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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
第二章 悲嘆の夏

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悲嘆の夏 9

 茜音さんは左右から来る自動車を確認した後で、足早に歩道へと戻ってきた。


『胡桃ちゃん、まだ……十五歳だよ』


 涙を浮かべ彼女のことを想ってくれている。


 先を歩く背中に返す。


「ちなみに……今の成人年齢は十八歳ですよ」


『えっ……そうなの?』


 勢いよく振り向いた彼女に理由を告げた。

他の先進国の成人年齢を鑑みたこと、参政権の一部によるものと説明する。

他の思惑があるのではないか、という僕の考えは伝えなかった。


「――今は……さっきのおじさんみたいな人と未成年が会うことが簡単なんですよ」


『そうなんだ。

確かに普通の生活していたら、気持ち悪いおじさんと接点は生まれないもんね』


「はい。SNSを介して誰とでも繋がれる時代ですから」


 茜音さんの意見が聞きたい。


 これは彼女が現れてから変わっていない。


「SNSが発達したことは年代の壁を容易に飛び越えて様々な事件に繋がります。

詐欺、薬物、売春、傷害、殺人。

胡桃もSNSを介して会っている口ぶりだったので、売春も昔より増えていると思います。

年代毎の売春の推移は見たことがないので、昔と今で比べることはできませんけど」


『増えている、っていう予測ね』


「はい。それらのデータは発覚しているだけのものに過ぎないので、

あまり意味はないかな、と。

把握されていない、事件化していない件数を含めれば、すごく多いと思います」


『SNSかー。私の時からあったけど、そういうの疎かったから。

だって、現実の人と会って会話していたほうがいいじゃん。

目の前にある相手の表情や温度があったほうが楽しいよ』


「茜音さんはそうなんでしょうね。

――SNSの普及によって、お金を欲する度合いも増えたのだと思います。

遊ぶ金、着飾る金、人に貢ぐ金、などに」


『いつでも、ほとんどの人が欲しいと思うけどね、お金は。

それがSNSと、どう関係するの?』


「SNSを介して他人の生活が可視化されるんですよ。

身近な存在である一般人の生活がわかるんです。

以前は周囲の人間の暮らししか見えなかったものが、

今は様々な人たちの生活が目に入るんです」


『そっかー。自分とそれほど変わらないと思っている、

思い込んでいる人の生活がSNSによって見えてしまう、ってことね』


「そうです。

動画もそうですし、人気のある人たちは人目を惹くような写真を貼ります。

それが利益に繋がるからです。

それらを見た人たちは、自分もこうなりたい、良い物を持ちたい、と思うんですね。

高嶺の花ではなく、隣にいそうな人がそういう生活をしているから、自分もなれる、

という錯覚が生まれて」


『本当はそうじゃないんだろうけど……ね。

どこの世界でも成功するって簡単なものじゃないから。

でも、裏の努力は他の人に見えないもんね。表ですべての判断をしちゃうとダメだよ』


 その言葉を肯定し話を続ける。


「自分も他人から良く見られたい、と考える人。

それにはお金が必要であることも多いでしょう。

それで、お金を得ようと売春する人もいます。

有名になれる、と騙されて性行為をしてしまう人もいます」


『さっきも言ったけど簡単じゃないよ、身体を重ねることは。

後で後悔することになる。それは消えずに心に残る。暗くて、深くて、痛い。

なんでもそうだけど、一時の感情だけに身を任せると取り返しのつかないことになるよ』


 安易に売春、買春する人を軽蔑していた。

人には様々な事情があるのは理解しているけれど。

だからこそ、今日の胡桃のような子を目の当たりにして思うことがあった。


 僕は自身のことも軽蔑する。


「みんな……いえ、多くの人は何者でもないから、何者かになりたいと思うんです。

何者でもないから、お金を得て、SNSで自分を……他人に見せつけたい。

自分はすごいんだ、自分は好かれている、他人から羨ましいと思われたい。

そこに存在意義を見つけたいんだと思います」


『それが幸せならいいけど……ね。

自分のできること、与えられたこと、を優先したほうがいいよ。

夢を持っていても、まず目の前のことを一つずつやっていくことが大事。

自分の在り方を考えるべきだと思う。

他人を羨むだけだと、生きていく本質を見失うよ。

――他人ばかり見ていないで、自分のことをしっかり見ないとダメだよ』


 ゆったりと歩く茜音さんの背中に溜め息混じりの言葉を刺す。


「茜音さんには……わからないですよ」


『なに……その言い方』


 彼女は振り返り眉間に皺を寄せた。


「茜音さんは知名度も人気もある。

多くの人に好かれて、多くの人に評価されている。

そんな茜音さんには、その他大勢の気持ち……一般人の気持ちはわかりませんよ」


『嫌な言い方……する』


「皇帝に下々の暮らしは理解できませんよ」


 正面に立った彼女から軽く握った両の手で胸を何度か叩かれる。


