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真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を  作者: 陽野 幸人
終章

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終章 6

 読んだ紙と読んでいない紙は指の間で分けている。

茜音さんからの言葉は最後の一枚となっていた。

一番上に置くと今まで綺麗に流れていたはずの文字は震えている。


『最後になりましたが……。本音で話します。

あ、ずっと本音ですけどね、うちの流派は。師匠も弟子も』


 茜音さんはいつも真っ直ぐな瞳と言葉をくれた。


 疑うことなんて一度もなかった。



『私は……朝陽くんのことが好きです』



 胸の内側が強く叩かれる。 


『これは人に対する好きではなく、あなたを愛している、というほうです。

一緒に夏を過ごせて、とても幸せです。いつも隣にいてくれて嬉しかったです。

朝陽くんはどうでしたか? 私のこと……どう思っていましたか?

きっと照れ屋さんな朝陽くんのことだから最後まで……。

うん、二人が別れる時も口にしてくれないかもしれません。

私の勘違い……なのかな。思い込みなのかな。

一緒に過ごしていた朝陽くんの気持ちは私と同じだと思っています。

だから……私が代わりにもう一度言います』


 僕の手も彼女の文字と同様に震えている。


 紙の上には小さな水たまりが次々顔を作り十年前の文字へ沈んでいく。






『朝陽くんのことが大好きだよ』






 何度も何度も瞬きを繰り返し水分を外に押しやらなければ文字が一切見えない。

片手で目元を何度も拭い次の言葉を探しにいく。


『朝陽くんが一番大切に想っていて一番大好きな茜音からの手紙でした。

最後まで読んでくれてありがとう。

今の朝陽くんの助けに少しでもなれたら嬉しいです。

これからも大丈夫だよ。大丈夫だからね! 師匠はいつでも見守っているからね!』


 いつでも僕のことを考えてくれていた。いつでも隣で笑ってくれていた。

いつでも優しい声を聞かせてくれた。そして……今でも心配してくれる。


『二人で過ごした夏はとても楽しかったよ。

ケンカする時も本当は嬉しかったんだよ。

本音で話せることが嬉しかったの。色々な話をしてくれて、ありがとう。

いつも私のことを想ってくれて、ありがとう。

一緒にいてくれて、とても幸せだったよ!

バイバイ! また、いつか会おうね! 和泉茜音』


 呼吸ができないほどに喉元が大きく動き、手で顔を覆ったところで涙は隠れない。

ただ泣いていた。海の泣き声よりも大きく。

茜音さんの優しさが心の痛みを抱きしめてくれる。


 砂浜に頭を押し当て何度も何度も彼女の名を呼んだ。


 あの時の笑顔が目の前に現れてくれないだろうか。

あの時のように抱きしめてくれないだろうか。


 それは……幻聴だったのかもしれない。


 微かに聞こえる気がした。僕の名を呼ぶ声が。


 目の前には大いなる海と茜色の空が広がっていた。


 僕は彼女の淡い紫色のギターのネックを掴んだ。当時の茜音さんと現在の僕が会話する。


『はい。弟子よ、ギターを構えて』


「はい」


『演奏前は必ずチューニングだよ。チューニングは精度の良いチューナーで。

自分の音感を過信しないでね。

あ、精度の良すぎるチューナーもダメだよ。ずっと合わないから』


「わかっています」 


 四つの和音を鳴らし流れを確認する。


『そこはオンコードで自然な流れにしてね。弟子よ、勝手に省略しないように』


「覚えています。ベースの動きを大事にするんですよね」


『はい、メロディと言葉のリズムを意識して』


「わかっています」


『はーい、メロディと歌詞を同化させて』


「わかっています」


『弟子よ、この歌は愛を歌うのです。もっと愛を探してください。

愛は見つけるものではないのです。そこにあるものなんですよ』


「それは矛盾していますよ。探すのに見つけないって」


 誰もいない海に向かって茜音さんと作った楽曲を演奏する。

一人で歌っているはずが彼女の歌声が僕の声と重なっていく。


 今でも変わらない。今も変わっていない。


 和泉茜音の絶え間ない歌声は僕の心を包んでくれた。



             *



「お兄ちゃん」


 夕陽を眺めていると、いつの間にか葉月は戻ってきていた。


「もう……いい? まだ離れていたほうがいいかな」


「いや、大丈夫。ありがとう」


 葉月は僕の隣に腰を下ろし見定めるように瞳を向けてくる。


「ん?」


「ね、聞いてもいい?」

と、手で掬った砂粒をさらさらと落としている。


「内容によるよ。言えないことはある」


「誰なの? 茜音さんって。教えてよ。茜音ちゃんと漢字一緒だし」


――同一人物だよ。


「うーん。秘密にしとく」


「えー、誰なのー。手紙が渡された時期を考えると高校の人?

