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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
第三章 降雨の夏

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降雨の夏 12

 教科書を捲りながら犯罪者の心理などについて考えていると、

ベッドに寝転んでいた茜音さんが身体を起こす。


『ねえ……忘れてないよね?』


「え?」


『わ、す、れ、て、ないよね?』


 彼女の目は鋭さを持ち合わせ僕からの誠意ある言葉を待ち望んでいた。


「忘れていないですよ。夏祭りに行きたいんですよね?」


『忘れてたら、一生話してあげないつもりでいたんだからね』


 夕方から近隣で行う夏祭りがある。

以前、茜音さんとの散歩が終わり自宅へ帰った時に、

葉月が口にした「夏祭り」という単語を彼女は聞き逃さなかった。


『楽しみだね、夏祭り。デートだねー』


 僕は反応することなく教科書に目を通していた。 


 十八時頃に夏祭りの会場へ到着すると辺りは人で埋め尽くされていた。

夏の日照時間は長いから未だに明るさを持ち合わせ、

人々の高揚とした気持ちと軽やかな足取りに花を添えている。


 茜音さんは僕の前を歩く。

その足には昨日購入した靴を履いているが他人からは視認されていない。

常に身に着けているものであれば他者からは見えないという新たな発見があった。

夏祭りへ来る前に母でしっかりと検証している。


 茜音さんが幽霊であって、どういうことができる、どういうことができない、

などは気にならなくなっていた。

他人に不審に思われなければ、それでいい、という思考になっている。


『焼きそば! たこ焼き! わたあめ!

