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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
第三章 降雨の夏

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降雨の夏 13

「日本の衛生観念は世界一だけど、それでも、みんな雑菌や寄生虫を軽く捉えすぎている。

特に小中学校時代は。そういう知識があれば泣きたくもなるよ。菌は危ないんだ」


「そうなの?」


「危ないよ。例えば、朝握ったおにぎりを冷蔵保存無しで昼に食べる。

素手で握っていたら黄色ブドウ球菌が増殖して食中毒の原因」


「あ、おにぎりは熱いから手袋してラップで握ってるよ」


「それならいいよ。すぐに食べないなら冷蔵保存が好ましい。

――菌による被害で身近なところは鶏肉」


「鶏肉? よく食べるよ」


「カンピロバクターという菌がいて、加熱が甘い生焼けとかで摂取してしまう。

他にも生で食べる物と、まな板を共有したり。

それでギラン・バレー症候群になることがあるし、重症化したら死亡することもある」


「ギラン? カ、カンピ……あはは、また変なこと言ってるー。

なに言ってるかわかんないよー」


――いや、わかれよ。


「でもさ、すごいよね、あの子。

体育の時間とかも急に来て、あーくんに腐ったお肉で攻撃してきたり。

あーくんによく攻撃してたけど元気にしてるかな?」


 僕は深い溜め息を吐いた。

ヘビの時は僕が彼女の行いに苦言を呈したことが露見し引き起こされた悲しい事件だ。

葉月が伝えてしまったことに起因する。

告げ口をしたわけではなく、話の中で自身の意見と僕の意見を伝えたにすぎない。


 凪咲は僕が嫌がることを熟知している。

もっとも彼女を非難した内容は、第三者から見ても僕に正当性があるのは明らかだ。

葉月からも彼女の名を最近耳にしたし、胡桃からも過去の話として名前を出される。


 胸の辺りを襲う不安は大きい。


「今年、引っ越したんだよ。それ以来見てない。二度と会いたくない」


「そうなんだ。あの子は本当にすごかったよねー。

ある意味で私たちの代でも人気者だったから」


 朗らかに笑う胡桃。今だけ……少しぐらいは安心できているだろうか。


「焼きそば……食べろよ。ヘビ入れられる」


「あはは、私は入れられるようなことしてないもん」


「僕だってしていない。凪咲は異常なんだよ。

個人の良さを個性と表現するなら、凪咲は常軌を逸しただけの異常犯罪者だ。

最近、多様性って、よく聞くだろ?」


「うん。聞くね」


「多様性と言えば、なんでも通ると思っている。

他人の権利を侵しても自分さえ良ければ構わない、という醜悪な風潮。

凪咲の行動は、それに通ずるものがある。

まあ……多様性という盾で新たな痛みを生み出す人たちよりはマシだけど」


 胡桃は笑いながら焼きそばを食べ進める。

彼女の身体は細い。

年齢的に体型を気にして、ダイエットをしている可能性もあるが、

満足に食事を摂っていないことも考えられる。


「はい、あーくん」

と、僕に半分も食べていない焼きそばを向けた。


「いいよ、全部食べて」


 そう伝えると目尻が垂れた視線は緩やかに地面へ落ちていく。


「あはは……そうだよね、ごめん。

嫌だよね……私の食べた物は。ごめんね」


「そんなこと言っていないし、思っていないよ」


「ううん……いいよ。気を遣わないで。身体売ってて……汚いよね……ごめんね」


「違う、そんなこと思ってない。胡桃は細いから、もっと食べたほうがいい」


「あはは……そんなことないよ……」

と、涙ぐんで焼きそばを持つ手が震えている。


 先程まで笑っていた彼女の姿は消えてしまった。


 なにが正解なのだろう。


 普通の話であれば先程のように彼女は笑っている。

心の底から笑うことはなくとも、束の間の安らぎくらいにはなると思っていた。


 あの話題を避けている。


 彼女は話したいのだろうか。


 触れてほしくない可能性も多分にある。


 僕にはわからない。


 答えを出せない。


『朝陽くん、話を聞いてあげて。つらいことも……少しだけ楽になることがあるから。

楽にならなくても……解決にはならなくても、話したいことがあるんだよ、胡桃ちゃん。

ね、話してあげよ』


 背後に座る茜音さんの声に押された。


「あれから……どうしてる? なにか変化とか。

周りに人がいるから直接的な言葉は出さなくていい。

人にわからない程度に崩して話せば大丈夫だから」


 焼きそばのフードパックがパキッと音を立てた。


「うん……あーくんが言ったみたいに、仲の良い子たちに話してみたんだけど。

あんまり良い返事がなかったかな」


「どうして?」


「やっぱり値段上げると……交渉の段階で断られちゃうから、今のままでいいって」


「世の中の価格は変えられる。それに物価だって上がる。

僕らが子どもの頃に買っていた物は今より安いか? 違う、高くなっているんだ」


「うん。それはわかるよ。

あと……勇気を出して……人気のある人に話してみたんだけど」


「なんて言ってた?」


「別に金額上げなくても人数を捌けば変わらないから、って」


 僕は呆れた。心の底から呆れた。


 どういうことなんだ。


 理解できない。


 変わらない?