さっき考えたんだけどさ、その人が私の部屋に侵入していることが怖い……!」


「今さら……。変な人じゃないから大丈夫。そこは保証する。

いや……けっこう変な人かも」


「ええ……! どっちなの!?」


「すごく、すごく優しい人だよ。いつでも……人のことを想っている人だから」


 葉月は先程の勢いをなくし目を丸くした。


「へー。お兄ちゃんが人のことを褒めるのって初めて聞いたかも……」


「別に褒めないわけじゃないよ。

同僚だった仲間のことは認めているし、信念を持って戦った友人のことを尊敬している。

葉月と僕が知る人物で褒めるに足る人物が少ないだけ」


「屈折してるねー。じゃあ、なぎちゃんのことは? なぎちゃんに言ってあげたの?」


「なにを?」


「お兄ちゃん前に言ってたじゃん。あの事件の後」


 凪咲が執行猶予になった事件の話だ。


「なぎちゃんのこと『凪咲は自身のことを顧みないで動くけど、

多くの人の涙を止めてくれる。日本で一番の女傑だ』って」


「…………。勝手に捏造するなよ。最後の文言は言っていない。

話を盛ればいいなんて浅い考えだ」


「ひどい。そんなこと私に言っていいの……!?

私が十年も前から温めてたから読めたんだよ……!?」


「それは感謝しているよ」


 砂浜の中から翡翠色のシーグラスを見つけ葉月へ渡す。


「きれいな色だねー」

と、言った後で、僕の足元を見た彼女の視線は動かない。


「なんで、モモダー二本あるの?」


「ああ……まあ、恋しくなって二本ぐらい飲めるかなって」


「飲みきってないのに次の開けるの変だよ」


「飲み比べ。個体差があるから」


「ないよ! へ、変だよ……! やっぱり変!

――あ、あ……! そうだ……!」


 彼女は記憶を手繰り寄せ前にもモモダーを二本並べていたと騒いだ。

僕は抑揚のない物言いで誤魔化しギターをケースへ入れるため手に持った。


「さっき歌ってたの聴こえてたよ。本当にいい曲だよね」


 葉月には動画投稿したことを伝えている。


「お兄ちゃん天才だよ。もっと作ればいいのに。

一発屋の伝説バンドAとか言われてるよ」


 動画タイトルには曲名と二人のイニシャルをとってAとだけ記した。

ミンミさんたちが演奏してくれたことでバンドと誤解されている。


「私からすれば収益化していないのも意味不明だしさ。

今は……どれくらい、かなー。

――あっ、ほら、もうすぐで四億超えるよ……!」


 スマートフォンで動画プラットフォームを見る葉月を無視し夕焼けを見つめる。


――届いています。みんなに届いていますよ、茜音さん。

あなたと僕で作った音楽。みんなと繋がっていますよ。


「僕だけが作ったわけじゃないから。あれほどの曲はもう二度と作れない」


「え、どういうこと?」


「人と一緒に作ったから」


「へー、そうなんだ。誰と? あっ……もしかして! 手紙の人だ! 茜音さん!」


 葉月の勘は相変わらず鋭い。


「葉月……言いたくない相手に対して執拗に聞く行為ってどう思う?」


「わー! 嫌だー! その言い方……!

