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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
第三章 降雨の夏

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降雨の夏 10

「あいつ金を渡した後、ホストと喧嘩を始めて。

ホストの土手っ腹に包丁刺したから止めに入ったんすけど、

警察に囲まれて怒鳴り散らしてましたよ。

――ああ、ちなみにホストは死んでないんで笑い話で大丈夫っすよ」


 二人は沈黙した後で目を見合わせ大笑いを始めた。

人を騙すよりは騙されていたほうがよい、と、久保さんは自嘲した後で私に顔を向けた。


「茜音ちゃん、曲が書けないのはつらいか?」


「つらい……というより、申し訳ないという気持ちが強いです。

私の音楽を待っていてくれる人たちに……」


「そうか。でも、きみあっての音楽なんだから、ファンも騒がないと思うけどな。

まあ……なにかきっかけがあれば書けるようになるもんだよ。

――今は、少しの休息が必要かもな」


「休息……待っていてくれる人たちがいるから……」


「それは気にしすぎだ。茜音ちゃんが生み出す音楽をみんな待っていてくれるさ。

――作ることが怖くなったか?」


 私は小さく首を振った。


「怖くはないんです。みんなに届けたい。

っていう反面、違う気持ちがあることに最近は気付いたんです」


「そう、どんなこと?」


「私がいなくなっても……私の音楽は消えないって思うようになりました」


 久保さんと清原さんは私の話を笑うことなく聞いてくれる。

いつの間にか戻ってきていたスタジオミュージシャンさんたちもソファーに腰掛け、

エンジニアさんと談話していた。


「私がいなくなっても……私が作った音楽は新たな音楽を生み出してくれる。

どこの誰かも知らないけど、その人が私の想いを繋げていってくれる、って。

想いが音と一緒に繋がれていくって素敵じゃないですか。

――こういうの変ですか?」


「変じゃないよ。素敵なことじゃないか、ねえ、清原くん」


「俺はロック出身だから、その場でバーンと終わりたいすけどね。花火みたいに。

明日を見るより今日を生きたいっすね。

――でもよ、茜音の音楽を繋いでくれる奴なんて見つからねえよ。

お前にはお前の音しかねえんだから」 


 私への激励だ。そういう優しさが清原さんにはある。


「――お二人に今のうちに伝えておきます。

人って……いつ死ぬか、わからないじゃないですか。

今日死ぬかもしれないし、明日死ぬかもしれない。

もし……もし、私がいなくなることがあったら。

――私のギターは次の子に託してください」


「なんだよ、それ。次の子って誰だよ。宛があんのか?」


 首を振ると「なんだ、そりゃ」と、清原さんは笑い、

久保さんは静かな目で話を聞いてくれた。


「私の想いを繋いでくれる子がいると思います。

その子は……きっと人の痛みを知っていて、悲しみに打ちひしがれているかもしれません。

一人で泣いているような子、一人で悩んでいるような子。

そういう子がいたら私のギターを渡してください。

きっと多くの人に寄り添う音楽を作ってくれます」


「誰なんだよ、そいつは」


「清原さんが決めていいよ。私には決められないですから。

女の子を見る目はなくても、人を見る目はあるでしょ、清原さん」


「確かにそうだなー、清原くんは平良くんと違って女の子を見る目がないからな。

茜音ちゃん、聞いてよ、この前さ――」


 久保さんは清原さんと飲みに行った話を始めた。

場末のスナックで店内にあったギターを使い二人でセッションしたところ、

清原さんのことを店のキャストさんが気に入り、

ひどく泥酔した彼はお持ち帰りされたらしい。

それは若い頃の彼にトラウマを植え付けた女性に似ていたようだ。

 

