降雨の夏 19
今まで疑問に感じ続けてきたことを口にする。
以前、問いかけたことはあったのだが、その時は、はぐらかされてしまった。
「前に言っていましたよね。未練は最後の曲を完成させること、って」
『うん。人助けもね』
「最後の曲、大切な人に……届けたい。約束したから、って」
『うん。言ったね』
白波が音を立て会話の間を取り持つ。
「――誰なんですか? 大切な人って」
『あ、気になる? 私のこと気になるんだ?』
隣で微笑む姿。眼前に広がる海よりも美しい。
「気になっている、というわけではないです。
ただ……その人に届けるなら、どうするつもりなんですか?」
『まだ考えてないよ』
「清原さんですか? それとも平良さん」
関わりのある人物の名を伝えると、彼女は砂を掴んで片手へ移動させている。
『違うよ。もちろん、みんなにも聴いてほしいよ。
ファンの人、大切な友達、清原さん、平良さん、尊敬する久保さんにも。
あ、久保正哲さんって知ってる?』
否定すると茜音さんの口から数々の名曲が告げられた。
世代問わず語り継がれている楽曲だ。
「大切な人、約束した人って……誰なんですか?」
『知りたい? 知りたいんだ? 私のことをもっと知りたいの?』
僕の顔を覗き込む彼女の瞳は二枚貝の中にある生体鉱物と同様だ。
「別に……そこまでは。ただ、どうするつもりなのかな、と思っただけです」
『好きな人』
その一言でギターのネックに掛かる親指の力が強くなった。
『聞いてる? 好きな人だよ』
返事をせず二つの音を鳴らした。
『なんで無視するの? 無視しないで。
無視していいのは女の子だけだよ、男の子はダメ』
「もういいです。わかりました」
『どうして? 知りたいんじゃないの?』
それ以上、彼女の口から聞きたくなかった。
胸の辺りは重く鈍痛がある。
プラスチックハンマー……いや、ゴムハンマーで叩かれているような感覚だ。
『好きな人に届けたいの。素敵でしょ?』
「わかりましたよ、もういいですって」
『自分から聞いたくせに。
それに、もういい、って子どもっぽいから言わないほうがいいよ。会話にならない』
――誰の口癖だと思っているんだ。
「音楽を作る、って楽しいですね」
『え、なんで話題変えるの。逃げたー、逃げたー、卑怯者』
「形の無いものを作ること。実際に作ると不思議な感覚です」
『それは……そうだけど! 私のこと知りたいんでしょ?
素直に聞けばいいじゃん。私のことが気になるから聞きたかったんでしょ』
――聞いても答えてくれないじゃないか。
『今を楽しく生きているかな、って思うの。
苦しんでいたり、寂しくしてないかな、とか。
優しい人って人の痛みに敏感だし、人に悪意を押し付けられることも多いから。
だから、もし……今が苦しいなら音楽を届けてあげたい』
真っ直ぐな言葉は海に向かって優しく歩く。
その相手がどれほど彼女に想われているか、推し量ることはできないけれど。
「その大切な人に合うか、わからないですけど。一つ提案があります」
『なに?』
共作しているのはバラードだ。
二番目のサビが終わったところで曲の展開をポップな感じにしようと告げた。
「その人が、もし苦しんでいるなら、後半の展開を明るくしたら……いいのかな、って」
『うん、いい……かも』
「この構成ならイントロ前に歌い出しのメロディを加えましょう。
前半はバラードで、後半はポップ調にして、最後のフレーズはバラード調に戻す。
そこは歌い出しのメロディをモチーフにしたらいいかな、って」
『うん……! いいかも! やってみよ!』
構成を変えてギターのコードを弾く。
茜音さんが鼻歌を歌い時に互いの意見を出し進めていく。
時が過ぎるのは速い。
外が明るくなり始めた頃に出発したが、すでに太陽は準備運動を終えていた。
「良い感じだと思います。まだ、荒いですけど」
『うん! 私も良いと思う! 朝陽くんって本当にすごい』
「いえ……すごいのは茜音さんです。あの……すみません。
もう帰らないといけないです」
『あれ、今日はバイト休みだよね?』
ギターケースへ本体を収納し、留め具をパチ、パチと鳴らしていく。
「ちょっと予定があるんです」
『師匠に言えないことですか? それは女の子関係ということですか?