 変わることしかないだろう。


 無知が罪ではなく、無知でいることを選択する者に罪がある。


「人数を捌けば……か。

同人数に対して金額を上げれば増えることは当たり前なのに?」


「うん……それはそうなんだけど。今のままでも別にいいっていう子が多くて。

やっぱり一人だけだと……難しい……かな」


 現場の声は……そうなのか。

所詮、浅はかな知識と愚かな持論を胡桃にひけらかしただけで、

物言わぬ机上の空論でしかない、ということか。


「そう……か。

人によってはバックに人がいるだろうけど、その人たちに言っても無駄みたいだな。

目の前の少額にしか目を向けなそうだし……薄利多売するなんて信じられないけど」


「あのね……でも……でもね。

あーくんに言われたから……着けないで……してないよ」


「それは当たり前。普通に考えてありえない。

どう考えてもハイリスクで低リターン。考えなくてもわかる、ありえないよ」


『強い言い方しないで! バカ弟子!』


 背後から怒声が飛んできた。


「――あのさ、バイトしているから……多少の工面はできる。

少しの足しにしかならないだろうけど」


「ううん……いい……」


「受け取ってくれよ」


「気持ちだけで……十分だよ」


――やはり、そうなるのか。


「なんで?」


「あーくんに……迷惑かけたくない……から」


「迷惑……それは胡桃が決めることじゃなくて、僕が決めることだ」


「だって……」


「このままでいいわけない」


「私ね……あーくんが話してくれるだけで……それだけでいい」


「いいわけない」


 目の前を笑顔で過ぎていく人々。

その人たちは十五歳の女の子が背負っているものを知らない。

祭りの喧騒による明るさと僕らの座る薄暗い場所に似ていた。

老人たちはゆっくりと歩き、大人たちは穏やかに笑い、子どもたちは無邪気に走る。


 世の中の人はそういうものだ。


 己の利を求めず人を助けようという人は稀有だ。


 背後に座る栗色の髪をした女性のような人は多くない。


「ああ……! あ、あ、朝陽……!」

と、胡桃の細い声とは対象的な野太い声がした。


 暗がりの道から現れたのは父だった。

足を早めた父の後ろを母が追いかけている。


「あ、朝陽……!」


「なに」


 表情を崩さずに返事し胡桃はペコリと頭を下げた。


「朝陽……やっぱりかわいい彼女が……。

し、しかも、地雷……地雷系じゃないか……!」


「やめなさい」

と、母から背中を殴打された父はニヤリとしてから頷いてみせた。


「俺の推理は間違っていなかったようだな」


「その推理は間違っているよ。表面だけ見ても答えは見つからないよ」


「――初めまして、私は朝陽の父です。

愚息ではありますが、これからもよろしくお願いいたします」


――急に真面目になって誰なんだよ……。


「胡桃ちゃん、久しぶり。卒業式以来ね。またかわいくなって、ねー」

と、母は父を押し退け前に立った。


――わ、わかるのか……?


 これだけ濃いメイクをしていても胡桃が同一人物であると認識している。

中学校までを共に過ごした仲でも初見ではまったく気付けなかった。


 やはり女性というのは……よくわからない。


「こんばんは」

と、小さく頭を下げた胡桃は、どこか居心地が悪そうだった。


「そうか、そうか。こんなにかわいい地雷系の子が彼女か。

俺は嬉しいぞ……! 朝陽って地雷系が好みなんだな……!」


「違うって。それに地雷系、地雷系って、あんまり言わないほうがいいと思うけど。

精神的な意味合いで地雷って、相手に捉えられたらどうするの」


「なにいい!? そうなのか!?」


「もういいから、透くん、行くよ。二人の邪魔しちゃ悪いでしょ。

――ごめんね、胡桃ちゃん。今度家に遊びに来てよ。

好きな物……なにか洋菓子でも焼くね」


「でも、さっちゃん……! 朝陽が……! 朝陽が……!」

と、半ば引きずられるように母に連れて行かれた。


 遠ざかっていく背中を見ていると、二人はどちらからというわけでもなく、

手を繋ぎ群衆の中へ消えていった。


「仲良いね、あーくんのお父さんとお母さん」


「家でも、ずっとあんな感じ」


「えー、いいねー。あ、そういえば、葉月ちゃんは元気?」


「毎日、騒いでるよ」


「いいなー、楽しそう」


「そんなことない」


「うちはさ……お父さん死んじゃったし。

お母さん入院してるし。だから……羨ましい」


「つらい?」

と、相手の気持ちを推し量ることなく反射的に返してしまった。


 当然のことを聞いて何の意味があるというのだ。


「んー、もう……わかんない……かな。

でも……でもね……弟たちのこともお母さんのことも大好きだから」 


 向かい側の広場で小学生が花火に火を点している。


 微かに見える散っていく火花。


 隣に座る胡桃の目から線香花火の散り菊のような涙が溢れている。


「ごめん……ごめんね……」


「なんで謝るんだよ……」


 まだ提案していない解決策を持ち合わせているはずなのに、

それを口にしない僕のほうが謝るべきで卑怯と罵られればいい。


 口に出せないのは一種の自尊心があるのか。

もしくは自身を否定することに近いからかもしれない。


 どちらにしても僕は卑怯者だ。



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