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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
第四章 告白の夏

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告白の夏 2

 葉月と手を交えるミンミさんは僕へ視線を移した。

お前も握手するのか、仕方ない、という目ではなく訝しがるように首を傾げた。


 足を二歩前に出し歩み寄ってくる。


 急に彼女の両腕は僕の頸椎に回された。


「懐かしい匂いがするうー! あかちんの匂いだー!」


 胸部に顔を押し付けてくる。


「ああ……! お、お兄ちゃんズルい……! ミンミさん、わ、私にも!」


「ちょっ、ちょっと離してくださいよ」


 女性特有の柔らかい身体は離れようとしない。


「あかちんと同じ匂いがするよおー」


 押し返す、抱きつくという動作を繰り返し、やがて彼女のほうから静かに離れた。


 その目には涙が滲んでいる。


「ごめん、ごめーん。あかちんと同じ優しい匂いがしたから……懐かしくてえ」


「いえ……」


「あーー、お二人は、もしかして、あかちんのお墓参りに来たのお?

そういう匂いがするうー」


「あの……あかちんって、もしかして――」


「あかちんは、和泉茜音のことだよお」


「茜音さんとは……どういう、ご関係なんですか?」


 隣りにいる葉月に肘で小突かれた。


「あかちんは生涯で、ただ一人の親友。大好きな……すごーく大好きな人。

お二人は、あかちんに会いに来たのお?」


 僕たちは首を縦に振る。


「あかちん……やっぱりすごいや。きみたちみたいな若い子から今も愛されてるう。

あかちんの歌……届いてるよお、みんなに。ちゃーんと届いてるよお。

よく……言ってたもんねえ。

――ねえ、あかちん。届いてるよお」

と、目の前にいない茜音さんに対し語りかけるように言った。


 ポロポロと涙を流すミンミさんに、かける言葉は見つからない。

それは葉月も同様だった。


「この先、まーすっぐに行けば、あかちんのお墓あるよー。

目立つから、すぐにわかるよお」

と、涙を拭いながら片方の手で僕らの目的地を指し示した。


「きみい……なんか、いい音を出しそうな気がするう。そーゆう匂いもしたよお」


――すべて嗅覚判断……なのか。


「お兄ちゃん、ギターやってるんです! 始めたばっかりなのに上手なんです!」


 最近の葉月は部屋に来るとギターを弾いて、と言ってくることがあった。

断ろうにも茜音さんが強制してくるものだから、

やむを得ずコードやアルペジオを聞かせていた。


「ギターリスト! あたしは負けないぞお……!」


「上手くないですよ。大げさに言っているだけです」


「お兄ちゃんのギターって、茜音ちゃんのモデルなんですよ……!」


「モデル……? シグネチャーってことお? あれえ……でもお……」


――まずい。


 葉月に「茜音ちゃんのギターと同じ物?」と、言われた時に、

面倒を避けるために中古品のシグネチャーモデル、と返答した。


「あかちん、オーダメイドだったけどお……シグネチャー出して……うーん」


「茜音ちゃんのギターもかわいいし、

ミンミさんのベースも、すごくかわいい色とデザインしてますよね!

白いハートが差し色になっていて、すっごくかわいいです!

