第8話 星に願いを
ヴァルムレイクの温泉は体に染みる。
そこまで苦戦しなかったとはいえ、ちゃんと疲労は蓄積していたようだ。
怨念の増幅に加担していると思うとあまり気が進まないが、今は忘れよう。
「はぁ〜。生き返りますねぇ〜。カインさんもそう思いません?」
嬉しそうなカルマナの声に一瞬イラっとした。
せっかくリラックスしていたのに、いきなり現実に引き戻された気分だ。
「黙って浸かってろ。疲れが取れない」
「私の美声を聞いて疲れが取れないはずがありませんよ」
自信があるようだが残念。
お前の声は無駄に疲労を溜めるだけだ。
一応言っておくと、カルマナと仲良く隣同士で入浴しているわけではない。
ヤツはそれを狙っていたようだが、断固として拒否した。
ヴァルムレイクの温泉は、真ん中に落とされたように巨大な岩盤によって二つに分けられている所が多い。
古代に降った火山岩により形成されたその地形の特徴を活かして、男女の入浴場所を分ける壁としていい具合に機能しているのだが、まるで彼女の気持ちを汲んだかのようにここの岩盤は小さい。
そのせいで声がダダ漏れなのだ。
宿の選択を誤った。個人的には、もっと大きい岩盤を希望したいところだ。
「カインさん! 見ましたか? いま流れ星が!」
「ん。結構長かったな」
「何を願ったんですか?」
さも願うのが当然のように言われてもな。
「流れ星を見た奴全員が願い事をすると思うなよ」
「ドルガリスの教会では祈りを捧げていたじゃないですか」
「あれは習慣のようなものだ。本当に祈りを捧げようとしてやったわけじゃない」
過去の世界線。ロザリアは必ずあの教会で祈りを捧げてから出立していた。
だからなのか、何度やり直してもそれだけは欠かしていない。
あの教会に寄ることで全てが始まると、そう思えたから。
星が煌めく夜空を見上げる。
まぁ、普通に絶景だな。
この星の数だけ犠牲になった人々がいる。
勇者も。
ロザリアも・・・。
「お前は何を願ったんだ?」
「もちろんカインさんの願望の成就です。それ以外に願うことなんてありませんよ。あ、ちゃんと身の安全も入ってますからね」
「大司教ならもっと他に願うことがあるんじゃないのか」
「それはもしかして世界平和とか世界中の人々の幸福とかのことですか?」
「有り体に言えばそうなるな」
しばらく沈黙が流れる。
「世界と人々の平和は常々願っていますよ。それが司教の務めとも思います。けれど、どれだけ祈ろうと魔王の存在がある限り世界に平和は訪れない。いつまでも人は幸福になれない。だから、私は祈るのを止めました」
おいおい。
大司教がそれを言ったらまずいだろ。
そういう不安を抱える人々のための教会であり、心の支えになるのが司教の役割のはずだ。
「俺には分からないな。世界の平和や人々の安寧よりも大切なものなんて」
「カインさんが現れたからですよ」
俺? いきなり何を言い出すかと思えば。
「勝手に世界と俺を天秤にかけるな。いち個人に出来ることなんて高が知れている」
「私、あなたと出会った時に思ったんです。あなたこそ、この世界を救ってくれる救世主なんだって。魔王を倒せる唯一の人なんだって」
止めてくれ。
魔王をこの手で倒すのが俺の目的なのは間違いない。
この身が耐えられる限り何度でもやり直すつもりだし、その覚悟もある。
だが、そんな信念を抱いて戦ってきたその結果がこの様だ。
俺にそんな大それたことが出来るなら、きっと既に達成しているはずなんだ。
三度やり直してもなお、俺の願いは叶っていない。
時々思う。
このままループしていき、やがて自分が消えてなくなってしまうのではないかと。
俺のやっていることに意味なんてないかもしれないと。
「買い被りすぎだ。そんな期待を寄せられても迷惑なだけだ。俺は、俺の果たすべき目的のために魔王を倒す。それだけだ」
「それでも、ただ見守り、祈ることしかできなかった私の前に、あなたは現れた。一瞬の煌めきに命を燃やす流れ星のように」
流れ星、か。
命の儚さ。そして、自分の存在の虚しさという点では、確かに似ているのかもしれないな。
カルマナと出会った時・・・。なぜか、似たようなものを感じた。
同じ出会い方。同じ会話。同じ仕草。
残酷な結末が待つ未来など想像もしていないロザリアたちに、一人だけ置き去りにされたような感覚に襲われた。
ループすればするほど仲間といるのが辛くなっていった。
絆が深まるほど孤独感は増していった。
こんな思いをするくらいなら一人で魔王を倒す。
そう決めて歩き始めた時に、こいつと出会った。
あの時、心のどこかで期待していたんだ。
こいつが絶望を払い除ける希望の光になるかもしれないと。
きっと願ったんだ。
少しでいい。この出会いが何かを変えてくれることを。
「私は確信しています。カインさんとの出会いは必然で、意味のあるものだと。魔王を倒すのに二人のどちらが欠けてもいけない運命共同体のだと」
こいつはこいつなりに信ずるものがあって、その信念のもとに行動している。
