第78話 仮初の勝利
左右に伸びる鋭利な黒翼を羽ばたかせ、魔王は断崖絶壁に降り立った。
地に着くと同時に生まれた禍々しく生温かい波動が一瞬にして周囲の草木の正気を奪い、鮮やかな緑は土色へと変わり果てた。
深紅の眼が静かに俺たちを捉える。
『我の望みし研ぎ澄まされた完璧な魂が、ようやく現れたか』
これまでの世界線での反応と明らかに違う。
思わず、神妙な面持ちでグリムガウディを構えるロザリアの顔に目を向けた。
魔王は鋭い八重歯を剥き出し、邪悪な笑みを浮かべる。
『我の腹を満たす、最高の贄が現れた』
おもむろに振り上げた漆黒の腕を注視する。
まずいっ・・・!!
「気をつけろ!!」
皆に呼びかけると同時に、魔王の手から強力な衝撃波が放たれた。
反射的にセレニティを突き立てようとしたその時ーーー。
「『聖籠の解放』」
ささやくような声が響いた瞬間、俺たちを包み込むように現れた巨大な魔法陣が衝撃波を瞬く間にかき消した。
気付けば、両手をかざしたカルマナが俺たちの前に立っていた。
『その力。貴様は・・・』
「ふふっ。そう何度も同じ手を喰らうほど間抜けではありませんよ」
得意気に鼻を鳴らすカルマナに、魔王は長い舌で唇を舐めた。
『ククク。良い。毎度一方的ではつまらぬ。貴様らには特別な地獄を刻み込んでやろう』
魔王が空に向かい手をかざすと、渦巻く幾つもの暗雲から、まるで黒い雨が降り注ぐように魔物の軍勢が降下してきた。
中にはキマイラのような超大型の魔物も含まれていた。
カルマナが衝撃波を無効化してくれたとはいえ、魔王だけでも手を焼くというのにこれだけの手勢。
戦力が違いすぎる。
すると、厚みのある大きな手が俺の肩に置かれた。
「雑魚どもの相手は俺たちに任せな。お前らは前だけ見てろ」
拳を突き合わせるフリードに、ヴィオラとジュリアンも頷いた。
「あいつらは私が全部肉団子に変えてやるわ」
「さ〜て! 麗しい姫君たちのために本気を出そうかな♪」
「お前ら・・・」
意を決し振り返ると、ロザリアは自信に満ちた笑みで頷いた。
「行こう。カイン」
カルマナとジュリエットも大きく頷く。
「援護は任せてください」
「私も全力で戦います」
二人の言葉に背中を押されるように、力強く一歩を踏み出した。
セレニティを構え、狙いを魔王に定める。
「行くぞ!!」
疾風のごとく飛び出し、瞬く間に魔王に間合いを詰める。
大きく踏み込む左足が大地を割り、飛び散る岩ごと薙ぎ払うように一閃を放つ。
魔王は顔色一つ変えず片腕で受け止めた。
漆黒の腕と聖なる白刃が鍔迫り合いを起こし、ギリギリと震える。
が、難なく制した魔王の薙ぎ払いに大きく剣を弾かれた。
間髪入れずに空いた脇腹に狂爪が迫る
素早く剣を振り下ろし爪を弾く。
顔を上げると同時に迫っていた魔王の拳に打たれた。
「ぐっ・・・!」
激しく地面を転げ、入れ替わるように飛び出すロザリアの背中を見送った。
「はあぁぁっ!!」
隙を作らぬよう、流れる体捌きで攻撃を繋げるロザリアのグリムガウディが魔王の右脚を捕える。
激しい金属音が響き渡るが、その鋼のように固い皮膚を裂くには至らない。
魔王は掴みかかろうと瞬時に左腕を伸ばす。
ロザリアは何とか反応しグリムガウディを振り上げる。
激しくぶつかり合った力が大きな衝撃波となり、周囲の枯れ果てた草木を吹き飛ばした。
「ぐ、うぅ・・・」
枯葉が雨のように舞い散るなか、魔王の圧倒的な力についにロザリアの片膝が地についた。
枯葉の合間を縫うように、背後からジュリエットの翡翠の双剣が煌めいた。
「やあああっ!!」
交差させた双剣が魔王の背中を切り裂く。
しかし、やはりその背中を傷つけることができない。
すると、魔王は漆黒の翼をしならせ、一度だけ大きく羽ばたいた。
両翼から発した無数の小さな羽が全てを貫く黒針となり、ロザリアとジュリエットに襲いかかった。
させるか・・・!!