じゃあ、これは教えてよ。茜音さんって私の知ってる人?」


「あっちは知ってる……かな」


「どういう意味……? ねえー、なんなの! 教えてよー! 怖いんだけど……!」


 懐かしい。葉月の早口になる言葉も笑顔も。

父母、胡桃、結衣さん、ソムさん、凪咲、地元に帰らないと見れない顔も。


 久しぶりに自然と笑みが溢れた。


「なんで笑ってるの……! ねー、誰なの! 教えてよ……!」


 荷物を片付けていても背後から声は続く。


「誰なのー、茜音さんって!」


 的確な言葉を思いついた。僕以外は十年前の茜音さんを知らないのだから。

彼女の存在。一緒に生み出した楽曲を合わせて。その呼び方が相応しい。


 茜音さんは怒るかもしれないけれど。


「ねえー、ねえー、誰なのー」


「ゴーストライター、だよ」


「え……ゴ、ゴーストライター?」


「そう。ゴーストライター」


 茜音さんに用意したモモダーをバッグに入れ、もう一本を口に含む。

あの頃と変わらない。微炭酸は少し痛くて甘い香りが広がる。


「でも……よかった」


「なにが?」


「お兄ちゃん……普通に笑ってるよ。私、どうしていいか、わからなかった。

仕事とかすごく大変なんだろうなって。なんて話していいか、わからなかったの。

――手紙の人……茜音さんのおかげ?」


「うん」


「え……素直だ……素直だ! 素直怖いよ……!」


「別に捻くれてはないから」


「でもさ……どうして手紙? しかも、十年前の。

まあ、これは私の匙加減一つだったけど。お兄ちゃんが、つらい時に渡してくれって。

直接、渡せばいいのに。うーん……なにがあるの……。

うーん。楽しく歩んでいるなら……渡さないでくれ……って。

なんでそんなこと……なんでだろう」


「悩むと肌によくない。せっかく、きれいで白い肌なんだから」


「え……え、そうかな……」

と、両の手を頬に当てる。


「母さんに感謝しろよ」


「今の自然な言い方って、お兄ちゃん、女の人によく言ってるんじゃないの!?」


「言ってないよ」


 しばらく問答が続き自宅へ帰ることにした。

夜になればソムさんのところへ胡桃と共に向かう。


 二人で歩き出し海岸林が並ぶ細道の前で僕は立ち止まった。 


「先に行ってて。すぐに追うから」


「どうして?」


「どうしても」


「えー、また黄昏れて自分に酔いしれようとしてるー。

男の人って、そういうところあるよねー」


「いいだろ、別に」


 一人になって海を眺めた。暮れゆく空を見つめ心の中で言葉を紡ぐ。


――茜音さん。あれから色々なことがありました。

十六歳の夏。

自身を産んでくれた両親が他人のために亡くなったことで一つの考えを持っていました。


 誰かの犠牲は誰かの幸福になって、誰かの幸福は誰かの悲哀になる。

 

――これは生きていく上で一つの真実であると今でも思っています。

でも……茜音さんと出会って、言葉を付け足すことにしたんです。


 誰かの犠牲は誰かの幸福になって、誰かの幸福は誰かの悲哀になる。

そして、誰かの悲哀は誰かの助力になる。


――ボトルメール届きました。


――海じゃなくて……時の中を漂っていました。


 鼻腔から吸い上げた海の香りは夏の終わりを教えてくれる。


 十六歳の夏。言いたかったけど、言えなかったこと。

今なら素直に口にして少しばかり微笑むことができる。









――大好きです。茜音さんのこと……大好きです。






――十年も経ってしまいました。言うのが遅くなって……すみません。



――僕も幸せでした。茜音さんと一緒に過ごせて……とても幸せでした。


 人は人を愛することを願う。


 人は人に愛されることを望む。


 欲していないふりで自身を守ろうとする。


 いつかの僕はそうだった。


 変えてくれたのは幽霊だった。

  

 気付かせてくれたのは幽霊だった。


 与えてくれたのは幽霊だった。


 苦しい日々の中で彼女の顔が浮かぶ。


 いつでも変わらぬ笑顔がそこにはあった。


 あの夏も、あれからの夏も、今年の夏も、これからの夏も。


 モモダーは減っていく。


 この先も少しずつ減っていく。


 永遠は存在しないからこそ少しずつ減っていく。


 だから……僕は彼女を思い出す。


 いつまでも変わらない想いを抱きしめて。


 一人ではないと教えてくれた。


 いつでも背中を押す声がある。


 いつでも心を癒やす音がある。


 微笑んでくれるだろうか。


 笑ってくれるだろうか。


 もう一度歩いていくと決心した。


 もう一度歩いていくと約束した。


 再会した時に言ってもらえるように。


 茜色の空は明日も僕を見つめてくれる。 


















        『よくがんばりました』




   真夏のゴーストライター、きみは天使の分け前を




最後まで本作品を読んでくれてありがとうございました。


誰でも感想を書ける設定にしてあるので、あなたの言葉、意見を聞いてみたいです。

よろしくお願いいたします。


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陽野さん……こんにちは。 終わってしまいました……。 哀しいし、切ないし、終わって欲しくないって気持ちがあります。 茜音から、朝陽へ。 朝陽から、茜音へ。 この二人は、いつまでもいつまでも、お互い…
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