その中心にいるのが俺、というわけか。
「お前と運命を共にするのは願い下げだがな」
「抵抗しても無駄ですよ。地獄の底までご一緒するつもりですので♪」
司教が地獄とか言うな。
「その気持ちは素直に有り難いが、残念ながら俺には心に決めた奴がいる」
カルマナは嬉しそうに鼻を鳴らした。
「ロザリアさんですか」
「・・・・・・・」
気付かれていたのか。
勘だけは鋭い。
「彼女も大きくなりましたよねぇ。魅力のある女性に育ってくれて、私は嬉しいです♪」
ふと、あいつが身の丈よりも大きい剣を握りしめる姿が浮かんだ。
そういえば、よく稽古つけてやったな。
女、ましてや同じくらいの年齢の子供に剣を向ける気にはなれなかったが、毎日しつこく頼まれたせいでついに心が折れた。
実際稽古をつけ始めると、本当に女なのかと疑ってしまうくらい粘り強く食い下がってきたのには驚いた。
傷だらけになっても消えることのなかったあの瞳の輝きとひたむきさには感心するばかりだった。
その辺の男よりもよっぽど根性があった。
「見たことがあるような言い方だな。というか、知り合いでもないくせに母親目線でものを言うな」
「とても有名ですからね! 私ほどではないにしろなかなか立派なものをお持ちですよね」
カルマナの悪戯っぽい笑い方に再びイラっとする。
「お前に発情する男がいるとしたら、それは余程の物好きか頭のおかしい奴だろうな」
「酷いっ!! そこまで言わなくてもいいじゃないですか!!」
「本当のことを言ったまでだ。ロザリアと比べればお前の精神は八歳児と変わらん。聖職者のくせに煩悩まみれだし、欲望は垂れ流すし、大司教と聞いて呆れるレベルだ」
「なんですってぇ?! それを言うなら、私という相手がいながら元カノと比べるカインさんだって最低の男じゃないですか! この人でなし!」
いや、元ではないんだが。
少なくとも俺はそのつもりだ。
・・・待てよ。
まさか、そう思っているのは俺だけで、あいつの中ではもう終わって・・・?
そんなことを考えたら急に不安になってきた。
「あ、あれ? カインさーん?」
「元カノ・・・」
「ほ、ほらあれですよ。一見完璧に見える人でも案外そんなことなかったりしますし」
急に気を遣い出したカルマナの態度が一層虚しくさせる。
それはともかく、ロザリアは能力値だけで見ても過去の勇者と比べるまでもないだろう。
それに加えて容姿端麗で性格も良い。
ただでさえ勇者はその使命から人々の期待を一身に背負っている。
彼女はその中で最も注目されている存在だ。
俺にとっては限りなく完璧に映る。
「それにしても、まさかカインさんがロザリアさんとお知り合いだったなんて驚きです」
「あいつとは幼馴染だからな」
「果たして彼女の剣技はどこまで成長したのでしょうか」
歴代最強勇者に対してものすごい角度でものを言うな。
「自分の剣も抜けないような奴がよく言う」
「あ、あれはそういう作りなんです! そう、きっと鞘のまま斬るのがあの剣の正しい使い方なんですよ!」
そんなわけあるか。
それじゃただの棍棒だ。
どう見ても一級品の剣が、その特徴を台無しにするような作りのわけがない。
「せっかくの名剣を無駄にしないよう、せいぜい鍛錬するんだな」
「剣士は私の専門外なんですけどね〜」
「使う気がないならそれこそ武器屋にでも売ってしまったほうが軽くなって良いんじゃないか?」
「それは駄目です!!!」
カルマナの大きな声が響き渡る。
振動として伝わったのか、温泉の水面がわずかに揺れる。
彼女の怒りや緊張感が岩盤越しでも十分伝わってきた。
「何があっても絶対に手放すわけにはいきません。一心同体ですから・・・」
大切な人から譲り受けたのか、あるいは形見か。
いずれにしても、カルマナにとって余程思い入れのある品のようだ。
「今の私には、あの剣だけが頼りですので」
そう言う割には杜撰な扱いな気もするが。
しばらくの間、いつものような軽い声ではなく、まるでため息と一緒に空気に溶けてしまいそうな、そんなごく僅かな悲しみの滲んだ彼女の声色が頭の中に響いていた。
「なんだかのぼせてきちゃいました。そろそろ出ますね」
「その大事な剣はどこにある?」
「脱衣所に置いてきましたよ。温泉内に持ち込んだら濡れてしまいますからね」
無防備だ。
そんなに大事ならせめて目につくところに置いておくのがセオリーだろうに。
一見自分勝手で強引に見えるが、言葉の一つ一つはとても純粋だ。
たまに、まるで自分の事のようにあいつのことが理解できる時がある。
あいつにも背負っているものがあるからなのか。
いつかあいつの願いが叶うよう祈りを・・・。
いや、それだと間接的に自分で自分のことを願うことになるのか?
頭を捻りながら一人空を見上げると、長い尾を引く一筋の流れ星が瞬く夜空に美しい弧線を引いたのだった。
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