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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
第一章 幽霊と僕

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幽霊と僕 11

  他にも老人のことを嫌いな理由は様々あった。


 介護現場における老人の介護職員に対する行動、言動、態度。

老人たちの中には介護職員に暴言、暴行、性加害を行う者がいる。

現場を軽んじる上層部は、それらを受け入れるように言うことが多い。

認知症だから仕方ない、という醜悪な大義名分を持ち出す始末だ。

利用を禁止して訪問介護なども行わなければいい。

自分で撒いた種なのだから、利用できなくなっても受け入れるべきだ。

悪さをすれば弾かれる、当然だ。認知症という言葉のみで許されることが異常だ。

老人の犯罪、悪事は尊重され、介護士の人権、思いやりは無視される。

多くの介護士が人のために、人の手助けをしたい、と考えている人が多いだろう。

そのような慈しみを持つ介護職員たちを傷つけ追い込む。

助けられることが当たり前だと思い込んでいる老人というのは悪だ。


  己の欲望を子どもへ向けた老人もいる。


 小学生である十歳の女児に道路で因縁をつけ、

近くにあった民家の車庫へ強引に連れていき性的暴行した六十八歳の老人がいる。

まさに鬼畜の所業だ。

女児は習い事へ向かう途中で被害にあった。

被害にあった後でどうしてよいかわからず、習い事へ再び足を向けた。

自宅へ帰り異変に気付いた親がきっかけで被害にあったと判明し、

女児は病院で検査を受け性的暴行の痕が確認される。

老人は同様の前科が二犯、累犯前科も二犯あり、いずれも被害者は未成年だ。

裁判が行われたものの、老人は法廷にて被害女児と両親への謝罪をすることはなかった。


 犯行動機は『注意するためだった』と主張した。


 女児が負った深い傷は決して消えない。

これからも壮絶な痛みと共に生きることを強制されてしまうが、

老人は犯行を気にすることなく余生を過ごす。


 落ち度のない人が悪意に殺される。


 司法が今まで安易な判決をしたために、

今回のような筆舌に尽くしがたい事件が再び起こった。


 医療問題、交通事故、諸々の事件。


 犯罪者と老人には慈愛に満ち、傷つけられた被害者は蔑ろにされ救われない。

刑罰を与えたところで被害者の痛みは消えない。


 この国の政府も司法も嫌悪する。


 茜音さんの身体は震えたままだった。

夜道には虫の鳴き声と彼女の泣き声が静かに流れる。

時々通る自動車の走行音と風切り音がそれらを掻き消していく。


『ごめんね……。もう大丈夫』

と、立ち上がった茜音さんはワンピースを叩き微笑む。


 無理に笑っていることは明白だ。


 なぜ話してしまったのだろう。


 話さなくていい。


 誰とも深く関わりたくないはずだろう。


 話す必要なんてどこにもなかった。


 濡れた頬が乾かぬ茜音さんは、なぜかお礼と謝罪を述べた。


 虚をつかれ後悔は増していく。


『朝陽くんの考えを話してくれて嬉しい。

すごくいいことだよ。

自分で考えて、自分の言葉で出す。生きていく上で大事なこと。

色々な角度から物事を見ることも大事。

師匠は安心、感心したよ』


「すみません……」


『謝ることなんてないよ。師匠にはこれからも、なんでも話していいからね。

――遅くなっちゃうし、帰ろっか』


「はい……」


 茜音さんに腕を優しく二回叩かれると、切なくも悲しくもあり、

どこか胸の辺りがぼんやりと温かくなる感じがした。


 彼女はいきなり立ち止まり、右手を伸ばして僕の頭部を撫でる。


『よくがんばりました』


 再び一歩前を歩く華奢な背中を見て、彼女は幽霊なんだ、と自身に強く言い聞かせた。


『これからも朝陽くんが思ってること、考えていること私に教えてね』


             *


 ギターケースとコンビニの袋を廊下の床に置き、

三和土で靴を脱いでいると、リビングから葉月が飛び出してきた。


「どこ行ってたの……!」


「コンビニ」


「知ってるよ……! お母さんから聞いたもん!」


――じゃあ聞くなよ。


「私も行きたかった……!」


「風呂に入ってただろ」


「私も行きたかったの……!」


「行けばいいだろ」


「一人じゃダメって言われてるもん!

