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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
第二章 悲嘆の夏

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悲嘆の夏 11

「きみには話していない。

ただ……そうか、オーバーワーク……か。

もし、そうであれば時間の余裕が無い、ということになるな。

本当に時間のせいなのかな?」


 黒光りする靴の先端が私に向けられた。


「――茜音くん、あることに時間を費やしていないか?」


 胸がチクリとした。

恐る恐る顔を上げると冷徹な目で私を見つめている。


「やはり……ね。音楽活動に支障をきたすようであれば止めておくべきだった。

――どこかの町のコミュニティ……イベントに参加して子どもたちと遊ぶ。

児童養護施設に赴いて共に遊び、話をしたり、

街をフラフラと歩いている子たちに、食事をご馳走しているそうだね」


「それが悪いことかよ。

お前には茜音がやっていることの真意はわからねえよ、守銭奴が」

と、足を組む清原さんが誰もいない録音ブースの方へ言った。


「きみは黙っていてくれ、きみとは話していない。時間は有限だ。

――いいか、黙れ、口を挟むな」


 まだ四月だというのに強めのエアコンが効いたスタジオ内は冷たさを増す。


「後学のために、と聞いてくる内容は、彼ら彼女らのためだったのだろう。

きみの行動、そのものは否定しない。

しないが……それらの行動で曲を作っている時間がありませんでした、

そう言うのであればプロ失格だ。

――まさか歌ってはいないだろうね?

