幽霊と僕 9
「あの手の輩は放っておけば立ち去りますよ。
それに店員が通報すればいいんです」
『通報できる状態じゃないでしょ!』
僕の腕を掴む茜音さんの視線は鋭い。
「はあ……。武闘派じゃないんですけど……ね」
『早く助けてあげて』
近付いていくと違和感がある。
店員と老人の身長差。
店員が特別大きいわけではなかった。
老人の身長は百六十センチに満たない。
背の低い男性は他者に対し、攻撃的になると耳にしたことがある。
ナポレオン・コンプレックスというもので、目の前の老人がまさにそうだ。
おそらく今までの人生で背の低さに劣等感を感じ、それをわずかでも解消するために、
自身を大きく見せようと大声を出し虚勢を張ってきた。
言える相手にのみに喚き散らし、己の鬱憤を晴らすと同時に自身の存在を見せつける。
その結果、身長のみならず精神までも矮小になってしまったのだろう。
「すみません。なにがあったんですか?」
「ああ……!? ガキはすっこんでろ! やっちまうぞ! ガキが……! われ、コラ!」
「そういうのではなくて……なにがあったんですか? 教えてください」
「うらあ……! 先に打ってこいガキ!
二秒だ……! 二秒でやってやらあ! 沈めてやるよ、ガキが!」
――会話にならない……か。
軽やかさのない謎のステップを踏み、肩を前後に振り風を切っている。
非常に好戦的だが、僕に相手をねじ伏せるほどの腕力があった場合どうするのだろうか。
「オキャク……シハライ、デキナイ。カードデキナイ」
店員は色の濃い太い眉毛を下げる。
「カード?」
「カードやってんのに払えねえんだよ……! 壊れてんだろ、これ! クソが!」
手にしている赤色のカードは色褪せ少しばかり湾曲している。
「もう一度、やってみたらどうですか?」
「どぅから、できねえんだよ……! 殺すぞ、ガキが……!」
老人はそう言いながら、支払い端末へ乱暴にスライドさせたり抜き差しした。
支払いは完了しない。
当然だ。僕は気付いてしまった。
アルバイト先で、クレジットカードなどを見る機会が多い。
できるわけがないのだ。
「それは支払いできません」
「ああ……!?」
「それ、キャッシュカードです」
「キャシュ……!? どういう意味だ……! コラ、ガキが!
わけのわかんねえこと言いやがって……! 殺すぞ、コラ!」
「それは……ただのキャッシュカードです。
デビットやクレジット機能などが付いていない、ただのキャッシュカードです」
背後から大学生風の男性のクスクスとした笑い声が聞こえる。
茜音さんは左右に首を振り、僕の真横で話を聞いていた。
「そのカードはATMや銀行の窓口で、お金を下ろすことにしか使えません。
支払いには使えないんです」
「なにい……。うるせえ……! 知ったかぶるな、クソガキが! 殺すぞ!」
――はあ……。少し……攻撃してみるか。
「先程から、僕に『殺すぞ』などと言っていますけど脅迫罪になりますよ」
「だったら、あんだコラ! 殺すぞ……ガキ!
懲役なんて怖くねえんだよ……!」
それはそうだろう。
懲役とは名ばかりの平穏な生活をするだけなのだから。
それを賄うのは国民の税金だ。
「店員さんの胸ぐらを掴む行為は暴行罪の対象です。
防犯カメラにしっかりと証拠がありますから、あなたが悪いことは明白です。
争いの内容ではなく、実際に手を出していることです。
このまま帰ったほうがいい……と、僕は思いますけど」
「ちっ、クソガキが! ナメた態度とりやがって……!
本当にやってやろうか……!? ああ!?」
下から睨みつけてくる老人の眼光は凄みに欠けていた。
一切怯まずに上から見下ろしていると、
店員へ視線を変えた老人は、なおも勇ましいふりの言葉を放つ。
「紛らわしいんだよ! この腐れ外人が!
てめえらなんて日本から消えろ! いらねえんだよ! クソが……!」
――あなただよ。紛らわしいのも。この世にいらないのも。消えていなくなれ。
――他人に迷惑をかける老人は消えていなくなれ。
「クソが! うらあ……! これなら文句ねえだろ!」
乱暴に小銭をカウンターへ投げつけ、店員は床に散らばった硬貨を拾いレジへ投入した。
「おい、外人! てめえ、ちゃんと仕事しろ、クソが!
てめえがわりいんだからな……! ボケが! やっちまうぞ! コラ!」
缶コーヒー、ビール、ソーセージなどを両手で持つ老人は、
「クソが……! ゴミ共が……!」と、ガニ股でゆっくりと店内から出ていく。
何十年も、ただ生きただけの証が集約されている気がした。
みっともない老人。
いや……大義もなく人前で大声で出せるなど、稚拙で臆病な、どうしようもない人間だ。
僕と茜音さんは、再び商品棚の方へ歩いていく。
『ありがと、朝陽くん。カッコよかったよ』
「関わってしまったのは、茜音さんのせいです」
商品を選んでいる間に大学生風の男は会計を済まし出て行った。
大量のお菓子やらパンなどが入ったカゴを持ちレジへ向かう。
「イラシャイマセ」
微笑んだ男性店員は一つ一つ商品をスキャンしていく。
「フクロイリマスカ?」
「はい。お願いします」
『いるでしょ、袋は。こんなに買ってるんだから』
そうか……茜音さんは知らないのか。レジ袋が有料化したことを。
レジ袋といえば僕のアルバイト先にも毎回レジで激昂する客がいた。
その男性は袋の有無を確かめるだけで怒る。
「手で持てんだろ! 見てわかんねえのか!?