あれってオーダメイドなんですか?」


 こういう時は葉月のコミュニケーション能力が活きる。

しばらくミュージシャンとファンの会話は続いていたが、

ミンミさんは顔を穏やかにして話題を変えた。 


「――明日は……終戦の日だねえ」


 僕が肯定するとミンミさんはシャツに刺している安全ピンを撫でた。


「今はさあ、外国で大きな戦争してるよねえ。内戦が続いているところもあるよお」


「はい」


「心が……痛いよねえ。

国の上の人たちが始めたことなのにい、傷つくのは……いつも他の人たちだもんねえ」


「その国がどのような主義を取っていたとしても、

国の代表として上にいるので、民意が汲まれなかったとしても仕方ないですよ」


「そうだねえ。お二人はあ……音楽で戦争を止められると思うー?」


 唐突な質問だった。


「は、はい! 音楽は人を変えることができると思います……!」

と、葉月は背筋を伸ばした。


「――きみいはどお?」


 ミンミさんの瞳は茜音さんに似ていた。


 真っ直ぐに問いかけてくる。


「止められるわけがないですよ」


「ちょっ、ちょっと……お兄ちゃん……」


 葉月は僕の手首を掴み僅かに揺らしたが、その動作は言葉を止めるには頼りない。

当たり障りなく答えれば、真っ直ぐに問いかけてくれたミンミさんに対し義理を欠く。


「音楽は多くの人の隣にあるかもしれませんが、戦場では役に立ちませんよ。

兵士の安らぎや息抜きにはなったとしても、戦争を止めることはできません」


 瞼をゆっくりと閉じ笑みを浮かべたミンミさんの頭部は上下に二回動いた。


「そのとおーり。音楽では止められないよねえ。

――世界の争いは止まらないよねえ。

どんなことを……愛や平和を歌っても止まらないよねえ。

昔から今に至るまで様々な音楽が叫んでも……止まらなかったんだからねえ」


 彼女の言う世界には当然、日本も含まれている。


 明日は我が身、と、日本国民は理解しているのだろうか。


 遠い国同士が戦争をしている。


 対岸の火事。そのようなことはない。


 火種は異国の地から飛んでくるものだ。


 近い将来、ある国が、ある土地へ攻め入れば日本は当然巻き込まれる。

いや……自衛と称し参戦しなければ日本を守れない。

その土地が蹂躪され、次に日本の島が奪われ、次に本土が挟み撃ちで攻撃される。

その混乱に乗じ大東亜戦争の時のように他国が北海道を侵略する可能性もあるだろう。


 おそらく……ある程度の規模の戦いが起これば、

駐留している軍は形だけの戦闘後に撤退か、

僅かな人数を残しつつ、派遣される兵士も少し、という状況になる。

本格的に大国同士が争う形になったとしても、

中間に位置する日本が戦場となる可能性は大いにあるだろう。


 先の大戦がそうであったように望まなくとも争いに身を置くことになる。

その中で多くの犠牲となるのは戦う術を持たない民間人だ。

虐殺、蹂躪。奪われ、犯され、殺される。

そのことを今の日本人は少しでも理解しているのだろうか。


 隣の国のこと。隣の県のこと。隣の町のこと。


 そして……目の前で起きること。


 眼前に転がらなければ気付かないのだろうか。


「あたしはねえ、ほんの少しだけ……止めることもできると思うんだよねえ」


「どういう意味ですか」


「もしねえ、あかちんが戦場で歌ったらあ。

その間だけは誰も人を殺さない……って、思うんだよねえ。

銃声が響いていても……あかちんの歌を聴けば、その間は銃を置くと思うんだよねえ」


 彼女は少しばかり俯いたけれど、その声色はしっかりとしていた。


「きみたちは、あかちんの音楽が好きい?」


「はい! 大好きです……! ミンミちゃ……ミンミさんのベースも大好きです!」


 優しく微笑むミンミさん。


「あの……一ついいですか?」


 茜音さんはどのような人であったか彼女に問いかけた。

緑の葉の間を風がびゅーっと抜けていく。


「すごく優しくてえ、色んな人から愛されててえ、とーってもかわいくてえ。

ミンミが一人でいた時、手を――」


 彼女は声を詰まらせた。


