第1話 計画的追放と再起の導き手
何度も握り潰されるように心臓が強く鼓動する。
そんな些事よりも、ただ目の前で起きた現実を受け入れようと必死だった。
両手で握る剣柄に生温かい液体が流れている。
血だ。
だが痛みはない。
恐る恐る顔を上げると、太陽のように輝く乱れたブロンド髪の女性が優しい笑みを向けていた。
俺が、彼女を刺したのだ。
それを理解した瞬間、俺は声にならない声で獣のように叫んだ。
時が止まり、俺だけが取り残されてしまったと思うほど、強い孤独感に襲われた。
一瞬にしてどん底に突き落とされた俺の前に、その時計は姿を現した。
まるで、この時を待っていたかのように。
俺の運命を嘲笑うかのように。
そして、俺は彼女の亡骸を抱えたまま、躊躇うことなく再びその時計に手を伸ばしたーーー。
ーーー王都ドルガリス。
「あなたはこのパーティから追放よ! 今すぐ出ていって!」
ロザリアの長いブロンド髪が揺れ、真紅の瞳に怒りが宿る。
賑わう大食堂の暖かな笑い声や器の触れ合う音が、一瞬にして消えた。
張り上げたその声に圧され、パーティの面々も言葉を失っている。
「カイン! あなたの行為は冗談では済まされないわ!」
突如訪れた静寂の余韻に浸りながら、俺は静かに紅茶を口に運んだ。
「冗談に聞こえたならもう一度言おうか。いつまでそんな足手まとい達と仲良しごっこを続けるつもりだ?」
ロザリアの顔がさらに険しくなる。
「私のことならいい。だけど、仲間を侮辱することだけは絶対に許さない」
この通り、彼女は正義感の塊だ。
そんな彼女だからこそ、俺はこの台本を演じ切らなければならない。
この世界では、数百年に一度、異空間から魔王が降臨し襲撃する。
人々の魂を喰らい、世界を滅ぼそうとする存在だ。
勇者ロザリアは、その脅威を食い止める宿命を背負っている。
だが、これまでの勇者たちは皆、魔王を倒すために戦いその命を落としてきた。
そして、ロザリアも・・・。
「お前はお荷物たちのせいで自分の身が危険に晒されたとしても同じことが言えるのか?」
「私は、自分一人の力で魔王討伐を成し遂げられるなんて思ってない。むしろ逆。皆んなの支えがあるからこそ成し遂げられるんだよ」
梃子でも動かない鋼の信念。
だが、それが俺にとってどれほど重い足枷になっているのか、お前は知らないだろう。
「そんな温い理想論を掲げて本当に勝てるとでも思っているのか? 仮にお前の言うことが真実なら、魔王はとうの昔に討伐されているはずだ。そんなことだから、これまでお前たち勇者一族は失敗し続けてきたんじゃないのか?」
ロザリアの表情が絶望に変わっていく。
「最低・・・。そうやって、今までずっと私たちを見下していたのね。お荷物だと思ってたんだ。私のことも」
「そう聞こえたということは、お前らにも思い当たる節があるというわけだ」
その言葉が引き金になった。
彼女の手が振り上げられ、俺の頬に鋭い痛みが走った。
床に叩きつけられたカップが乾いた音を立てる。
ロザリアは深い悲しみと怒りを滲ませるように、涙を流していた。
「ーーーそれが本音か」
背後から突然襟を掴まれ、そのまま床に思い切り叩きつけられた。
「ぐっ?!」
椅子とテーブルが激しく散乱する。
「黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって。俺らの方がお前を必要としていなかったんだよ。ロザリアには俺たちがいれば十分だ」
周囲の空気が張り詰める中、拳闘士フリードが吐き捨てるように俺を見下していた。
周りからクスクス笑い声が聞こえる。
「ほんと最低。今回はさすがに引いたわ」
わずか十一歳の天才賢者ヴィオラは髪をいじりながら彼に同意している。
「カイン。僕は君を軽蔑するよ。根は優しい奴だと思っていたのに」
普段は軽快なジュリアンの視線は、まるで人を見るような目ではなかった。
ロザリアが見ている前で、フリードは床に倒れる俺に向かい唾を吐き捨てた。
「さっさと消えろよ。この冷血銃士が」
「・・・願ってもない申し出だ」
唾を拭い、ゆっくりと立ち上がり身だしなみを整えた。
「ほう。ロザリアの金魚の糞の割に潔いじゃねぇか」
「その金魚の糞以下の仕事しかできないお前たちと一緒にされても困るしな」
銀貨を数枚テーブルに放る。
「せいぜい頑張るんだな。お前たちが無事に生き残れるのを祈ってる」
彼らの中で、俺は完全に他人となったのだろう。
切り捨てたばかりの俺に見向きもしないどころか、すでに違う話題を話し合っていた。
そんな様子を黙って見届け静かに大食堂を出ると、冷たい雨粒が頬を濡らした。
「これでいい・・・」
