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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
第二章 悲嘆の夏

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悲嘆の夏 13

             *


 自室にはギターの和音が静かに流れていく。


『もう人前で弾き語りできるレベルに達したね』


 拍手がギターにさらなるリズムを与えた。


「そうですか」


『もー。褒めてるんだから、もっと喜べばいいのに』


「喜ぶって……達成感が無いのでわからないですよ。

他人と比較できることなら、わかりやすいんでしょうけど」


『一ヶ月半でここまで弾ける人はいないよ。

音もきれいだし、リズムも良い。和泉茜音が太鼓判を押しましょう。

――師匠が優秀ということが大きいんだけどね』


 何の疑いもなく彼女の言葉を肯定すると、

『今のは冗談だよー、優秀なのは弟子!』

と、背後に回り込み背中をポンポンと触る。


『コード弾きができたので次のステップです。弾き語りをしてみましょう』


 弾き語りとは、ギターやピアノなどの和音が鳴らせる楽器で伴奏し歌うことである。


『それでは、和泉茜音の曲を弾き語りしてください』


「コードはネットのやつを見ればいいですか?」


『ネットにあるの?』


「色々とあるみたいです」


 茜音さんは感心した様子で僕の隣に来た。

指先でマウスを操作しネット検索する。

そこに現れた和泉茜音の楽曲をクリックすると、彼女は僕に身を寄せ画面を覗き込んだ。


 肩が触れ合い胸の辺りがざわざわとする。

少しばかり離れようと、座っている椅子のキャスターに力を加えたところで、

彼女もその動きに追従してきてしまう。


『あー、これはダメです。弟子よ、やめておきましょう』


 茜音さんの左手が僕の右手に重ねられた。

カーソルは彼女の意思だけによって動き、指先がマウスを叩くたびに身体まで反応する。


 手を抜けばよいのだけれど、重ねられた状態から脱却しようとは思わなかった。


「なぜですか?」


『んー、なんだろう。ダイアトニックに沿ったものしか載ってないのもあれば、

意味もなく変なコードもあるし。 

間違ってる……というより解釈の違いなのかなー』

と、小首を傾げマウスを動かしながら話を続けた。


『うーん。ありえない押さえ方……っていうより理に適わない押さえ方してる。

ほら、このコードとか、こんな押え方する必要ないよ』


 しばらく自身や他の有名な楽曲のコードを調べていたが、

結局はネットに載っているものは使わないということになる。

彼女曰く、キーの判断やコードの大枠を掴むために使うなら良いけれど、

すべてを信じ弾くことは許容しないと言う。

さらに楽曲を作った本人が目の前にいるのだから、私に聞けばいい、と憤慨していた。


 ノートへ書いた歌詞の上に、茜音さんから教えてもらったコードを書き込む。


『さあ、弟子よ。前に私の曲を聴いたと言いましたね。

準備はいいですか?』


 返事をしてからギターの弦に対しピックで上から下へ振り下ろす。


 その時だった。


 彼女は右手を前に出し綺麗な手相を僕へ向ける。


『朝陽くんは緊張しないの?

