第11話 大司教さまのお仕事
遠くに小鳥の囀りや鶏の鳴き声が聞こえる。
すっかり朝だ。
できれば日が昇る前に戻りたかったのだが、こいつもいたから仕方がないか。
腕の中で聖剣を抱えたまま気持ちよさそうに寝息を立てるジュリエット。
まったく。少し前まで俺を殺そうとしていたようにはとても見えないな。
「う〜ん・・・。あれ、ここは・・・?」
「ちょうどヴァルムレイクへ着いたところだ」
目を擦るジュリエットを降ろし、うっすら見えるヴァルムレイク城を指差す。
よく見ると、町の入り口にカルマナが立っていた。
まさかあいつ、ずっと起きていたのか?
「もうっ遅すぎです! 心配したんですよ!」
カルマナは頬を膨らませたまま詰め寄ってきた。
「だから寝てろと言っただろ」
「そんなわけにもいかないですよって、あら・・・?」
俺の後ろに隠れていたジュリエットが恥ずかしそうに前に出ると、カルマナの表情がパッと明るくなった。
「わぁ! 可愛い子ですねぇ! あなた、お名前は?」
「・・・ジュリエット」
「素敵なお名前です。あなたにピッタリですね」
カルマナの聖母のような微笑みに、警戒していたジュリエットの表情が柔らかくなった。
手を合わせるカルマナの姿はまさに司教で、とても神秘的に見える。
そんな彼女の姿にジュリエットも目を輝かせて見惚れていた。
「それで、この子はどうしたんですか? はっ?! まさか盗賊に襲われたとか?!」
司教らしい振る舞いと思いきや、急に意味不明な動きで激しく動揺した。
本当に心の忙しい奴だな。
すると、おどけた態度が一変。
笑みを浮かべたカルマナは、少し屈んでジュリエットの目線に合わせた。
「何か、言いたいことがありそうですね?」
「え、えっと・・・」
聖剣を抱くジュリエットの腕が微かに震えている。
「慌てなくても大丈夫ですよ。心の準備ができるまで、ちゃんと待ちますから」
カルマナの陽だまりのような微笑みに、ジュリエットは恐る恐る聖剣を両手で差し出した。
「あ、あの・・・。盗んでしまってごめんなさい」
うつむくジュリエットの小さな肩が震えている。
「もう二度としません。だから・・・」
「本当にもう二度としないと言い切れるのか?」
俺の言葉に、ジュリエットの腕がビクッと止まった。
カルマナは何も咎めないかもしれない。
だが、それではジュリエットのためにならない。
誰かが戒めてやらなければならない。
「そ、それは・・・」
カルマナはそっと剣を受け取り、目に涙を湛えたジュリエットを抱きしめた。
「よく言ってくれましたね。貴方は偉いです」
「え・・・?」
「逃げたくなるほど怖かったでしょう。でも、貴方は自分の罪を認め、それを懺悔した。貴方は自分の中の恐怖に打ち克ち乗り越えた、強く清らかな心をお持ちです。いま貴方が感じているその想い、大切にして下さいね」
カルマナの包み込むような優しい言葉に、ジュリエットは糸が切れたように泣き出した。
きっと、自分の犯したことを彼女なりにずっと悔やんでいたのだろう。
この涙が、彼女の純粋さを何よりも表していた。
彼女に対しこのまま言うつもりはなかったし、もちろん罰を与えようとも思わなかった。
ジュリエットはロザリアを慕っている。
彼女を大切に想うその気持ちは俺も同じだ。
未来を変えるためとはいえ、嘘をつき、ロザリアを悲しませた俺にジュリエットを裁くことなんてできない。
「この子はどうしましょう? このまま置いていくのも可哀想ですし、家に送り届けますか?」
「一緒に連れていく」
カルマナは一瞬固まった。
「何か悪いものでも食べましたか?」
「別に変でもないだろ」
「いやいやいやいや! カインさんですよ?! 可愛さ溢れる私の誘いを秒速で断った冷徹人間ですよ?!」
その言葉が無ければ少しは溢れていたかも知れない。
「カイン様は私のお師匠様なんです♪」
俺の腕に抱きつくジュリエットを見てカルマナの顔が青ざめた。
「なっ?! 私なんてまだ手すら握ってもらえていないのに、そんな高い壁を軽々と越えるなんて・・・!」
子供と張り合うな。
しょんぼりしゃがみ込む姿が痛々しいぞ。
「ほら立て。これからフローレンスバレーに行くんだぞ」
「うぅ〜・・・。私だってカインさんにチヤホヤされたいですよぅ」
なんて面倒な・・・。さっきの司教っぷりはどこ行った?