マニュアルじゃなく、てめえで考えろ!」
手で持てる量でも袋が欲しい人はいる。
カバンやマイバッグか無い移動の際やゴミ袋に使ったりなど。
思慮が浅いのは、どちらであるかを気付けていない。
「いつも来てんだからわかんだろ!」
勝手に店の常連であるような言動を放っているが、こちらとしては感謝することがない。
彼らは総じて「俺は利益に貢献している。ひれ伏せ!」
と、言ったような得意顔をしている。
叫んだせいで他の客が迷惑に感じ、店から足が遠のいてしまう損失の方が遥かに大きい。
そもそも常連であっても、所詮は何百、何千の一人でしかない。
良識ある客は店の常連であるけれど、非常識な者は侮蔑の常連だ。
そして横柄な彼らは知らない。
どこの接客業も表向きの笑顔をするということ。
接客する側の謝罪とは穏便に済まそうとしているにすぎない。
もちろん、落ち度が店側、店員側にある場合はその限りではないけれど。
接客業全般にいえることだ。
表向きは笑顔で接する。
これで客は勘違いし満足するのだ。
接客側は腹の底で様々なことを考えている。
そして、横柄で非常識な客にはバックヤードで非難の言葉しかないのだ。
客の悪口。遺恨と嘲笑を込めたピンポン玉をラリーする。
常識ある客と非常識な客を明確に線引きしていることを知らない。
人格否定、容姿への嘲笑、生い立ちの想像、罵詈雑言。
そして、それらを踏まえた上で、あだ名を付けて店員同士で隠語とするのだ。
バックヤードでは常に飛び交っていることを横柄な客は知らない。
クレーマーというのは話の種にもなり、人によっては彼らの悪口を言うことで、
日々のストレス解消になっていたりもする。
光に導かれる害虫にも似た非常識な客は、その事実を知らずに今日も店に顔を出す。
俺は常連だ。俺を敬え。俺はすごい。
哀れな話だ。
「オイ、サッキ、アリガトナ」
スキャナーで商品のバーコードを捉えつつ、店員の目が僕と静かに合い、
南国の果物のような爽やかさを持った顔から白い歯が露わになる。
「アンタ、タスケテクレタ。アリガトナ」
「いえ……別に」
「イイヤツダ」
『私の弟子なんです! カッコよかったですよね?』
店員の前では返事することができないし、店員に彼女の言葉が届くことはない。
支払いを終え、右手にギター、左手に買い物袋を持ち店内を後にすると、
駐車場から二台の自動車は消えていた。
「チョットマテ! アンタ、マテ、マテ!」
振り返ると笑顔の店員が手に飲み物を持ち走ってくる。
「コレハ……アレ……ナンテイウンダ……」
「お礼ですか? いらないです」
と、冷ややかに言った瞬間に背中へ衝撃が加わる。
『貰っておきなよ。朝陽くんが助けてくれたことに感謝してるんだよ』
「ソウ、オレ……オレイダ」
「店の物を勝手に持ってきたらダメですよ」
「ワタシガ、ハラウ、ダイジョウブダ」
『ほら、受け取りなよ』
「ありがとう……ございます」
白い乳酸菌飲料にライチが入った物だ。
「マタ、キテクレヨナ。マッテルゾ、アンタノコト」
人に何かを施し、人に何かを与えられる。
望んだわけではないけれど、初夏に吹く夜風も相まって悪い気はしなかった。
『あのおじいちゃん、怒りすぎだね。店員さんに怒っても仕方ないのに』
「ああいう人は自分に非があるとは考えないんですよ。
いつでも自分が正しく、相手が悪いと思っている」
『いるよねー、そういう人。いる、いる』
「害悪でしかないです。ああいう人たちは世の中からいなくなればいい」
と、薄っすらと湿り気のある空気に乗せた。
等間隔の街路灯が輝き、羽虫が飛び交う中で、茜音さんは立ち止まった。
僕が振り返ると、彼女の口角は上がり、瞼をゆっくりと開閉する。
満を持して言葉を紡いだ。
『朝陽くん。あまり強い言葉をつか――』
「――弱く見えますか?」
『おー、知ってるねー』
茜音さんが読んでいる漫画に登場する人物が放つ名言だ。
「有名ですからね」
『っていうか、遮らないでよ。言いたかったのに』
もし今後も同じ台詞を吐こうとしているなら、遮っていこうと満天の星に誓った。
「茜音さんは……どう思いますか?」
明確な言葉として出さずに、曖昧な問いかけをしたのは話題に対し恐れたからだ。
人は思っていても話さないことがある。
『んー、なにが?』
「老人たち……に対してです」
『どう思う、って……年長者で人生の先輩だから敬う気持ちはあったほうがいいよ』
「そうですか……」
と、僕が声を漏らすと茜音さんは『ごめん、取り繕っちゃった。すべての人じゃないよ』
と、薄桃色の舌を出した後で笑った。
『敬う人もいれば、敬うに値しない人がいるのも当然だよ。お互いに人間だからね。
あっ、私は幽霊だけど』
この人は僕が腹の一部分を見せたら、どのような反応をくれるのだろう。
少しだけ興味があった。
「――僕は老人が嫌いです」
『え?』
「茜音さんが言うように、すべての人ではないですけど。
大枠で見たら老人たちのこと嫌いです」
『そっかー。どうして?』
「世代で分けた場合、高齢者というのは身勝手な人が多い印象です。
普段の生活の中でも……バイトしている時も多いです」
『身勝手なことって?』