 以前、スタッフさんが持ち込んだシュールストレミングを開封した時と同じ顔で、

清原さんは久保さんの話を聞いていたけど、穏やかになった表情で私に告げた。


「茜音……リハーサルから一旦離れろ」


「え? どういう……離れるって、また平良さんに怒られます」


「一日だけだ。それで最低、一曲。名曲になるものを作ってこい。

海とか山とか田舎とかの自然に触れてこいよ。

これはプロデューサーからの命令だ」


 わかっている。清原さんの優しさだ。


 その優しさに心が痛くなる。


「でも……逃げるって……ことになる」


 久保さんが深い笑顔で鼻腔から空気を抜いた。


「逃げるわけじゃないだろう。

音楽と真っ直ぐに向き合うためには必要なこともある。

仮に逃げたとしても、きみを責める者はいない」


「いや、いるんすよ、マサさん。平良がいるんで」


「ああ……まあ、そうだな。だけどね、逃げる……か。それは考え方の違いさ。

離れることは悪いことじゃない。清原くんの言うように行ってみたらいいよ」


「でも……平良さんのこと……裏切りたくない」


「気にすんな、あいつが来たらうまく言っておく。

それによ、お前はあいつの顔色窺いすぎなんだよ。俺たちはただのプロデューサーだ。

――音を生み出しているのはお前なんだからな」


 初めて私の音楽を聴いてくれた平良さん。

私の音を褒めてくれたのは彼だ。

私の音楽に彩りを与えてくれる清原さん。

私の音を深くしてくれるのは彼だ。

私を音楽の道に歩ませてくれた久保さん。

私に優しい気持ちをくれたのは彼だ。


 みんながいるから私がいるんだ。 


 和泉茜音は、みんながいたから生まれたんだ。


「わかりました。一日だけ……離れてみます。

――最高の一曲を持って帰ります。必ず持ってきます」


 それが強がりだということは自身でも理解していた。


 二人には言えなかった。


 音楽は私の生きがいだ。


 音楽は私が生きる理由に近い。


 私は……大好きな音楽が……怖くなっている。


 追いかけても逃げていく。


 そう……怖くなっていた。


             *


 全身を濡らした雨は体重を増やすことがない。

いや、わずかに皮膚から吸収されたとしたら変動しているだろう。

それが足取りを重くしているわけではない。自宅の扉を開ける手も重い。


 あれから二、三時間ほど探し回ってもギターの所在は掴めなかった。

いつか茜音さんが言っていたことがある。僕が葉月に対し酷いことを言った時だ。


『言った後で後悔しても取り戻せないことってあるからね。後悔先に立たず、だよ』


 今の僕が正にそうだ。


 雨で重くなった靴は三和土に斑点模様を与え、

靴下を空中で脱いでいると、母がリビングから顔を出し駆け寄ってきた。


「ちょっとー、なんでずぶ濡れなの。電話くれたら車で迎えに行ったのに」


「いいよ……別に」


「今、タオル持ってくるから」

と、歩んできた廊下へ戻っていく。


 やるせない気持ちが身体を襲い緩徐な足取りで二階へと向かう。

走り続けたせいだろう。階段にかける足が重い。

視線を落としながら力なく上りきったところで、

自室の方向へ目を向け思考は停止する。


――茜音……さん。


 彼女がいる。


 廊下に小さく座っていた。


 自室の扉の前にはギターケースが立てかけられている。


「ちょっとー、朝陽。なんで二階に行くのよー」


 階下から少しばかり語気を強める母が上がってきた。


「もー、こんなに濡れちゃって」

と、僕の頭をタオルで包む。


「やめてよ……いいよ、自分でやるから」


「いいから、いいから。たまには甘えなよ。昔みたいで嬉しいの」


 タオルに隠された中から「ねえ……ギター」と、小さく声を出す。


「え? ああ……ギターね。

――葉月が持って帰ってきてくれたの。

朝陽が出かけた後に雨が降り出したから、葉月が傘を持って出て行ったの。

公園に行くって言ったんでしょ? 朝陽のこと公園で見つけたらしいんだけど、

ギター置いて行っちゃったの遠くから見たんだって」


 ポンポンとタオルの上から優しく叩かれ髪の毛の水分は吸われていく。


「それで……?」


「ギターを放っておけないからって、傘をギターにかけて帰ってきたの。

この大雨だから葉月もずぶ濡れ、ギターも濡れてたけど葉月が拭いてくれてたよ。

――はい、とりあえず、これで完了。次は、お風呂入って。着替え持ってくるから」


 母が僕の部屋へと歩み始めたから、その背中を見つめるふりをして、

茜音さんに焦点を合わしたけれど、彼女は僕の方を見ることはなかった。


 自室から着替えを持ってきた母に背中を押され階段を下りていく。


「どうしてギター置いてきたの? いつも持ち歩いているのに。大切なんでしょ?」

と、笑いながら問いかけてきた。


 風呂に入り濡れた髪も濡れた身体も乾かし二階へと上がる。

自室の前には相変わらず目を合わせぬ茜音さんが静かに座っていた。

左方向に足を向けず、右方向にある葉月の部屋へ向かう。


 扉を三回ノックすると「はーい」と明るい声がして葉月が姿を現した。


「あっ! やっと帰ってきた……!」


 朗らかな笑顔から逃げるように扉の木目へ目を向けた。


「なんでギター置いて行っちゃったの?」


「まあ、色々と……」


「なに色々って……変なの。まあ、いいや。

濡れちゃったけど拭いたから大丈夫だと思うよ!」


 葉月の明るい声と笑顔に押されて額をポリポリと掻く。


「ありが……とう。

ギターに傘かけてきたから葉月が濡れちゃってた、って母さんが言ってた」


「いいよー、大丈夫だよ!

久しぶりに雨に打たれるって、けっこう気持ちよかったし……!」


 いつだって笑っている。


 そのような葉月に空元気な時があることを僕は知っていた。


 自室へ近付くと茜音さんの栗色の髪の毛が濡れていることに気付く。

衣類は濡れていないようだが、髪はしっとりと水分を蓄え普段より濃い色をしている。


 視線を合わせることなくギターケースを持つと、

茜音さんも静かな足取りで室内に入ってきた。


 僕は椅子に腰掛け、茜音さんはいつもの定位置であるベッドに座った。


 雨の音だけが二人の沈黙を埋めている。


「あの……」


『ねえ……』


 二人の声が重なった。


『先に……言っていいよ』


「すみませんでした。

日本のために戦ってくれた人たちを悪く言うつもりも否定するつもりもなくて。

僕だって……尊敬の念があるんです。

ただ、人が人のために……その犠牲は正しいのか……って。

茜音さんに聞いてもらいたかったんです。話してみたかったんです。

怒らせるつもりはなくて……でも、間違った言い方をしてしまいました。

――すみませんでした」


 頭を下げると前方から茜音さんの優しい声と優しい香りがした。


『私も……ごめんね。朝陽くんの意見を無視して。

感情的に日本から出ていけ、なんて言うべきじゃなかった……ね。

朝陽くんの意見がある。人それぞれに意見があるのに。

それを無視して……私の一方的な想いを押し付けて……ごめんなさい』


 顔を上げると今度は茜音さんが頭を下げていた。



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