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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
第四章 告白の夏

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告白の夏 4

『いいねー! あっ……一つわがまま言っていい?』


「なんですか?」


『そうめん……食べたい。夏といえば、そうめんだから』


「いいですよ。大量に届くので食べきれないほどあります」


 彼女は胸の前で両の手を重ねている。


 僕たちは二人きりの自宅で料理を作り始めた。


『朝陽くん、料理できるんだね。

前にモテの三要素教えたでしょ? あれ五要素にすると料理ができる、もあるんだよ』


「昔は葉月とよく手伝っていたので。レシピも教わっています」


 ゴム手袋をして皮を剥かない生姜、皮を剥いたにんにく、おろし金に当てていく。


『楽しみー。あの唐揚げの出来立てが食べられるなんて』


 喜ぶ茜音さんを一瞥し、その期待をラムネを踏み潰すように砕いた。


「無理ですよ。あの味は再現できません」


『え……!? だって、手伝ってたって。お母さんに教えてもらったんでしょ?』


「唐揚げのレシピだけは教えてもらっていません。

調味料やスパイス……なにを入れているのかさえ、見せてもらったこともありません。

料理を習いにくる人たちにも唐揚げのレシピだけは教えていないようです」


『どうして?』


「母が初めて父に作った料理だから、らしいです」


 両の手を変わらず胸の前に置き『それ素敵!』と、大きな目を輝かせた。


「ただ……葉月はレシピを知っているし、作れるんですけどね」


『え、葉月ちゃんは教えてもらえて、朝陽くんは教えてもらえないの?』


 繊維が壊される香味野菜は鋭い香りを立たせる。


「僕は……彼女とか……将来の妻に新しい味で作ってもらって、と言われました。

あの味は母と葉月だけが作れるものにしたいようです」


『わ……! それも素敵だね……! 門外不出かー、一子相伝、いいねー。

――そっか……彼女や……お嫁さんに……』


 不意に僕の定期的な手首の動きが制限される。


 茜音さんの白い手によって。


「なんですか?」


『私がやる』


「いいですよ。

僕も母の料理の下地があるので、あの味は再現できなくても、

そこそこ……いえ、その辺の人よりは確実においしくできます」


 彼女は手を離そうとしない。


『私が……作る』


「料理できるんですか?」


『バカにしないでよ……!

私だって、おばあちゃんと一緒に作ってたし、

東京に行ってからも、ずっと自炊していたんだから!

