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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
第二章 悲嘆の夏

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悲嘆の夏 8

「最初に……仲間に入れるべき人は決まっている」


「誰?」


「その界隈で、かわいい子や綺麗な子、人気のある子。

それなら高くても買う人たちがいる。

それで売る側の意識と金額を共通のものにしていけばいい。

机上の空論かもしれないけど、やってみる価値はあるよ」


『なんで勧めてるの……胡桃ちゃん友達なんでしょ?』


――子どもの頃から……知っているからだ。


「金額を上げれば相手にする人数、病気のリスクも身の危険も減らせる」


「うん……」

と、テーブルの上に並べた胡桃の手は震えていた。


「おそらく、すでに一定のコミュニティがあると思う。

友達感覚や情報などを得るために。

人によってはバックで手引している者もいるだろうし。

あるグループが価格変動を起こせば、各派閥同士で争うことになる。

負けまいと安くしたり、つられて高くなることもあると思う。

全派閥が無能な集まりでなければ、争いの後で全体の底上げができると思う」


 なにが正解なのか、わからない。

行為を止めることなく、助言のような真似をして、

胡桃をさらに深い沼に押し込んでいるのかもしれない。


 しかし……。


 誰かに助けを求めればいいのか?


 誰に? 誰に助けを求めるんだ?


 誰が助けてくれるんだ?


 国? 政治家? 司法? 市役所? 教師? 警察?


 大人?


