告白の夏 3
葉月はノートを取り出しパラパラとページを捲っていく。
横から覗き込むと様々な言葉が敷き詰められている。
どのページにも彼女に対する感謝の気持ちや自身の近況などが書かれていた。
彼女の音楽に救われたことなどが主で、彼女と直接会ったこと、話をしたこと、
食事をしたこと、助けられたこと、優しく抱きしめてくれたこと、
そのおかげで今は家族ができて新たな生命が生まれた、なども綴られていた。
すべて彼女を愛する文字で埋まり、その多くは筆圧が強く波打っている。
「茜音ちゃん、みんなに……愛されていたんだね」
「そう……みたいだな」
文字を追っていた葉月は「あっ!」と、声を上げた。
「B.M.Tのメンバーも来てるよ!」
ノートを覗き込むと、五人いるメンバーの内、三人の名前が書かれている。
僕に絡んできたドラマーの人の名は無い。
ボーカルの詩織、ギタリストの優詩、ベーシストの凛花。
その名は並んでいるが本人かどうかは不明だ。
ただ……三人とも彼女に対し尊敬と称賛の言葉を綴っていた。
「茜音さんの音色が大好きです。六弦の中で生み出す音の言葉。
尊敬するギタリストは茜音さんと兄だけです。
いつか二人に褒めてもらえるような最高のギタリストになります。優詩」
「パンクやメタル以外で好きなのは和泉茜音さんの音楽です。
茜音さんの持つ歌声は人を幸せにします。
私が考えるベースラインは茜音さんのメロディの影響があります。
いつも優しい歌声と素晴らしい楽曲をありがとうございます。凛花」
「私も茜音ちゃんみたいに、もっと人に寄り添えるボーカリストになるからねー!
天国まで届くように叫ぶから! びっくりさせてあげる!
あの変態バカも茜音ちゃんのこと大好きだったから天国でセッションしてあげて!
それと……茜音ちゃんの活動は私たちが勝手に受け継いでいるから安心してね!
痛くても優しい世の中になるようにがんばるからね! しっかり見てて! 詩織」
「あれ……今日だよ! 書いてあるの……! あ、あ! 会えたかもしれないよっ……!」
「ミンミさんには会えただろ」
「それもすごく嬉しいけど、で、でも、優詩くんに……会いたかったよー!
詩織ちゃん、凛花ちゃん、美波ちゃんにも!」
「ドラマーの人は? まあ、来てないけど」
「ドラムの人は……いいや。美波ちゃんも来てないみたいだけど」
「――葉月もなんか書いておけば」
「う、うん。お兄ちゃんは?」
「僕はいいよ」
書かなくても直接言えばいい。言えたことはないけれど。
「――このノート、古くないね」
確かに古びた印象は受けない。
袋は透明であるから、本来であればノートの表面は色褪せているはずだ。
定期的に交換しなければならないほど、多くの人が書き込んでいるのかもしれない。
葉月はボールペンを緩徐に走らせる。
「ねえ……お兄ちゃん。なんで……茜音ちゃん、死んじゃったのかな」
黒いインクはノートに丸く伸びた。
「どうして……自殺しちゃったのかな」
それは……僕が今も聞けずにいることだ。
周辺の木々が風によって声を上げる。
それくらいに言葉を出せたら、どれほど楽だろうか。
しかし、自身の問いの答えを求めれば、彼女が傷付くことは目に見えている。
自宅へ帰ると茜音さんはいつも通りベッドに寝転びタブレットを見ていた。
基本的にはタブレットを使用し充電している間はパソコンを使うという感じだ。
『おかえりなさい、あなた』
無視して椅子に腰を下ろす。
『お、か、え、り、なさい!』
「…………。ただ……いま」
『どうだった、お墓参り』
「いつも通りですよ」
『私のお墓あった?』
椅子をクルリと回し茜音さんに顔を向ける。
「はい、ありました。すごく立派な感じでしたよ。
どこの墓よりも目立っていて」
『そうなの? じゃあ、おじいちゃんとおばあちゃんとは別々なんだ……ね。
少し……寂しいな』
「茜音さんのご両親が作ってくれたんじゃないですか」
ベッドに座った茜音さんは床に視線を落とし、足をパタパタとさせ首を振った。
『ううん、違うよ。私……両親いないの。子どもの頃に捨てられたから。
だから、お墓は誰かが作ってくれたんだと思うよ』
「そう……だったんですか。すみません」
『ううん、謝らないで大丈夫だよ。
おじいちゃんとおばあちゃんが私のこと育ててくれた。
二人とも、すっごく優しくて大好きだった。
周りの子たちを見て寂しいな、って思うことはあったけど、それ以上に幸せだったから』
と、膝の上に乗せたタブレットの画面へ言葉を置く。
「あの……ミンミさんという人に会いました」
画面から外された目は大きく開いた。
『ミーちゃん!? ミーちゃん、来てくれてたの!?』
「はい。茜音さんのお墓参りに来てくれたみたいですよ」
『ミーちゃん、元気だった? どんな感じだった?
笑ってた? どんな感じだった? 幸せそうだった? ね、どうだったの?』
前傾した身体は言葉を早くしている。
「多分、元気……ですよ。
幸せかはわからないですけど、ファッションはパンクでしたよ」
『そうなんだー! パンクかー。
ヘルメット被ってツナギでいる時もあったし、昔の体操服でいる時もあってね。
他にもタオル一枚だけ巻いていたりとか!