「『凍結弾』!」
咄嗟に放った青い弾丸が炸裂すると、二人を襲う黒針を氷塊に変えた。
凍った黒針が地に落ち乾いた音を響かせる。
生まれたわずかな隙に、二人は飛び退き魔王と距離を取った。
何とか間に合ったようだ。
とはいえ、俺を含めロザリアもジュリエットもすでに息が上がっている。
無理もない。
この緊迫した緊張感のなか奴の猛攻に耐えなければならないんだ。
ほんの一瞬の判断ミスが死を招く。
過去の勇者の戦いを垣間見たことで、無意識に魔王に対しての理解が深まったような気がしていたが、全く見当違いだった。
こうして実際に対峙するとよく分かる。
魔王が如何に厚く高い壁であり、絶対的な存在なのか。
どれほど五大勇者が勇猛果敢だったのかを痛感するな。
深く息を吐き、魔王を囲むロザリアとジュリエットに目配せする。
大地を蹴り、魔王に向かいながら銀色の弾丸『幻影弾』を奴の足元に発砲する。
生成された俺の分身が剣を振り下ろすが、魔王の長い爪に瞬時に切り裂かれた。
その一瞬の隙に、魔王の懐に潜り込んだジュリエットが双剣を突く。
剣を弾かれたジュリエットに追い討ちをかけるべく、魔王の剛腕が振り下ろされた。
「『幻の風』」
魔王の爪は勢いよく空を切る。
辺りを見回す魔王の左側から、完全に気配を絶ったジュリエットによる一閃が魔王の脇腹を捕える。
瞬時に察知した魔王は、完璧なタイミングでジュリエットの攻撃に合わせた。
「読んでましたよ! 『影喰いの舞』!!」
フッとジュリエットの姿が消えた。
刹那の静寂の後、魔王の背後に伸びる大きな影からジュリエットが飛び出し、空高く舞い上がる。
「やああああああっ!!!」
呼応し緑色に輝く双剣ブルータスが、一筋の流れ星のように美しい尾を引く。
本能的に防御体制に入った魔王は咄嗟に左腕を上げるが、その固い皮膚をものともせず突破し、ついにその腕を切り落とした。
なんて勇ましい姿だ。
俺は、彼女の覚悟と誓いが実を結んだ瞬間を今まさに目の当たりにしたんだ。
そんな彼女の姿に心の奥から力が漲ってくる。
だが、魔王は無表情のまま、切り落とされた腕に見向きもせず体制を整えるジュリエットに残った腕で掴みかかった。
「甘いわ!!」
滑り込んだロザリアはジュリエットの壁となり、魔王の剛腕をグリムガウディで受け止めた。
その瞬間、魔王の不気味な笑みが俺の五感を強く刺激した。
過去のロザリアの無惨な姿がフラッシュバックする。
まずいっ・・・!
「ロザリア!!」
俺の叫び声が虚しく風に消えたその時、最悪の光景が目に飛び込んできた。
魔王の鋭利な黒翼が、彼女の身体を両断していた。
うそ、だろ・・・?
心の奥底から、どす黒く重たい感情が湧き上がったその時、
パァン・・・!!
激しい破裂音が空気を裂くと同時に、両断されたロザリアの姿が霧と消えていく。
まさか、あれは・・・!
魔王の正面にどっしりと腰を低く落とし、鞘に収めたグリムガウディを構えるロザリアの姿があった。
弾けんばかりの強烈なエネルギーが、まるで剣に吸い寄せられていくように風を巻き込み、聖なる刀身に集中していく。
眩い閃光が放出した瞬間ーーー。
「『絶縁』!!」
あまりに疾い神速の抜刀。
耳をつんざくような破裂音とともに放たれた時空を切り裂く一閃が、大気を巻き込み魔王の右半身を削り取った。
大きく目を見開いたまま、残された魔王の半身が後方へ傾いていく。
二度とない好機。
振り切ったロザリアの聖剣を踏み台に高く舞い上がり、彼女の生み出した風をかき集めるように頭上で構えたセレニティを回す。
ぽつぽつと出現した光の粒子が風に乗り、やがて刀身の周りを勢いよく回りはじめ、嵐のごとき力が集中した。
そして、吹き荒ぶ光の粒子を解放するように渾身の一撃を放つ。
「『破滅へ誘う荒風』!!」
叩きつけるように振り下ろした刀身が、横たわる魔王の身体もろとも地面を深く抉り、凝縮された風が一気に解放された。
地面を激しく跳ね転がる魔王の体が、断崖絶壁の淵でようやく止まった。
「はぁ・・・。はぁ・・・。はぁ・・・」
全力だ。少しはこたえたか・・・?
しばらく止まった魔王の体を注視していると、ロザリアが声を漏らした。
「・・・やったのかな?」
ジュリエットも警戒した様子で唾を飲み込む。
奇妙な静寂に包まれるなか、俺たちの視線が魔王の半身に集まる。
「私の出番はなさそうですね」
カルマナがそっと寄り添うように隣に立った。
どこかしっくりこない。
確かに、三人の完璧な連携で魔王を地につけただけでなく、かの五大勇者よりも優勢に持ち込んだ。
それなのに消えないこの不安は何だ?
まるで、手のひらで踊らされているような・・・。
突然、全身から汗が吹き出すほどの恐怖が込み上げてきた。
「まだだ!!」
三人が身構えると、それに応えるように半身がびくんと大きく脈打った。
そして、半身はゆっくりと起き上がり、魔王は深紅の瞳を大きく開いた。
『良い。実に良い。それでこそ、喰らい甲斐がある』
ジュリエットが切り落とした左腕、そしてロザリアが削ぎ取った右半身が、みるみるうちに新しく生え変わる。
完全復活した魔王の体から、赤黒いオーラが一気に噴出した。
あれは、勇者エステルの時と同じ・・・。
あまりにも圧倒的なその力を前に呆然とする俺たちを嘲笑うかのように、魔王の姿が変化していく。
より長く、鋭く伸びる双角と両爪。
三対に増えた漆黒の翼。
あまりに圧倒的なその姿に禍々しさや残虐性を通り越し、もはや神々しさすら感じる。
同時に、魔王の放つ瘴気に当てられ、極度の緊張状態に陥った俺たちの体は完全に停止した。
『ククク。実に良い』
魔王が一歩を踏み出すたびに地面に亀裂が入る。
『どれから喰らうか』
魔王は食材を見定めるように、一人一人の顔を凝視した。
そして、その冷たい視線がぴたりと止まる。
『貴様だ』
舌なめずりし不気味な笑みを浮かべる魔王の赤き瞳に魅了されるように、俺たちはその場に釘付けになっていた。
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