 助けられる力がある者は往々にして助けてはくれない。


 誰も助けないから、胡桃が泣いているんだろう。


 誰も助けないから、一人の少女が泣いているんだろう。


 そして……僕はなにもできない。


 無力だ。


 沈黙している間、他の個室から陽気な歌声が聞こえてきた。

彼女の苦悩など我関せずといった気持ちの良い高音が響いてくる。


「あーくん……ありがと……」


「別に……うまくいくかわからないけど。

一つの案として頭の片隅に置いておいて」


「ううん。そういうことじゃなくて……」


「なに?」


「あーくんは、私みたいなことしてる子は……嫌いだろうけど……。

それでも……昔みたいにさ……話してくれたから……」


 僕に向けられる笑顔は以前と変わっていた。


 みんなと話していて、嬉しいから、楽しいから。

そのような感情の表れではなく、深い悲しみが覆う中で無理していることは明白だ。


 彼女は「嬉しかったよ」と、続けた。


 自身の無力さに霹靂する。


 同時に大人たちへの憎悪も増していく。


             *


「送ってくれてありがと。

――バイバイ。また……ね」


 小さく手を振り、潮風によって劣化したアパートの階段を胡桃は上っていく。

手すりは錆によって塗装が剥がれ落ちている。


 彼女の心も同様なのだろうか。


 僕は苛立ちを胸に秘めていた。

自身が胡桃に与えた発言は正しくない。

それでも……。

彼女は帰宅するまで小中学校時代の話や高校のことを笑顔で話してくれた。


 なぜ、笑うんだ。


 本音で僕に話せばいい、と思っていた。

しかし、こちらから真意を無理に聞くことなどできない。

出かける前、葉月に対し「相手のことを考えているふりして、

相手の気持ち無視してるってことに気付かないのかよ」

と、言ったのだから。


『朝陽くん、平良さんみたいだった。変態おじさんと戦っている時』


 茜音さんは民家が密集しているところを抜けた付近で声を出した。


「平良さん……ですか」


『理詰めで変態おじさんを諭そうとするところ。

感情だけで話さずに、筋道を立てて話してたから。

それに色々なことに詳しいから感心したよ、師匠は』


 確かに僕は平良さん寄りで、茜音さんは清原さん寄りのような気がする。


「詳しくても……相手に伝わらなければ意味がないです。

結局、誰かになにかを伝える時は、自身の知識だけではなく、

相手の教養も大事なんだと思いました。

あれだけわかりやすく伝えても、伝わらないことがある、勉強になりました」


「無能な人には伝わらない」

と、冷ややかに続ける。


『朝陽くん……あまり強い言葉をつか――』


「弱く見えますか」


『先に言わないで……どうして言わせてくれないの?』


 絶対に阻止すると決めている。


 蝉の声は大合唱するわけではなく、ジーと何匹の声が重なる。


 茜音さんは静かに口を開いた。


『――ねえ。胡桃ちゃんのこと……どうして、あんなこと言ったの?』


「僕の中での答えがあれしかなかったからです」


『どうするつもりなの?』


「とりあえず僕の中では、カラオケ店で言ったことが今できる最善です」


『胡桃ちゃん……これからも売春を続けることになるんだよ。それでいいの?』


 胡桃に話したこと以外に別の案もあった。

売春をすることに近いけれど、二つの柱を軸として大金を得られる方法。

美人局とは違い確実に金を得ることができる。

しかし、その行為を実践すれば真似をする者が現れることは目に見えていた。


 それは犯罪行為を助長しかねない。


 日々の中で知り得た情報、知識。

自分であったら、どう行動するか、どう対応するか、どう立ち回るか。

常に考えていて、それは犯罪であっても同様だ。

そこに生まれた案で犯罪に抵触する場合は誰にも言わないと決めている。


 世にいるハイエナに法の抜け穴である知識を与え、

新たな犯罪行為を世の中に増やすわけにはいかない。


『私さ……悔しい……』


「どうしようもないこと……ってありますよ」


『本当に……そう思うの? どうしようもないことじゃないよ。

助けてあげられるんだよ……』


 国や行政がしっかりと機能していれば、胡桃も彼女の家族も救われる。

しかし、弱い立場にいる存在は救われないという現実があった。

本来救われるべき胡桃の家族ような人たちは、声を上げても掻き消されてしまう。

その反面、生活に困窮せず、大きな声で騒ぐ者が制度を悪用する。


 以前、授業を受けている時に教師が雑談で放った言葉がある。


「外国人の生活保護は、生活保護を受給している全体の三パーセント程度だから。

これは全然、多くないだろう。外国人が多いってのは印象操作だ」


 僕は理解に苦しんだ。


 現在、生活保護を受けている人数は約二百万人だ。

その内の三パーセント。つまり、外国人の生活保護受給人数は約六万五千人いる。

当時の厚生省が通知したものがなければ、本来は日本人だけが受けられる制度だ。

全体の内の三パーセントと言えば少なく感じるかもしれないが、

六万五千人もの外国人が受給しているというのは、どう考えても多い。

 

 苦しむ人々が追い打ちをかけられることも世の中には多く存在する。

例えば、性的な事案で苦しむ被害者が、救済を求めた先で再び性的被害に遭うこともある。


 救済、保護する場にも悪魔は身を潜めている。


 いや、そのような場だからなのかもしれない。


 どうしようもないほどの悪意。


 この世の中は悪意に満ちている。


『私が……生きてたら、助けてあげられるかもしれないのに』


「すみません。僕は無力ですから」


『そんなこと……言ってないよ』


「無力なのは事実です」


 茜音さんは僕が説明せずとも、胡桃に提案したことの意味を今は理解してくれている。

それが……生活苦から家族を守るために、

売春を余儀なくされた彼女の根本的な問題解決にならないことも。


『性のことってさ……簡単じゃないよ』


 茜音さんは道路上の白線を歩き始めた。


「危ないですよ。いえ……なんでもないです、危なくはないですね」


 自動車が通過しても彼女をすり抜けてしまうのだから。


『性を簡単に考えると、深い苦しみに、ずーっと追われるから。

簡単に考えちゃダメなんだよ』


「…………。

胡桃は……簡単に考えているわけじゃないですよ。

簡単に考えていたら……あんな風に泣かないです」

と、少しばかり語気を強めた。


『わかってるよ。でもね……身体を売るってそういうことなんだよ。

その時だけ我慢すればいい、短い時間だけ我慢すればいい。

望んでやってるから大丈夫。そんなことにはならないんだよ』


 どういうことか、と問いかけた。


『性は簡単なことじゃないの。身体は心と密接に関係してる。

お金のためにセックスしたくない相手とセックスすること。

最初は嫌だな、嫌だなと思っていても、いつからか心の声に耳を傾けなくなるんだよ。

それで大丈夫、大丈夫、気にしてない、って自分に言い聞かせても、

心は確実に……蝕まれていくんだよ。

その異変に気付いても気付かないふりをする。

そうしないと心と身体の均衡を保てないから……ね』


 茜音さんは白線の上を狙い交互に足を乗せていく。


『誰とでもセックスする人っているでしょ?

セックスが好きなんじゃなくて、本当は相手からの愛が欲しいんだろうな、って思う。

表向きはそういう風に言わないだろうけど。色々な苦しい経験があって愛情を渇望する。

愛が簡単に得られると錯覚しちゃうんだよ。心は触れないけど身体は触れるから。

でもね……セックスだけで愛を得ようとするのは間違い。

求めるがゆえに遠のいていくものだよ。

理由はわかりますか、弟子よ』


 白線の上で立ち止まった彼女は僕に手を差し出した。


「理由……。好きでもない人……。

そこに感情が無い場合でも行為に及ぶから、ですか」


『半分正解ということにしましょう。

――愛とセックスの順番が違うんだよ。

本来は愛が先にあって、セックスが後にくるんだから。

そこに気付かないとダメですよ、我が弟子よ。

あ、でも、セックスが先で後から愛が来るパターン……もある……か』


――どっちなんだ。


『売春をしている彼女たちだけに問題があるんじゃないよ。

今は……パパ活って言うんだよね? 問題は女の子を買ってる側だよ』


 僕は簡単にパパ活、立ちんぼ、などの事柄を茜音さんに教えた。


『売春は法で禁止されてるけど、個人的には成人同士がお互いに納得してるのはいいよ。

大人だからね。問題点はそこじゃないの』


「未成年ですか」


『そう。未成年に自身の性欲をぶつけるのって異常。

さっきの変態おじさんもそうだよ。自分の快楽のために子どもを傷つける。

大人としても、人としても最低だし、気持ち悪い』


「欲望を自制することのできない人は多いと思いますよ」


『そこがダメなんだよ。

自分に誇りが無いから、他人から見て恥ずべきことを平気でする。

そこに信念があるなら、僕は、俺は、私は、未成年を買春してまーす、

って公共の場でも会社でも言えばいいよ。

恥も外聞もなく生きていることは、大人としての位置にいるべきじゃない。

そんなの大人じゃない。子どもを傷つける大人は、大人じゃない』



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