そう呟くと、自然と笑みが溢れた。
雨に打たれたまま、楽しそうな笑い声の漏れる大食堂の明かりを見つめる。
これでもう、俺の居場所はない。
だが、これでようやく魔王討伐に専念できる。
雨が降り頻るなか閑散とした町を歩く。
ふと立ち止まり、遠くの岩肌にポツンと見える教会に目をやった。
ふぅ・・・。
覚悟を決め、雑踏に逆らい人々をかき分け石畳の坂道を登る。
だんだん人も少なくなると、微かに聞こえる虫の声だけに包まれていた。
坂道を登り終えると、白い小さな教会がひっそりと佇んでいた。
何かを待っているように海岸を見下ろしている。
いつの間にか雨も止み、少し晴れ間が差していた。
ここ王都ドルガリスは、山奥の切り立った山肌に作られた天然の要塞を擁する町。
そして、勇者にとって始まりの町だ。
勇者は五大国である王都ドルガリス、ヴァルムレイク、フローレンスバレー、フロストヘイヴン、ロックバスティオンを巡礼し、その試練を乗り越え宝玉を集めることで魔王の居城のある異空間への扉を開く。
勇者は、旅立つ前に必ず王都のほぼ真ん中に位置するルマリア大聖堂で『祖光継諾の儀』を行い、勇者像に祈りを捧げる。
勇者はその伝統的な儀式により、聖堂に二週間ほど籠ることになる。
そのため、すぐに発てば当面ロザリアに追いつかれることはないと判断した。
とはいえ、あんな啖呵切っておいて追いつかれたんじゃ三回もやり直した意味がないし、立つ背もない。
早く済ませよう。
ギギギ・・・。
左脚から発した異音に気付き、木陰にある古びたベンチに腰を下ろした。
膝を屈伸させると、金属製の義足の関節部が再び小さな悲鳴を上げた。
・・・雨のせいか。調整したばかりのはずなんだがな。
一瞬、関節部のつまみを見失った。
片目ではどうもピントを合わせるのが遅れてしまう。
冷えた金属製の脚のつまみを右手で締め直す。
利き腕ではない方で生活するのはなかなか慣れない。
まさか、よりによって固有スキル『廻天』の副作用が全て左側に集中するとは思いもしなかった。
左目。左腕。左脚。
これくらいで済むなら安いものか・・・。
意識を集中させ自分の能力値を可視化させる。
攻撃力や防御力といった能力を示した数値が九種あり、その全てが四千を示していた。
普通ならばありえない数字だ。
この数値はどれも百を超えれば優秀。
名のある冒険者でもせいぜい三つが二百弱を超える程度だ。
ましてや全てを満遍なく底上げるのは余程才能に恵まれた人間でない限り非常に難しい。
そんな常軌を逸した数値を目の当たりにしても、心が浮き立つことはない。
これは、運命に抗う俺への当てつけだ。
無駄な足掻きだと。
何度やってもお前には結果は変えられないと。
そう言われている気がしてならない。
恩恵か、それともただの副作用か。
初めは、能力値が倍になっていくことも俺を奮い立たせた。
次は絶対にロザリアを死なせない。
そうして『廻天』を使い、合計四度。
固有スキルを使用する度に増え続ける肉体の枷を背負いながら魔王に挑み、その全てが失敗に終わった。
ロザリアが死ぬ場面は何度もこの目に焼き付けられた。
特に、二回目のループを敢行することになった三度目の戦いは・・・。
義足のつまみを締める手が止まる。
まさか、俺の手であいつを手にかけることになるなんて・・・。
「うっ・・・!!」
彼女の胸から流れる生温かい血の感覚を思い出した瞬間、強烈な吐き気を催した。
どっと冷や汗が出る。
「はあっ はぁっ・・・」
なんとか深い呼吸を繰り返し、平常心を取り戻す。
まだ微かに震える手で、再び義足のつまみを回した。
たとえ、ループする毎に能力値が倍になっていても、何の役にも立たなかった。
残ったのは、決して軽くはない代償と、ロザリアを救えなかったという無慈悲な現実に対する絶望感。
そして、もがき続ける俺を嘲笑うかのように付与された、計算違いとも思えるほど飛躍的に向上していく意味を成さない能力値。
それだけだった。
これだけ失敗すれば流石に学ぶ。
どれだけ能力値が高くなろうと未来は変えられない。
このままロザリアたちと行動を共にしても魔王は討伐できない。
ならば取るべき行動は一つだ。
ロザリアから離れ、俺一人で魔王を倒す。
あいつを魔王から遠ざける。
そうすればあいつが死ぬことはない。
あんな地獄のような光景を目にしなくてもいい。
しかし、パーティを抜けるために正式な手順を踏んでいる時間はない。
勇者パーティにおいて、魔王討伐という大役以上に意義のあることを見つけるのは容易ではない。
だから、勇者ロザリアの口から言わせる必要があった。
やるべきことは明確だった。