「だいたい、師匠とは何ですか?」
「話している最中にケラトラプトルに襲われてな。対抗するために剣を使ったんだが、その時の俺の剣技に惚れ込んだらしい」
「あははっ! まさか本当に棍棒として使う日が来るなんて驚きですね! 何せ自慢の聖剣です。なかなか良い叩き心地でしょう?」
ジュリエットは興奮気味にカルマナの目を見つめた。
「凄かったんですよ! こう、剣が虹色に光って、あんなにいた魔物を一瞬で倒しちゃったんです!」
彼女はそのまま聖剣を拾い上げ、勇ましくカルマナの前で引き抜く真似をした。
「・・・へ?」
立ち尽くすカルマナにお構いなく剣と共に舞うジュリエット。
軽やかで滑らか。
うむ。相変わらず良い足運びだ。
「私もいつかお師匠様みたいな剣士になりたいなぁ!」
ジュリエットは剣を持ったまま駆けていく。
カルマナは錆びついて動きの悪くなった機械のようにゆっくり振り返った。
「カインさん。まさか・・・」
「ん? ああ。聖剣に相応しい見事な切れ味だったぞ」
「えええええ〜〜〜?!」
急に叫び出したと思ったら、ものすごい勢いで服を掴まれ激しく揺さぶられた。
「酷いです! 酷いですぅーー!! 私だって見たかったのにぃーーー!!」
「落ち着け。まさか本当に抜けるとは思わなかったんだ」
「うぅ・・・。あの子まで私を裏切るんですね・・・」
持ち主はお前なんだが?
「でも、どうしてでしょう。とっても悔しいのに、自分のことのように嬉しいです」
「そうなのか?」
「はい。むしろ少しほっとしました。きっとあの子もそう思っていますよ」
「なんだよそれ。まるで剣に意思があるみたいな言い方だな」
「そうだとしたら、素敵なことですよね」
物に心が宿るという思想か。
確かにそういう世界があってもいいのかも知れない。
こいつを見ているとそんな気になる。
・・・いや、武器に執着しても無意味だとあの時学んだはずだ。
俺には剣を持つ資格がないと。
あの時・・・?
あの時とは、いつだ・・・?
頭に靄がかかったように思い出せない。
それなのに、胸に残るこの虚しさは・・・。
「カインさん、なんだか穏やかになりましたね」
「気のせいだろ」
「元々優しいお方なのは知っていますけど、あの子と一緒に戻ってきた時にいつもと雰囲気が違ったんです。なんて言うかこう、ほわ〜っとしたと言いますか」
何だそれ。
自分ではそんなつもりはないんだがな。
守るべきものが増えて変わってきた、ということだろうか。
或いは、元々孤独に耐えられるほど精神が強くないのか。
いや、強くなったのならこんなことになっていないな。
「クールなカインさんも魅力的ですけど、私は今のカインさんも好きですよ」
ほんのり赤くした頬で微笑みかけるカルマナの笑顔。
その笑顔に、不思議と心が落ち着いていく。
何だかんだ、今ではこの笑顔を失いたくないと思うくらいには大切に思っているようだ。
「でも、黙って私を出し抜こうとした事については、後でちゃんと懺悔してもらいますからね」
「何のことだ」
「ジュリエットさんが犯人だってこと、本当は魔物のせいにしてやり過ごそうとするつもりでしたね?」
・・・やれやれ。慧眼だ。
こいつには本当に心を見透かされているように思えるな。
「すぐさま警護団に引き渡すつもりだったがな。あんなに懐かれちゃそれも後味悪い」
「本当ならお説教したいところですが、カインさんの人情溢れる一面を見られて満足できましたからね。勘弁してあげます」
「下らないこと言ってないでさっさと行くぞ」
ジュリエットが加わったことで、結果的に心配の種が一つ増えてしまった。
だが、それでも構わない。
せめてこいつらは守り通す。
今度こそ。
密かに心に誓い、フローレンスバレーに向けキラキラと朝露に濡れる大地に踏み出した。
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