最終話 未来の形
高台から見下ろす大海原は今日も変わらない。
穏やかな風に吹かれ水面を揺らす様子は心を落ち着かせてくれる。
快晴の空には燦々と輝く太陽。
風の運ぶ土や草木の匂い。
大海原を見下ろす教会の前でこうして座り、静かに海を見渡すことが習慣になっていた。
かつてひっそりと佇んでいた教会は魔王を倒した伝説の地として人々に伝わり、今ではエテルヌス教の司教を含め祈祷に訪れる人も増えた。
そんなドルガリスでは一年に一度、祝福の宴として『悠光祭』が開かれるようになった。
今日はちょうどその記念日だ。
あれから五年。
魔王を倒して以来何度か試してみたが、廻天は使えなくなっていた。
相変わらず義肢ではあるが、すっかり体の一部として定着していて、化け物じみた能力値も元に戻った。
ようやく、平穏が訪れたのだ。
「わーい!!」
甲高い声に振り返ると、小さな少女がキラキラとひかるブロンド髪を靡かせ小走りでやってきた。
「みてみて! おともだちをたすけたよ!」
少女は、透明な虹色の刀身が美しい、聖剣『イモータル・ブレイカー』を踊るように軽々と振り回す様を一生懸命披露している。
やれやれ。
そんなに扱いやすい剣ではないはずなんだがな。
少女は大事そうに聖剣を抱えながら、燃えるような真っ赤な瞳を輝かせ胡座をかく俺の足の上にちょこんと座った。
「友達って、お前な。剣だぞ」
人目憚らずこんなことを言い出すこいつの未来を想像したら、急に心配になってきた。
俺みたいに周りに馴染めない人間に育ってしまう。
・・・独りになってしまう。
「けんはおともだちじゃないの?」
「友達というのはな。人と繋がって、絆を深めて、信頼し合って初めてできるものなんだ」
「しんらい? きずな?」
うまく伝えられずに頭を悩ませていると、突然夜が訪れたように大きな影が落ちた。
見上げると、司祭服に身を包んだロザリアが頬を膨らませて俺たちを見下ろしていた。
「アクリア! また勝手に剣を持ち出して!」
「きゃー! ママこわいー!」
俺からパッと飛び退いたアクリアは逃げるように駆けて行った。
「まったく。心にもないこと言って。ああいうところ、誰かさんにそっくりよね」
「それは俺のことか?」
「あなた以外に誰がいるのよパパ?」
「やめろ気持ち悪い」
ロザリアは一瞬不機嫌そうに顔を膨らませたが、諦めたように微笑んだ。
「たまにはいいじゃない。本当のことなんだし」
「あのお転婆っぷりも誰かさんにそっくりだけどな。馬鹿力なところもしっかり受け継いでいる」
「馬鹿力は余計よっ!」
脚の上に置き去りにされた聖剣の柄を握る。
「あの小さな体でこの剣を振れるんだぞ。才能とは恐ろしいよな」
「あなたの血を受け継いでいるんだから当然よ。あ、もしかして自画自賛?」
「違う。俺が剣を使い始めたのは八歳の時だ。あいつはまだ三歳だぞ」
「つまり悔しいってことなのね。自分の娘に嫉妬する父親ってどうなのよ・・・」
まあ、我ながら大人気ないとは思う。
「あの子が嬉しそうにこの剣を振り回しているのを見るとね、時々思うんだ。本当に友達と会話しているみたいだなって。あの子の剣に向ける表情や仕草は、単なる物に対して向けるそれとは違う気がするの」
「俺はむしろ心配だがな。あんなこと他人に言ったら人が離れていくぞ」
「あははっ。あの子は素直だから大丈夫よ。あなたじゃないんだから」
俺が独りぼっちだと言いたいのだろうか・・・。
普段、聖剣は教会の中に安置しているのだが、この通りアクリアがしょっちゅう持ち出してしまう。
その度にロザリアに怒られるのだが、それでもやめようとしない。
一体何があいつを惹きつけるのか。
心当たりがあるとすれば・・・。
「こんにちは」
「うわぁっ?!」
ロザリアが叫び声を上げ俺に飛びついてきた。
思わず立ち上がり後ろを振り返ると、黒いドレスに身を包んだ女性がアクリアと手を繋ぎ立っていた。
長い黒髪を束ねる大きな白いリボンが風に揺れている。
身長が伸び、すっかり淑女だ。
「ジュリエット。その気配を消す癖、どうにかならないのか」
「すみません。自然とやってしまうようで・・・。私はそんなつもりはないんですけど」
年を追うごとにジュリエットの気配遮断能力は高くなっている。
今ではリブラを使ってもしばらく感じ取れないくらい完璧だ。
そんな高度な技を無意識でやっているというのだから恐ろしい。
もはや二つの固有スキルを持っているようなものだ。
間違いなくエレノア譲りだな。
やれやれ。まさかここでも才能の話に繋がるとは。
「いつもご苦労様だな。助かる」
「いえいえ。アクリアちゃん可愛いし、素直で飲み込みも早いので教え甲斐がありますよ」
「悪い。お転婆のこいつを捕まえるのは苦労しただろ」
「あ、いえ。ちょうど坂を登り終えたところをアクリアちゃんに見つかっちゃたんですよ。ね〜」
すると、アクリアは目をキラキラさせて坂の方を指差した。
「おともだちが来るよって教えてくれたんだよ!」
「剣が・・・?」
「うん! でね、お耳をすませてたら、ほんとにじゅりえっとの音が聞こえたんだ!」
なんだと・・・。
ジュリエットの気配遮断能力は確実にマスタークラス。
加えて、普段から彼女の足音はほぼ無音だ。
それを耳で感じ取ったというのか? 三歳児が?