すごいでしょ? 下着も付けないでタオル一枚だよ?
とにかくファッション変人だったの!
タイツを加工してスケスケのシャツ作って着てることもあってね。
八デニールで、それ完全に乳首見えてるから!とか』
「すごい人ですね」
『うん、そうなの! ご飯行く時も変人だったんだよ!
行きつけの焼肉に行くとメニューに無いブロック肉を貰って、ずっと弱火で焼いてたり!
あとは……ラーメン店で変なルールを持つお店ってあるでしょ?』
「あるみたいですね。こだわり……というか」
『そうそう。独自のルール、暗黙の了解みたいな。
私たち食べるの遅いからテイクアウトして家で食べよう、って話になって。
ミーちゃんが大きい鍋を持って行ったの』
「ラーメンをテイクアウト……ですか。できない店のほうが多いんじゃないですか?」
『そう! でもね、口コミ見たらできるって書いてあったの。
結局はできないって言われたんだけど。それでミーちゃんが店員さんと喧嘩を始めたの』
「喧嘩って……逆ギレはよくないですよ」
『ううん、違うの。テイクアウトはできない、って言われて普通に帰ろうとしたんだよ。
だけどね、帰り際に店員さんから暴言を吐かれたの。
バカが、普通に考えてわかんだろ。二度と来んな、って言われて』
そのようなラーメン屋とは、なぜか横柄な態度の店員が多いという印象だ。
無骨で寡黙。さらに無愛想。それらを一種の売りにしているのだろうか。
『接客業は関係なく人としての態度がなってないってミーちゃんが怒り始めて。
四ヵ国語で捲し立てたりするから店員さんも言い返せなくて。
それで最終的に店員さんが謝って、ね。テイクアウトも特別にさせてくれたんだよ』
「テイクアウトできたんですか」
『うん! チャーシューもサービスで丸のまま二本貰ったりね!
テイクアウトだけど行きつけのお店になったの。店員さんとも仲良くなったよ』
ミンミさんのエピソードを語る茜音さんは満面の笑みを浮かべ次々と話してくる。
過去のことを楽しそうに話すことは少なかったから、
彼女とは、ずいぶん気心が知れていたのだろう。
『――なにかされなかった?』
勘の良さにドキリとする。
真っ直ぐに向けられた瞳に嘘は通じない。
「な、なんですか。なにかって」
『質問で返さないで。な、に、か、されなかった?』
「抱き……つかれました」
『ええ!? 私もまだ朝陽くんに抱きしめられたことないのに……!』
「抱きつかれる、抱きしめる、は違うでしょう」
『ミーちゃん……酷い……朝陽くんの貞操を奪うなんて』
「――茜音さんの匂いがする……って言っていましたよ」
『え……?』
「優しい匂い……懐かしい、って。
多分、茜音さんと同じ空間にいるから香りが僕に付いたんだと思います」
タブレットに視線を戻すと静かに、
『そっか。ミーちゃん、私のこと忘れないでいてくれたんだ』
と、小さく呟いた。
「ミンミさん言っていましたよ」
『なにを?』
「生涯でただ一人の親友、大好きな人、って」
『ミーちゃん……ミーちゃん……』
タブレットの画面には小さい水溜まりが数個生まれた。
一つ伝えるべきか迷うことがある。
その言葉は彼女を動揺させることになるし、そこにある真意を推察することもできない。
しかし、口に出さないのは卑怯な気もした。
机の棚にある教科書の題名を見つめ声に出す。
「葉月の話では……茜音さんが亡くなってから、どこのサポートもしていないし、
自分のバンドなどもやっていないそうです」
『え……どうして……』
嬉々とした感情から生まれた涙、その表情は憂いに変わってしまった。
『ミーちゃん……あんなに音楽とベース好きだったのに。
私の……私のせいなの……かな』
「――それは違うと思います」
『え?』
「本人に聞いたわけではないので、これは僕の勝手な推測です。
おそらく……茜音さん以外の後ろで弾きたくなかったんじゃないですか。
和泉茜音と共に音を鳴らしたかったのかな、って」
『そんな……そんなこと……』
「それに……表舞台に出ていないだけで、音楽は続けているんじゃないですか。
言っていましたよ、ミンミさん」
『なにを……?』
「茜音さんの音がみんなに今も届いているって。
泣いていました。悲しみじゃなくて、喜んでいましたよ」
彼女はよく泣く。
僕はそれを止める術を知らない。
今の彼女から溢れている涙は止める必要がない。
女心はわからなくても、人の機微はわかる。
*
自宅のキッチンに二人で立つのは初めてだ。
『ねえ、ねえ、なに作る?』
「食べたい物はありますか?」
本日の早朝から父、母、葉月は以前に言っていた旅行へ出かけた。
葉月は家を出る時まで誘ってくれたが、当初から行くつもりはない。
蜩が外で一日の終わりを示している。
『んー、いっぱいありすぎて……。とりあえず、唐揚げは食べたい』
「冷蔵庫に鶏もも肉はあります。どうしますか?
母の作り置きしてくれた主菜などは明日以降にして、夕食は全部作りますか?」
『うーん、じゃあ、せっかくだから色々作ろうよ』
「日本の中華系はどうですか? エビがあるので、エビチリ、エビマヨ。
あとはナスとピーマンの肉炒めとか」
母は普段使う分しか買い物をしないけれど僕が作ると考え食材が用意されていた。