きみはプロだ。対価が得られないのであれば歌うべきではない」


――歌っている。歌を届けたい……子たちだから。


「沈黙は……歌っている、と受け取るよ」


 眼鏡の隙間から覗く瞳は私を訝しむ。


「前に教えたはずだよ。プロが対価を受け取らず、人前で演奏するな、と。

演奏したいのならプロを辞めて、どこにでもいる素人として歌いなさい、と」


 その後で沈黙が生まれ、呼吸することを禁じられたような静寂がスタジオ内を支配した。


 重い空気の中で平良さんは静かに言葉を紡いだ。


「――そうか。もう仕方ない。今回のレコーディングは中止だ」


「あ? まだ時間はあんだろ。これから曲を作れるかもしれねえし」


「そのような淡い希望に縋っていられるか。

いいか、時間は有限だ。そして、私たちはプロだ。

できませんでした、では通らない。わかるか? 私たちはプロなんだ。

できないと判断したからには進めるわけにはいかない。

――今回のアルバムは中止だ」


 私は平良さんを直視することができず、

磨き込まれた彼の革靴はスタジオミュージシャンの元へ向かう。


「きみたちには悪いが、次回のレコーディングで頼むことにする。

今回の報酬は迷惑料と合わせて三倍払う」

と、背後のソファーに座っていたスタジオミュージシャンたちに声をかける。

彼らは仕事をした分だけの金額で良いと言っているけど、

プロの現場でプロの仕事ができなかったことへの詫びだ、

と、平良さんは彼らに向け深く頭を下げた。


 頭を上げるように彼らが声をかけても、

秒針が四分の一を越えるまで頭が上がることはなかった。


 清原さんと平良さんは目を合わせることなくレコーディングスタジオを後にして、

私とスタジオミュージシャンたちは機材などの片付けをしていた。

彼らは私を気遣う言葉をたくさんくれるが、

そこに安心が生まれることも希望が満ちることもない。


 存在しているのは表に顔を出さない慟哭だけだ。


 その日から七日後の出来事だった。

平良さんから連絡を受け彼のオフィスへと向かう。


 重厚な扉をノックすると、平良さんが出迎えてくれた。


「どうぞ。悪かったね、忙しいところ。座ってくれ」


 オフィスの奥は都内を一望できるガラス張りだ。

整然とした室内にはレコード、CD、書籍類などが飾られている。

光沢が無いブラウンのソファーに座ると、焼き立てのお餅のように弾力があった。

一畳ほどの木目が輝くテーブルに香りの良いコーヒーが置かれる。


「急に悪かったね」


 久しぶりに見る平良さんの穏やかな表情。


 少し困った顔のようにも見える。


 私のライブに一度だけ愛娘のリネちゃんを連れてきたことがある。

その時の彼は仕事をしている時と違い終始穏やかで、

幼い娘と戯れる優しい父親の顔があった。


 目の前の笑顔は、それに通ずるものがある。


「いえ……大丈夫です」


「あれから考えたんだ。清原が言うように、茜音くんには無理をさせてきてしまった。

こちらの配慮が足りなかった……すまない」


 両の手を膝に置き整髪料によって光る黒髪が向けられ表情を隠した。


「あの、悪いのは私なので……やめてください」


「いや、悪いのはこちらさ。無理な要求、過度な期待、身体的に厳しい労働。

きみを苦しませていることに気付かなかった。

いや、気付いていても気付かぬふりをした」


 平良さんは再び頭を下げ、しばらくして顔を上げた。


「少し休むといい。それほど多くの休暇は与えられないが、

四、五日旅行でも行ってきたらどうかな。

あの騒がしいベーシストでも連れていけば気分転換になるだろう。

宿泊費も交通費もこちらが持つよ」


「いえ、そんな、いいです! いいです!」


 大げさに両の手を胸の前で振ってみせた。


 彼は微笑みソファーから立ち上がると、ガラス張りの前に立ち外を眺めた。


「きみを初めて見た時のこと……今でも鮮明に覚えているよ」


 初めて会ったのは三年前だった。


 小学生の頃、音楽の時間に使う鍵盤ハーモニカを好きになり、

おばあちゃんに買ってもらったギターに没頭し、自作の曲を作るようになった。


 ライブハウスに出ることも路上ライブで人前に立つこともできない。

私が唯一、演奏していたのは、誰もいない地元の寂れた公園での弾き語りだ。


 誰かに届いてほしいけど、誰かに届けることが怖かった。

嘲笑されるかもしれない。最低と罵られるかもしれない。


 だから、一人で演奏していた。


 誰にも聴かれることはない。


 青空だけが見ていた。


 そんな時だ。


 誰もいないはずの公園で何度も繰り返される拍手が私の弾いたギターの余韻に重なる。


 音を鳴らす主が平良さんだった。


 気分転換に田舎道をドライブしていた帰りに、公園でギターを持つ私を見かけたようだ。

普段なら気にすることなく、当然のように通り過ぎていくはずが、

どうにも気になり公園に来たと後に語った。


 私の音楽を初めて聴いてくれた人。


 そして……初めて褒めてくれた人だ。


「――天才だと思ったよ。一人の少女が公園で歌い上げる楽曲。

十年に一度……いや、そんなものではなかった。

今生では二度と出会えないと思った。

間違いなく天才だ、と。

もちろん、努力は惜しまずしていたのだろうけど……ね。

きみたち天才は努力とは思わないだろう?

私たち凡人は、どうにも楽器を『練習する』という風に捉えてしまう」


「いえ、そんなこと……」


 確かに練習する、という考えはない。


 音を出していること、鳴らしていることが楽しかった。


 頭に鳴る音を再現するために自然と上達していく。


「あの時のきみは、聴く者がいない公園で、オリジナル曲をとても楽しそうに歌い、

とても嬉しそうにギターを鳴らしていた。

――音楽の神に愛された子だと思ったよ」


「そんなこと……ないです。あの頃の私は……ただ歌が好きだっただけです」


「それも天才たる所以だ。

天才は……天才と自認しないものだよ。

自認する者は天才ではなく、凡人のありふれた勘違いだ。

一言で片付けるのは浅はかで好ましくないが、才能と努力の結果が今のきみだ。

それは紛れもない事実だ」


「や、やめてくださいよー。照れちゃいますよ」


「――あの時の約束を覚えているかな?」


 約束。


 あの日、あの時。

平良さんは拍手と共に私の願いを問いかけてきた。


「きみは……言った。

自分の音楽で誰かの心に寄り添えるなら……一人で泣く人の隣にいる音楽を作りたい。

寂しくて苦しんでいる多くの人に……聴いてもらいたい、と」


「はい……言いました」


「その言葉を聞いて……きみに約束した。

私が必ず日本で一番のミュージシャンにしよう、と。

無論、私はプロデューサーという立場だ。

僅かな助力に過ぎないが、誰もが忘れられぬミュージシャンにすると約束した」


「はい、覚えています」


「しかし……その結果は、ただ……きみを苦しめただけのようだ」


「そんなことありません。

平良さんが色々動いてくれるから、知名度が上がって、

今は色々な人たちが私の歌を聴いてくれます」


 私もソファから立ち上がり本音を彼の背中にぶつけた。


「そうか……」


 立ち上がった私に今も背を向けている。

ビル群が前方に広がる中で、私から見える平良さんの後ろ姿、

紺色のスーツ姿と相まって絵画のように見えた。


 しばらく無言のまま真っ直ぐに立っている。


「――休暇の前に一つ頼み事がある」


「なんですか?」


「今度、うちから出す新人アーティストがいる。

その子は、男の子なんだが……きみのように歌もギターも卓越しているわけではない。

ルックスはきみと同様に抜群だが、歌の方はどうも……ね」


 それがどうしたというのだろう。


「本物の声を聴かせてやりたい。歌とはこういうものだ、と。

如何せん、彼は不器用なところがあるからね。

彼に使う音源の仮歌を歌ってもらいたいんだ」


「仮歌……ですか」


「――なんでもそうだが、最初は真似ることが大事だろう、素人のうちは……ね。

きみが仮歌に入れてくれたら、彼も歌のイメージがしやすいだろう」


「仮歌って、その人は自分で曲を作らないんですか?」

と、特に気にならない言葉を出してしまう。


 音楽業界で楽曲提供は当たり前のことだ。

歌唱だけを行い自ら作詞作曲しない人も多い。

アイドルなどは全般が楽曲提供だし、ソロミュージシャンの中にもそういう人はいて、

作曲は提供で作詞だけしている者もいた。


 前作のセカンドアルバムで他者が作曲した楽曲を一曲だけ歌ったことがある。

ボーナストラックとしてアルバムに入れた。

一番尊敬する作曲家の人が、きみのために作った曲だ、貰ってくれたら嬉しい、

リリースはしなくていい、とまで言ってくれたからだ。

その楽曲は私の中で、とても大切な一曲になった。


 提供を受けるのは生涯で……ただ一度と決めた。


 ライブなどで他のミュージシャンと共にカバーをしたことはあるけど、

人が作詞や作曲した楽曲を自分の作品として世に出そうとは思わない。


 自分の音で、自分の言葉で、自分の想いを……自分の歌を伝えたいから。



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