第81話 運命の分岐点
風景が変わったーーー。
村の規模はさして変わらず、人々の暮らしも大きな違いは見られない。
変わったことと言えば、以前よりも鉄を打つ音の数が増えたことくらいか。
天使ルシェリアと鍛治士アルカディウスが夫婦となったことが影響を与えたのか、剣を打つ職人が増えたようだ。
アルカディウスのような剣を打てれば自分も伴侶に選ばれるかもしれないと思い付いたのだろう。
だが、時の流れを感じさせる大きな違いは、いま目の前を歩く三人の姿だ。
世界の秩序や正義を反映したような、神々しく煌めく長い白い髪の翼を持つ女性と、対照的に服の至る所に焦げた跡やススのついた泥臭い格好をした男性。
天使ルシェリアと鍛治士アルカディウス。
そして二人の間で手を繋ぐ、ルシェリアを一回り小さくしたような一人の少女。
十代前半、ジュリエットと同じくらいの歳か。
何やら首に下げたネックレスらしきものをルシェリアに嬉しそうに見せている。
そう。二人は子をもうけていた。
三人で散歩しているのだろうか。
どこから見てもよくある家族の風景。
しかしあの少女とネックレス。
どこかで・・・。
そうだ。ウルフスタンの鉱山で見た謎の少女。
ドクン・・・。
気付けば、少女がこちらを真っ直ぐ見据えていた。
まるで、こちらが遥か遠くから覗き見ていることを見通しているかのように。
少女は一度だけ微笑むと、ごく自然に両親の会話に戻っていった。
『お母様のくれた贈り物、大切にするね!』
『そうしてくれると嬉しいです』
すると、少女はムスッとした。
『もぅ。お母様って時々他人事みたいに言うんだから』
『はははっ。勘弁してあげてくれエリシア。お母さんは頑張って感情を勉強中なんだよ』
その言葉に、今度はルシェリアが娘と同じ顔をした。
『言ってくれますね。これでもだいぶ理解できるようになったのですよ? 感情に関しては、もうほとんど人間のことは解明できたと思っています』
『そういう言い回しが何とも不自然に見えてしまうんだよなぁ。ほら、その証拠にエリシアの機嫌が治ってないからね』
『むむぅ。そんなはずは・・・。これでも全知全能のつもりなんです。上手くできないと、何だか自分に腹が立ちますね』
すると、アルカディウスは声を出して笑い出した。
『ごめん、やっぱり撤回するよ』
『どうしてです?』
『だって、出会った頃はそんな風に腹を立てる姿なんて見たことなかったから。そうして自分の感じた感情の名前を口にするのを見ると、ルシェリアはちゃんと感情を抱いているんだなって』
次第にルシェリアの眉間にシワが寄っていく。
微妙に眉がピクピクしている。
『馬鹿にしていますね? 怒りますよ? いえ、悲しんだ方があなたには響きますね』
『ご、ごめん! 気を悪くしたなら謝るからやめてくれ!』
勝ち誇った様子のルシェリアに慌てて謝る素振りを見せるアルカディウス。
『もぅ〜!! 私を仲間はずれにしないでよ〜!!』
エリシアは繋ぐ二人の腕をブンブン振り回している。
『安心してくださいエリシア。あなたを独りにはしませんよ。ずっと一緒です』
『うん! お父様もお母様も、村の皆んなも大好き!』
そんなありふれた幸福に包まれた美しい光景が、まるでガラスが割れたように亀裂が入り、粉々に砕け散った。
散った景色の破片の端がゆっくりと燃え始め、やがて炎に包まれた断面が繋がり、村が燃え盛る光景が現れたーーー。
ーーー白い髪の女性が鉱山を駆け上がっている。
あれから数年経っているのだろうか。
まだ少し幼さが残るが、エリシアだとすぐに分かった。
額から流れる多量の汗と泥に塗れたその足から、切羽詰まった状況なのが伝わってくる。
『お母様! 大丈夫?!』
ルシェリアは、大量に奉納された供物の山々の前で静かに立ち尽くしていた。
頭上の光輪はその輝きを失い、動きが完全に停止している。
供物の脇には、折れた刀身を重厚な鎖で巻きつけた剣が地に刺さっているのが目に入った。
