幽霊と僕 10
「世の中に目を向ければ医療……彼らは大したことがなくても病院へ行きます」
『そういう人もいるね』
「一部……いえ、僕が見た老人の話です。医療には多くの税金が使われます。
現役世代は保険料三割負担です。
高齢者の中には二割、三割負担の人もいますけど、
その多くが一割負担なので気軽に受診します。
――九十パーセントオフと呼んだほうが、印象はもっと悪くなるかもしれませんね」
『歳を重ねると身体の不具合が増えるから、仕方のないことだとも言えるけどね』
「はい。ですが……大したことなく気軽に受診する老人もいます。
医者もビジネスとして老人を通わせようとします。
僕は以前……骨折したことがあって、不必要に来院する老人がいることを知りました」
『不必要って?』
「看護師さんから『今日はどこが痛いの? どこが悪くて来たの?』
と、問いかけられていました。老人は言いました。
『痛くなる前に来たからわからない』って」
『えー。鶏が先か卵が先か、みたいな。ちょっと違うかな』
「他にも『蚊に刺されて痒いから来たの』
『今日、体重を家で測ったら一キロ減ってたから来たの』という人もいました」
『あはは、一キロの増減なんて誰にでもあるのにね。
あっ! でも、蚊は違うかも。マラリアを持った蚊だったのかもしれないよ』
そう言った彼女は、人差し指で僕の頸動脈付近を刺す。
「日本は戦後に対策したので、現在、国内における感染はありませんよ。
――整形外科の看護師さんに聞いたことがあります。
整形にくる多くの老人は受診しても湿布を出して終わり。
良識ある看護師さんが毎週のように来院しなくていい、と暗に言っても必ず来るそうです。
『病院に行かないと不安になるから』
どれだけ病院を信頼しているんだ、って僕は思いますよ。
医療は人がやってることに変わりはないですし、悪意を持つ医療従事者だっています。
そういう殺人事件も実際にありました」
『――弟子よ、一つ教えておきます。
善の心を持たぬ者は、善意を推し量ることはしないものだよ』
「つまり……なにも考えない愚か者ということですか」
『そこまでは言ってないよ』
と、茜音さんは微笑んだ。
「――整形外科にくる老人は来院する度に、
使い切れない大量の湿布を薬局で買っていくようです」
『そもそもなんだけど、本当に節々が痛かったら、頻繁に来院しようと考えないよね』
湿布は一回の処方につき六十三枚まで。
頻繁に来院し手にしたところで、全身の肌を隠すために貼っても事足りる。
湿布は一日の使用限度枚数があるし、それを無視すれば健康を害する。
病院経営であるとか、議連への忖度、癒着などで無駄な薬が出されていることも多い。
それが許されている。
「そこに大量の税金が使われています。
自分で納税していない僕が、偉そうに言えることではないかもしれませんけど」
『そんなことないよ。考えることは大事。
――とても大事なことだよ』
茜音さんは微笑む。
『医療には莫大な税金が投入されているけど、
本来は必要としていないところでも税金が食べられちゃう。
これは大きな問題だよね。
他にも税金を使わなければいけないところがあるのに。
子ども関係に多く使うべきなんだよ。適切で正当性のある使い方で。
未来を作るのは子どもたちだからね。
――医療関係に口を出すものなら攻撃されるでしょ?
医療は国にとって最も重要な機関の一つだから簡単に言うな!
人の命はなによりも大事だ!って、命を盾にして攻撃してくるからね。
その言葉の裏に利益だけが蠢いているからダメなんだよ』
ゆっくりと歩みを進めながら、一歩先を歩く茜音さんの露わになっている首筋を見た。
『うーん。確かに昔から問題だらけだね。
朝陽くんは改善案ある?』
「改善案ですか……」
『考えることは大事。言葉にしても、しなくても。
自分の意見をしっかりと持つことが大切だよ。
他人から非難されても、自分の考えは持ちましょう。
――私だったら国民の医療費負担額を一律にするよ』
「一律ですか。すべての国民が?」
『うん。もちろん生活保護受給者などは除く、ね。
生活保護の意味がなくなっちゃうから』
その言い分もわかるけれど、現実の金銭的な部分で見るのであれば、
生活保護受給者より少ない金で暮らす労働者がいる。
彼らも医療費の負担は三割で、生活保護受給者は無償で医療を受けられる。
それは正しいことなのだろうか。
生活保護法にある「最低限度の生活」とは、何を以てしての基準なのであろうか。
『私の考えは一律にすること。
若者世代や老人世代で疾病するリスクや健康状態は違うけど、すべての国民は一律にする。
今が一割、二割、三割で分けているなら、例えば一律四割負担にするとか。
それで病気の内容によって負担費を変える。
軽度なものなら負担はそのまま。例えば軽い捻挫は四割、骨折は一割とかね。
重度なものや入院が必要なのは高額医療制度があるから問題ないでしょ』
「世の中には老人の保険料を一割から上げて病院に来院しなくなる。
死ぬ人がいたらどうするんだ、って騒ぐ人もいますよ」
『それはおかしいよ。人によって経済状況が違うのは、いつでもそうなんだから。
若い世代の子が三割負担の医療費を払えなくて、