しかも聖剣が教えたって・・・?
「さすがお二人の娘様ですよね。最強のお二人の遺伝子を受け継いでいるんですから、きっと将来は素晴らしい剣の使い手になりますよ」
「甘やかさなくていいからな。遠慮なくやってくれ」
「あはは。私としてはお二人が指導した方がいいと思いますけどね」
すると、ロザリアは困ったように微笑んだ。
「親としてはその方がいいのかもしれないんだけどね。でもこの子、どうしてか剣術に関しては私の言うことを全然聞いてくれないのよ」
「お前、剣技だけはボロボロだったもんな」
ロザリアの顔が真っ赤に染まっていく。
「う、うるさいな! 昔の話よ! って、なんで知ってるの?!」
「一緒にイザベラの過去を見ただろ」
「・・・・・・」
ロザリアは思い出したように目を見開くと、ガックリと肩を落とした。
気付くと、ジュリエットはうっとりした様子でロザリアを眺めていた。
「それにしてもロザリア様は司教姿もお似合いですよね。つい見入ってしまいます」
「あはは。ありがと」
ロザリアは服の裾を掴み、その場でくるっと回ってみせた。
「何か人の役に立つことを始めたかったんだ。それで司教になることを思いついたの」
「ロザリア様にぴったりだと思います。でも、どうしてこの教会なんですか? ロザリア様ほどの影響力を持つ人なら、もっと大きな教会や聖堂から引っ張りだこだったんじゃ」
顔色を窺うようにロザリアの視線が向けられる。
そんな彼女の気持ちに気付いた俺は、返事の代わりに肩をすくませた。
「ここってあの子が居た教会でしょ? 彼女の代わりにここを守りたかったんだ」
「ふふっ」
「あれ? 私なにか変なこと言っちゃったかな」
「いいえ。ロザリア様らしいなって」
視線を送るジュリエットの目の前に聖剣を差し出す。
「お二人がここに居てくれて、きっと彼女も喜んでいるのでしょうね」
聖剣を撫でる彼女はどこか安心したような顔だ。
大切な友人を失ったジュリエットは、一時は塞ぎ込んでしまっていた。
それでも、今ではこうやって笑顔を見せてくれるようになった。
「そういえば、『悠光祭』にはジュリアン様たちもいらっしゃるようですよ」
「そうなんだ! しばらく会えてないけど皆んな元気かなぁ」
魔王を倒してからは、勇者パーティの面々は離れ離れになった。
かつての仲間からの手紙を、ロザリアが懐かしむように読んでいるのを何度か見ていた。
「何回かお会いしましたけど、皆んな元気そうでしたよ」
「そっかぁ。教会のことが一段落したら、久しぶりに町まで降りてみようかな」
一人話に入れてもらえない寂しさからか、アクリアはジュリエットの手を引っ張った。
「ね〜ね〜じゅりえっと! あっち行こ!」
「いいよ〜。じゃあ、あそこまで競争!」
笑いながら駆けていく二人の背中を見つめる。
ジュリエットもよくあのお転婆に付き合えるな。
「さて、と。私はやることがあるから一旦教会に戻るね。カインはどうする? アクリアを連れて先に町へ降りる?」
「お前を放って自分だけ楽しむわけないだろ。終わるまで三人でここで待つさ」
「そう言うと思った!」
ニコッと笑うロザリアに釣られて口角が上がる。
「それじゃ、また後でね」
小走りで教会へ戻っていくロザリアを見送る。
おもむろに腰を下ろし大海原を眺めると、空の青に少しだけ茜色が溶け、黄昏の訪れを告げていた。
傾きかける陽の光に重ねるように聖剣を掲げる。
目を閉じ、彼女の姿を思い浮かべる。
・・・・・。
そっと目を開くと、滑らかな波が海岸に打ち寄せていた。
現れるわけ、ないよな。
あれから一日もあいつのことを忘れたことはない。
四季のように移ろうあいつの表情を思い出すたびに胸が温かくなる。
あいつの笑顔を思い出すたびに安心する。
あいつはきっと、ここにいる。
そう思えるから。
でも。
それでも、言葉を交わしたくなるんだ。
剣という物としてではなく、温もりを持った一人の人として。
