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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
第一章 幽霊と僕

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幽霊と僕 12

 四つん這いで顔を突き出していた姿勢から美しい正座へと変えた。

太腿の上に揃えた両の手。

手彫された一体の仏像のように目を細め僕を凝視する。


『さあ、弟子よ。一つ大事な質問をしましょう』


「はい」


『今日は……なんの日でしょうか』


「土曜日です」


『真面目に答えなさい』


「真面目にって……。大安とか仏滅とか……六曜のことですか?」


『違います。ふざけないでください』


 人差し指が僕の胸元に刺さる。


『さあ、今日はなんの日でしょう』


「つ、梅雨……」


『ふざけないでください。梅雨は時期です』


 今年の梅雨は、梅雨らしく雨が降り注ぐことがなかった。

曇天が毎日を覆っているのかといえばそうでもない。

快晴の方が多いくらいだった。

来週分の天気予報を見ても晴れのマークが並び、

温度が上がるから熱中症に気を付けて、と、天気予報士が言っていた。


「わからないですよ。もう……面倒くさいので早く言ってください」


 昼食後に少しばかりあった眠気が再び僕を襲い目を閉じながら言う。


 頸椎を深く曲げ、返答を待っているが一向に言葉が返ってこない。


 顔を上げる。


 そこには笑みの眼差しは一切無く、代わりに般若へと変貌を遂げた顔があった。


「な、なんですか……。わからないから……教えてほしいんですよ」


 般若は静かに口を開いた。


『――今日は朝陽くんと出会ってから一週間記念日です』


「記念日?」


『そうです』


 冷淡……ただ冷淡だ。


 記念日というのは結婚記念日や交際記念日などではないのか。


 僕は小さく首を傾げた。


「会った日から一週間の記念日って……変じゃないですか?」


『変ではありません。少しも変ではありません。

朝陽くんのほうが変です。私のことを変人呼ばわりすることは許しません』


 どうやらギターの指導以外にも、喜怒哀楽の怒が表に出てくると敬語を使うようだ。


「はあ……。それで……なにがしたいんですか?」


『海に行こ……!』


「海ですか? あー、まあ、はい。いいですよ」


『なに、その反応。私は楽しみにしてたのに。

朝陽くんから誘ってくるまで我慢しようと思ってたんだよ。

――嫌なんだね……一緒にいるの……』


 彼女は白い両手で顔を覆った。


「嫌とかではなくて……。地元だから海は見慣れてて……」


 顔を隠し鼻腔から滲む体液を啜る音がした。


「あの……久しぶりに海へ行きたくなったんで……行きましょう」


 音が聞こえなくなった。


『へへーん。嘘だよ。泣くわけないじゃん』


――こ、この人は……。


『女の子との記念日は重要です。弟子よ、これは覚えておくように』


「会った日から一週間を記念日にするのは茜音さんくらいじゃないんですか」


『違いますー。些細な記念日を覚えているほど、

私のことを大切に思っているんだな、とか。

愛されてるんだな、って女の子は思うんですー』


 出会った日ならまだ理解できるが、出会った日から一週間の記念日とは……。

そもそも僕たちの関係性は、幽霊と成仏を手伝う側というものでしかない。


「僕は知らないですけど、そんなことで世の中の人は、

好かれているかどうかを推し量るんですか?

普段の接する態度でわかるじゃないですか。

そっちのほうが重要だと思いますけど」


『そんなこと……?』


「いえ……記念日とかで相手の感情を読み解けるのか、ということです」


『弟子よ、よく聞きなさい。これは大事なことですよ。

女の子は普段から好きだよ、って言葉を言ってほしいの。

それと特別な日は二人で共有したいものなの。

ああ、私だけじゃなくて相手も覚えていてくれたってね。

そういうの嬉しいでしょ』


 結婚記念日や交際記念日は理解できる。

出会ってから一週間というのは毎日繰り返した結果だ。ただの一日に過ぎないだろう。

そのようなことをしていたら毎日が記念日に変わってしまう。


 女心はわからない。


 身支度を整え、ギターを右手に持ち家から出る。

ちょうど一番暑い時間帯で帽子の有無を陽射しと相談した。

玄関から門扉までのストロークで帽子を取りに戻るか、

逡巡させていると、茜音さんが門扉を開けている。

後を追いかけたが、彼女は門扉から右手に出たところで立ち止まっていた。


 道路の前方を見つめているから黒い瞳の先を追う。


 ふらふらと力なく歩いてくる一人の女性。

白いTシャツに黒いショートパンツを履いて、

やや長めのショートカットの黒髪と曲げた頸椎が彼女の表情を隠している。

細い身体だ。


 茜音さんは立ち止まったままで、僕も門扉前の道路から動けずにいる。


――この展開。


 女性は前方を顔に向けるでもなく、ただ無心にアスファルトを見て足を進めている。


――幽霊なのか……?