りんご飴! チョコバナナ! あっ! モモダー!』


 氷水が貼られたボックスの中に揺蕩うモモダーは、

地元民、観光客からの売れ行きを見込まれ何十本と用意されている。

屋台が生み出す香りは食欲をそそり、鮮やかな暖簾は夏の風物詩としての色が強い。


 茜音さんは僕の前を歩きながら屋台をいちいち覗き込んでいる。

彼女が欲した物を手当り次第に購入するが、

右手にギターを持ち左手に商品を持つことに限界がきていた。

このハードケースにはストラップが取り付けられていることが救いだ。

背中にギターを背負い両の手には様々な食べ物が増えていく。


 ふと、考えた。

彼女に言われるがままに購入しているが、これが高額な衣類、バッグ、

装飾品であれば破産してしまうのではないか。

キャバクラ、ガールズバー、コンセプトカフェに金銭を捧げ、身から出た錆にも関わらず、

最終的に相手を殺傷したりする事件も多い。

それらの加害者を侮蔑していたけれど、自身も一種の疑似体験をしているのではないか。

もちろん、金額は全然違うけれど。


『ヨーヨーやりたい』


 僕は小さく首を振る。


『射的やりたい。標的を撃ちたい』


 物を触るのは当然のように禁止だ。


『いいね、お祭りの雰囲気って。夏だなー、って感じがする。

――私、男の子と夏祭りデートしたことないから嬉しい』


 隣を歩く彼女へ視線を向け、すぐに群衆へと戻した。


『デート、デート、デート!』


 握りこぶしを口元に当て小さく「違います」と言うと、

いつかのように『デス――』と、茜音さんは言いかけた。


「それは書くと死ぬやつです」


『もう……言わせてよー。なんで言わせてくれないの!?』


 人混みの中を歩いていると葉月とその友人たちに会った。

彼女たちは友人宅から直接夏祭りの会場へ来たのだが、

全員が彩り豊かな浴衣を着用し茜音さんは羨ましがっていた。 


 特にすることもなく彼女が立ち止まり出店を見れば僕も同じ動きをする。

出店されている箇所を過ぎると神社の石段が目に入って、

境内からは人の集まっている声がした。


『ああー、夏の神社も青春ていう感じがするよね。良い歌詞が書けそう』

と、彼女が石段に目を向けていると背後から声をかけられた。


「あーくん」


 胡桃が微笑み、その隣には弟たちの姿があった。


 胡桃の弟たちは三つ子で小学校低学年だ。

全員が同じ顔、短く刈られた髪型もよく似ている。


「こんばんはー!」


 三つ子から僕へ向けられた挨拶に『こんばんはっ! かわいいー、三つ子ちゃん!』

と、茜音さんが返している。


 もちろん返事はない。


「こんばんは。胡桃たちは今来たの?」


「うん……弟たちが行きたいって」


「そっか」


「姉ちゃん、早く、早く行こうよ!」


 三人が同時に同じ文言を並べた。

細かくディレイをかけたように声が重なっている。


「うーん……。お姉ちゃんは、ここで待ってるから三人で行ってきて」


「ええー!」


 やはり、声は重なる。


 胡桃は肩に掛けた白いカバンから薄桃色の財布を取り出し三人へ数枚の札を渡す。


「三人で分けてね。喧嘩したらダメだよ。

それと……絶対に三人で行動して、走ったり、危ないことしたらダメだよ。

なにかあったら周りの人に助けを求めるか、大きな声を出すこと」

と、目線を彼らの位置に落とし三つ子に言い聞かせている。


 彼らは歓喜と共に雑踏の中へ消えていく。

栗のような頭部。その姿を見つめる胡桃は微笑みながら小さく手を振っていた。


「胡桃は……行かなくてよかったの?」


「うん。なんか……あんまり……人に会いたくない……かな」


 主に同級生ということだろう。

確かに中学生時代の顔ぶれも見かけたし声をかけてくる者もいた。

近況などを聞かれたくない。

嘘をついたり愛想笑いする余裕が今の彼女には苦痛なのだろう。

それでも弟たちを連れてきた彼女の大きな優しさが彼らを見る瞳から感じられた。


「どうする?」


「え?」


「ここで待ってるの?」


「うん……」


 出店の付近の明かりが煌々としているせいか、僕らの佇む場所は少しばかり薄暗い。

彼女の憂いが一層増しているように感じた。


「そこに座らない?」


 神社へ向かう石段の傍にあるベンチを指差し胡桃に同意を求めた。


 退色したベンチは二組が背中合わせとなっていて合計で六個ある。

すでに二個のベンチにカップルなどが座っていたので一番端のベンチに腰を下ろす。


「これ、食べる?」


 パンパンに詰まった白い袋を見せる。


「え、いいよ。大丈夫」


『いいよー、胡桃ちゃんにあげて。お腹減ってるよ、きっと』

と、背中合わせである後ろのベンチに座った茜音さんが言う。


「いいよ、いっぱいあるから大丈夫。

せっかく祭りに来たのに、なにも食べなかったら……寂しいからさ」


 焼きそば、たこ焼き、フランクフルト、アメリカンドッグ、りんご飴、あんず飴。

焼きとうもろこし、ベビーカステラ。キャラクターの顔が映える綿あめ。

買いすぎて他の物は覚えていない。


 白い袋の一つから焼きそば、たこ焼き、などを取り出し胡桃との間に置いていく。

茜音さんが飲みたいと言って……今回に限らず、いつも言うのだけれど、

汗をかいたモモダーを二本取り出すと少しばかり胸が痛んだ。


「あっ、モモダー」


「メロンソーダ買ってこようか?」


 彼女は小さく首を振り「ううん、最近飲んでないから飲みたい」と言うと、

背後から『えー、モモダーが飲める環境にいれば毎日飲むよー』と、嘆いている。


 それほどモモダーには独特の中毒性があった。


「あっ……お金払うよ」


「いらないよ。食べてって渡しているのに、お金を取っていたら最低だ」


「うん……ありがと」


 二人の間で手に持つ、たこ焼きを口に含むと甘辛いソースが口内に広がる。

正直なところ味は特別においしいわけではないけれど、

夏祭りという雰囲気が五割増しにするものだから味覚は喜ばずとも脳内は盛り上がる。


「あーくん、この靴……ありがと」


 買い物に付き合ってくれた礼として胡桃に渡した靴を履いている。

合計三足の靴を購入した。

アルバイトしているとはいえ茜音さんの普段の食べ物の代金などもある。

口座の数字は減ってきていた。

彼女の夕飯は僕の夜食として母が作ってくれるけれど。


 しかし、懐事情がどうしようもない、ということにはならなかった。

睡眠から覚醒すると一週間に一度の間隔で自室の扉の前に数千円が置いてあるのだ。

母に聞けば「透くんが置いているんじゃないの」と、言っていた。

それは彼女ができたのか、という浅い推理の日から始まっている。

アルバイトしているから小遣いはいらいない、と、母に札を返したけれど、

「受け取ってあげて。カッコつけたいのよ、透くん」

と、笑っていた。 


「はい、焼きそば」


「うん……ありがと」


 隣で麺をゆっくりと啜る胡桃を見ていて思う。

鮮やかなリップが塗られた唇にソースが付着するというのは……どうなのだろう。


「一つ教えてほしいんだけど」


「うん、なに?」


「今食べている焼きそばに限らずだけど、麺類って唇に絶対に触れるじゃん。

スパゲティとかラーメンとか。そういう時って後でリップを塗り直すの?」


「うん。塗り直すよ、定期的に」

と、僕の質問の意図がわからず訝しんでいる。


「塗る前に口元を拭いても少なからずリップ側に調味料が付く。

今で言えば焼きそばのソースが。油分を含んでいるから拭いきれないし」


「うん、付くね」


「それって汚くないかな。リップ側の衛生状態のこと」


「あー、言われてみれば……そうだけど」


「雑菌が繁殖したリップを口内に入る唇に塗るのって……どうなんだろうって」


「あはは、あーくん、そういうところ気にするよね」


 今日会ってから初めてだ。声を出して笑う胡桃を見るのは。


「前にも……中学二年の時かな。

あーくん『雑菌が!』って、泣いてたこと思い出した」


『えっ、朝陽くん泣いたの!? 見たことないよ! 詳しく教えて!』

と、茜音さんが急に言葉を挟んだ。


 胡桃は首を倒しクスクスと笑い、麺の隙間に刺された箸が震えている。


「後輩の……あの子。名前、なんだっけ」


「大石……凪咲」


「そうそう、その子がさ、給食中に入ってきて。

あーくんの食べてるカレーの中にヘビ入れたの。覚えてる?」


 忘れるわけがないだろう。


 温いカレーであるから毒ヘビにダメージは無く水で洗い雑草の中へ返してやると、

何事も無かったかのようにスルスルと身体をくねらせ消えていった。


 凪咲にされたこと、そのほとんどは記憶に刻まれている。


 痛みと共に。


「あーくんの第一声が『雑菌が!』その後に『寄生虫が……』って泣いたんだよ。

えーそこなの、みたいな。ヘビを入れられた驚きより、そっち?みたいな」


『へー、朝陽くんの泣いているところ見たことない』


「昔の話」

と、違和感の無い単語で二人に伝えた。


「あれってさ、女子の間では、けっこうキュンとした事件だったんだよ」


「は?」


「普段はクールな秀才って感じだから、冷静に怒るのかと思ったんだよ、みんな。

でもね、ポロポロって涙流したから。えー、そこは泣くんだ、みたいな。

女子は……けっこうざわついてたよ。慰めてあげたい、って」


『――母性をくすぐられたんだね。弟子よ、覚えていますか。

私が教えたモテ要素の一つ、時に弱く、です』


 情けない話というだけだろう。



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