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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
第三章 降雨の夏

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降雨の夏 3

 以前、茜音さんと海に出かける際に自宅の前ですれ違った女性だ。

今回も彼女の瞳には生気というものが感じられない。

今の状況は人からの助けを必要とするはずだが、

彼女の目には懇願する意思はおろか何の行動すら求めていないように感じた。


「離してください」


「あ? なんだよ、お前。お前、こいつのなに?」


 サイドを刈り上げオールバックにした髪は整髪料によって光る。

薄い眉毛の下には細い一重瞼があって僕を鋭く睨みつけていた。

年の頃は四十代前半だろう。


「嫌がっているんじゃないですか?」


「なんだ? お前」

と、歩み寄ってくる姿は到底、僕の腕力で敵いそうもない。


 先日の外国人の争いと同様で、こちらに分があるようには思えなかった。

ニメートル近い上背に体重は三桁に入っているだろう。

白のワイシャツに黒のスラックスという出で立ちで、

体育会系のノリを持ったまま四十代を迎えたように見える。


「で、お前は? なんなの? なんだよ、おい」


「その人の知り合いです」


 知り合いというのは、もちろん虚言だ。


「知り合い……? こいつの?」


 男性は僕から女性に視線を変えた。

恫喝するような荒々しい口調で問いかけているが彼女からの返答は無い。

というよりも、僕たちを見ることなく、自らの身体を抱きしめている。


 そして……震えていた。


「知らねえってよ」


「あなたが酷いことするから、怖くなって答えられないだけです」


「なんだ、お前。ずいぶんと威勢がいいじゃねえか」


――知り合いということで通す……か。


 二人の関係性が判断できないから慎重に進めていくしかない。


「あの人は母の友人の娘です」


「それが、どうしたんだよ」


「胸ぐらを掴んで引っ張っていく、そんなことしないでください。

どのような理由があっても暴行罪になりますよ。

首を押さえつけて痣になれば傷害罪です」


「んだあ、お前。お前に関係あんのか!? ああ!?」


 威勢良く大声を上げる。


 この手の人物たちと関わることが最近多い。苛々してくる。

彼らは話を汲み取ることもできないし、一から十まで説明したところで納得はしない。

丁寧に一から十まで教えても、だ。

猿に及ばぬ知能……いや、目の前の男性はゴリラだけれど。


「関係はあるでしょう。親が友人同士で、僕も彼女のことを知っているんだから」


「お前とこいつに関係あんのか!? ああ!?」

と、勢いよく突き飛ばされた。


 やはり腕力では敵わない。


 その時だった。


「お兄ちゃん……! お兄ちゃんのせいでアイス落っことしちゃったよ!

弁償して! 一番高いやつかっ…………なにしてるの?」

と、門扉を越え葉月が姿を現した。


「あの女は? ほっ、いい女じゃねえか……ガキのくせにエロいな」


――僕を呼ぶ言い方でわからないのか?


「さあ……知りません……ね」


「おん、こらあ!」


 男性は僕の胸ぐらを両手で掴み上げる。


 どこかの縫い付けた糸が切れる音がした。


「おとーさーん……! お兄ちゃんが知らない人と喧嘩してるー! おとーさーん……!

警察官なんだから早く捕まえてよー! 喧嘩してるよー! 逮捕しないとー!」

と、葉月は自宅に向かい大きな声を上げた。


 男性は舌打ちし僕に向けた力を緩めて踵を返す。

アスファルトを強く蹴り、女性のところに到達し何事かを言ってから、

太い首を左右に倒した後で、足早に住宅街の角に消えていった。


「お兄ちゃん、大丈夫?」


 葉月が駆け寄ってきた。


「ああ、別に問題ない」


 彼女は聡明であるし機転の効く子であると再認識した。


 父は警察官ではない。


 そして、父も母も在宅していない。


「嘘ついてくれて……助かった」


「ううん。さっきの人なんなの? ゴリラみたいに大きかったよ」

と、以前、動物園で見た勇ましい姿を熱弁し始めた。


 僕は葉月の話もそこそこに女性へと小走りで近付いた。

曲がった頸椎と垂れ下がった黒髪によって、彼女の表情を窺うことができない。


 男性に胸ぐらを掴まれ引きずられたせいだろう。

白いTシャツの襟元が完全に伸び切ってしまい、

肩口から覗く白い肌と上半身の橙色の下着が露出していた。


 首から下がるネックレスを震える手で握りしめている。


 強く……強く握りしめていた。


 小石を踏みしめる音で葉月が背後から到着したことがわかる。


「お兄ちゃん……なにがあったの?」


「――この人がゴリラに襲われてたんだ」


「あ、あの……大丈夫ですか?」


 葉月が女性の顔を覗き込もうとした時に僕は後ろから声をかけた。


「葉月。葉月か母さんのTシャツ……いや、長めのタオル持ってきて。

バスタオルが……いいかも」


「う、うん!」


 その意味をすべてを語らずとも理解してくれたようで自宅へと駆けて行った。


 太陽に熱せられたアスファルトは熱気による容赦ない攻撃をする。


「あの……立ち入るつもりはないんですけど、さっきの人とは――」


 女性は返事をすることなく、水分をほとんど持ち合わせない地面に視線を向けていた。


 彼女の顔には薄っすらと汗が滲んでいる。

 