ロザリアの性格は知り尽くしている。
彼女にとって許せないことは何なのかは手に取るように分かる。
ならばあとは、冷徹に、淡々と、演者として振る舞うだけだ。
そして、思惑通り俺はパーティを追放された。
同じ轍は二度と踏まない。
ようやく左脚の動きが滑らかになった。
もはや教会への坂道を登ることは、ループを繰り返す俺にとって積み重なる代償と体を慣らすための練習のようなものになっていた。
教会の扉をゆっくりと開くと、柔らかな陽の光がステンドグラスの美しい模様を床一面に映していた。
人の出入りが少ないのか、空気は少し埃っぽい。
誰もいない。
木造の床が軋む拝廊を進み、勇者の像が立つ祭壇の前に立つ。
見下ろすその微笑みはどこか安心しているように見える。
俺もいつか、そんな風に笑える日が来るのだろうか・・・。
そんな想いを抱きながら、右手を胸の前に、目を閉じる。
果たしてこの祈りに意味はあるのか。
いや、ないだろうな。
それでも俺は・・・。
「どうしても叶えたい願いがありますもんね」
隣を向くと、純白の祭服に身を包んだ女性が顔を覗き込んでいた。
俺としたことが祈りに夢中でこの子の存在に気が付かなかったのか。
「司祭にしては垢抜けた奴だな」
「司祭ではなく司教ですよ。それも大のつく」
「どちらも大差ないだろ」
「大違いですよ〜。司教は教会で一番えらい人のことですからね」
どちらにしても教会に属しているということはエテルヌス教か。
聖職者についてはあまり詳しくないが、女が協会のトップになるのは相当厳しいと思ったが。
「あ! その顔、疑っていますね? この教会で一番偉いのは本当なんですよ」
「どっちでも構わない。俺には関係ないからな」
「え〜。そんな寂しいこと言わないでもっと私に興味を持ってくださいよ」
いきなり現れて興味を持てという方が無理があるだろう。
・・・それにしても妙だ。
過去の世界線ではこいつの存在は無かった。
ロザリアのパーティを追放された影響で事象に変化が起きているのか?
仮にそうだとしたら僥倖かも知れない。
今まで無かったということは、未来が変わる可能性があることを意味する。
やはり追放されたのは正解だったかも知れない。
「申し遅れました。私はカルマナ。この教会の大司教です」
大司教ねぇ。
身なりはともかく、司教というよりは剣士の方が似合うな。
それくらい腰にぶら下げた立派な剣が浮いて見える。
一目で分かる。名剣だ。
「それにしてもあなたの祈り方は不思議ですねぇ。ドルガリスで祈祷と言えばこう、両手を合わせるのが一般的だと思うのです」
彼女の両手で祈る仕草を黙って見つめる。
そうしたいのは山々だが、この体は代償の証。
禁忌を犯したこの手を合わせたくなかったのが本音だ。
「有り難い指摘だがそれができない体なんだ」
左腕が義手だと気づいたのか、カルマナは言葉を詰まらせた。
「ごめんなさい。そんなつもりは・・・」
「気にするな」
その場を去ろうとすると、カルマナがすがるように声を上げた。
「あの、私も連れて行ってください!」
・・・この展開も初めてだ。
「一応、理由を聞いてもいいか」
「あなたの祈りには、慈しむ温かさと重い後悔が込められていました。それが何なのかを知りたいんです」
一瞬言葉を詰まらせた後、彼女は微笑んだ。
「そうか。その好意だけ貰っておく」
「無理を言っているのは分かっています。そこを何とかお願いできませんか? この通りです」
おっとりとした見た目とは裏腹に頑固だな。
「こんなことを言っても信じてもらえないかも知れませんけど、あなたには私が必要な気がするんです。私たちには、決して偶然では片付けられないような、不思議な縁があるように思えてならないのです」
彼女は照れ隠しに舌を出している。
「足手纏いにはならないと思いますよ。こう見えて私、アークビショップですから」
余程自信があるのか、それともただの物好きか。
いずれにせよ、三回のループを経て辿り着いた四度目の世界線。
このタイミングでこいつと接点を持ったことにも何かしらの意味があるかも知れない、か。
「それに、独りぼっちは寂しいじゃないですか」
その一言に、思わず肩の力が抜けた。
「分かったよ。よろしく頼む」
彼女のどこか寂し気な笑顔に思わず承諾してしまった。
「そうこなくっちゃ! こちらこそよろしくね! カインさん♪」
ステンドグラスから差し込む西陽に晒された彼女の緩やかな曲線を描くクリーム色の髪は、神秘に包まれたこの場に見事に調和していた。
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