あれは、カルマナの宿る・・・。
その剣を見た時、嫌な予感がした。
『お母様っ!』
エリシアが腕を掴むと、彼女はようやくその存在に気が付いたように振り返った。
『あらエリシア。お帰りなさい』
『何者かが村に火を放ったんだ!! 私たちもすぐに逃げないと!』
すると、ルシェリアは不思議そうに首を傾げていた。
『何をそんなに慌てているのです? 逃げる必要などありませんよ』
『ダメだよ! いつまでもこんな所にいたら私たちまで・・・』
恐らく、今この瞬間にエリシアが感じたであろう感覚と同じモノに襲われた。
ルシェリアの冷え切ったその無機質な赤い瞳が、あまりにも恐怖に映った。
そして、彼女はその感覚を目覚めさせるように、耳を疑う言葉を言い放った。
『心配しなくても大丈夫。村を焼き払ったのは私ですよ』
『え・・・? どう、して・・・?』
『どうって、決まっているでしょう。人間があまりにも愚劣だからです』
呆けたまま、エリシアは言葉を漏らした。
『・・・分からないよ。お母様からしたらそうだろうけど、人のこと好きだって言っていたじゃない。だって、そうじゃなきゃお父様を選んだりしなかったはずだもの』
すると、エリシアはきょとんと辺りを見回した。
『そういえば、お父様はどこ・・・?』
『ああ、アルカディウスならちゃんとここに居ますよ』
彼女は、何か気付いてはいけないものに気付いてしまったように、不安を湛えた表情で大きく目を見開いた。
視線を落とすと、供物の山の一番手前にある、小さな山が目に入った。
その山から、地面を這うように赤い液体が流れている。
一瞬、手首のようなものが見えた。
エリシアは言葉を失い、地べたに座り込んだ。
ルシェリアは娘が呆然と見つめるなか、アルカディウスの頭部らしきものを掬い上げ、愛でるようにその髪を撫でた。
『いつ見ても、あなたは美しい顔をしていますね。たとえ、こうして供物となったとしても』
『お父、様・・・? 何で・・・? どうして・・・?』
ルシェリアは、頭部を愛でながら語りかける。
『私と結ばれた彼を疎ましく思っていた一人の鍛治士がいたのですが、愚かにもソレは、彼を殺せば自分が代わりに選ばれると思っていたようですね。そして、ばらばらに切断した彼の遺体を供物として私に捧げた』
『そ、んな・・・』
なんてことだ・・・。
あまりにも酷すぎる。
いや、それも衝撃的だが、それ以上に天使ルシェリアの反応だ。
彼女はいま、怒りに満ちている。
支配されていると言ってもいい。
世界を創り上げた全知全能の神が、己の中から湧き出した感情に塗りつぶされている。
とにかく、創造主である彼女が、ただ一人の人間の死に対して背筋が凍るほどの悲しみと怒りを抱いているという事実に驚嘆した。
『人間はあまりに愚劣。ですので、裁きを与えなければなりません』
『だから村を・・・』
『ああ、心配しないでください。この眼で事の顛末は把握しています。犯人の容姿も』
ルシェリアが娘に背を向けた時、鎖に巻かれた剣がほのかに光を帯びた。
『ルシェリア! どこへ行く気ですか?!』
『犯した罪に恐怖を抱いた犯人は鉱山の奥へ逃亡を図ったようですので、その粛清に』
カルマナの声に、ルシェリアは淡々と答える。
『あなた、もしかして・・・』
おもむろに振り返ったルシェリアの深紅の瞳から、漆黒の涙が頬を伝っていた。
妖艶に微笑む姿が一層気味の悪さを強調していた。
『炙り出すにはまず周りから。行き場を無くした哀れな愚物を操作するのは、息を吸うより容易です』
『ダメです! それ以上その手を汚せば、あなたは戻って来られなくなる!!』
『全ては私の気まぐれが招いた結果。ですが、最も最悪なのは・・・』
ルシェリアは大きく目を見開き、悪魔のような冷たい表情で剣を見下ろした。
『あなたと出会ったことです。あなたと出会わなければ、あの人と出会うこともなかった。知る必要のない感情を知ることもなく、振り回されることもなかった』
