悲嘆の夏 3
『朝陽くんって、私のこと知りたいんだ。
私のこと気になってるんだねー』
「さっきの状況を目の当たりにしたら知りたくなると思いますけど。
言いたくないならいいです。別にそこまで知りたくもないです」
『あー、拗ねちゃった。そういうところ不器用だよね、かわいいけど』
顔を下から覗き込んでくる。
僕は小石を蹴飛ばし歩みを進めた。
『ごめん、ごめん。怒らないで。
私のこと知りたいんだな、って嬉しかっただけ。
――二人はね、私のプロデューサーだったの』
「プロデューサーですか……二人もいるものなんですか?」
『清原さんはプロデューサー……。
現場の音楽ディレクターとしてレコーディングの時に編曲してくれる人。
平良さんは……うーん……総合プロデューサーっていえばいいかな。
私を売り出すための広告とか戦略を考えてくれる人』
「そういう役割分担があるんですね。
――二人は昔から仲が悪いんですか?」
『バンド時代は知らないけど、私が知る限り仲は良くなかったよ。
平良さんは総合プロデューサーだから基本的にスタジオには来ないんだけどね。
でも、レコーディング現場に進捗状況とかアレンジの確認にくると、よく喧嘩してたなー。
二人とも元バンドマンだから、曲のアレンジに関しては、よく衝突してた』
「いい大人なんだから、喧嘩なんてしなくてもいいと思いますけど」
茜音さんは握りこぶしから人差し指を出し左右に振った。
『真剣だから喧嘩するんだよ。
作品を良くするために喧嘩しちゃうの。
二人が喧嘩しているのを見てて、私はいつも思ってた』
「なにをですか?」
『二人も私と同じで、音楽に対して真剣なんだって。
あ……でも、途中から平良さんは変わっちゃったな。
アレンジやコードを工夫しても大衆には聞こえない、わからない、って」
「そうなんですか」
『――きっとさ、バンド時代は特に真剣だったんだと思うよ。
熱意を持って音楽に向かう。
誇張して言えば、血反吐を吐くくらいに。
だからこそ、二人の間に溝が生まれちゃうこともあったんだろうな……って。
こうしたい、こっちのほうがいい、こうしたほうがいい、こうやれ、こうしろ。
――譲れない意見の衝突があるんだよ。
私はソロミュージシャンだったし、バンドアレンジを弾くのは、
スタジオミュージシャンの人たちだったから衝突はなかったけどね』
「スタジオミュージシャンは、そういうのないんですか?」
『うん、ないよ。
こっちから意見を求めることはあっても、自らの主張を通そうとする人はいないよ。
それに、仮に通そうとする人がいたとしても、そういう人って現場に呼ばれなくなるから』
「本来の仕事に徹さず、自己主張ばかりする面倒くさい人、ってことですか」
『わ、はっきり言うね。好きだよ、そういうところ。
――まあ、簡単に言うと、そうかな。
スタジオミュージシャンの人たちって、会社に所属する人もいれば、
フリーでやる人とかもいるんだよ。
フリーの人は横のつながりで仕事を依頼されたりもするから。
紹介しづらいでしょ、そういう人は。
――平良さんも清原さんもスタジオミュージシャンの人たちには敬意を払ってた。
争うのは……二人が意見を出した時だけ』
清原さんと平良さんが揃った時は、
萎縮してしまって自身の意見を口にできないほどだった、と語る。
茜音さんは上半身を前傾させ隣を歩く僕を覗き込んだ。
『それよりさ、さっきのどういうこと?』
「なにがですか」
『大切なギター、って言ったよね』
「はい」
『私のことでしょ?』
「はい……? ギターのことです」
『絶対に渡しません、って。二回も言ってた』
「ギターのことですよ。別に変なことは言っていないです」
『和泉茜音のことは絶対に渡しません、って解釈なんだけど』
全身に流れる血液が自身の意に反し顔へと急激に集中した。
「その解釈は間違ってます」
『ふーん。じゃあ、渡してあげればよかったのに。
お金も朝陽くんが決めていい、って言ってたんだから』
「茜音さんが……それでよかったなら渡してもよかったんですけど。
僕はどちらでもよかったのに、なにも言わなかったじゃないですか」
『なに、それ。自分の意思で決めたことでしょ?