 再度声をかけてみたが、彼女は急に踵を返し、

震えたままの身体でゆっくりと道路を進み始めた。

力無く行く宛もないほどに憔悴しきっている背中だ。


「はい! お兄ちゃん、持ってきたよ!」

と、葉月から白いタオルを渡され、僕は女性を追いかけた。


「あの……すみません。せめて、これだけでも」

と、背後から首に向けてタオルをふわりと器用に投げる。


 先程のことがあって動揺しているだろうから、

安易に至近距離へ近付くことは得策ではない。


 女性の身体にタオルが触れた瞬間、ビクリと挙動したが、

しばらくして首から胸元に向かって手で押さえてくれた。


 隣に葉月が到達し彼女の後ろ姿を二人で見ている。


――このままじゃよくない……よな。


 葉月に自宅に帰るように指示した。

しかし、彼女は言うことを聞かず、僕と共に女性についていくことになる。


 先程のゴリラが再び現れる可能性があり、目的地に着くまでは見届けようと思った。


 静かな住宅街を抜け、アメンボが水面を滑る田園の道をふらふらと歩き、

潮風が優しく香る海沿いの道を進んでいく。


「お兄ちゃん……なんで、こんなに距離取るの?

さっきの人が来ることを警戒しているなら、

もっと近くにいたほうがいいんじゃないの?」


「あの人……多分、すごく傷ついている」


「え、なにされたの?」


「さっきは腕と胸ぐら、首を掴まれていたけど。

ゴリラの反応からするに……今日だけのことじゃないと思う」


「そうなんだ……。ひどい……ことされたのかな」


「さあ、それはわからない。

ただ……今、僕たちが近付いても不安になるだけじゃないか、と思って。

開けた道だから仮にゴリラが現れたとしても、すぐに見えるから問題はない」


 葉月は隣から僕の顔を真っ直ぐに見ていた。


「なんだよ」


「んーん。お兄ちゃんは、やっぱり優しいなー、と思って。

ほら、前にもさ、こんなことあったの覚えてる?」


「前にも?」

 

「小学生の頃、お兄ちゃん、なぎちゃんと喧嘩した時のこと覚えている?

あ、喧嘩って……腐敗爆弾襲撃事件の時のことね」


「なぎちゃん」というのは、葉月の同級生で彼女の親友だ。

大石凪咲おおいしなぎさという。僕の中では悪童として通っている。

今年の春、隣の市へ引っ越して行った女の子で、

今の話では喧嘩した、と、葉月は言っているが僕に一切の非はない。

本来なら、喧嘩というものは、お互いに落ち度が少なからず存在するものだけれど、

僕と彼女の喧嘩に関しては一方的に相手側が悪いと言える。


 交通事故……当て逃げのようなものだ。


 僕に明確な落ち度が無い、ということは第三者に聞いたとしても変わらないだろう。

大石凪咲は、それほどの悪童なのだ。


「喧嘩しているのにさ、夕方だったから一人で帰るのは危ないって。

お兄ちゃんが後ろからついていったんだよ。

その時と少しだけ似てるかなー、って。内容は全然、違うけど」


「――じゃあ、この後の顛末も同じことになる可能性があるのか。

背後から蹴飛ばされ、腐った生レバーなどを口に押し込まれて」


 その時のことを思い出したのか、葉月は手を叩いて笑った。


「そんなことするの、なぎちゃんくらいしかいないよー。

他の人は絶対にしないから。お兄ちゃん、あの時、家に帰って大泣きしてたもんね」


「泣くよ。多くの人が泣く。

あの時は小学生だったから知識が少ないけど、今考えても背筋がゾッとする。

加熱用の生レバー。そこはまだ……最悪いい。

あいつは炎天下に三日間放置していた生レバーを口に入れたんだ」


「無理矢理飲み込まされたもんねー」


 深い痛みとは長い年月を経ても消えず、

凪咲の顔が浮かぶと同時に、口内にはあの日の味が戻るような気がした。


「凪咲と……連絡は?」


「連絡は取り合ってるよー。でもね、なんか……会おうとしてくれないんだよね。

やっぱり勉強とか忙しいのかなー」


「勉強しないだろ、凪咲」


「んーん。最近は受験勉強してるみたいだよ。

一緒の高校に行くって約束してるから」


 簡単に言ってのけた言葉を無視することなどできるわけもなかった。


 夏が生み出したものとは違う汗が背中を伝う。


 虫歯によるものではない、奥歯に痛みが走る。


「ちょっと待て……同じ高校って……凪咲も穴来高に来るつもりなのか?」


「うん、そうだよー」

と、田んぼの土手を飛び跳ねるバッタを指で撫でた葉月は簡単に口にした。


――な、なんで……凪咲まで……。


「あれだねー、来年はさ、一年ぶりに三人が同じ学校に揃う日がくるんだね!

楽しみー!」


 葉月はそうだろう。

彼女と凪咲は幼い頃から本当に仲が良い。

しかし、僕は凪咲から酷い仕打ちを受けてきたのだ。

彼女からされた数々の事柄は今も胸に深く刻まれている。

蕁麻疹が出たとて不思議ではない。


「き、聞いたのか……凪咲に」


「んー、なにを?」

と、背丈の高い雑草の命を刈り取り、空中で振り回している。


「穴来高校に来るための判定とか……いや、凪咲の偏差値は?」


「うーん、確か……四〇いかない、くらいって言ってた気がする」



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