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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
第一章 幽霊と僕

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幽霊と僕 13

 細道を抜け国道沿いをしばらく歩くと古びた商店がある。

小学生の頃は葉月、その友達と海に来ては買い物をしていた場所だ。


 商店の前に到着する。

そこだけ時が止まってしまったかのように寂しい雰囲気の店だ。

店番である、お婆さんの皺が更に増えていたが、

店内は目に見えて変わっているところはない。


 幼き頃のままだ。


 お婆さんは僕のことを覚えていた。


「あら、朝陽ちゃん。久しぶりねえ。元気だった?」


「お久しぶりです。元気です。覚えてくれていたんですか?」


「そりゃあ覚えてるわよ。

朝陽ちゃん、葉月ちゃん、凪咲ちゃんは、よく来てくれたからねえ」


 家からすごく距離が離れているというわけでもないが、ずいぶんと足が遠のいている。


 そして、葉月以外の人物から凪咲なぎさの名前を聞くことも久しぶりだった。


「葉月ちゃん、よく来てくれるのよ」


 葉月は今でも顔を出しているようだ。

その話を聞くと葉月は人情があって、僕には欠けていると少なからず考えてしまう。


 お婆さんは僕の近況などを聞いてきて、その度に皺を寄せ微笑んだ。

そこには安心できる懐かしさと温かさがあった。


 店の正面に設置されているガラス張りの冷蔵庫から瓶の炭酸飲料を二本取り出す。

キャッシュレス決済など通用することがない、

古びたレジで会計を済ますと、お婆さんが背後から声をかけてきた。


「朝陽ちゃん、待って。これ、よかったら食べて」


 手には葉で覆い隠された数本のとうもろこしがあって、それを袋に入れ渡してくれた。


「ありがとうございます」


 生で食せる品種のようだ。


「そういえば、今日は海に来たの?」


「はい」


「葉月ちゃんたちと?」


「い、いえ……」


 僕が言い淀むと、お婆さんは顔全体に皺を深く寄せ微笑んだ。


「そう。また来てね、朝陽ちゃん」


 店から出て歩き始めると波の音が微かに聞こえ潮の香りは薄い。

振り返れば商店のあちこちが潮風により茶色く蝕まれていて、

それはお婆さんにも言えることだと思う。

長年の疲労の蓄積で身体が痛むところがあるはずだ。


 商店は利益重視で営業しているわけではないのだろうが、

近隣の人も付き合いなどで生鮮食品などを買うこともあるし、

足腰の弱くなった老人が近場で購入するために重宝する場でもある。


 お婆さんの笑顔は変わっていなかった。


 頭上に広がる青空を見つめ考える。


 お婆さんのような優しさを持った老人には敬う気持ちがある。

話していても苦ではない。

しかし、老人の中には自分だけが良ければいいと我が物顔で世の中を闊歩する者も多い。


 コンビニで恫喝していた老人のように。


 身体は成長をすることを止め確実に退化していく。

一方で退化することのない精神は高め広めるべきだ。


 思考することを止め、動くことすらできなくなった者を人と呼べるのだろうか。


 本人の意思に関わらず第三者によって延命を強制されることもある。

その背景には甘い汁を吸うための悪魔が常に囁き続けているものだ。


 犠牲となっている人は、どれほどの痛みを感じているのだろう。


 その声は誰にも届くことがない。


             *


 砂浜へ戻ると茜音さんの鋭い視線が陽射しより深く突き刺さった。


『どこに行っていたんですか』


「ちょっと……買い物に」


『ギターを盗まれたらどうするのですか』


 確かに……そうだ。

茜音さんがいるから、いいや、とギターを置いていった。

ほとんど意識していなかった。

彼女は幽霊で他人からは砂浜にギターケースが放置されている状況にしか映らない。


『ギターを盗まれたら私に会えなくなりますよ。

いいのですか? 会えなくなってもいいんですか?』


「すみません……。あの、これを買いに行ってて」


 白い袋に貼りついた瓶の炭酸飲料を取り出す。


『わあ、モモダー!』


 薄桃色の瓶飲料であるモモダー。

この町のご当地サイダーとして人気の商品だ。

編入合併した後でも、かつての町の名が刻まれている。

商店やコンビニ、道の駅で販売されているが、先日のコンビニでは取り扱っていない。

桃が原料だけれど、名産品というわけでもないし、

桃を栽培している果樹園があるのかも知らない。


 しかし……モモダーは異常なほど美味しい。


『あれ……ビー玉じゃない。昔の形とも違う』


 僕は知らないけれど父と母から聞いたことがある。

昔のモモダーはビー玉で飲み口を塞いでいたらしい。

現在は容器こそ瓶であるものの、開栓口はスクリューキャップに変更されている。


『えー、これじゃおいしくないよ……絶対においしくない……。

雰囲気って大切だから……』


 茜音さんがキャップを捻る。

パキパキと音と共に密閉されていた炭酸が容器から産声を上げ、

桃色の唇が薄桃色のガラスと触れ合う。


『おいしー! モモダーおいしい!』 