なんで私のせいしてるの?』
隣から注がれる視線は薔薇の棘のように痛い。
「してないですよ」
『してる。絶対にしてる』
「してないですって」
『私を悪者にした』
「してないです」
『もういい。知らない』
と、僕から二メートルほど先を歩き始めた。
時折、後方に顔を向け、チラチラとこちらの様子を窺っている。
ギターから離れることができないから距離を見ているのだろう。
その様子を背後から眺め、夕焼けの宴での問答を考えていた。
茜音さんは亡くなっている。
一緒に過ごしているから失念してしまっていた。
出会った当初こそ気になったが、あまりに普通に暮らしているものだから、
いつからか気にならなくなっていた。
なぜ、亡くなったのだろうか。
十九歳という若さで亡くなった理由。
就寝時間となってから自身が使っているタオルケットを頭から被り、
スマートフォンの強い光を浴びた。
自らが発する熱によって湿り気を帯びた画面に「和泉茜音」と検索部分へ打ち込む。
死因……と、指が動くことはなかった。
以前、彼女の音楽偏歴は調べた。
最上部に彼女というミュージシャンの経歴などが記載されたページがあり、
迷わず画面をタップし開く。
画面の右側には名前、生年月日、享年、出身地、音楽ジャンルなどが列挙されていた。
下へ下へと内容を読みながらスクロールすると人物像やエピソード、
活動歴などが細かく綴られている。
ゆっくりと人差し指を下から上へ動かしていたが指は画面の中央で止まった。
そこには大多数の文字が黒に染まり、青文字で年月日が記載されている。
そして、文末に二文字の漢字が並んでいた。
『自死』
*
昼下がりの自室にはギターの音色が響き、外から入り込んでくる蝉の声と合奏した。
アルバイトが無い休日は練習時間が多くなって、
茜音さんが以前言っていたように、指先は硬くなり音も違和感なく鳴っている。
硬くなったとは言っても指先は痛い。
当初、茜音さんが言っていた痛くなったら練習を中断する、
というのは指先が硬くなるまでの話だ。
それを乗り越えたからといって、痛みが無くなるといったわけではない。
アコースティックギターはエレキギターと比べ、
弦のテンションが強いから仕方ないと彼女は笑っている。
弦のゲージを細くすれば、だいぶ変わるらしいのだが、
ゲージを下げれば下げるほど、音の張りも失っていくようだ。
『セーハは人差し指の側面で押さえれば綺麗に鳴るよ』
セーハとは一つの指で複数の弦を押さえることだ。
『特にセーハが、そうなんだけど……指で押さえるっていう言葉通りじゃなくて、
親指とそれ以外の指でネックと弦を挟む、って意識でやるといいよ』
言われた通りに挟み込むという意識にすると、確かに指が弦によく馴染む。
『ギターを始めた人ってFが強敵、挫折する理由みたいに言うでしょ。
私はそんなことないと思うけどなー』
「別の理由ということですか?」
『ううん。Fで辞めちゃうのはそうなんだろうけど、それより強敵がいるんだよ』
「強敵ですか」
『Bとかだよ。押さえ方の名称でいうとAポジションっていうやつね』
僕は「これですよね」と、人差し指と薬指を使い音を出した。
『そう、それ。朝陽くんみたいに綺麗に鳴らせる初心者さんって中々いないよ。
私も一応プロだったけど、朝陽くんの上達はすごいよ。褒めてあげよう』
正面に座った茜音さんはギターを指導する時の敬語をいつからかやめている。
『コードって色々な押さえ方があるし、どこの指を使ってもいいから正解はないんだけど。
指が柔らかくて外側に反る人は、薬指だけで押さえたほうが綺麗に鳴るんだよ。
フレット際を押さえられるから。
反らない人は他の指で補助しないといけないんだよ』
「そういうFとかBが原因かはわからないですけど、
前にネットで調べたらギターを始めた人の九割が辞めるらしいですよ」
『へー、そうなんだ。でもさ、せっかく――』
自室の扉の取手がガチャリと鳴り、同時に茜音さんは声を止めた。
扉へ顔を向けると、葉月の顔がひょっこり現れ、不安そうな顔をしている。
「お兄ちゃん……」
「ノックぐらいしろよ」
「あっ……ごめん……ね。
――あのさ、さっきから誰と話してるの?」
――まずい……。
「話してない。なんか用?」
部屋に入ってきた葉月は、後ろで手を組んでいる。
「用はないけど……。
ちょっと話したいな、と思って部屋の前に来たら話し声が聞こえて……。
電話してる感じでもないし……でも、誰かと話してる感じだったから」
「電話だよ」
葉月の視線は、すぐに僕から机へと変わった。
そこにはスマートフォンが疲れ切った身体を戻すために電気を食べている。
「電話してたら机にあるの変だよ」
――だから、急にドアを開けたのか。確認するために。
「話し終わったから机に置いたんだよ」
「スピーカーで話してるなら、相手の声が聞こえるはずだし……。
開ける直前まで声が聞こえてたもん。
その一瞬で机まで行って、充電器にスマホ差す。
ギターを持って、そこに座る。そんなの無理だよ」
それはその通りだ。
しっかりと状況を判断した的確な答えだ。
反論の余地がない。
「いいよ。別になんでも」
こうなったら開き直るしかない。
「ねえ、なんかあるんなら……話聞くよ?」
「なんだよ、なんかって」
「だから、悩み……とか」
「悩みなんてない。仮にあったとして、それを葉月に話してどうなるんだよ」
「話したいことがあるのかな……って。話したら楽になると……思う」
「人に話しただけで楽になるなら、それは悩みと呼べるものじゃない。
それに本当の悩みは簡単には話せない」
『ちょっとやめなよ、朝陽くん。葉月ちゃん、心配してくれてるんだよ』
茜音さんは立ち上がり僕と葉月の直線上に割り込んだ。
もちろん、葉月には声も届かないし、姿も見えない。
「でも……一人で悩んでたら……どんどん苦しくなるっていうか……」
「はあ……堂々巡りになるだけ。もういいから、出てってくれよ」
葉月は唇を口内に隠し、何段階かに首の動作を分け俯く。
「話してよ……ちゃんと聞くから……」
茜音さんは触れもしない葉月に近付いていく。
「だから、なんでもないって。
しつこいんだよ……相手のことを考えているふりして、
相手の気持ち無視しているってことに気付かないのかよ」
『朝陽くん……!』




