。


 後ろから首を強く掴まれ僕も身を翻し応戦する。

相手は女の子であるから攻撃はできない。

暴れようとする腕を掴み、お互いの距離を詰めさせない。


 しばらく膠着状態が続いた時だった。


「痛い……痛い。痛いから……」


 腕の力を緩める。


「怖いから……もう……やめて。怖い……怖いよ……怖いよ……やめて」


 この気持ちの急降下はなんなのだろう。

昔から好き勝手なことをするだけで、暴れた後も悪びれる様子もなかった。


 その場に座り込む凪咲は俯いている。


「なあ……凪咲。なにかあるのか?」


「なに……なんかって……」


「この間も急に元気を無くした……というか。

暴れてたのに落ち込んだり、前まではそんなんじゃなかっただろ」


「私らしく……ないってこと?」


 ショートカットだけれど顔を下げているせいで表情は窺えない。


「そうは言っていないけど……。

なにか悪さして、咎められても落ち込むことなんてなかったから」


「うるさい……消えろ。私のこと知ったかぶんな。

消えろ、早く家に帰れ。二度と来んな」


――自宅なんだよ。ここが。


 静かに溜め息を吐き彼女の横を通り過ぎキッチンへ向かう。


 キッチン内には茜音さんが両足を抱え小さく座っていた。

お互いの視線が合致したが、すぐに目を逸らされてしまった。

冷蔵庫へ向かい大きな容器を取り出して凪咲の元へ戻る。


「これ、食べれば」


 凪咲は顔を上げた。


「なに、それ」


 幼児が使うバケツほどの大きさがあるプリン。

近所にある洋菓子店で一ヶ月に一度、店頭に並ぶ限定商品だ。

葉月は毎月楽しみにしていて食べることが習慣になっている。

前日に購入していて、旅行から帰ってきたら食べる、と言っていた。


「プリン」


「それ、はっちゃんが好きなやつでしょ……食べたらダメ」


「いいよ。食べて」


「でも……」


「前は一緒に食べてただろ。

葉月も凪咲が食べて怒ったりはしないし、僕が食べたことにするから」


「…………。食べたらヤラせろってこと?」


「…………。食べたら帰ってくれ」


「…………。食べたら舐めてくれって?」


「…………。食べたら帰ってくれ」


「…………。食べたらシゴいてくれって?」


「…………。食べたら速やかに帰宅してくれ」


「…………。食べたら逆に入れてくれって?」


「…………。食べたら帰って永遠に寝てろ」


 凪咲はスプーンとプリンを手に取り抱えるように食べ始めた。

容器とスプーンの音だけが室内に響く。無心になって頬張る姿は凶気すら感じる。

 

「はあ……なんか……眠いな」

と、プリンを食べ終わり瞼を開閉する様は大人しい。


「はあ……本当に眠い……」


「血糖値スパイクだろ」


 あれだけ糖質を摂取すれば当然だ。

空になった容器を床に放置し、ゆっくりと立ち上がるとリビングの引き戸まで歩いていく。


「帰るなら、遅いから送る」


 この時間帯に女の子を一人で歩かせるわけにはいかない。


「いい。今日は泊まるから」


「いや……帰れよ」


「一緒に寝てあげようか? やっぱりヤリたいの?」


「帰ってくれ」


「はっちゃんの部屋で寝る」


「帰ったほうがいい」


「人の指図は受けない。私は私の生きたいように生きる。誰にも止めてほしくない」


「それが人の迷惑になっても?」

と、僕が告げると、引き戸にかかる手は途中で止まる。


「迷惑……私って……迷惑なの?」


 弱々しい声だ。


「家に侵入するのは……そうだろう」


「あっちゃんは……私のこと迷惑だって思ってんの? 嫌い……なの?」


 幼い頃からされた仕打ちは胸に、脳に、深く刻まれている。

しかし、迷惑、という一言だけでは片付けられない、という想いもあった。

 

 幼い頃から共に過ごしているのだから。


「まあ……帰ったほうがいいだろ。親も心配するし。

よくないだろ、家に僕しかいない状況で泊まるなんて」


「…………。私って迷惑? 私って、いないほうがいい? 嫌いなの?」


 このような言葉は長年の付き合いで聞いたことがない。


「そこまでは言ってない」


 手は動かず静止したままだ。目を合わせずフローリングを静かに見つめている。


「はあ……わかったよ。

泊まるなら、葉月の部屋を使ってもいいけど、その前にシャワーに入ってからにしろよ」


 危機を感じた野生動物並みの速さで頸椎が回る。


「シャワー!? やっぱり……やる気まんまんじゃん!」


「違う。普通に考えてシャワーも浴びてない人がベッドで勝手に寝たら嫌だろ。

――先に言っておくけど葉月のベッドのこと、僕のじゃないからな。

床で寝るなら……そのままでいいけど」


「じゃあ、床で寝る。別に私はどこでも寝れるし。

眠すぎてシャワー浴びれない……」


 この言葉は嘘ではない。彼女が中学一年生の頃だ。

凪咲が帰ってきていないと、彼女の親から連絡が来たことがある。

みんなで探したのだけれど、彼女は川原で大の字になって寝ていた。

大小様々な石が並ぶ上で、何も敷かず直接身体を預けていたのだ。

話を聞けば、川で育てている鰻を密漁し、

何匹も川原で捌いては焼き、疲れたからという理由だった。


 凪咲が二階へ消えた後、僕はキッチンに隠れた茜音さんの隣に立つ。


「凪咲は二階に行ったんで、大丈夫ですよ」


『うん』

と、立ち上がる彼女は目を合わせてくれない。


「なんで隠れたんですか。見えるわけでもないのに」


 その発言の途中で茜音さんは僕の横を抜けていく。



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