ミュージシャンは身体が資本なの!』


 普段の茜音さんを見ていると、先入観で料理はできない、と決めつけていた。

基本的に寝転んで漫画やタブレットを見ているからだ。

そのようなことは決して口にできないけれど。


 彼女が言ったことは虚勢ではなかった。

調味料などを合わせ鶏肉を漬け込み、エビチリに使うエビの下処理なども手際が良い。


 その様子を野菜を手に持ち見つめていた。


『なんで、こっち見てるの?』

と、背わたを取る視線はこちらに向かない。


「いや……手際がいいな、と思って」


『だから言ったでしょ。師匠を甘く見ることは許しませんよ。

あ……良いお嫁さんになるなー、って思ったんでしょ』


「思っていないですよ」


『こんなにかわいい、お嫁さんが毎日いて、

料理を作ってくれたら最高だな、って思ったんでしょ』


「茜音さんってポジティブですよね。そういうところ……羨ましいです」


『なにそれ……バカにしてるの!?』


「してないですよ。見習いたいくらいです」


『してる。バカにしてる……!』


「してないですよ」


 いくらかのやりとりをした後で玉ねぎを切っている姿は無言だ。

横に顔を向け白いカーディガンの袖に顔を何度か当てている。


『――朝陽くんは、お母さんと葉月ちゃん以外で手作りの料理食べたことあるの?』


「え? あー、ないで……うーん……ないですよ」


 凪咲が作った腐敗したおいなりさんが脳裏を横切った。

あれは違う。料理ではない。僕に向けられて作られたわけでもない。


『じゃあ、私が最初になるんだね』


「どうして嬉しそうなんですか」


『ふふ、唐揚げもエビチリもエビマヨも炒め物も私が味付けするからね。

朝陽くんは野菜切ってくれればいいよ』


 茜音さんは鼻歌を歌いながら作業を進めていく。


 毎回思うけれど彼女が生み出す鼻歌を聴けることは貴重な体験だ。

そこには必ず新しく美しいメロディがある。


 炒め物を作り、エビチリ、エビマヨを作り、唐揚げを作り、最後にそうめんを茹でる。

食卓には僕たちが作った物と母が作り置きしてくれた副菜を並ぶ。


 料理を介して向かい合わせに座り「いただきます」と声を出してから箸を持つ。


『朝陽くん、食べてみて』


 香りの良い綺麗な色をした唐揚げを口にする。

母の味とはもちろん違う。それに負けず劣らず想像以上の味だ。

エビチリにしても程よい辛味と甘味が食欲を増進させる。茜音さんの腕前を認識した。


『どう……かな? おいしい?』


「はい。すごく……おいしいです」


 偽りのない言葉が素直に出てくる。


 それが不思議だ。


 相手を気遣うわけではなく素直に言葉を出せる。


『よかったー。嬉しい! 私も食べよーっと』


 そうめんを汁につけ、つるっと喉に流し込んだ彼女は目を閉じた。


『久しぶりのそうめんおいしー! やっぱり夏は、そうめんだよねー』


 母が作った副菜の小松菜と油揚げのおひたしを口にする茜音さんの目から涙が溢れた。


「どうしたんですか?」


『うん……ごめん……』


「なんで……泣くんですか」


 そうめんを啜る音より鼻腔から流れてくる体液を啜る音の方が大きい。


『ごめん……ね。泣いてばっかりで……ごめん』


 彼女が人のために流す涙の理由は理解している。


 目の前で泣いている理由はわからない。


『こうやって一緒に、ちゃんとご飯食べるの初めてだし。

なんかさ、普通に……普通にね……私が生きてたら、

こうやって一緒に……朝陽くんと……ご飯食べられるのかな、って』


「茜音さん……」


『ごめんね……めんどくさいよね……そういうのって……』


「そんなこと……ないですよ」


 ポロポロと流れていく涙を手で抑えている。


 その時だった。


 リビングの引き戸がドーンと大きな音を立てた。


 身体はビクッと反応し、すぐに視線を送ると、存在してはいけない人物がいる。


 凪咲だった。


 ずかずかと食卓へ向かってくると冷徹な目で料理を見つめている。


「な、なんでいるんだよ。どうやって入ってきたんだよ……」


 自宅の施錠はしっかりとした。

出入りしたのは玄関のみで、もちろん鍵をかけ、チェーンも掛けている。


 凪咲は片側の口角を上げ天井に目を向けた後で人差し指を付け加えた。


――まさか……こいつ。


「二階から侵入したのか?」


「そうだよ。あっちゃん、覚えておくといいよ。

人の家に侵入する時は上階から攻めたほうがいい。

マンションとかでも一緒だよ。

正面や下からじゃなくて上から。人間の死角だからね、油断は最大の過ちになるよ。

一軒家で一階をしっかりと施錠しているなら、相手が逃げる時も時間がかかるしね」


 二階もしっかりと施錠している。


「へー、おいしそう。自分で作ったの?」


「そうだよ。それより、どうやって入ったんだよ」


「唐揚げとエビチリ……炒め物か、おいしそう。

この白いのなに?」


「質問に答えろよ。これはエビマヨ」


「エビマヨ? なに、それ、知らない。おいしいの?」


 茜音さんは涙を拭いながら突如として現れた悪魔の動向を窺っている。


「それと、そうめん……か。白米ないの?」


「炊いてない」


「ちっ……。このラインナップには、どう考えても米じゃん。

なんで、そうめん? なんで白米じゃないの?

この並びでは炒飯も邪道になる。エビチリには白米でしょ」


「いいだろ、別に」


「炊けよ」


「今から炊いたら四〇分とかかかるけど」


「はあー、もう最悪。ちっ……。てかさ……誰かいるの?」


 食器類が二人分あることに気付いた凪咲は訝しがるというより不敵な笑みを浮かべる。


「――幽霊……ねえ。女の子を連れ込んでる可能性って、はっちゃんが言ってたけど。

あながち間違いでもなさそう。で、その子は? どこにいんの?」


――目の前に座っているよ。


「なにしに来たんだよ」


「え? ご飯食べに。なんか文句ある?」


 目を丸くする凪咲の発言の真意は汲み取れない。

いや、本心で言っている可能性もある。常人では考えられない。

他人の家の二階から侵入し夕食を頂きにくるなど。


「はっちゃんが今日から旅行、って言ってたから。あっちゃんは行かない、って。

それなら女の子を連れ込むにはうってつけでしょ。

で、どこにいるの?」


――目の前でしっかりと見ているよ。


「いないよ」


「じゃあ、なんで二人分の食器があんの?」


「そっちを先に用意していたの忘れて、こっちにも用意したんだよ」


「へえ、この器の中には素麺が二本入ってるけどね」

と、茜音さんの素麺に使う黒い椀を持ち上げた。


「こっちの箸にも脂が付いてるし。小皿も濡れてる。

忘れてたんなら使ってないはずだよね?

使ってるなら用意したことを忘れてないことになるよね?

それとも一度食べてから、向かいの席に食器とかを用意したってこと?

――ありえないでしょ。正直に言えよ、てめえ」


 分が悪すぎる。

こちらに流れを作る要素が一つもない。

あるとするなら誰かの存在を明示しなければいけない。


「もういい。いちいち変な推理をして。

いない、って言っているんだから、それでいいだろ」


 僕の胸元の繊維が伸び悲鳴を上げた。


「よくねえんだよ……! はっちゃんが気にしてんだよ!

あっちゃんの様子が最近変だって! 心配してんだよ……!

てめえの勝手なオナニーで、はっちゃんのこと傷つけてんじゃねえよ……!」


 近すぎると見えないことがある。それほど至近距離に凪咲の顔があった。


「あっちゃん、一回死んでみる?」


「一回ってなんだよ。死んだら……次はない」


 乱暴に僕の身体を押し、手を離された後で凪咲は大声で笑った。


「それはそう! てか、お腹減ったー」

と、茜音さんの座っている椅子を引いた。


「そこに座るなよ」


「はあ? なに?」


「そっちに座れよ。お椀とか箸は用意するから」


 僕から見て斜め右の席を顎と目で示す。


「ちっ、めんどくさ。指定すんなよ、童貞のくせに」



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