病院へ行かずに死んでしまった場合はいいの?って聞きたい』
振り返った茜音さんは可愛らしく頬を膨らませた。
『長年、道を歩んできたご老人を軽視するわけじゃないよ。
色々なことを紡いでくれたから現在がある。
それは、しっかりと感謝するし尊敬もする。
でも、国にとって、人にとって、一番大切なのは未来でしょ。
子どもが未来を作るんだよ。なにより大切なのは子どもたち』
何の混じりけのない、真っ直ぐな言葉だった。
『人の命を救うことが目的の医療がお金を追うだけになったらダメだよ。
ビジネスとして成り立たせないと患者を救うこともできなくなるけど。
人を助ける、が一番じゃないといけない。
医療問題って、医療費の増大、病院経営、人手不足じゃなくて、そこに問題があると思う。
――本来の目的を見失えば、手段も杜撰になる』
茜音さんは話を続けた。
『人の命を助けるはずの医療が、回り回って人の命、人の生活を脅かしていること、
多くの国民が気付いて声を上げないとダメだよね』
このような話は誰ともしたことがない。
深く切り込んだ話で嫌われたくないというより、
周りにいる同年代は誰も興味を示さないと思っていたからだ。
『いいことだよ』
「え……?」
『朝陽くんは十六歳で、そういうことをしっかりと考えているんだな、って。
それって……人のことを考えているってことだよ。
人と関わりたくないって言ってたのに。
――さあ、本音を師匠にぶつけてみなさい。
受け止めてあげましょう』
僕はいくらかの小石を蹴飛ばし、アスファルトへ反発させる足を止めた。
「それとこれは話が違います。
人とは関わりたくないですけど、物事がどんな風に動いているのか興味があるだけです」
『ふーん。そっか……。うん、そういうことにしといてあげる』
茜音さんは両手を後ろで組み、軽やかに白い足を前に出していく。
「他にもいいですか?」
『いいよー。師匠にはなんでも話しなさい』
「老人が起こす事故についてです」
『事故……交通事故?』
「はい。ニュースで報道される中には、子どもたちが犠牲になっているものも多いです」
『子どもが……』
「世の中では『若者の事故も多い偏向報道だ』とか『老人は免許返納しろ』
などと言われていますけど、それとは別に僕は思っていることがあります」
『うん、いいよ、なんでも話して』
「故意に事故を起こしている、という可能性があると思います」
『わざと……って。子どもたちを狙っているってこと?』
朝のニュースで類似の事件を見る度に考えてしまう。
母が朝から丹精込めて作った料理が喉につかえて嚥下できなくなるほどに。
「悲惨な事故だからニュースになっている。それはそうでしょう。
自爆した事故は全国のニュースにはならない。
ですが、子どもたちの列に老人が突っ込む事故が多いと思うんです。
僕が知っているだけでも何件もあります。
その多くで子どもたちが亡くなっています」
『私は自分が死んでからのことはわからないから……そうなんだ……』
「子どもたちが歩いているところに老人が運転する車が突っ込む。
その確率って高くないと思います。
大きめの車って、横幅は高身長の大人一人くらいで縦は二、三人くらいでしょう。
その自動車が人の密集していないところで……
偶然にも子どもたちに当たるって考えられますか?」
『う……ん。確かに難しいだろうね』
「少子化の時代だから、子どもが歩いていることも昔よりはずっと少ないはずです。
色々な要素を考えると様々な疑念が生まれます。
老人たちは事故後、口々に『覚えていない』『わからない』と供述します」
『覚えてないって……子どもを轢いておいて……それはないよ……』
「はい。『覚えていない』『わからない』だからこそ怪しいんです」
僕の勝手な想像でしかない。
それでも言葉は止まらない。
「意図して事故を起こしている可能性があります」
僕は立ち止まる。
スマートフォンで数多ある事故のニュースを画面に映し茜音さんへ渡した。
街灯の少ない夜道に、画面の光だけが彼女の顔を照らしている。
「老人は身体も動かなくなり、以前と違って自由にできない。
人生の終わりが近付いている。
死を待つしかない。だから、未来ある子どもたちを轢き殺してやる、
という、悪意ある老人がいたって不思議じゃない。
殺人犯の多くは一般の感覚とは違いますから。
そして殺人罪ではなく、過失運転致死傷罪。
本人しか知る由もない犯行動機は『覚えていない』『わからない』で隠されてしまいます」
いつの間にか茜音さんより前に出ていた。
先程までと違い僕が彼女の姿を探す形になる。
振り返えると茜音さんは大粒の涙を頬に流し立ち止まっていた。
「あの……どうしたんですか?」
『だって……』
茜音さんは嗚咽を漏らし蹲った。
「大丈夫ですか」
『子どもたちの……未来を奪われることが……一番悲しいよ。
このニュースも……そうだよ。
その子たちのご両親のことを考えると……すごく心が痛い。
大切に……一緒に暮らしていた愛する子がいきなり奪われるなんて……』
自らの発言のせいで生まれた震える肩に手を伸ばすことができずに佇む。
話さなければよかった。
自身に溜まっていた鬱憤を彼女にぶつけてしまったようで後悔の念が押し寄せる。