うちの流派は恋愛を認めていませんよ。破門にしますよ?』
臀部に付着した砂を手で叩き「墓参りがあるんです」と、背中越しに伝えた。
『あー、今は、お盆だもんね』
「はい」
『本当に? 本当なんだよね? 女の子じゃないよね?』
隣を歩く彼女は疑り深い。
「違いますよ。みんなで行くので」
『そっか、家族で行くんだ』
「はい」
海から離れ海岸林の道を歩いていると再び疑惑の声を上げる。
『――本当にお墓参りなんだよね? 嘘じゃないよね?』
「しつこいですよ。前から今日行くっていう予定だったんですよ。
葉月も来ますし、父も母も一緒です」
『ちょっと待って。なに、しつこいって。聞いた……だけなのに。
それに……しつこい、って、酷い言い方しないほうがいいよ』
――誰の怒った時の口癖だ。
『うちの流派は不純な付き合いを一切認めてないからね。あ、純粋な交際も禁止です。
もし、好きな子がいるなら師匠に報告する義務もあります』
「掟……規則のようなものがあったんですか?」
『もちろん、あるよ。師匠にはすべてを話さないといけません。
特に女の子関係は。色恋に浮かれて堕落した人間になることを阻止する役目もあります。
やむを得ずデートする場合は、師匠を連れていかなければなりません』
――どんな流派だ。
帰路の途中で彼女は歌い始める。
力を込めない歌声が耳を癒やし、そこに生まれる旋律は真夏の世界を広げていく。
すごく貴重な体験だろう。和泉茜音が隣で歌っているのだから。
歌声が止まったところで一つの疑問を彼女にぶつけた。
「あの……曲を作る時って、悩むことはなかったんですか?」
『悩むこと?』
「はい。作っている時に、ああ、あの曲に似ているな、とか」
ギターでメロディラインを弾くと、どこかで聴いた流れだと思うことが多々ある。
首を傾げ丸い額を撫でる茜音さんは答えてくれた。
『うーん。あるよ。あるけど……そうしたら曲にしないし。
どうしても今まで聴いた音楽が出てきちゃうことはあるよ。
でも、採用しなければいいだけだよ』
「そうですか。前に動画を見ていたら、海外の人なんですけど、
日本人はパクリを恐れている、みたいなことを言っていました」
『パクリを恐れている、ねー』
「はい。結局、なにかを生み出すこと、創作することは、
その人が持ち合わせる経験や感性、生きてきた道、見たこと、聞いたこと。
それらの組み合わせでしかない、ということだと思います。
組み合わせたことで独自のものが生まれる、そう言いたいんだと思います」
『うん、それはそうだと思うよ。コードに乗るメロディには限りがあるし。
それにコード進行って世の中に出尽くしていると思う。
特に聴きやすいポップスには定型があるしね。
民族音楽は、ある音階を必ず使わないと、その音楽にならなかったりするし。
独創的な音楽を作るために奇をてらったことをする人たちもいるけど』
「無限ではなく有限なんですよね。作っていると、そういう風に感じます」
『うん、よくメロディは無限って言うけど、そんなことはないよ。
人が気持ち良いって感じるメロディの動き方はあるから、そこは無限じゃないよ』
「そうですよね」
『今は世界人口が八〇億人を超えたんでしょ?』
「はい。約三年前に超えましたよ」
『みんなが音楽を好きだったり、作曲するわけじゃないけど、
数だけで見れば、最低でも八〇億のメロディがあることになるよ。
音楽として世に出るかは別として。頭の中に鳴るメロディがある。
過去の人も合わせたら、この世に無いメロディはもうないんじゃないかな。
どこかの誰かと同じ音が生まれる。これも素敵だよねー』
頭の中に一つの楽曲が流れてくる。
小学生の頃に聴いた楽曲だ。
ポップでキャッチャーな楽曲は若い世代を中心に人気となったけれど、
元ネタとなったと思われる曲を最近耳にしてしまった。
その楽曲のコード進行は定番のカノン進行が使われている。
彼女が言うようにコード進行には一定の制限がある。
そこに乗る旋律も有限だ。そうであるから特に模倣とも言えない。
と、思ったが、その楽曲は歌詞にさえ元ネタとなった特徴的な単語が並んだ。
そのような偶然が重なるものだろうか。
今でも好きな楽曲で非難するつもりは毛頭ないけれど、
少しばかり冷めるような……どこか寂しい気持ちがあった。
もちろん、純粋に生み出した可能性もある。
『あのね、その内わかるようになると思うよ』
「どういうことですか?」
『言い方はよくないないけど、パクってるな、って。
似ることはあるよ、仕方のないことなんだよ。
聴いている人は簡単にパクリって言うけど、そうじゃないんだよ。
自分で作ってみればわかると思う』
「意図せずに似ることはあるでしょうからね」
『うん。作り手側になると……なんとなくわかるようになるよ。
知らないで作ったもの、記憶の断片から出てきちゃったもの。
意識して近付けたもの、意図的に真似したもの』
「そういうものですか」
『うん。それにさ、パクリって一言で言うのも違う音楽ジャンルもあるよ。
引用することがジャンルとして確立しているものもあるし。
あとは定型があって、そうしないとその音楽にならないものね』
「メタルとかもそうですか?」
『そうそう。低音弦の刻みとか、ギターリフとかね。あれこそ有限だもん。
それを使わないとメタルにならないし』
「後世になればなるほど不利ですね」
『だね……あっ! メタルって言えばさ、聞きたいことがあるんだけど……!』
彼女は国道沿いの歩道に出たところで足を止めた。
大型トラックの生む風が栗色の毛を靡かせる。
『朝陽くんがバイトに行ってる時に、スラッシュメタルが爆音で聴こえてくるの!』
彼女の発言を気にすることなく横を通り過ぎる。
「それ葉月です。ああ見えて、けっこうハードなのも聴くんですよ。
基本は日本のポップスを聴いていますけど」