『そんな・・・。そんなこと、言わないで・・・。私は、ルシェリアと出会えて良かったと、本気で思っています。だって、初めてできた友達だったから・・・』
剣を見下ろすルシェリアの目つきが鋭いものに変わった。
『私は逆です。出会わなければ私は安寧に過ごすことができた。自らが作り出した世界と生命を、この手にかけることもなかった』
ルシェリアは静かに剣に背を向けた。
『お互い、独りの方が幸せだったのでしょう』
『嫌です! 私は絶対に嫌です! 独りにはなりたくない! 感情に支配されないでください!! 本当に取り返しのつかないことになりますよ!?』
黙って聞いていたエリシアは、ゆっくりと立ち上がった。
『カルマナと出会わなきゃ、お父様と出会うことはなかった。お父様と出会わなければ、私が生まれることはなかった・・・』
『そうなりますね』
まるで他人を相手にするように淡々とする母親に、エリシアは歯を食いしばった。
『私は、お母様とお父様の娘で良かったと思ってるよ。二人の優しさのおかげで、私はこの世界と人間を愛すことができた』
『私にとっては違います。あなたがいなければ、自分の感情などにここまで翻弄されることはなかった』
ルシェリアはそれ以上語らなかった。
『行っちゃダメ!!』
エリシアが彼女の腕を掴んだ時、頭上の光輪は砕け散り、純白の翼が暗黒に染まっていった。
皮肉にも、彼女の想いとその行動がルシェリアの堕落を決定的にした。
ルシェリアは娘の手を振り払った。
そして、闇に染まり悪魔に変わり果てたルシェリアは、積まれたアルカディウスの遺体の前に立った。
『あなただけは、私が連れて行く。ずっと一緒』
すると、大きな口を開き、エリシアに見せつけるかのように遺体を残らず喰らってみせた。
骨の砕ける鈍い音が響き渡り、喰らう口元から血が滴り落ちる。
『お父、様・・・? お父様ぁーーー!!!』
エリシアは仇敵を目の前にした復讐者のように鋭い視線を母親に向けた。
『許さない・・・。絶対に!!』
『我を止めるというのなら、たとえ貴様といえど容赦はしない』
そう告げると、ルシェリアは漆黒の翼で飛び去っていった。
エリシアはすぐに折れた剣の柄を握りしめた。
『お母様は私が必ず止めて見せる。これは神と人の両方の血が流れる私の役目。だからカルマナ、力を貸してくれる?』
『もちろんです。ルシェリアは私の大切な友達。私も彼女を止めたい。優しい彼女に戻って欲しい』
エリシアが祈りを捧げると、剣全体が光に包まれた。
『これでも創造主と最高の鍛治士の娘だからね。夫のようにはいかないけど、何とか剣は自分で打てる』
綺麗に元通りになった剣を握りしめた瞬間、巻かれた鎖が弾け飛んだ。
『行こうカルマナ。私たちの願いを叶えるために』
『はいっ!!』
俺は、鉱山へ向かうエリシアの背中を見つめていた。
様々な想いが溢れてくる。
アルカディウスの死。
娘エリシアと、カルマナの願い。
これは、魔王という絶対悪の存在が世界と勇者を脅かすという単純な話ではない。
忘れ得ないのは天使ルシェリアの堕落。
その理由が、切ないほどに人間味に溢れていたなんて、一体誰が想像できるというんだ。
心に突き立てられたナイフがずっと残り続けているように、胸の痛みが消えない。
これまで俺は、魔王討伐の宿命を負ったロザリアを支えることで世界を救い彼女と生きて行くこと。彼女が死ぬという残酷な結末を変えることを強く願い、魔王と対峙してきた。
だが、それは大きな間違いだった。
倒すべき魔王は、救うべき存在だったんだ。
魔王を救うことこそが、カルマナの抱き続けた願いだったんだ。
今、自分の中にかつて抱いたことのない気持ちが芽生えている。
聖匠として、俺のやるべきことは魔王の魂を救うことだ。
強く心に刻みつけた俺は、白い霧の中へ消えていくエリシアの背中をいつまでも見送っていたーーー。
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