『簡単だったと思う? 私が届けたい……もの。

別に人気になりたかったわけじゃない。

多くの人に想いや言葉を届けたかったからだよ。

それを簡単にやっていたって思うの?』


 茜音さんは僕の胸の辺りを見るだけで、視線を合わせることはしなかった。


「いえ、そんな風には思っていないですけど。

ただ……世の中から認められて、そこを確かな居場所としていた人には、

何者でもない人の気持ちを理解することは難しいと思います」


 彼女は素早く踵を返した。


『もういい……。朝陽くんのことなんか知らない』


「実際にわからないでしょう。何者でもない人たちのこと。

有名である茜音さんの視点が、その人たちと並ぶことはないんですから」


『朝陽くんだって、私のことわからないでしょ……!』


「それは……そうですけど」


『わからないんでしょ? じゃあ、なんでそんなこと言うの?

私のこと知らないじゃん! 聞いてもくれないじゃん!

知らないくせに勝手なこと言わないで……!』


 声帯から次の言葉は生まれない。

いつも一緒にいるけれど、彼女のことを知っているのかと言われれば、そうではない。


『ちょっと……待ってください』


『もういい……! 聞きたくない……話したくない……!』


「あの……」


『もういい……! 知らない……! 話しかけないで!』


 女性というものは、感情が吹き出すと話を聞いてくれなくなるものらしい。


 議論の余地がない。

茜音さんだけかもしれないけれど。


 女心はわからない。


「すみませんでした。嫌ない――」


『もういい……! しつこい……!』


 休まず働いていた陽射しは緩やかになっていきている。

数度ほど落ちた気温に身を包まれ、揺れるワンピースを静かに追いかけていく。


 彼女は一度も振り返らなかった。


 僕は再度一考する。


 本当に胡桃を救う術は無いのか……と。


 この問題は容易ではないけれど一つだけ希望がある。

そこに向かうための勇気が持てない。

おそらく受け入れてくれる。そして……助けてくれる。

しかし、頼むことができない。自身の言葉で伝えることができない。

一種の自尊心が言葉を伝えることを憚ってしまう。


 救う術がある……可能性があるのに行動しない。


 なによりも醜悪なのは……自身ではないか。


 自宅に帰り二階へと上がる。

部屋は左だ。廊下で立ち止まると茜音さんが振り返り僕を一瞥した。

ギターとの距離で進めないのだろう。

茜音さんに断りをいれてから右方向に足を進めた。


 ポップな字体で「葉月の部屋」と書かれた名札には色鮮やかな石で装飾が施されている。

肩に掛けたカバンを開き中を探った。カサリと包装紙の音が鳴る。扉を三回叩く。


「はーい」という声の主の出現を待たず、扉から腕が入る分だけ開けた。

隙間へ包装紙に包まれた物を入れる。


「わっ! な、なに……!? お、お兄ちゃん?」


「ドーナツ」


「えっ、食べていいの?」


「うん」


 もともと箱には六個ほど余っていたが、胡桃との別れ際に一つを残し箱ごと渡した。

三つ子たちは喜んでくれただろうか。


 扉の取手を握る手にグッと力が入る。


 葉月が部屋の内側へ引こうとしているからだ。


「な、なんで、開かない、い……! な、なんでえ……!

お兄ちゃん……! 押さえてるの!?」


「いいよ、開けなくて。早くドーナツ取ってくれ」


「な……なんでー! 普通……に、い! 渡してよー!」


「あんまり強く引っ張ると取手が壊れる」


「だったらー! 早く! 離してよー!」


 力の対決が繰り返されるも、最終的に勝利したのは僕だった。


「も、もういい……ちょっと……待ってて」


 しばらくすると扉の隙間から透明な袋に包まれた茶色いクッキーが姿を表した。


「クッキー焼いたの……! これと交換ね!」


 クッキーを受け取り、ドーナツを持っていた右手の重みも普段通りになる。

自室へ向かうために踵を返すと背後から、

「お兄ちゃん! ドーナツ、ありがと!」

と、明るい声がした。


 自室へ入る。

テーブルに置いたクッキーをベッドに座った茜音さんがじっと見つめている。


 彼女は甘い物が大好きだ。

僕が学校へ行っている間も、僕が帰宅してからも、よく菓子を食べている。

僕が買ってくることもあるし、自宅にある菓子を登校前に置いていくこともある。


「食べていいですよ」


『いらない』


「食べればいいじゃないですか」


『いらない。

私のこと知らないのに……聞いてもくれないのに、

一方的に悪く言う人の物を食べたくない』


「葉月が作ったクッキーですけど……ね」


『いらない……!』

と、言ってベッドにうつ伏せで倒れた。


 僕は椅子に座り数学の問題を解いていく。

どうにも視線を感じ、流し目で確認すると茜音さんがこちらを見ている。

いや、厳密には違う。

視線の延長にいるだけで、彼女の瞳が捉えているのはテーブルに置かれたクッキーだ。


 僕は気付かぬふりをし数式の羅列をただ見つめていると、

茜音さんがベッドから起き上がりテーブルの前に座った。



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