お兄ちゃんと一緒で夜遅くないなら行っていいって!」


「一緒でも危ない。僕は強くないんだから」


『それでも身を挺して守るよねー、朝陽くんは』


 茜音さんが会話に混ざってきて、僕は靴を揃えた後で、

「嫌です。守りませんよ。守れるほど強くないので」と言ってしまった。


「え、なんで、なんで急に敬語? しかも自問自答だし……」


――しまった。


「なんかムカつく……。変な態度ムカつく……!」


 このくらいのことは予想できていた。

私も行きたかった、と。

だからこそ、葉月を懐柔するためにコンビニで軽い策を練ったのだから。


 廊下に置いたコンビニの袋を探る。


「これ……」


「あっ! グミ!」


 葉月はハード食感のグミよりソフトな方が好みらしい。


「あと、これも。新しく出たやつみたい」


 僕は店員から受け取った乳酸菌飲料も葉月へのおみやげとして渡した。


「わー! ありがと!」


 上機嫌になった彼女は二階へギターケースを運んでくれたが、

コンビニに行くだけでギターを持ち出したことを訝しんだ。


『いい一日だったね』


 自室に戻った茜音さんはチョコレート菓子の包装紙を外す。

これは僕の感覚にはない。主食を口にする前に菓子を食べる。


 以前、アルバイト先で親睦を深める目的でカラオケに連れて行かれた。

その時、同僚である大学生の女性は、朝から何にも食べていないから、

お腹が減っている、と言ったにも関わらず、初手でパフェを注文し食していた。


 女性というものは、よくわからない。


「いい一日って、なんでですか?」


『人助けできたし、朝陽くんのことも少しだけわかったから』


「そんなことが……いい一日なんですか」


『人のことを知るって大事だよ。

話すことで、お互いのことをどんどん知って、距離が縮まっていくから』


 僕は返答せずにケースからギターを取り出し床に座り構える。


『あ、ギターね。

はい、じゃあ今日も練習しましょう。

まずは、昨日までに覚えたオープンコードを弾いてください』


 どうやら茜音さんはギターの指導をする際には敬語を貫くようで、

師匠と弟子というより音楽教室の先生と生徒だ。


 その日の練習も指が痛くなり始めたところで終わった。


 茜音さんが寝静まった頃合いで、床に寝転んだ僕は、

暗がりの自室でスマートフォンの光を浴びた。

有線のイヤホンを耳に装着することを忘れずに。


 動画プラットフォームを開き『和泉茜音』と検索する。

検索の上位に和泉茜音の公式チャンネルが表示された。


――本当にミュージシャンだったんだ……な。


 亡くなってしまったミュージシャンであるけれど、

チャンネル登録者数は二百万人を超えている。

チャンネルに入り、順番を人気のものへ変えると、

上位の動画は数千万回再生を超え、一番目から三番目の閲覧数は桁が違っていた。


――すごい人なんだな。


 一番再生されているミュージックビデオの動画をタップすると、

爽やかな感じのアコースティックギターの音が流れる。

ドラムの音、ベースの音、鍵盤の音が緩徐に楽曲を盛り上げていく。

雄大な自然に立ち、白い衣装に身を包み、横の画角から映し出された女性の姿。


 茜音さんだった。


 初めて彼女の歌声を聴く。


 とても透明感のある声だ。


 その歌声は風に優しく身を包まれる感覚で、果てしなく広がる青空を彷彿とさせた。

声に触れることができるならば、容易に壊れてしまいそうなほど繊細な声だ。

その反面、誰もいない深い海の中で彼女の歌声だけが、

静かに囁くような不思議な感覚にもなる。


 多数の曲を暗闇の中で心身に流していく。


 感傷的な切ないコード進行に、五線譜の上を旋律が優しく踊っている。

多くの人を感動させたであろう彼女の歌は、僕にとっても例外ではなかった。


 動画プラットフォームを閉じ、インターネットで『和泉茜音 音楽』と検索する。


 彼女の活動期間は三年にも達していないが、オリジナルアルバム三枚が発売されている。

死後にベストアルバムが出されたようだ。

製作中だった四枚目のアルバムは未完成のままらしいが、

こちらに収録予定だった弾き語りのデモ音源はベストアルバムの特典になっている。

四枚目のアルバムに彼女の言う未練『最後の曲』が入る予定だったのだろうか。


 アルバムというものに馴染みがないけれど、

おおよそ十曲から十五曲ほどが収録されるようだ。

三年に満たない活動の中でライブやツアーを行い、

四枚目のアルバムまで作っているというのは、ずいぶんとハイペースではないだろうか。


 床に寝転がったままイヤホンを耳から外す。


 橙色の光がぼんやりと伸びる天井を見つめた。


――音楽……。十九歳……か。


 黒色と橙色に染まっていた視界が不意に奪われる。


 茜音さんが蹴り飛ばしたタオルケットが頭上から降ってきたからだ。


『うーん……それは……マシュマロ……マカロニ……アルマジロ。

ロックンロールは……ロールパン』


――どんな寝言だ。


『ラッパ吹いて……パーティ……パラパラ……ふりかけかける……いっぱいかけたい』


 謎の寝言を言いながら、茜音さんはベッドの上で小さく丸まっている。


 その姿を見て一つだけ思う。


 幽霊といるのも……そんなに悪くないのかもしれない。


 茜音さんの安眠の妨げにならないように、タオルケットを音もなく広げ掛ける。


『弟子……は塩……師匠は……醤油……』


 意味不明だ。

 

             *


『今日は二人で出かけよ……!』


「嫌です」


『どうして……!?』


 僕の目の前で両手と両膝を床につけ大きく目を見開いた茜音さん。


「嫌だからです」


『理由になってないから』


「久しぶりの休みだからです」


 ギターを購入するために休日は朝から夕方までアルバイトのシフトを入れていたが、

その必要も今はない。

週末は土日のどちらかを休むように決めた。

いきなり言われても店側が困るだろうから、本日の土曜日は午前中だけ出勤し、

日曜日の明日は一日出勤の予定だ。


 帰宅してから昼食を食べて、今は部屋で床に寝転んで過ごしていた。


『今日がなんの日かわかってるの?』


――なんの日?


「別に……なにもないですよ。普通の日です」


『はああー!?』


 急に叫んだ茜音さんの声に身体がびくっと震えた。


 やはりミュージシャンだ。

ボーカリストである彼女の発声は、少し力を込めただけで常人とはかけ離れている。


「なんですか……大きい声出さないでくださいよ」 


 近所迷惑です、と続けたところで、彼女の声も姿も僕以外には聞こえないこと、

見えていないことを思い出す。

二人で過ごしていると、そのことを失念してしまいそうになる。



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