「一人で……いた時に……手を伸ばしてえ……握ってくれた。

あかちんだけ……だったんだよお。下心も打算もなくて……」


「ミンミさん……」

と、葉月は彼女に近寄り二の腕を擦った。


「あかちん……だけだった……。

あかちんは、ご飯を一緒に食べてくれたんだよお。

忙しくても……遊んでくれたんだよお……」


 指先が目の辺りを何度も往復し葉月は背中を擦っている。

涙が落ち着いた頃にミンミさんは空を仰ぎ青と白の世界に呟いた。


「あかちん……あかちんの音は繋がってるよお。

みーんな、あかちんの音が好きなんだよお。これで、だいじょーぶだよねえ」


 鼻腔から緑の香りを吸い上げ目を閉じ続けた。


「ほんっとに……あかちんは……。だから、大好きなんだよお、あかちん。

助けてあげられなくて……ごめんねえ。

――ごめんねえ……。でも、あかちんは、あたしのこと……褒めてくれるよねえ」


 ミンミさんと別れてから葉月と墓石が両端に並ぶ道を歩き出す。


「さっきの人……ミンミさんって茜音さんとどういう関係?」


「ええっ!? お兄ちゃん、知らないの!?」


「知らないから、聞いている」


「茜音ちゃんのライブサポートしてた人だよ!

ベーシスト! ライブ映像とかで見たことないの!?」


「ベーシスト……か」


 ライブ映像は見たことがない。

パソコンは主に茜音さんが専有しているし、彼女の前で見るのも気が引ける。

スマートフォンで見ればいいのだけれど、主に音源を聴くだけだし、

元々、ライブ映像には興味があまりない。


「演奏すっごいんだよ……! かわいいし、カッコいいの!

茜音ちゃんと二人でお立ち台でいるのとか、もうすっごく、いいの……!

ギターソロとかベースソロの時に背中合わせで演奏してるのとか最高だよ!」


 葉月は割と珍しいタイプの日本人だと思う。

楽器演奏者や伴奏が好きでない限り楽器、伴奏の音に特化して聴く人は多くない。

多くの日本人は歌詞、歌声を重視する傾向にあるからだ。

学校などで音楽の話題を話す時も歌詞に注目する人がほとんどだった。

おそらく日本のカラオケ文化によるものではないだろうか。


 ライブにしても他国とは聴き方が違うようだ。

例えば、日本人はミュージシャンが望まない限りバラードで合唱することはしない。

これが外国となると話は別だ。

自身の世界に入り込み、自身を晒し、大声でミュージシャンさながらに歌い上げる。

来日するミュージシャンたちは日本人は静かにバラードを聴いてくれる、と言う。

さらに大物ミュージシャンたちも日本人の行儀の良さと精神性を称賛している。


 このようなところでも、ずいぶんと文化は違う。


 本質から遠ざかる現代の多文化共生社会。

何も考えず迎合すること。日本の良さを破壊するための行動。

己の利益のために推し進める者は外患誘致罪に匹敵する。


「ミンミちゃん……もう活動してないみたいなの」


「どうして?」


 声を落としている葉月は首を横に振った。


「茜音ちゃんが亡くなってから……誰のサポートもしてないみたいだよ。

自分でバンド組んだりもしてないみたい」


「そうなのか」


 ミンミさんの言う通り茜音さんの墓は他と一線を画していた。

面積の広い石造り。供えられた鮮やかな花が正方形で背の低い墓石を輝かせ、

その中央には和泉茜音という美しい文字が彫られている。


 必要最低限の花や供え物しかないのは彼女のファンの民度を現していた。

手を合わせた後で、墓が荒れるのを防ぐために、しっかりと回収しているのだろう。


 線香にライターからの火を移し葉月に渡す。先程と変わらない、一連の作業。

変わることといえば、茜音さんがここにはいないと明確にわかることだ。


 香炉に線香を置く。目を閉じ手を合わせる。


 墓石の横には透明な袋に入れられたノートがあった。

表には「ファンのみんなから茜音さんへ」と、丁寧な文字で書かれている。

袋の中にはボールペンも納められていた。


「これ、ファンの人たちがメッセージ書いてるのかな?」


「多分ね」



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