『ものに意識があるとしたら、それって素敵なことだと思いませんか』
ふと、そんな声が聞こえた気がした。
目の前には大海原に吹く風がさざなみを立てている。
・・・感傷に浸ってしまったな。
アクリアたちの様子でも見に行くか。
立ち上がり、埃を払う。
「あたしのおともだちをかえせー!」
突然、走ってきたアクリアに後ろから聖剣を奪い取られた。
「ア、アクリアちゃん早すぎ・・・」
遅れてジュリエットが駆けてくる。
「さ、さすがお師匠様の娘様・・・」
あの清楚で気品のあるジュリエットが息を切らせるとは。
「あまり先まで行くなよ。落ちるぞ」
剣と踊るアクリアは無我夢中だ。
しばらく娘の踊りを眺めていると、剣が彼女の手からすっぽ抜けた。
「あっ・・・?!」
あろうことか、アクリアは投げ出された剣を取るために迷わず身を投げ出した。
「アクリアちゃん!!!」
ジュリエットの叫びと同時に飛び出し、娘と剣に手を伸ばした。
咄嗟に発動させた浮遊魔法により足場を作り、なんとか事無きを得た。
アクリアと聖剣を乗せた魔法陣は緩やかに上昇し、彼女を崖の上へと戻した。
「無茶をするな!! 死んだらどうするんだ!!」
「ご、ごめんなさい・・・」
アクリアは赤い瞳を見開き、黙りこくった。
必死にもがいて掴み取ったこの日常を壊したくない。
アクリア。
お前は俺やロザリアの願い。
長い歴史が積み重ねた願いそのもので、その中心にいるんだ。
頼むから、そんな容易く命を投げ出さないでくれ。
でも、こいつは投げ出された剣を迷うことなく掴みに行った。
ふと、剣を投げ捨てた時の自分を思い出す。
・・・・・。
恐怖で困惑する彼女に視線を合わせ、そっと頭を撫でる。
「無事でよかった。アクリア」
この世でたった一つの宝物を抱きしめる。
緊張の糸が切れたのか、アクリアは俺の腕の中でただ泣き喚いた。
この子なりに感じたであろう恐怖や後悔が、震え、それでも強く握る小さな手から痛いほど伝わってきた。
しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻した彼女の瞳は擦った跡で真っ赤になっていた。
「アクリアちゃん。ママの様子を見に行こうか」
ジュリエットは気を利かせ、アクリアの手を握った。
「・・・うん」
教会の方へ歩いていく二人を見つめ、ようやく心が落ち着いてきた。
アクリアは俺の大切な娘だ。
失いたくない。
でも、それと同じくらいこの剣を失いたくなかった。
崖に落ちるアクリアと剣の姿が飛び込んできた時、あの日のことが蘇った。
聞こえた気がしたんだ。
独りにしないで、と。
聖剣を眺めると、陽の光を反射した虹色の刀身が、かすかに煌めいた。
どうやら俺は、まだお前の手を離れられないらしい。
大海原に背を向けたその時ーーー。
どこか懐かしい温かい風が俺の背中を軽く押した。
まるで、肩にそっと手を置くように。
いつの間にか、辺りが真っ白になっていた。
ふと、温もりを感じて立ち止まる。
この感覚、まさか・・・。
不安と期待が入り混じる思いで、ゆっくりと後ろを振り返る。
そこには、純白の司祭服に身を包んだ女性が長いクリーム色の髪を靡かせ立っていた。
女性は満面の笑みで俺に微笑みかけている。
次第に、微笑むその姿が滲んでいく。
「カルマナ、なのか・・・?」
立ち尽くす俺の頬に温かい手が触れた。
『もぅ。私のこと忘れちゃったんですか?』
「本当に会えるとは思ってもみなかったから・・・」
『散々願っていたのによく言いますね』
彼女は声に出して笑った。
『それにしてもひどい顔ですねぇ。せっかくこうして熱烈な呼びかけに応えてあげたのに』
カルマナの声だ。
カルマナの笑顔だ。
あの時と変わらない、安心できる温もりだ。
「ずっと、お前に謝りたかった。ちゃんと感謝を伝えられなかった。だから俺は・・・」
『ふふっ。謝る必要なんてありませんよぅ。あなたの想いは、ぜ〜んぶ分かっていますから』