ううん、緊張しすぎるよりは、あまりしないほうがいいけど』


「緊張ですか……歌うだけですよね」


 椅子に座る僕に対し、ベッドに腰掛けた茜音さんが勢いよく立ち上がった。


『ちがーう!』


「なにがですか」


『普通は緊張するものだよ。人前で歌うのって緊張するよ!』


「いえ、特には」


『と、特には……って。じゃあ、カラオケは?』


「あまり行かないですけど緊張は……しませんね」


『どうして?』


「逆に聞きますけど、なぜ緊張するんですか?」


『ちゃんと相手に届くかな、とか。ちゃんと私の想いが伝わるかな、とか。

色々なことを考えたら緊張しちゃうんだよ』


「その論調だと、さっきの話は怖くなりますよ」


『さっきの話?』


「カラオケに行って、相手に想いが伝わるかな、

って考えていたら、これは相手からすれば恐怖でしょう」


 右手で額を隠し首を傾けた彼女は言葉を返した。


『弟子よ……師匠は悲しいです。

カラオケでも相手に想いを伝えたい時があるのです。

交際前の二人であれば……特に学生であれば、なおさらです。

歌を通じて相手に想いを伝えることがあるのです。

これは覚えておきましょう』


「そういうものですか」

と、コードを押さえる指を確認した。


『歌う前の姿勢がなっていないと言っているんです……!』


――なぜ、急に怒るんだよ……。    


 言葉通りに姿勢を正すと、彼女は身体の姿勢ではなく、気持ちの姿勢だ、 

と、さらなる怒りを言葉に乗せた。


『弟子よ。あなたが今から歌う曲は愛の歌です。

適当に……安易な気持ちで歌うべきではありません。

ちゃんと私に対し想いを込めて歌うように』


「それは茜音さんがプロのミュージシャンだからです。  

僕は始めたばかりの初心者です、素人です」


『懸命に歌えばプロもアマも関係ないの! そういう垣根は音楽にはないから!』


 線引はあるだろう、と口にすることは止め、改めてイントロからギターを鳴らす。

リズムの良いコードストロークでAメロを歌い始める。


「――――――」


 三小節ほど歌ったところで、茜音さんは再び右手を前に出し僕の演奏を中断する。

またか……と思い辟易した面持ちで彼女に目を向けると、

元々大きい目がさらに開かれ、右手はゆっくりと下りていく。


「どうしたんですか?」


『…………。朝陽くん……今まで人前で歌ったことは?』


「人前……ですか。小学校のレクや中学の合唱コンクールだけです。

個人で歌うのは、合唱のためのパート分けで音楽の先生の前で歌ったり。

あとは、さっきも言いましたけどカラオケですね」


『そ、それで……なんて言われたの? 朝陽くんの歌を聴いた人たちから』


「ああ、そうですね……上手いとか言われましたけど、そんなのお世辞ですよ。

音楽の先生も喜んでいましたけど、いちいちオーバーな人だったので。

それに合唱では抑えて歌うように言われました。

逆に下手だったから、きっと気を遣ったんですよ」


 茜音さんは首を大きく振った。


『違うよ。

みんなより秀でていて合唱の中では一人だけ目立っちゃうからだよ。

合唱は一人じゃないから……ね』


 彼女は僕の前に立ち肩に手を置いた。


 僕と彼女を隔てるのはギターの厚みだけだ。


『朝陽くん、すごく良い歌声してる。

あのね……歌って上手いとか下手とかじゃないの。

ピッチが正確とか倍音とか抑揚とか練習すれば誰でも手に入れられるの。

人が手に入れないのは声の成分……声質なんだよ。

話している時の声質で良い歌を歌えると思ってたけど、ここまでとは思わなかったよ』


「お世辞はいいですよ。

それを言われて喜ぶほど、お花畑ではないです」


『違うよ……! 本当に思ってるの!

私は音楽に誇りと憧れを持っているから、お世辞なんて言わないよ!』


「そうですか。でも、お世辞ってそういうものでしょう」


『なにが……? どういうこと?』


「相手に本心が知られたら意味がない、取り繕う言葉を次に使うこともありますよね」


『なんなの、その言い方……本当なのに。

私が嘘ついてるって……そう思うんだ?』


「そうは……言っていないですけど」


『じゃあ、なんなの……?

――もういい……もう話さないから』


 茜音さんはベッドに向かい、パタンと、うつ伏せに倒れた。


「歌ってもいいんですか?」


『知らない……もういい……私のことを嘘つき、って言うから』


「嘘つきとは言っていないです」


『言ってる。直接的な言葉にしなくても、遠回しに言ってる。

私を嘘つき女だ、って言ってる』


 茜音さんと話していると、思っていること、

感じたこと、そのまま口にしてしまうことが多い。

普段の生活で、そのようなことは一切無い。

相手の様子を探り瞬時に言葉を選ぶ。

本音で話すよりも当たり障りなく言葉を吐き出すだけであったはずなのに。

そちらのほうが簡単かつ楽である、はずなのに。


 彼女には何でも話してしまうことが不思議で、

今のように傷つけてしまい後悔することもある。


 出会った当初こそ明るい人という印象を受けたが、

今のように不機嫌な状態になることも時々あった。


 もちろん、僕との間で交わされる言葉が原因で。


 多少の痛みを伴いながらも、二人の間に一種の信頼関係があるような気がした。


 僕だけの意見ではあるけれど。


「――歌っていいんですか?」


『知らない……私は聴かないから。勝手に歌えばいいじゃん』


「じゃあ、歌いますよ」


 彼女の先程出した言葉を思い出す。


 想いを込めて歌うように。


 今から歌う曲は茜音さんの代表曲の一つだ。


 二人が夏の下で出会い、夏の風の中で結ばれるという物語で構成されている。

そこには痛み、葛藤、相手への想いなどが張り巡らされていた。


 再びイントロのギターを鳴らす。


 少しだけメロディと歌詞の間に今ある気持ちとやらを僅かに挟んでみようと思った。


 楽曲を生み出した人に失礼ではない程度に。


 ベッドに倒れる彼女の背中を見る。

その後で歌詞とコードを書いたノートと手元を確認し歌っていく。


「――――――」


 一曲の演奏が終わる。


 エアコンと合わせ茜音さんが幽霊として生み出す涼感があるはずだけれど、

額に微かな汗がポツポツと滲んでいる。

手で拭うとベッドの方から鼻を啜る音が聞こえた。

目を向けると定期的な音と共に彼女の身体が少しばかり挙動する。


「あの……なんで泣いているんですか?」


『泣いてない……』


 一ヶ月半ほど、共に暮らしている中で僕は感じていた。

茜音さんは泣くことが多い。

涙の多くは他人の痛みによるものと知っている。

ネットで事件事故を見ては、その背景にいる被害者や被害者家族を想い涙していた。


 今の彼女は、何に対し涙しているのだろう。


 その涙を止める術を僕は知らない。


「さっきのこと……すみません」


『それは……関係ない……よ』


「じゃあ……どうして泣くんですか」


『教えない……絶対に教えない……』


「言えばいいじゃないですか」


『やだ……。教えない……絶対に教えない』


 喧嘩のような流れになると彼女はよく口にする。

もういい。知らない。話したくない。話しかけないで。

話をしないと解決の糸口は見つからないだろう、

と、思うけれど、今まで口にはしなかった。

火に油を注ぐことが明白だからだ。


 やはり、女心はわからない。



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