 茜音さんに目を向けると、彼女も女性と同様に一点を見つめている。


 前方から来る女性を静かに……見ていた。


 女性が僕の前に差し掛かると、ゆっくりと頸椎を動かし視線が合う。

若い女性だ。力のない……とても寂しい瞳をしていた。

顔立ちは整っていて、誰が見ても美人の部類だけれど、

その表情には生気が無く、本来の梅雨にある曇天を彷彿とさせる。


 視線が長く合うことはなく、再びアスファルトへ視線を戻し僕たちの前を通過していく。


 茜音さんは女性の姿を目で追いかける。


 彼女が住宅街の角を曲がり、その姿が消えていくまで静かに見つめていた。


「――あの人、幽霊ですか?」


『え? 違うよ。どうして? 生きている子だよ』


 幽霊同士が惹かれているのかと予想したけれど、

放った矢は的に命中することなく、短絡的な思考だと自らを戒める。


 先程の女性は観光客に見えないし、軽装であるから地元民の可能性が高い。

この海沿いにある町は幼い頃から住んでいる。

田舎というのは近隣との交流も盛んであるから顔見知りが多い。

二十代前半から半ば頃に見えたから、僕との年齢差を考えれば、

知らなくても当然かもしれない。

例えば、高校卒業を機に町から出て進学したり就職したりなどだ。


「ずっと見ていたので……もしかしたら、幽霊なのかなって」


『朝陽くんは、ギターを触ったから私が見えるんでしょ?

他の幽霊がいても見れないんじゃない、多分』


「触れたから見える、仮定の話ですけどね」


『あの子は幽霊じゃないよ。幽霊なわけがない』


「そうですか。というより、他の幽霊がいたら茜音さんはわかるんですか?

さっき……普通に聞きましたけど」


『うん、多分だけど……感覚的にわかる。

私が自分の身体を見るのと、朝陽くんや葉月ちゃんの身体を見ると少し違うから』


 茜音さんの話では自身の身体は薄く見えるそうだ。

微かに薄く滲んだようになっているらしく、

ボールペンで描かいた絵と鉛筆で描いた絵のような違いがあるらしい。


 僕の目には人と変わらないように映っている。


 普通の人と変わらない。


 そう、変わらない。


『さっ! 行こうか、海』


 初夏の砂浜には誰もいない。

泡立つ細かな波の音が耳に入り込む。

この場所は近くに駐車場も無く、乗り付けれるような道でもないし、

海水浴場でもないから夏の最盛期になったところで人の姿は無い。

それに国道から外れ、二人分ほどの細い道をしばらく進まなければ到着しないのだ。


『海だー』


 駆け出そうとした茜音さんを呼び止める。


「熱くないんですか?」


『えー、なにが?』


「足です。痛みはないって言っていましたけど、

熱さはどうなのかなって。道路もですけど……砂浜も熱いですよ」


『うん。熱くないよ』


 やはりよくわからない。

食べ物や飲料は口にできるし、物に触れることも持つこともできるが、

感覚は無い、ということなのだろうか。


『また心配してくれたんだ』


「違います。気になっただけです。

自分に置き換えて考えることはあるでしょう。人がケガした場面とか」


 茜音さんは身体を曲げ下から僕を覗き込む。


『もしかしてさー、朝陽くんって……』


「なんですか?」


『足フェチ……?』


「…………。違います」


 淡々と否定したところで彼女はニヤニヤと笑っている。


『私の生足をずっと見てたんだ』


「見ていないです」


 砂浜の土手にギターを置き座り込むと、潮風が身体を突き抜けていく。


 茜音さんの後頭部で束ねるゴムから逃げた、わずかな栗色の毛髪が潮風によって揺蕩う。

しばらく海を見つめていて、横顔は物悲しさを含んでいるような気がした。

海というものは誰しも感傷に浸ってしまうものかもしれないけれど。


『誰もいないのいいねー』


「地元の人もほとんど来ないと思いますよ。

近所の小学生とか中高生も少なくなったので。穴場といえば穴場です」


『穴場かー。うん、確かに。私が来る時も誰もいない時が多かったからね』


「え……前に来たことあるんですか?」


『うん。学生の頃とか来てたよ。東京に行ってからも来たことあるし。

地元が隣町で、誰もいない海が見たい時とか、一人になりたい時とか。

ここって徒歩じゃないと入れないからさ』


「隣町なんですか?」


『そうだよ。言ってなかったっけ?』


 聞いてみると、茜音さんの地元は内陸側の隣接した町だった。

僕が住む場所は町と呼んでいるが実際には市である。

数年前に元々あった市と二つの町が編入合併したのだ。

一つは僕の住む町、もう一つは茜音さんが住んでいた町。


 町、という呼び方に慣れ親しんでいるから、今でも市と呼ぶことは少ない。


 茜音さんは砂浜で貝殻を摘んでは投げ捨てている。

後ろ姿は、まるで、夢中になって遊んでいる少女のようだ。

その姿を見ていると遊びを中断することが憚られたため一人でその場から離れた。



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