彼女は両手いっぱいに広げて笑顔を咲かせた。
「カルマナ・・・」
『あなたは、こうしてずっと私を手放さないでくれた。私を独りにしないでくれた。私は、それがとても嬉しいんです』
温かい手が俺の手を包み込む。
『私はいつでもあなたの側に居ます。あなたが私を必要とする限り。いつまでも』
「俺にはお前が必要だ。これまでも。これから先もずっと」
『私も。同じ気持ちですよ』
彼女の陽だまりのような優しい微笑みに安心し、胸を撫で下ろす。
やっぱり、俺たちは切っても切れない関係なんだ。
靄のかかった白い景色がだんだんと薄らいでいく。
「また、会えるか?」
『分かりません。もしかしたら、これはたまたま起きた一度きりの奇跡で、次はないかもしれません』
寂しさが込み上げる俺の心を読むように、彼女は続けた。
『約束しましたよね。カインさんとロザリアの未来を見守ると。ですから、互いに望めばいつかまた、きっと会えます』
晴れていく白い景色に重なるように、心が晴れていく。
『いい顔になりましたね。それでこそカインさんです』
「ありがとう。カルマナ」
『ふふっ。私もあなたにい〜っぱい助けられたんですから、お互い様です』
この笑顔を見ていると、あれこれ悩んでいるのが馬鹿馬鹿しく思えるな。
思わず笑い声を上げると、気付けば二人の笑い声が響いていた。
「息がぴったりだな」
『当然です。なんと言っても私たちは・・・』
運命共同体、だからな。
木漏れ日のように温かい笑顔のまま、彼女の姿は白い景色に溶けていった。
気付くと、元の場所に戻っていた。
聖剣に残る彼女の温もりを確かめるように、手にする聖剣を見つめた。
「パパ〜!」
「あ、こら! 走らないの!」
歩いてくる三人に思わず笑みがこぼれる。
「司教の仕事はいいのか?」
「ふふっ。せっかく皆んなと会えるし、急いで終わらせちゃった」
「そうか」
「あら、何かいいことあったような顔ね?」
ふわりと聖剣を背負う。
「そうだな。俺も、ようやく友達になれたのかもしれない」
「あははっ。あなたまでアクリアみたいなこと言ってるじゃない」
これだけの年月を重ねて、ようやく。
俺なんかよりも、アクリアの方がよっぽどこいつのことを理解しているのかもしれないな。
「暗くなる前に町へ降りよう」
ひょいとアクリアを肩車すると、彼女は流れるような動きで聖剣を握った。
「わ〜い♪」
「あまり振り回すとまた落とすぞ」
張り裂けそうな胸の痛みを抱え、何度も登った坂道を降る。
時を戻すごとに刻まれる代償をその身に、重い体を引きずるようにこの坂を登る、かつての俺を垣間見た。
すれ違うその目には憎しみと、未来を変えると切望しながらもどこか諦めたような、そんな黒い光が宿っている。
大丈夫だ。
その痛みも苦しみも。
悔しさも辛さも。
全部報われる時が必ず来る。
お前が登ったその先で待つ、一人の司教との出会いが全てを変えてくれる。
だから、諦めるな。
そう心の中で呼びかけ、絶望に打ちひしがれるかつての俺に別れを告げた。
これからは、守るんだ。
手にしたものを手放さないために。
必死にもがいて辿り着いた未来を握りしめ、ひとり心に誓う。
手にした幸せを噛み締めるように、茜色に染まりゆくドルガリスの空を見上げる。
この想いを祝福するように町から聞こえる人々の賑わう声が、いつまでも心に響いていた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
執筆中、何度も何度も悩み、迷いながら、それでも読んでくれる誰かがいると思えたから走り抜けることができました。
頂いたブックマークや評価、感想なども、とても励みになりました。
もしよければ、最後にブックマークや評価、感想などを頂けると大変嬉しいです。
次回作や今後の活動の力になります。
これからも、自分なりの物語を届けていけたらと思っています。
本当に、ありがとうございました。