 モモダーは少しとろっとした飲み心地に突き刺さる炭酸という不思議な喉越しがある。

甘さは控えめ柑橘系の酸味が付け足され、ゴクゴクと飲める一品は非常に人気があった。

一種の中毒性があるのか、夏には必ず飲まなければという強迫観念にも似た思いもある。


「あと……これも店のおばあちゃんから貰いました。生で食べられるやつです」


『わー、とうもろこし! 夏っぽい!』

と、茜音さんは丁寧に、とうもろこしの身体を隠す衣服を脱がしていき、

その姿を太陽の下へ導いた。


 とうもろこしを口に含むと、モモダーの影響で甘みが感じられないことを嘆く。


『屋台で売られている、焼きとうもろこしもおいしいよね』

と、食べている横顔は、どことなくリスに似ていた。


『なんか……デートみたいでいいね』


「違いますよ」


『どうして? 一緒に海へ来て、モモダー飲んでる。これはデートでしょ?』


「違います」


『デート……!』


「違います」


『デート!』


「違います」


『デス――』


「それは名前を書かれた対象が死ぬやつです」


『し、知ってるね……返しも早い……』


 被せて言うことができたのは当然だ。

二日ほど前に茜音さんが寝言でデート、デートと繰り返した後で、

韻を踏むために漫画の名前を出していたからだ。


 僕も波の音が押し寄せてくる中でモモダーをごくっと喉から体内へ入れる。


 とろっとした甘みに爽やかな柑橘の香り、喉をポコポコと殴る炭酸の刺激。


 これから最盛期を迎える夏が目に浮かぶ。 


『海のほうに行きたい』


「ああ……はい」


 ギターケースを手に取り波打ち際へ向かう。


『もっと来てよ』


 一つ溜め息を吐き出して、靴と靴下を脱ぎ波が迫る浜へ歩き出す。

足の指の間に濡れた砂が入り込み、ひんやりとした感触が足の裏に伝わる。


「あんまり行くとギターケースが濡れちゃいます」


『だいじょーぶ、だいじょーぶ』


 踝ほどの浅い波が迫る中で、茜音さんはワンピースの裾をたくし上げた。

白波と追いかけっこしている。

ギターから二、三メートルという制約がなければ彼女はもっと自由にできるだろう。


 まるで、映画のワンシーンを見ているようだ。


 海面がきらきらと光る中で自然と戯れる女性。


 とても美しく見える。


 ぼーっ、と眺めていると顔に飛沫が激しく当たった。


「や、やめてくださいよ……」


『くらえ……!』


 両の手で海水を掬い上げ僕へ飛ばす。


「ギターケース……濡れちゃいます」


『中身が無事なら問題ないよー』


 このギターケースも綺麗な花の装飾が施されているのだから、

無闇に海水に侵されることは望まないし、まして持ち主が攻撃することもおかしい。


「やめてください」


 繰り返される攻撃にTシャツとハーフパンツが身体に密着してくる。


『やり返せばいいじゃん。遊ぼーよ、夏だよ、夏』


「やらないですよ。子どもじゃないんだから」


『ほーら、ほーら』


――くっ……目に入った……。


 片手しか使えない不利な状況だ。

掬い上げたところで手のひらに集まるのは少量の海水しかない。

ギターケースという重しもあり機動力に欠ける。


 戦略は一つしかない。

ギターケースを右手から左手に移し、

その場で身を屈め、すべての力を右手へ集中させる。

右手を絶えず稼働させ海水を直接茜音さんへぶつけていく。

手で掬わなければ海水を補充する必要もないし、相手に攻撃の隙を与えない。


 昔、悪童と僕が呼ぶ子と戦っていたから、このようなことは造作もなかった。


『ちょっ……ちょっと……! ちょっと待って! やりすぎ……!』


 聞こえないふりをした。


『本当に……! 待って……! やめて!』


 ずぶ濡れになった茜音さんは静かに僕を睨んでいる。


「やり返せ、って言ったのはそっちですよ」


 踵を返し砂浜へ戻ろうとした時だった。


 背中に強い衝撃が伝わり、前方の視界があっという間に変わり消えていく。


 口に塩っ辛い海水が侵入した。


『ふふ、お返しだよ!』


 背中にとても柔らかい感触が伝わる。


 投げ出されたギターケースが次なる波に呑まれてしまう前に、

背中に貼り付く茜音さんから滑るように抜け出しギターを救出する。

波の高さが開口部に至っていないから中身は無事だ。

顔に付いた砂を払いつつ、背後に目を向けると、

勝ち誇ったように両の手を腰に当てている。


『私の勝ちだね』


――勝ち負けがあったのか。


 手に付いた砂を払っていると「あれ……あれなんだろう」

と、茜音さんは少し離れた波打ち際へ進む。


 身を屈め何やら手で払っているようだ。


「どうしたんですか?」


『うん。これ』


 手には透明な瓶が握られていた。


 四合瓶ほどの大きさの中に二つに折られた白い紙が入っている。


『ボトルメール……かな』


「ボトルメールって、なんですか?」


『メッセージを書いた紙を瓶に入れて海に流すの。

内容は様々だけど、知らない人……例えば外国の人に宛ててとかね。

前にさ……私の親友が教えてくれた』


「そうなんですか。初めて知りました」


『私も見るのは初めてだけど。

――よし、開けてみよう』



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